最終章

 ウミナギ洞を抜けたキョウジたちは、海岸沿いにボートを進めた。

 村から離れた浜を見つけて陸に上がる。

 そこからは、ひたすらに森のなかを歩いて進んだ。

 伊藤が応急処置したおかげで、キョウジの脚の出血は止まっていた。しかし、痛む足を引き摺って足場の悪いなかを進むのは、困難を極めた。

 月明かりもない森の中で、木の根や枝に足を取られながら、必死に歩いた。

 自分の足がこれほどまでに重いと感じたことはない、とキョウジは思った。

 しばらく歩くと、木々の切れ間にアスファルトの道路が見えた。国道である。

 この道路に沿って進めば、村から離れることができる。

 まだ村人たちが周囲を捜索していることを警戒し、道路が見える距離を保ちながら、キョウジたちは森のなかを進み続けた。

 道すがら、伊藤は自身に起こっていたことを語った。

「村のじいさんから聞いた話を江田に伝えた後だ。俺は一服しに外に出た。そこを後ろから襲われたんだ。薬か何かを嗅がされたと思う。気が付いたときには、あの祭壇の前に放り込まれてたよ。手足を縛られてたけど、祭壇に上がっていた鏡を割って、それを使って縄を切ることができた。おそらく、あいつらにとっても、俺だけをさらっていくのは想定外だったんだろう。あいつらの計画が雑だったのが幸いした」

 自分たちがロクロウからおっぱぎの話を聞いたところから、江田たちの計画は狂い出したのだろう。本来ならば、食べ物に混ぜた薬によって全員眠らせ、その間にことを運ぶつもりだったのだ。

「泳いで洞窟の中から逃げ出したときには、外は陽が落ち始めていた。階段の先に見張りが立っていたから、俺は海を潜って山の方へ逃げた。一度はおまえたちを置いて、一人だけ逃げようとしたんだ。本当に情けねえ。あのとき、おまえたちと合流してれば、あいつらは死なずに済んだかもしれない…」

「全部、あの村の人間がやったことです。伊藤さんに責任はないですよ…」

「そうだな…。責任があるとすれば、なんとか逃げ延びて、あそこで起こったことを白日に曝すのが、生き残った俺たちの責任だ」

 キョウジは、そうですね、と応えた。

「相田、音が聞こえないか。車の音だ」

 後ろを歩いていたキョウジが振り向くと、村のあった方角から、明かりが近付いて来るのが見て取れた。車のライトのようだ。

 村人の車かもしれない。音から察するに、大型トラックである。

 もし村人でないとしたら、助けを求めれば、村から大きく離れることができるかもしれない。

 キョウジたちは覚悟を決めた。



 トラックのドライバーは、今しがた浪浜村を抜けてきたところだった。

 商店街を抜ける途中、村人に呼び止められ、なにやら早口で尋ねられた。しかし、要領を得ないので、知らないの一点張りで通した。この辺りの方言はさっぱり聞き取れない。それに、面倒に巻き込まれて時間を遅らせるのはゴメンだった。

