一刀両断

鋼野タケシ

一刀両断

 奈良、戸岩谷といわだに

 天然の巨石が転がる山中を、一人の男が駆けていた。

 走り、勢いをそのままに抜き身の刀を敵に叩きつける。

 男の刃に胴を切り裂かれた敵は、しかし平然と立ちあがる。

 己の直感を信じ、男は振り向きざまに刃を払った。紫電の如き一閃も、敵の影をかすめたに過ぎない。霞のように揺らぎ、敵は姿を消した。

 男の名は柳生宗厳やぎゅうむねよし

 新当流しんとうりゅう、稀代の剣豪。

 彼はいま、戸岩谷で天狗と死闘を繰り広げていた。


 宗厳に剣の腕で敵うものはいなかった。

 国戦くにいくさの絶えない世に生まれ、死線を何度も潜り抜けて来た。軍団同士のぶつかりあう合戦ならいざ知らず、一対一の決闘で負けるはずがないと思っていた。

 あの時までは。


 永禄えいろく6年(1563年)、柳生宗厳は奈良の宝蔵院ほうぞういん新陰流しんかげりゅうと立ち合った。

 新陰流の開祖・上泉信綱かみいずみのぶつなと戦うはずが、宗厳は彼の弟子にすら勝てなかった。

 敗北し、止めも刺されずに捨て置かれた。屈辱に身を震わせる宗厳に、上泉信綱は新陰流の極意を語った。

 敵対し、殺すための剣に非ず。活きるため、活かすための剣こそ新陰流。

 すなわち「活人剣」と。

 宗厳には理解ができなかった。刀は敵を殺すための道具、剣術は殺人の技術。相手よりも早く得物を叩き込む。どれほどの達人であれ、髪一重の隙間があれば赤子の柔肌すら断てはしない。敵を斬ることが剣の神髄であるはずだ。

 宗厳は新陰流との再戦を果たすため、山にこもっての修行を始める。

 その晩、山籠やまごもりをする宗厳の前に天狗は現れた。


 生い茂る木々に覆われた山間は、昼間であろうと薄暗い。

 薄闇が濃さを増す頃、日の沈みかけたその時。樹上に立つ天狗を見た。

 鬼のように赤い顔、突き出した鼻、山伏やまぶしの白装束、背には猛禽のような翼……天狗は腰にいた刀を音もなく抜き去る。白刃が微かな夕陽を照り返し、ぎらりと輝いた。

「何者っ」

 宗厳の誰何すいかに答えず、天狗は跳んだ。枯れ葉を掃うように、軽々と太刀を振るう。宗厳は身をひるがえして刃をかわした。

 抜け――低く響く声で、天狗は言う。

 宗厳は両足に力をこめた。鞘走りの音を立てて刀を引き抜く。踏み込みの気迫をそのままに刀を振り抜いた。

 刃は確かに天狗を切り裂いた。だが、天狗は血の一滴も流さず霞のように消えた。


 それから毎夜、天狗は戸岩谷に現れた。

 夜の帳が下りるころ、天狗がどこからともなく姿を見せる。

 山中を駆けずり、剣を打ち合わせ、一撃を叩き込む。何度打ち込もうと手応えはない。水面を斬るように、刀は天狗の身体をすり抜けていく。

 心身共に疲弊しきった朝、日の光が上ると天狗は消える。

 

 春が過ぎ、夏を迎え、山の葉が枯れる秋も、雪に閉ざされた冬も、宗厳は山籠もりを続けた。天狗は夜が来るたびに必ず現れた。

 天狗の剣を前に、宗厳は無力であった。鍛え上げた肉体も、磨き上げた技も、まるで通用しない。必殺と放った剣閃が天狗の肉体を割こうと、一切の手ごたえがない。

 雪がちらつく真冬の夜。宗厳は死を覚悟した。柳生の村に残して来た妻子のことも、敗戦を喫した新陰流のことも頭になかった。

 おれは、ここで死ぬ。

 天狗が刀を振り上げた。疲労で肉体は岩のように重い。腕が痺れて刀が持ち上がらなかった。おれはここで死ぬ。ここで――天狗が刀を振り下ろした。瞬間、宗厳の目に光明が映った。

 上泉信綱の言葉が蘇る。活人剣。活きるための剣だ。宗厳は両腕を上げた。刃を合わせ、天狗の剣を受け流す。ただ無心で、肉体が動いていた。

 殺すためではない。生きることが剣の道だ。死の淵において生を見出すこと。剣の極意は、活人剣――宗厳は大上段に構えた刀を、振り下ろした。

 粉雪が舞った。

 手応えは感じない。ただ無想の一撃だった。気付けば刀を振り下ろしていた。

 宗厳の振るった剣は、天狗を肩口から叩き斬った。切り裂かれた天狗は倒れ伏し、血の一滴も残さず霧散して消えた。

 天狗のいたその場所には、巨石が一つ転がっている。真ん中から袈裟切けさぎりに、真っ二つに断ち切られた大岩。

 宗厳は己の剣で、身の丈の倍はあろうかという巨石を両断していた。

 その夜から、天狗は二度と現れなかった。


 宗厳はその後、新陰流の上泉信綱に弟子入りし、新陰流二代目として一国一人の印可を得る。一国に一人、他に並び立つ者のいない剣の使い手という意味である。

 柳生宗厳が世に広めた新陰流は、一般に柳生新陰流と呼ばれる。

 やがて戦国の時代が終わり、太平の江戸時代へ移ると剣術はさらなる発展を遂げる。闘争の技術ではなく、己を律するための道、すなわち剣道。

 日本の剣道とは、相手を斬り倒すための技術を学ぶものではない。ましてや腕を競い合うスポーツとして発展したのでもない。竹刀を真剣に見立て、疑似的に死と向き合う。互いに命の極限の中で、生きる道を見つけるための技法である。「活人剣」の神髄は脈々と日本に受け継がれている。

 柳生宗厳が天狗と戦い、両断した大岩は「一刀石」の伝説として語り継がれ、四百年が過ぎた今も奈良県柳生町、天石立あまのいわたて神社に残っている。

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