第8章

 どれほど進んだかわからない。

 暗闇のなか、懐中電灯の明かりだけを頼りに船を漕ぐ。

 はっきりとした方角はわからないが、おそらくこの洞窟は、陸地側の地下に続いているようだ。

 これほどの距離の空間が、自然によって作られたのか。

 洞窟の中は冷気が漂い、恐ろしさもあいまってか、がちがちと歯の根が合わない。

 恐怖に耐えながら、闇をかき分けるようにして船は進む。

「シンジ、行き止まりだ」

 照らした先は、垂直に切り立った壁だ。

 その壁の付近まで船を寄せると、そこは吹き抜けのように天面が高くなっており、広い空間となっていた。

 見上げると、壁の頂上にあたる部分から光が漏れている。

「キョウジ、そこから昇れるんじゃないか」

 宇川が照らした方向を見る。

 岩壁には縄梯子なわばしごがかけられており、光が漏れている場所へ昇っていけそうだ。

「シンジ、あの梯子まで船を寄せてくれ。俺が昇って様子を見てくる」

「一人で大丈夫か。俺も行くぞ」

「いや、俺ひとりで行ったほうがいい。船を残して行くと、いざという時に逃げられないかもしれない。それに、この縄梯子。二人分の体重に耐えられるか分からない」

 しっかりとした太さのある縄だったが、かなり年月が経っているようだ。

 縄梯子の元まで船を寄せ、懐中電灯を宇川へ預ける。

 手にしていた出刃包丁を後ろのベルトに差し込み、キョウジは縄に足をかけて確かめた。

 どうやら、体重をかけても切れることはないようだ。

 キョウジはゆっくりと、慎重に昇った。

 上に村人が居ることを考え、出来るだけ音をたてないように。

 みしりと縄が軋む度に肝を冷やすが、なんとか梯子の頂上まで手をかけることができた。

 頭だけを出して、頂上の空間を覗いてみる。

 空間の入り口には松明がかけられていた。

 炎の明かりだけではその奥が見通せないが、見張りの人間などは居ないようだ。

 キョウジは縄梯子を昇りきり、空間へと上がった。

 松明を手に取り、探りながら奥へと進む。

 その場所は、人工的に岩を削って作られているようだった。

 高さは五メートルほど、幅は十メートルくらいだろうか。下から想像していたよりも広い。

 臭気が強くなった。嗅いだことのない臭い。胸がむかむかする。胃酸が逆流しそうだ。

 おもわず、袖で口元を抑える。

 ここには江田たちが捕らえられているはずだ。

 しかし、動くものの気配がしない。

 嫌な予感がする。

 松明を持つ手が震える。寒さのせいではない。恐れだ。

 手がぐっしょり濡れるほど汗が噴き出す。

 震える手で、出刃包丁を抜き取る。

「江田さん、居ますか」

 掠れる声で名前を呼ぶ。暗闇から返事は返ってこない。

「上沼さん、荻上。俺です、相田です。居るのなら、返事をしてください」

 キョウジの声を、無音が飲み込んでいく。

 前方から音がした。

 反射的に、そちらへ松明を向ける。

 音が聞こえた方へ進むと、揺らめく炎の明かりがそれを映し出す。

 キョウジは言葉を失った。

 そこには、全裸の女性が背を向け、天井から縄で逆さに吊るされていた。

 頭には、あの黒い笠を被っている。

 女性は後ろ手に縛られ、身動き一つしない。

 信じたくない。これは人形か何かだ。先輩たちが死ぬわけがない。

 手を伸ばし、女性を振り向かせる。

 キョウジは吐き気を抑える間もなく、その場で嘔吐した。

 女性は、下腹部から大きく腹を裂かれ、はみ出した腸が重力に任せて垂れ下がっていた。

 喉を真横にかき切られ、ぱっくりと開いた穴からは、今もなお血が滴っている。

 真っ赤に染まったその顔は、変わり果てた上沼アキナであった。

 瞳は大きく見開かれ、何も映さない。

 血のあぶくを端に溜めながら、叫ぶように口を開いている。

 あまりの凄惨さに、キョウジはそれ以上、直視できなかった。

 また胃液がこみあげて来る。たまらず、げえげえと吐いた。

 これは本当に上沼なのか。人違いではないのか。

 そう思ったが、もう一度見る勇気がない。

 ひとしきり吐いてしまうと、自分の足元を何かが走り抜けるのを見つけた。

 そちらの方向へ視線を向けると、黒い塊がうごめいている。

 ぐったりとした手つきで松明を向ける。

 すると、その箇所にフナムシが集り、激しく動き回っている。

 一歩踏み出すと、フナムシは散り散りに逃げ出した。

 そこには、肉塊が散らばっていた。

 あまりに損壊が激しく、何の部位だったのかも分からない状態。

