第9章

 ひとしきり痛めつけると、江田はキョウジの襟首を掴み、トヨの前まで引き摺る。

「おばあちゃん、ダメだ。こいつは伊藤の居場所を知らない。とんだ見込み違いだったよ」

「あれ…これは知らねえのが。困ったな」

 先ほどまで瀕死と思われた江田が、トヨと話している。

「江田さん…どういうことですか。説明してください…!」

 痛みに耐えながら、声を絞り出す。

「うるせえよ、ゴミが。余計な手間取らせやがって…クズはどうしたってクズだな」

 涙が溢れてくる。悔しさから、涙がこみあげてくる。

 自分たちが裏切られていたことを、キョウジは悟った。

 江田は転がっている出刃包丁を拾い上げると、キョウジの喉に突きつけた。

「おまえはあそこに散らばってるアレが、伊藤だと思ったのか。馬鹿が!」

 傷口を押さえているキョウジの腕を切りつけた。

「うああ!やめてくれ…」

「アレは荻上だ、馬鹿。ちゃんと顔を見なかったのか。…ああ、おまえはあの刺青を見て伊藤だと思ったのか。そうだろ?」

 笑いながら、先ほどキョウジが見つけた皮を拾う。

「これは荻上のだよ、相田。おまえ、見たことなかったんだろ。俺も知ったのは最近だったが、あいつらは過去に付き合っていたらしい。それで、お揃いのタトゥーを入れてたんだ。俺もおまえも、あいつらに一杯食わされてたわけだ。本当にむかつくよな…俺を騙しやがって!」

 笑っていたと思ったら、今度は激昂し始めた。

 キョウジの知っている江田とは、およそほど遠い姿がそこにあった。

 これがこの男の本性なのか。

「…まあそれはもういい。あの女はもう罪を償ったよ。俺が償わせてやった。ぶっ殺して、バラバラにして、それからあいつのはらわたを引き摺り出した。はらわたの上に寝転がって、グチャグチャになって遊んだんだ。最高に気分が良かった。この血は全部、あいつの血だ」

 江田は体中に浴びた血を拭ってみせた。

「クズ野郎…。あんた、たったそれだけの理由で荻上を殺したのか」

「それだけあれば十分だ阿呆。俺を騙すってことは、それだけで死に値する。それからコレな」

 吊り上げられた上沼に歩み寄り、いまだ垂れ下がったままの腸を掴みあげて弄ぶ。

「この女は目の上の瘤だった。出しゃばりやがって。挙句にあの映画賞を獲ってからは、俺のことを見下すようになった。許せねえよなぁ、許せねえよ」

 ぐいぐいと腸を引っ張られ、上沼の死体が揺れる。

「そういうことで、こいつらは俺がぶっ殺したんだ。下で死んでる宇川もな。あいつとおまえには特に恨みは無いんだが。殺すなら多いほうが楽しいから。おばあちゃんたちが楽しむ分も用意しないといけなかったし。そういうわけだ」

「ふざけやがって、人殺し…。最初から俺たちを殺すつもりで。グルだったのかよ」

「勘違いするな。俺は元々この村の出身だよ」

 江田はトヨの隣に座って話し出す。

「親が離婚して、母に引き取られてからは、ここを離れたがな。引っ越した先では、よくいじめられたんだ。落ち込んだときはここに住む親父に会いに来た。その親父も死んで、可愛がってくれたのがおばあちゃんだ」

「タツヒコは大人しい子だったものなぁ。外のものからすれば格好の餌食だったべ」

「ああ。俺は自分が悪いんだと思ったよ。いじめのことを教師に話しても、それはおまえにいじめられる原因がある。その訛りを直せ。周囲にとけこめ。そう言われた」視線を落とす。

「誰も俺を助けてくれなかった。おばあちゃんだけが味方だった。それから分かったんだ。社会は異質なものや、弱いものを排除しようとする。馴染めない奴は、声も出せないまま死ぬしかない。外の連中は、この村みたいな弱い立場のものを見殺しにして、見下してるんだ」

 そう語る江田の目は、炎を映してぎらぎらと光っていた。

「それからは自分を押し殺して生きてきたよ。いつか必ず、俺を見下す連中をぶっ殺してやるって思いながらな。そして、やっとその機会が巡ってきた。二十年に一度、この村が続けてきた『かさねぶた』の儀式。俺はこれをやり遂げて、やっとこの村の一員になれるんだ」

