白鳥ロード

ユウリ・有李

第1話 あいつはきっと、あの日のあいつ

 学校帰りによく通っていた田んぼの中の道。

 なんの変哲もないただの道路で、もし、たまたま通りかかった人が道端に立つ『白鳥ロード』の標識の文字を見ても、どの辺が白鳥ロードなんだと首を捻ることになるだろう。

 けれど冬だけは、ああなるほどと、きっと納得してもらえると思う。

 冬のあいだ、白鳥ロードからはコハクチョウの姿を見ることができる。

 この街で育ったおれらにとって、毎年やってくるコハクチョウはちっともめずらしいもんじゃないけれど、それでもときどきは魅入ってしまうことがある。

 おれは、自転車のブレーキをかけた。

 そう、五年前の、あのときみたいに。



 大学受験目前のあの日、模試の結果が返ってきた。散々な結果を前に、先生にはもう一度よく考えてみろと言われ、自分でも地元の大学への進学は諦めるしかないのかと弱気になっていた。

 そんなとき、空を飛ぶコハクチョウの群れに思わず見惚れてしまっても、仕方のないことだと思う。

 見慣れているはずのコハクチョウの白さが今までにないくらい美しく見えた。

 飛び立ったコハクチョウは、明日にはまたやってくるのかもしれないけれど、ふいに自分だけ置いていかれるような気持ちになってしまった。

 同級生の多くは、県外の学校を受験する。

 おれ自身も、第一志望がダメなら、県外に出るしかない。けれど県外に進学すれば親に負担をかける。行きたいわけでもない学校に進学するために多額の出費を頼むなんて、したくなかった。

 かといって、この時期になって就職先を探しはじめるのは無謀だろう。

 あとは、浪人か――。 


 思考がどつぼにはまっていく中、ぽつりと田んぼの中に一羽、コハクチョウが残っていることに気がついた。

 目が合った――ような気がした。

 しばらく、おれたちは微動だにせず、見つめあう。

「さむっ」

 足元から伝わってくる冷気に思わず身震いした、そのときだった。


『できることやるしかないでしょ』


 しゃべった⁉


 と思った次の瞬間、コハクチョウは飛び立っていた。

 まっすぐに仲間が飛び去った方角へと去ってゆく。

 おれは、そのコハクチョウの姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。


 


 五年が経った今、おれの目の前、仲間が飛び去ったあとの田んぼに、一羽残っているコハクチョウの姿があった。

 目が合う。

 強い既視感。

 あれから五年、おれはなんとか志望大学に合格できて、今は院に進んでいる。

 同級生のほとんどは既に県外で就職している。戻ってきてこっちで職に就いた奴は多くない。

 ただ、冬(正月)には、大勢が帰省してくる。

 まるで、コハクチョウみたいに。


 おまえ、あのときのあいつなのか?


 問いかけたときだった。

 ばさり、とコハクチョウが翼を広げた。

 あ、と思う間もなく、華麗に飛び去ってしまう。

 

 おれは、はっとして背後を振り返った。

 そこには、白いコートを着た、髪の長い子がひとり立っていた。

 ――五年前と、同じように。

 思わず止めてしまっていた息を、ゆっくりと吐きだす。

「かすみ。帰って来てたのか……」

 五年前、コハクチョウがしゃべったのかと思ったけれどそんなわけはなく、声の主は、いつの間にか背後にやってきていたかすみだった。

「ただいま」

 かすみが、小さく笑う。

 おれは、またがったままだった自転車からおりた。

 どちらからともなく、ふたり並んで歩き出す。

 昔と同じように。

 あのころ、おれたちはつきあっていた。 

 けれどいつしか自然消滅して、今ではよくわからない距離感を維持している。恋人じゃあない。けれどただの元クラスメイトというだけでもない。

 避けるわけじゃないけれど、つきあっていたころのようには近づけない。 

 卒業後、かすみは県外の大学に進学した。6年制なので、来年卒業のはずだ。

 就職、どうするんだ?

 訊きたいけれど、訊けずにいる。

 久しぶりに会ったのに、おれたちは特に会話もせず、白鳥ロードを歩く。

 冬は日暮れが早い。まわりは田んぼだらけで、灯りが少ない。

 なんとなく昔の習慣のまま、かすみの家の前まで送って行って、そのまま別れる。

「ねぇ!」

 ふいに背後から声をかけられて、足を止めた。

「わたし、こっちで仕事探すから!」

 おれは驚いて振り返った。

 五年前と同じだった。なにも言っていないのに、かすみにはおれの考えていることがわかるみたいだ。

「あ、ああ。うん。がんばって」

 おれは、なんとかそれだけを伝える。

「君もね」

 それだけ言うと、かすみはくすくすと笑いながら、玄関の扉の向こうへと姿を消した。

 かすみが戻ってくる。

 だからといって、どうなるというわけではないかもしれない。

 それでも。

 心の中のもやもやが少しだけすっきりとしたような気がして、おれは自転車にまたがると、思い切りペダルを踏んで冬の夜道を走り出した。

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