当時小学生だったボクがある日甘い言葉に誘われて知らない「おじさん」の家にホイホイ立ち入ってしまった結果色々なことがあって今でも癒えぬ深い心の傷を負ってしまった実話

毛賀不可思議

テーマは沖縄だけど、そこまで沖縄じゃない

 これは余談だが、私は小さい頃、自分が比較的裕福な家の子であることを全然自覚していなかったし、中学校に上がるまでは毎年欠かさず沖縄に家族旅行に行っていたことも、特別なことだとは考えたりしなかった。


 まあ、余談なのでそんな小話はひとまず置いておこう。私にとって沖縄にまつわる最も印象的なエピソードは旅行先の出来事ではなく、地元静岡で生まれたものなのだから。


「カラクリ屋敷に遊びに行こうぜ!!」


 小学2年生くらいの頃だったと思う。

 いつものように生真面目に通学路に沿って、ふらふらと家に向かっている途中のことだ。その日一緒に帰っていた友人が、そう言ったのは余りに突然のことだった。


「…………この近くにあるの?」

「うん!!」


 何言ってんだこいつ、と思った。


 生まれ育ったこの町で変わらず暮らし続け早8年。近所にそんな家があるなんてただの1度も聞いたことがないし、それらしい家にもまるで心当たりがない。


 半信半疑だった上、当時の寄り道に対する背徳感ときたら結構なものだった…………が、それを遥かに上回るほどにカラクリ屋敷などという悪魔的な言葉の響きにすっかり魅了されていたのも確かだった。


「ここここ!!」


 渋々みたいな風を装いながら連れられてきたのは、通学路の途中にあるよく見覚えのある家の前だった。それは何の変哲もない古めの家屋で、とても家の中に隠し扉や吹き矢トラップが待ち構えているとは思えなかった。

 我々は小学生の特権たる無遠慮さを存分に発揮しながら物怖じ一つせず庭を突っ切る。そして玄関の前で友人がチャイムを「ジーッ」と鳴らした。


 やがて引き戸を引いて現れたのは、人の良さそうなおじさんだった。おじさんは突然の来訪者ににっこりと微笑むと、

「やあ、また見に来たの?」


 友人にそう言った。


「うん。今日は友達も連れてきた」

「カラクリ見に来ました!」


 興奮気味に言った私にゆっくり頷くと、おじさんは玄関から出て、引き戸を閉めた。


「おいで」


 そう言っておじさんは玄関の裏手に回った。

(あれ? カラクリ屋敷なのに外行くの?)

 拍子抜けしつつも、私たちはおじさんの背を追う。すると、私たちの眼の前に小さな吹きさらしの作業場が現れた。

 長机の上には、小さな古民家の模型が幾つか並び、その周りを粘土で器用に作られた着物姿の女性や、ふんどし姿の男性、犬と戯れる子どものミニチュアなどが囲んでいる。

 また、ふと壁際の茂みに目を向ければ影から水車が覗き、からからと音を立てて回っていた。


「家に水車があるよ!」

「うん、これもおじさんが作ったんだよ」


 おじさんはにこにこと私に笑みを返していた。

 なるほど、それでカラクリ屋敷か。その時はそれはそれで納得していたが、今考えてみれば屋敷にカラクリという状態が正しい。


「こっちも動かすね」


 おじさんは作業場の中を動き回りながら、ぱち、ぱちとスイッチを入れていく。

すると、まず並べられた古民家の模型に一斉に明かりが灯る。おじさんに言われて模型の小窓から中を覗けば、なんと中には内装まで緻密に作られており、小さな囲炉裏が淡い光をゆらゆらと放っていた。その周りを更に一回り小さい粘土ミニチュアの老夫婦が囲んでいる。


 続いて、模型の周りを囲んでいたミニチュアたちも動き始める。その様は活気溢れる村に人が忙しなく行き来しているようだった。

 どうやら数段のベルトコンベアの上にミニチュアを設置してこのように動かしているらしい。


「昔の日本人の暮らしを再現したんだよ」

 おじさんは言う。

「家の中身も自分で作ったの!?」

 私は聞くまでもない質問をした。

「そうだよ」

 そう言っておじさんは作業場の小さな引き出しから、分厚い本を取り出した。初めそれは郷土史のようなものと思ったが、よく見れば古民家の写真が敷き詰められたアルバムだった。

