「作家は自身より頭の良い人物を書けない」というが、その逆はより困難だ

 「何の特徴もない平凡な学生」が異世界で知識チート行為を実施するに当たり、世界全体の技術レベル、知能レベルを低下させるという手法は一般的である。「作家は自身より頭の良い人物を書けない」という迷信が人口に膾炙し、多くの作家が天才を描くことを諦めた昨今、ある時期「等身大」という言い訳と共にこれらが量産された。
 最古の類例は神話の時代にも遡るが、現代日本における直接の源流は藤子・F・不二雄著『ドラえもん』の影響とされる。周囲との格差による絶対的優位、絶対的優位を得られる環境への逃亡、また、そういった環境の創出。これら全ては、既に多くの読者層の血肉となっており、取り立てて憎悪や侮蔑、礼賛や驚嘆の対象となる手法ではない。

 しかし、これを突き詰めればどうなるか。
 主人公は「何の特徴もない平凡な学生」ではなく、「スポーツも勉強も今一パッとしない学生」ですらない。「偏差値10の俺」だ。
 スゲェー馬鹿な主人公が知識や知能で他を圧倒するには、それ相応のい世界が求められる。
 実際の所、「自身より頭の良い人物」など、適当に三ツ穴の開いた箱を描写し「この中に天才がいるよ」とでもト書きすれば済むのだろうが、頭の悪い人物となると、そうはいかない。一切の憎しみや個人的な怨恨を滲ませず、知性や経験による思考の省略を行わず、いろんな馬鹿を、たくさん書く。いろんな馬鹿を、たくさん書く。すごい。やばい。
 すごいおもしろかった。

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