不定

[本編]

【クローズ・アップ】

 地方都市校外の、意外と静かで風通しの良い立地にある中高一貫の学園。校庭の周囲には広葉樹の並木が施されており、季節感を過度に感じさせる蝉の鳴き声と、木々が揺れる音だけが無人のそこには響いていた。

 校庭に面した出窓の中は、外のややきつい日差し、心地よい風とは打って変わってまるで密封された、深淵の闇そのものだった。

 第十三校舎の四階、その廊下に明かりが灯るのを見た者は極小数だ。昼夜問わず薄暗いそのフロアは、採光用の窓もなければ換気扇もない。ただあるのは、廊下の突き当たりにある小さな出窓だけだ。反対側からそれを通して見る校庭の煌めきは、暗中模索する中で見つけた希望の光明というよりは、むしろ遠のく夢、と言った方が感覚としては素直だ。

 彼女の素直な感想だ。

 そして左手に見えるのは、怪しい教室。

 民族・宗教研究部。

 古びた木板に墨書されたそれは大昔に朽ちかけてそのまま時が止まったかのようにぎりぎりのところで板という形を保っている、ように見える。壁に打ち付けてあって、しかし、改修工事の行き届いていない第十三校舎の扉は木製で、窓ガラスの部分には模造紙か何かが、びっちりと内側から密着していた。

 少女はそこで肩を竦める。



【勧誘】


「何でも屋なんてそんなぁ、週刊少年ジャンプの問題作じゃああるまいし」

 茶髪にショートヘアの、制服を注意されない程度に着崩した女子生徒は肩を竦めながら笑った。

「で、でも、おかしいじゃない? 全然名前と合わないことやってるじゃない?」

 少女――もう一人の女子生徒は、黒髪ローツインテールの彼女はたじろぐ。

「まあまぁ固いこと言いなさんなって。ウチらに解決できないプロブレムはないよ。放課後部室においで! じゃウチ忙しいんで!」

「え、ええ? ちょ、ちょ待ってよ和花ほのか!」

「下の名前で呼ぶなー!」

 既に駆け足で廊下の向こうに飛んで行った茶髪・勅使河原てしがわら和花は幾分、見た目とは裏腹な律儀さを持って答えた。

「……」

 返すことも出来ず、半目で背中を見送る。

「ま、いっか」

 黒髪・安西あんざいのめりは振り返りざまに小さく呟いた。


 三週間前ほどの話である。

 安西のめりは友人とくだらない喧嘩をした。物静かな割に発言が少々過激な彼女が呟いた一言が原因だった。

「そうやって、人助けしてるのも自己顕示欲に塗れてるからよ」

 運悪く相手の耳に入ったそれは、相手を激昴させるには十分だった。

 それから口論になり、自分の論理を信じた安西は相手と決裂、嫌な雰囲気がずっと漂っている。


「でも、納得するに値すると思うわ。だって助けても自分に利益なんてないのに」

「はあ」

「……」

 安西は勅使河原に、険悪な雰囲気を纏っている理由を尋ねられて先のことを説明していた。

「じゃ、今困ってる?」

「べ、別に」

「でもこんな空気で学校生活なんてヤじゃない?」

「私が間違ったことを言ってるならそうだけれど、そうは言いきれないのに私が曲げることなんてないわ」

「ふーん」

 勅使河原は興味深そうに首を傾げた。のち、笑顔で言う。

「困ってそう」

「そんなことないって」

「助けてあげるよ」

「あなたも自己顕示よ」

「くじゃないよ!」

「……」

 食い気味に否定したのは安西にとっては予想外だったようで、面食らって黙ってしまう

「そんな説明いらないと思うけど、安西が解るように言えば『利益はある』よ」

「ふ、利益って……私を助けて?」

「誰を助けても」

 確信に満ちた笑顔で答える。

「我が民族宗教研究部できみのお悩み解決致す!」



【私は。】


 私は暗い廊下に立っていた。半分比喩だし、半分は事実。

 後から思えば言う必要のなかったことや、どうでもいいと思ってしまうことを意固地に張り合ったり、無駄と判断して諦めてしまったことは今までだって何回もあった。

 カッとなって、なんて格好悪い言い方はしたくないけれど、衝動が襲ってくるのは確かだった。

 今回のことだって、本当はもう止めにしたいのだ。

 体面を気にする羞恥心が抑制している。

 私はそんなことを続けるうちに暗い廊下に立っていた。

 教室には居場所はない。明るいところには人がいる。図書室も、校庭も賑やかだった。そこに身を埋めれば気にするのも忘れられそうだが、ほんの少しの羞恥心がそれをさせない。