 こんな遅い時間にあんな寂れた村で、何があったのだろうかと考えを巡らせていた。

 そのとき、ハイビームにしていたライトの先に、人が立っているのが見えた。

 急いでギアを落として、ゆっくりと停車させる。

 人影は走り寄り、運転席のドアを叩く。

 ドライバーは窓を開けた。

「なんなんだいきなり!危ねえじゃねえか」

 突然のことに、ドライバーは鼻息も荒く怒り出す。

「ごめんなさい!あの、俺たちのこと助けて欲しいんです。乗せてください、お願いします」

 見ると、二十代くらいの青年であった。

 着ているものはボロボロであり、あちこちに怪我を負っている。

 青年の後に続いて、もうひとりの若者が歩いてくる。足を引き摺っており、履いているズボンは真っ赤に染まっている。同じように頭を下げている。

「あのなあ、何があったのか知らないけど。こっちも急いでるんだよ。この道を真っすぐ戻れば、近くに村があるから、そこで助けてもらえ。な?」

 そう言って窓を閉じようとしたとき、青年は土下座の姿勢をとって叫んだ。

「お願いします!俺たち、あの村から逃げて来たんです!必死に逃げて、ここまで来たんです!こいつだけでもいいから、乗せてやってください!お願いします!」

 青年は真剣であり、声には切羽詰るものを感じた。

 血だらけの二人組みの男。明らかに面倒ごとに巻き込まれる感じだ。

 しばらく逡巡した後、ドライバーは深い溜息をついた。

「俺はこれから朝までにS県まで行かなきゃならない。それでもいいなら、乗れ」

 青年たちは顔を見上げた。

 感謝の言葉を述べて、それから車に乗り込んだ。

 こうして、キョウジたちは村から脱出することができた。



 ガタンという振動で、キョウジは目を覚ました。

 車体に揺られ、眠っていたらしい。

 今いるのはトラックの助手席。隣では伊藤が窓にもたれかかって眠っている。

「よう、起きたか?随分疲れてたみたいだな。水でも飲むか?」

 ドライバーは手元にあったペットボトルをキョウジに差し出す。

「ありがとうございます」

 キョウジはそれを受け取ると、一気に飲み干した。

 自分でも忘れていたが、喉が渇いていたらしい。

「なにか大変なことがあったみたいだな。その脚の傷、もう血は止まってるのか」

「大丈夫です。親切にしていただいて、ありがとうございます」

「いいんだよ、俺はただ運転してるだけだから。でもな、落ち着いたらちゃんと事情を話してもらうからな。病院にも行け。…あともうちょっとで着くから、それまでまだ休んでろ」

 今は高速道路を走っているらしい。

 標識を見ると、ここはもう関東圏であるのがわかる。

 やっと帰れる。

 思えば、昨日から菊池に連絡を取っていないことに気付いた。

 夕方頃に電話をしていて、薬によって眠らされてしまったのだ。

 心配させているかもしれないと思った。

「運転手さん、電話をかけたいんですけど、携帯を借りてもいいですか」

「おう、いいぞ。長話はするなよ。携帯の通話料金、カミさんにいっつも見られてるからよ。高くなってると俺が怒られる」

 ドライバーは笑いながら、携帯電話をキョウジに手渡す。

 礼を述べてから、キョウジは菊池ミウに電話をかける。番号は覚えていた。

 何回かの呼び出し音が続いたあと、菊池は電話に出てくれた。

「もしもし。俺、キョウジだけど。菊池か?」

『先輩?え、なんで知らない番号から電話してるの?っていうか、昨日すごく心配したんですけど!今まで何してたの?』

 質問の嵐である。しかし、菊池の声を聞けた。

 それだけで目頭が熱くなってくる。

『おーい、もしもーし。先輩』

「ごめん、なんか菊池の声聞いたら安心したっていうか。気が抜けちゃって」

 キョウジは必死に涙を堪えた。これ以上、心配はかけたくない。

『変なの。そんなに寂しかったの』

「ああ、寂しかった。もう随分会ってない気がするよ」

『まだ三日くらいしか経ってないじゃない。よっぽど忙しいみたいだね』

「うん、そうだな…。実は、俺もうすぐそっちに…」

『あ、海が見えてきた!きれーい。やっぱりこっちの海は広くっていいね、マイコ』

 電話の向こうから、女友達と思われる声が聞こえてくる。

「菊池?今、どこに居るんだ?」

『ふっふっふー。実はね、昨日の電話で先輩の調子が少しおかしいなって思って。それで…』

 胸がざわついた。

『心配になって、夜のうちに新幹線の切符とったの。今はバスに乗って先輩たちのところに向かってるところ。浪浜村?だよね。こないだ、都内の海に行ったときは消化不良だったから、リベンジも兼ねてマイコたちと遊びに来ちゃった』

 キョウジは言葉を失い、目の前が真っ暗になる。

 胸に氷柱を抱いているようだ。

『早く先輩に会いたいよ…』

 菊池の言葉が頭の奥で反響する。

 悪夢はまだ終わっていなかった。

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おっぱぎ 赤井ケイト @akaicate

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