「こうやって、47都道府県の家を全部作っている最中なんだ。実際に写真を撮りに行って、気に入ったものを手作りするんだよ。ほら、これは山形」


 子どもながらに、すごいなこのおじさん! という感動を覚えていた。

「あとどのくらいで完成するの?」

「まだあと半分くらい残ってるかな」


 模型をキットもなしの完全なハンドメイド。資料は現地調達。そのために日本中を旅しているなんて……。



「な!? すごかっただろ? また行こうぜ!」

 帰り道でそう自慢げに言う友人の提案に言うまでもなく私は頷いていた。それからは、『カラクリ屋敷』に通うのが日課になった。友人がいない日も構わず1人で遊びに行っていた。


「ねえ、沖縄は? 沖縄は作った?」

 ある時そんな質問をしたことがある。

 家族旅行は沖縄と相場が決まっていた自分は、当時静岡以外の世界を沖縄と、あとは従兄弟の家がある山梨以外に知らなかったのだ。


「沖縄か! あそこは是非行ってみたいね!」

「行ったことないの!?」


 信じられない。沖縄なんて飛行機で2時間あるかないかだろ!! 行けよ!! くらいの気持ちで私は驚愕する。


「おじさんはいま体が悪いから飛行機に乗れないしね。体調がよくなったら行こうと思ってるんだ」

「ふーん」

「でも、沖縄の古民家はいいよ。石垣があるし、瓦葺きで屋根が赤いのがとてもいい」

 所謂『琉球建築』と言われる沖縄の古民家は、男瓦女瓦と呼ばれる2種の赤い瓦を漆喰で塗り固める独特な建築様式を持っている。


「シーサーもね!!」

「そうそう。シーサーがカッコイイね」


 恐らく、おじさんはあの屋根やお土産定番のマスコットを再現するために、わざわざ粘土をこねるのだろう。私はその完成に立ち会えるのを心待ちにしていた。


 ところが、子どもの飽きっぽさというのは時に無情なもので。

 私は小学校の高学年になった辺りを境にして、ぱったりとカラクリ屋敷には通わなくなってしまっていた。勿論、通学路の途中で毎日嫌でも家は目に入る。でも、思春期特有の天邪鬼さだったのかなんなのか、家にずかずかと入っていくのにいつしかためらいのようなものも感じていた。


 それから数年が経ち、私は中学生になった。


「なあ! 久しぶりにカラクリ屋敷見に行こうぜ!!」


 実は友人の家は自分の家の前の坂を2つ下った100mくらいの距離にしかなく、有り得ないほどご近所さんだった。当然同じ地区同士同じ中学校に通っていたし、実は6年間彼と同じクラスだったという呪いめいた因縁がある。

 そして記念すべき7thアニバーサリーの冬。教室の中で彼からまたしても唐突にそんな提案を受けた。


「…………なんで急に?」

「いいじゃん!!」

「…………いいけど」


 友人はポリシーというものをまるで持ち合わせていなかったが、同時に私にも『思春期』という薄皮以外に大層なものは持ち合わせていなかったのだった。


 帰り道、久々にあの何の変哲もない家の前に立つ。

 我々はなんとなく敷地の砂利を踏み鳴らさないようにそろそろと庭を歩む。そして玄関の前で友人がチャイムを「ジーッ」と鳴らした。


 やがて引き戸を引いて現れたのは……

 くたびれた表情を浮かべたおばさんだった。おばさんは怪訝そうな顔で

「どちら様?」

 と短く尋ねた。


 私たちはカラクリ屋敷のファンだったこと。

 昔、この家にはよく遊びに来ていたこと。

 久しぶりにおじさんの模型を見に来たこと。


 それらをあせあせと説明すると、おばさんは事情を理解したようだった。そして、私たち以外にもこの家にかつて訪れていたという、たくさんの訪問者のことを懐かしそうに思い出していたようだった。