 孤高を纏え、と言う。

 暗い廊下で。

 目の前に古ぼけた扉がある。彼女に呼ばれてし「まったから、なんとなく来てしまった。

 違う、なんとなくじゃない、期待して来たんだ。

 こんな効率の悪い生き方が変わるのを、期待して来たんだ。

 私はドアをノックした。



【責任】

 そりゃあきみ、そいつぁ「さとり」だよ。


 部屋に入るとまず見えたのは巨大な一人がけのソファだった。部屋の両側は棚になっていて、古めかしい本や桐箱などが所狭しと載せられている。

 奥側が窓になっていて日光が入ってきているので、電気は付けられていなかったし、後光のようにソファをシルエットにしていた。

 そこに人が座っていることは、声が聞こえるまでは分からなかった。

「やぁ、民族宗教研究部へようこそ」

「……どうも」

 若い男の声だった。

「俺は三指早希みゆびさきと言う。三つの指に、早い希望と書く。二年生だ」

 和花はドアの横に立っていたようで、左側にいた。

「きみは安西のめりさんだね。安心院あじむの安に、東西南北の西、平仮名でのめりだ。安西のめり一年生」

 むしろ分かりにくい。と言うか、なんで名前まで知れてるのか。和花に向き直ると、

「わ、私はお客さんが来るとしか言ってないよ」

「……」

「お悩みを持っていると聞いたが」

 目が慣れて来たのか、ようやく表情が判る程度にはなった。三指早希は小柄な美少年だった。

「悩み、という程のことではないんですけれども――ほの……勅使河原さんに半ば強制的に呼ばれて」

「ん、うん……まあまぁ」

 三指は和花の方を見て若干困った笑顔だった。

「まぁそうだな、安西さんの悩みも当ててあげよう」

「え」

「喧嘩した友人との和解」

 図星。

「いや、これは浅いなあ」

「えっ……」

「きみさ」

 彼はやや語調を改めて話す。

「今までもおんなじようなことを繰り返して、嫌になってたり、しない?」

 頬杖を付いた彼の瞳はひどく澄んでいて、私の心を見透かすようだった。口角は右側に釣り上がっている。

「私の――何を知ってるんですか」

 一歩、足を退いた。

 やばい人と対峙していると、今更ながら気づいた。和花を横目で見ても、ニコニコしているだけだ。若干苛つく。

「俺? 俺はなんにも知らないよ。きみのことなんてさっきまで知らなかったよ。勅使河原がこの部室に来て話をするまで知らなかったよ」

 いかにも真実らしく。

「じゃあなんでそんな」

「ただ、見えるんだよ」

「何がですか」

 若干苛立った私に対して、食い気味に答えた三指はにたっと笑い、大きく含みを持たせて言う。

「何がって、きみの胸に巣食う妖怪が、ねぇ」

 端正な顔の中には粘りのある不快感だけが感じられた。

「……ふ」

 何を言うかと思えば、妖怪……? 馬鹿にしてるのか、この先輩は。

「笑み……? 何も面白いことはないよ、きみ。妖怪が憑いてるってのは非常に恐ろしいことだ」

 至極真面目な顔をして迫る。

「妖怪なんて、いるわけないじゃないですか。そんな非科学的な……」

「いるよ、いるいる、そこら中に。民族宗教研究部はそういう分野もやるんだよ。妖怪って言うか、怪異って言うかねー」

 三指は頬杖を外して顎の下で手を組んだ。

「……しょ、証明できるんですか、妖怪を」

「証明できないから怪異なんだろう?」

「はぁ?」

 本当、何を言っているんだこの人は。そもそも民族宗教研究会なんて和花からしか聞いたことのない名前だ。和花はこんな先輩の下で部活動をしているのか?

