足羽山異聞
はくたく
第1話 足羽山異聞
ある夏の夜。
老人が一人、石段に腰掛けていた。
数日前から天気も上々。これはあと数日続くと思われる。今年は、孫はいつ来てくれるだろうか。その時も良い天気だといいが。
そんなことを考えていると、後ろから声を掛けられた。
「おじいさん……」
「おや、隣の坊や。どうしたんだい?」
佇んでいたのは、小学生くらいの男の子であった。
「なんかムズムズするんだ。おしりの下が、ぴしぴしっていってる……」
そこへ、右隣の住人もやって来た。
「N村さん。どうも具合が悪いなあ……」
「どうしたんです? K藤さん」
「ここの地下ねえ。昔、石を掘っていた跡があるでしょう?」
「ああ……笏谷石ですな。それがどうかしましたか」
「今年の梅雨は雨が多かったでしょう? だいぶヒビが入っているのですよ……」
「なんですと!? では、皆の家族が来たら……」
「重みや振動で、崩れてしまうかも知れません」
孫は昨年結婚したばかり。生まれた曾孫を見せにくるはずなのだ。もし、孫達が来ている時に崩れたら……老人は息を呑んだ。
近所の人々も、心配そうな顔で集まってきた。
「ふむ。ここはひとつ、大師堂へ行って相談してはどうかな」
言ったのは、カイゼル髭を生やした軍人である。
「そうしましょう。大師様はいくつも工事を手がけておられると聞きます」
住人達はぞろぞろと斜面を登り、中腹にある小さな堂にやって来た。
入り口には、旅姿の僧が裃を着た二人の武士と話をしていた。僧は、彼らを見て驚いたような顔をしたが、話を聞いて深く頷いた。
「よく分かった。だが、崩れるのは運命だ。私の力で止めるなど不可能だ」
「せっかく来てくれた家族の死ぬところなど見たくありません!! 何とかなりませんか?」
「うむ。私一人ではどうしようもないが……この山に祀られている方々が力を合わせれば、何とかなるやも知れぬ。幸い永見殿と狛殿が遊びに来ておられる……どうであろう。お二人、ご主君を通じてお頼みしては貰えまいか?」
二人の武士は立ち上がった。
「あいわかった、すぐ殿にご相談申し上げよう」
一時間ほどすると、山頂の方から真っ白な狐が駆け下りてきた。
「これなるは、山奥神社の御使なり。ここに住まいし者ども、すぐに継体天皇の御座所に参れ」
歩き出した白狐の後ろを、大師を先頭に数百の人影が続く。
動物園の脇を通り、仏舎利塔を横目で見、招魂社の下を通ってたどり着いたのは、福井市立自然史博物館の前にある、小高い丘の麓であった。
見上げると、頂上に古式の衣を纏い、錫杖を付いた顔の大きな老人がいる。周りには鎧兜の武者や軍人、文官、公家とおぼしき人影もあった。
人影のうちの一人、烏帽子をかぶった老人が口を開く。
「訴えは分かった。されど、我らといえども崩れゆくものを止めることは出来ぬ。それに、招魂社の地蔵菩薩様によれば、今度の崩落での犠牲者は既に定められたる者。覆すことは許されぬ」
人々の間から悲しみの声が上がった。
先頭の大師も、ひれ伏すようにして懇願する。
「教景様。そう仰らず。なんとか彼らの家族を助けたいのです。義貞様、勝家様もお力をお貸しください」
勝家と呼ばれたひげ面の男の隣には、打掛をまとった美しい女性がいて、なじるような目で見つめているが、男は難しい顔をしたまま微動だにしない。
そこへ、つとあの子供が立ち上がり、前に進み出て言った。
「ぼくはお父さん、お母さんに会いたい。一緒に暮らしたい。だけど……それよりも生きていて欲しいんです!! 幸せでいてほしい……」
その声に、顔の大きな老人はじっと耳を傾けていたが、ふいに大きく頷いて立ち上がった。
「皆の気持ち、あいわかった。朕がなんとかいたす」
そして、空を見上げるとふいっと虚空へと姿を消したのである。
驚いた表情で押し黙った人々に、恰幅の良い武者が笑いかけた。
「皆、安心せよ。継体天皇があのように仰せられたのだ。なんとかなろうよ」
「しかし秀康様。いったいどうやって……」
大師がそう言いかけた時。消えた時と同じように、また老人が姿を現した。
「皆、今夜はここに泊まるがよい。いや、しばらくはここにいることになろうかの」
「それはいったいどういうことでございますか?」
問いかけた教景に、継体天皇はいたずらっぽく微笑んだ。
「毛谷黒龍神社へ行って、
「なんと!? それでは、大変な嵐に――」
言いかけた教景の声は、時ならぬ豪風にかき消され、礫のような雨粒が天から落ちてきた。
稲光が走る天を振り仰いだ人々に、継体天皇はにこやかに言った。
「崩れるのが定めなら、崩してしまえばよい。誰もおらぬ今宵のうちにな。神の怒りであれば、定めも何もあるまい」
その時。天から野太い声が降ってきた。
『わしらも手伝おう!! ゆくぞ干支神たち!!』
さらに、周囲の森から美しい雅楽の音に乗せて、柔らかな声も届いてきた。
『皆の家族を思う心に、私たちも応えよう』
『おう。白山神社、薬師神社の皆様も、合力くださるか!!』
炎のような光が地を走る。
雨音に負けないほど大きな地鳴りが響き、山全体が小刻みに揺れ始めた。
人々の見守る中、豪雨と山鳴りは明け方まで続いたのであった。
*** *** ***
平成十七年 八月十六日未明
福井市足羽山の西墓地公園で大規模な地面の崩落が起こり、墓石数百基が地下空洞に落ち込んだ。原因は深夜に降った時ならぬ大豪雨であった。
お盆の前日のことであり、墓参りの人々が巻き込まれなかったのは、不幸中の幸いであったと報道された。だが、なぜ誰もいない時を狙ったように墓地の崩落が起きたのか、真実を知るものはない。
現場が復旧され、西墓地公園の入山規制が全面解除されたのは、事故から二年後の平成十九年 十二月のことである。
足羽山異聞 はくたく @hakutaku
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