 立ち上がり、江田はキョウジを見下ろす。

「だから、おまえら全員を殺さなきゃならない。この村に住む人間の義務だ。言え、おまえは本当に伊藤の居場所を知らないのか?」

「あんたら全員、狂ってる…。全部、他人のせいにして、それが当たり前だと思い込んでる。こんな村、滅んで当然だ…」

「俺が聞きたいのはそんなことじゃねえよ。何度も言わせるな」

 振り下ろした出刃包丁が、再びキョウジの脚を突き刺す。

「がああ!」

「知ってるなら早く言え。すぐ言え。そうしたら楽にしてやる。知らないなら、さっさとそう言え。簡単なことだろうが」

 その光景を見て、老人たちは笑っていた。獲物をいたぶるのが心底、楽しいという顔だ。

 畜生、畜生。こいつらは獣以下だ。

 こんな場所で死にたくない。

 家に帰りたい。菊池に会いたい。最後に声を聞きたかった。

 キョウジはありったけの恨みを込めて睨みつけた。

「…吐かせるなら口だけあればいいな。くり抜いた目玉を、残った目玉に見せてやるよ。そうすれば、もう少し喋りやすくなるんじゃないか」

 江田は笑っていた。

 最早、伊藤の居場所を吐かせることなど、どうでもよいのだ。

 いたぶることを楽しんでいる。

 キョウジの髪を掴み上げ、出刃包丁を右目に突きつける。

 炎が大きく揺らめいた。



 江田の凶刃がキョウジの目をえぐろうとした、そのときである。

 祭壇の脇に立っている油皿が倒れ、祭壇に火が燃え移った。

「なんだ!」

 老人たちが気付いたときにはもう遅かった。

 炎はみるみる広がり、祭壇を包んでいく。

 江田を含め、村人たちはうろたえた。

「消せ!早ぐ消せって!水持ってこい!」

「祟りが出てくる…祟りが出てくるぞ…」

 老人たちは慌てふためき、まともに動けない。

「どうした、何が起こった!」

 江田がキョウジから注意を逸らした。

 キョウジは自分の太腿に突き刺さったナイフを抜き、江田の足甲を目掛け、思い切り突き立てる。

 蛙のような悲鳴をあげ、堪らず江田は倒れた。

 江田は起き上がろうとするが、ナイフは足を貫通し、地面に張り付けられた状態になっていた。

 苦悶の表情を浮かべながら、ナイフを抜き取ろうとする江田。

 その背後から、声をかけられる。

「よう、江田…。よくもみんなをやってくれたな」

 振り返る江田の顔面を、金属バットが強打する。鈍い音がした。

 口から血の泡を吹いて、江田はそのまま意識を失った。

「大丈夫か、相田。起きられるか」

「伊藤さん…」

 紛れもなく伊藤ヒロトであった。

 伊藤はキョウジを助け起こす。

「生きてたんですね…」

 伊藤はあちこちに傷を負い、満身創痍の状態に見えたが、キョウジよりは動けるらしい。

「話はあとだ、今すぐここから出るぞ。来い!」

 伊藤はキョウジを立たせ、肩を貸して歩かせる。キョウジは激痛に耐えながらも、なんとか足を引き摺って動くことができた。

 縄梯子のかかる崖まで進むと、伊藤がキョウジを抱えた。

「このまま下に放り投げるぞ。海に飛び込め」

 キョウジの返事を待たず、伊藤は勢いをつけて宙に放り投げた。

 悲鳴をあげる間もなく、キョウジは海のなかに落とされた。

 動く方の足をばたつかせ、必死に海面から顔を出す。

 続いて、伊藤が海に飛び込んだ。

 溺れかけているキョウジを、傍にあったボートに上げる。

 キョウジは飲み込んだ海水にむせた。

 それから、海面に浮かぶ死体を見つけた。

 変わり果てた姿となった宇川が、力無く漂っていた。

 嗚咽が漏れ、キョウジは泣き崩れた。

 自分がここに置いていったばかりに、宇川を死なせてしまった。

 あのとき、自分が残っていれば。一人にさせなければ。

 架けられた梯子を蹴り落としていた伊藤は、キョウジに声をかける。

「今はとにかく逃げるぞ。そうしないと、宇川も浮かばれない。いいな」

 キョウジは頷くことしかできなかった。

 伊藤は大きくオールを漕ぎ出す。

 ボートは広い空間を抜け、暗い洞窟を突き進む。追手は来ない。

 祭壇のある奥の方から、どす黒い恨みの叫び声が聞こえてくる。

『ゆるさねえ!てめえら!絶対に殺してやる!殺してやるからなぁぁぁ!』

 叫び声は遠のいていく。

 それが、江田の声を聞いた最後であった。

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