 和花を横目で見ると、いつもと変わらない笑顔が返された。

 違う、それじゃない。

「……じゃあ、イヤミな現代っ子の性分をただすために……じゃなくて、証明できないものを信じるためにいくつか質問をしてあげる」

「……意味わかん」

「人生は後悔の連続だ?」

 首をかしげて無感情に言う。

「過去によく教師と対立していた? テスト勉強をするはずの夜中にベッドインして朝? 彼氏を妥協してしまいいつも交際は長く続かない? ネット上で口論を起こしたことがある? 自分の行動が正しいという自信がある? 喧嘩と仲直りを頻繁に繰り返す? 買い物は現地で決め、余計なものまで買ってしまう? 思い立ったが吉日、吉日なのはその日だけ?」

「……」

「まぁ、誰にでもいくつかは当てはまるようなことばっかりだ。いくつかはね」

 三指は立ち上がり、窓の方を向いた。

「しかしながら、これがほぼすべて当てはまったとしたら――妖怪の仕業を疑ってもいい」

 得意げな顔をして首だけこちらに向けて鼻を鳴らす。

「さ、どうだい安西さん。例え俺がどういうネットワークを使ったって、そんなきみの内情は知れないだろう?」

 確かに、思い当たる節ばかりではあった。中学時代の教師や友人との確執、普段の生活態度。当てはめようと考えればストンと胸に落ちる。

「……それが、妖怪の仕業だって言うんですか」

「勿論」

「……で、それを教えてくれて、どうして頂けるんでしょう。私から頼んだことではないとは言え、元はと言えば解決して欲しいって内容だったんですけれど」

「大丈夫、そこまで含めて説明している」

「そうですか……でも私、霊感とか全くないし、憑いていると言われてもなにも感じませんけど」

「そうだよ、そこがポイントだ。何も感じない」

 胡散臭さは抜けないが、色々と正確に言い当てられてしまったために反論する気にはなれなかった。

「そういう妖怪なんだ。怪異なんだ」

「じゃ、何が――いるんですか、私に」

 そりゃきみ、そいつぁ「悟」だよ。

 さとり。

「有名な妖怪に同じ音で『さとり』があるが、あれとは違う。知っているかい、覚。人の心を読むバケモノさ」

 全く聞き覚えがなかった。和花は知っているんだろうか。

「近い妖怪と言えばそうだな、『通り魔』がいいだろう。『つい魔が差して』の元凶だ。ふと、何をきっかけにして芽吹く怪異。心に訴えかける妖怪。衝動的殺人の仕組みだ。どちらも江戸時代に広まった怪異だ」

「よく、わかんないんですけど……」

「そしてきみに憑いてるそれは『悟』だ。ギセイギとも呼ばれるけれど。こいつも人の心を操る」

「私の、心を……?」

「そう、心を操る。ことに決断を操る。名前の通り、『悟り』を開かせるんだ。大して熟考もしないままに、根拠の無い自信を与えてヒトを動かす。その埋まるべきだった心の穴に潜むんだ。勿論行動と気持ちのスピードの違いに違和感も覚えるだろうが、悟自身が、そういうこともあると、無意識に押し込む『決断』をさせる」

 悟らせるんだ。

「……」

「ああ、安心しな、すぐ、直接的に健康被害が出るようなものではないよ。精神は汚染されるかもしれないけれどね……」

 全然安心出来ない話だった。話半分、不信感満載で聞いてたものの、いざそう言われるとものすごく気になる。

「ただね、このまま放置しちゃうと不味いことになりそうでは、ある」

 芝居のように苦い顔をして向き直る三指は意味深長な風に目線を泳がせた。

「不味いことって……」

「実は悟というのは誰にでも取り憑く妖怪なんだよ。人間の殆どは悟に憑かれた経験がある。ただ、すぐに悟は相手を変えてしまうんだ。悟が巣食う場所が少ないから」

 と、わざわざ言うということは、私は――

「そう、私は。きみは。きみはそうじゃなかった。悟に場所を与える質だったんだ」

 見透かしたように言葉を重ねてきた。

「質」

「生来のものと考えて貰ってもいいし、なんなら前世からの業と考えて貰ってもいい。要は『そういうもの』だ。そして悟に長く憑かれると、どんどん悟の『住居』は増えて、自分の『判断の基準』がどんどんすり減っていくんだ。そのうちに、例え法廷に出ても刑事責任能力が認められない、なんていう状態にまで成り下がるのさ。この先は言わずもがなだよね」