 私たちはおばさんに連れられて、家の裏手に回る。

 あの小さな作業場の姿は、既にそこにはなかった。


「ごめんね。あそこはもう誰も使わなくなっちゃったから……」


 私たちは無言で頷く。


「あの、水車は……?」

「ああ。私、動かし方が分からないから、水をもう止めちゃってねぇ……」

「そう…………なんですね」


 あの落ち着いた水音も、繊細なミニ古民家も、元気良く動き回っていた粘土人形の姿もなくなったその空間は、どこの家にでもあるようなただの寂れた物置場と化していた。


 しばらくすると、見知らぬ女の人が家からアルバムを持ってきてくれた。娘さんがいたなんて初めて知って驚いたのと、とても綺麗な大学生くらいの人だったのをよく覚えている。

 彼女が持ってきたアルバムには、今まで作ってきた古民家模型の写真が収まっていた。


「ごめんね。流石に模型ごと持っては来れないから」

 あの模型をもう1度生で見たかった思いもあったが、私たちも、家にまで上り込むのはなんだか踏み込み過ぎかという躊躇もあった。


 アルバムをペラペラと捲っていくと、次々とあの素晴らしい模型が目に飛び込んでくる。相変わらず驚くべき完成度でやっぱり感動する。そして、いつか最後に行った時よりも、想像以上に模型の量が増えていたことに驚いていた。


「これ、ほぼ完成してるんじゃないですか? おじさんは、47都道府県全部作れたんですか?」

「ううん。実は最後の1つだけ……。あと少しで完成だったんだけど」

「そう、なんですね」

「ええ。沖縄だけ、ね……」





 帰路につく2人の間にはしばらく沈黙が続いていた。


 私の中で、悲しみや切なさとか、でも決してそれだけじゃない色々な思いがぐるぐると渦巻いていた。

 私はこの気持ちをうまく言い表すような語彙力を持ち合わせてはいなかった。

 でも…………それでも、この形容し難い気持ち……それと同じものを友人と共有していることへの確信だけはあった。それもきっと、この瞬間限りのとても特別なもののはずだ。


 だから私は徐ろに、率直に、友人にこう呟いたのだ。


「なんだか、俺たちに夢が託された…………ような気がしない?」


「え? なんで!?」










 あれから幾許年。

 友人とは帰郷した際などたまに遊びに行くような良好な関係が続いているが、あの日を境に私はなんとなくあの丸刈り野郎を見下している。


 とは言え、現実なんてそんなもんだってのは心では分かってたし、実際私だって現在は都内某所の理系大学に進学して、郷土史どころか本を読む時間さえパソコンと睨み合うことに費やすような日々を送っている。

 あの瞬間は、男の夢を継ぐことだったりとか、それが私にも馴染み深い沖縄であることとか、美人な女子大生とのお近づきになれるだとか、色々な要素が『思春期』の薄っぺらいフィルターに都合良く引っかかっただけなのだろう。今となれば、そんな風に些細な思い出の中の一つとしてあの時の気持ちを分析できるまでに人間として落ち着いている。


 ただ、時折思うこともある。

 そんな風に思っている自分。『そのように思う人間になるために』時間を費やしてしまった自分。こんな自分が正しいのか。そのように過ごしてきた時間は正しいものだったのか。

 もしかしたら……思春期特有の無根拠な情熱に、身を委ねるべきだったのではないか…………と。


 今となれば何が正解だったかなんて誰にもわからなくなってしまった。




 これは余談だが、私は小さい頃、自分が比較的裕福な家の子であることを全然自覚していなかったし、中学校に上がるまでは毎年欠かさず沖縄に家族旅行に行っていたことも、特別なことだとは考えたりしなかった。

 ただ、中学に進学してから行った最後の沖縄旅行は、比較的見慣れてしまった沖縄の古民家を見る目にちょっとした特別な思いがあったことだけは確かだ。

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当時小学生だったボクがある日甘い言葉に誘われて知らない「おじさん」の家にホイホイ立ち入ってしまった結果色々なことがあって今でも癒えぬ深い心の傷を負ってしまった実話 毛賀不可思議 @kegafukawa

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