私とあいつ
蒼井七海
第1話 私とあいつ
――初めて出会ったのは、五歳くらいの頃だったろうか。
ピンク色のそれを睨みつけて、私は複雑な顔をしていた気がする。
『こいつ』といれば私はある程度自由になる。それは分かっていた。けれど、いろいろ嫌なことを経てきた後だったからだろうか。なんとなくあいつが「よくないもの」に見えていた。なんでこんな堅苦しいものと一緒にいなければならないのか、なんで私だけ。そんなふうに考えて悶々としていた。
あいつとの生活が始まった。予想していた通り、いいことはあまりなかった。
毎日顔を合わせるのが面倒くさいし、一緒にいると暑苦しい。暑苦しいだけでなく時折痛い思いをすることもあったから、やっぱりあいつのことは好きになれなかった。
あいつは何度も姿形を変えたけれど、私の印象がよくなるはずもなく。
小学生のときはあいつと離れたくて仕方がなかった。だから両親の前でうるさいほど言っていた気がする。
「絶対『こいつ』と離れる!『こいつ』なしで生活できるようになる!」なんて。
両親はどういう思いで聞いていたのだろうか。今となっては分からない。
なんとなく気持ちが変化し始めたのは、中学生のときだった気がする。
あいつと一緒でなければ生活するのは無理だと割り切った――もっと言えば、諦めた――からなのか。
改めて見つめ直してみれば、あいつと一緒なのも悪くないかも、と思い始めた。
あいつがいたから、私は遅くても走れるようになった。あいつがいなければ体育祭への参加もできなかったかもしれない。ドッジボールができなかったかもしれない。最初から挑戦を諦めることも、たくさんあったかもしれない。
そしてもう一つ。この頃から私は、両親を避けるようになっていた。反抗期ではなかった、と思う。けれど、段々話すのが気まずくなり、顔を合わせることすら面倒になっていた。
そんな私のそばには、やはりあいつがいたのだ。多分あいつは、両親よりも誰よりも、私の多くを知っているのではないか。考えてみて、気付く。
あいつは私の友達なのかもしれない。
無口だし、冷たいし、今でも好きにはなりきれないけれど。
良い部分も悪い部分も全部知ってるあいつと、私は気付かないうちに見えない糸のようなある種の「友情」で結ばれているのかも。
そう、思うようになった。
冬の朝は寒い。布団の中でもぞもぞと服を着て、ついでに靴下まで履いてしまう。するりと寝床から出ると、急いであいつの元へ行った。今日は平日。いつも行っている事業所へ行かねばならない。出発直前になって焦らないように、準備は早く済ませてしまう主義だ。
私はいつも通りあいつと顔を合わせた。そこに言葉はない。当然のように、毎日繰り返されるやりとりがあるだけで。
――一通り『そいつ』のベルトを締め終えた私は、無機質な本体をぺしりと叩いた。
「今日もよろしく」
口に出して言うのは気恥かしい。だから、心の中で呼びかける。
あいつにも名前はある。――装具、という名前が。
「下肢装具」というのがもう少しきちんとした呼び名だ。さらに正式な名前もあるかもしれないしないかもしれないが、私は覚えていない。
ただ呼びやすいので「装具」とだけ呼んでいた。
昔は憎たらしくて仕方なかったけれど、「昔」から、私に歩くという自由をくれていた。
その尊さが分かってきたからか。今はただただいとおしい。かけがえのない、相棒だ。
『あんま手荒にしないでよ』
「善処する」
『あと、はがれかけてる足裏の滑り止め、どうにかしてくれ』
「……うん、ごめん。今日こそ接着剤買うから」
誰も知らないところでやり取りしながら、一歩、一歩と踏み出す。
今日もまた、私とあいつの生活が始まろうとしていた。
私とあいつ 蒼井七海 @7310-428
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