「つまり……」

 精神疾患。

 脅しにしてもやりすぎだし、そんなものとルームシェアをしているのか、私は……

「どっ、どうにかならないんですか、それ……!?」

 思いのほか必死になってしまった私を、しかし変わらずに笑みを浮かべながら透かし見て来る。

「大丈夫さ、除去はできる。まず、この札を七日間肌身離さず持ち歩いていればいい」

 そう言って彼は私に板状の物体を投げ渡した。

「おっと、っと……」

 その札はよく神社で見るような形ではなく、「吸」と真中に書かれた牛革のような素材で出来ている長方形だった。

「そして、切に祈ることだよ」

「祈るって、何を?」

「悟に出ていってもらうことを。感覚に訴えるように言えば、自分のことを疑うようにすることだけれどもね」

「どういうことですか?」

「悟が左右させているのはきみの心、判断だ。判断を下した後、それを自ら疑ってみればいい。彼にとっては至極住み心地の悪いになるだろう。隙間がなくなるから、ね」

 人差し指を立てながら三指は私に近づいてくる。手に持っていた札を指さして、

「それはね、そこらへんにいた生霊を数体封じ込めた札だ」

「ひっ!」

 驚いて札を落としてしまった。

「そいつぁ悟へのプレゼントだよ。これを代わりに差し上げますのでどうかお引き取り下さいってね。怨念に塗れた生霊の思考は隙だらけだ。格好の餌になるだろう」

「え……生霊ってことは、じゃあその人たちは」

「もれなく悟に侵されるだろうね」

「そ、そんな、出来るわけないじゃないですか」

「おやおや、生霊を助けることは、きみにとって利益があるのかい?」

「……」

「ここに来てまでいい人ぶらなくてもいいんだよ?」

「ちがっ、それは……」

 なんでそんなことまで知っているんだろうなんて考えている余裕はなかった。

「……あなたの説明でたどれば、それは悟のせいじゃないですか」

「そうだよ、勿論。でもきみの責任だ。怪異は理由にはなれど責任は負えない。刑事責任も、もちろんね。証明できないからこそ怪異であるし、怪異であるからこそ責任は負えない。解釈はできても。言わされていると言っても、結局のところきみの口から出た言葉だよ」

「……」

「大丈夫だって、きみほど住みやすい環境は生霊だってそうはいないだろう、永続的に憑かれるのなんで極一部さ」

 私が落とした札を拾い上げ、押し付けるようにして渡してきた。

「来週のこの時間にまた来てそれ返してね。勅使河原経由じゃ危なくてダメだから」

「ちょっと、それどういう意味ですか先輩」

 そうだった、そういえば和花もいたんだった――全然喋ってなかったな。

「もちろん、生霊を扱うなんて危険な作業を可愛い後輩にはさせたくないカラダヨ」

「むう」

 え、それ、私は? 棒読みだし。

 改まって三指は向き直り、腰に手を当てた。

「じゃあ、渡すものは渡したし、説明も終わった。あとは自分のために頑張りな。自除するんだ、自助でもいい。さようなら、一週間後まで」

 半ば追い出される形で私は部室をあとにしたのだった。



【民研】

 第十三校舎の四階の部室。

 男女二人が部屋の対角に立って話していた。

「あの話、本当なんですか? 妖怪とかなんとか」

「嘘に決まっているじゃあないか」

「えぇ!?」

「そもそも妖怪なんて嘘みたいなもんだ。俺たち人間が説明出来ないことを妖怪っていう万能カテゴリーに入れて心落ち着かせてるだけだ」

 窓を覗きながら小柄な男は言う。

「脅しはやり過ぎくらいが丁度いいんだよ」

「ありゃ脅しじゃなくてハッタリですけど。バレたらどうするんですか、怖いですよ、のめりん」

「バレるもなにも、証明できないんだから否定もできないだろうよ――ああいうのは中高生に良くいるタイプだ。さとり世代って言うか――それの過激版だな」

「札は?」

「そこの棚にあったやつを適当に加工した」

「はあ……この部活って、こんなことやってていいんですかー」

「人助けもまた、人間観察さ」

「そっちの話じゃないです」

 でも勅使河原、自らの考えを「悟った」などと評価している時点で烏滸おこがましいとは思わないか?

 ややあって男がそう言いつつ振り返ったときには、茶髪はヘッドホンにお茶菓子を食べていた。

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