 その先に、またしても黒い笠だ。

 拾い上げようとすると、笠から何かが転げ落ちた。

 サッカーボールほどの大きさのそれは、長い毛が絡まる塊。

 首から切り落とされた頭部であった。

 短い悲鳴をあげて、キョウジは飛び上がる。

 その瞬間、足を滑らせて転んだ。出刃包丁を取り落とす。

 ぐにゃりとした何かを踏んでしまったようだ。

 足の裏にべっとりと張り付いたそれを、つまみあげる。

 生き物の皮のようだ。表面に見覚えのある模様。

 それは、伊藤の肩に彫られていた、トライバルタトゥーだ。

 そこで悟った。この一面に広がった肉塊は、伊藤ヒロトであったのだと。

 伊藤もまた村人に捕まり、ここで殺されていたのだ。



 やはりこの村の人間は、最初から自分たちを皆殺しにするつもりだったのだ。

 誰一人として生かして帰す気などないのだ。

 何故、こんな場所に来てしまったのか。来るべきではなかった。後悔の念で頭が痺れる。

 それでも、キョウジは進まねばならなかった。

 江田と荻上の無事を確認できていない。

 二人の生存は絶望的であるが、それでも探さないわけにはいかない。もしかしたら、二人はまだ生きているかもしれない。だとすれば、ここで逃げ出すことはできない。

 キョウジは再び立ち上がり、松明を手に先へ進んだ。

 地面へと流れ出る死体の血液が、ある一定の方向へ向かって流れているのに気付いた。

 床に溝が掘られ、そこを通って先へ流れているのだ。

 その方向へ歩いていくと、目の前に祭壇が広がっていた。

 所々、経年によって朽ちているが、立派な作りの祭壇である。

 祭壇の前には供物と思われる酒やら、魚などが供えられている。

 両脇には脚のついた油皿が立てられている。キョウジは松明の火を、そこへ灯す。

 かなり大きな祭壇であることが分かった。

 先ほどの血液を流す溝は、祭壇の中へ向かっている。

 おそらくは、この血液も祭壇への供物なのかもしれない。

 なにかの儀式なのだと思われた。

 なんと邪悪な儀式なのか。この場所は、邪悪そのものだ。

 油皿に灯された祭壇が、得体の知れない化物に見える。

 それから辺りを見回すが、江田と荻上の姿は見つからない。ここには居ないのだろうか。

 その時、悲鳴が聞こえた。下の方からだ。

「シンジ!」思わず叫んだ。

 縄梯子のあった方へ駆け寄ろうとする。

 縄が軋んでいる。誰かが梯子を昇ってきている。

 キョウジは足を止め、先ほど落としてしまった出刃包丁を探し、拾い上げる。

 縄梯子のある崖の方に、新たに脚立のような梯子が架けられているのが見えた。

 次々と何者かが昇ってくる音が聞こえる。

 後ろに逃げ場は無い。

 心臓が早鐘を打つように鳴っている。

 キョウジは出刃包丁を前に構え、敵に備えた。

 一人、また一人。老人たちは梯子から昇ってきた。

 あっという間に、十人ほどの武装した老人に出口を塞がれてしまった。

 最後に上がってきた老人の背におぶわれていた老婆が、杖をつきながら前に歩み出る。

 その老婆のことをキョウジは覚えていた。

 浪浜村へ到着した夜に出会った、西浜トヨであった。

「まだ会ったねえ。まさか、あんた達がここまで来るとは思ってながったよ」

 トヨは歯が抜けた口でニタニタと笑っている。

「山狩りしてる連中には悪いけど、こっちが当たりだったみたいだ。明日になったらねぎらってけねばまいねえな」

「他の二人はどうした!ここに江田さん達が居るはずだ!」

 洞窟内に響く声でキョウジは叫んだ。

「さしねえな。そったに叫ばねくても聞けるね。ほらよ」

 トヨが老人たちに指示を出すと、一人の男が連れられてくる。

 江田タツヒコであった。全身から血を流している。

 両脇を老人たちに抱えられ、ぐったりとして動かない。

「江田さん!俺です。相田です。しっかりしてください!」

 キョウジの呼びかけに、江田は僅かに顔を上げる。

「相田…おまえ、無事だったのか。よかった…」

「おまえら、江田さんを離せ!」

 気味の悪い笑みを浮かべながら、老人たちは江田を解放した。

 よろめいて倒れこむ江田に、キョウジは駆け寄る。

 かなり衰弱しているようだ。これだけの出血だ。無理もない。

「今年の生贄は活きがぐて、なぶりがいがある。簡単に殺してまれば勿体ねえ。長いこと待ってやっと、かさねぶたの年になったんだもの。たっぷり楽しまねばまいね」

「かさねぶた、だと。これはおっぱぎだろ!おまえらがずっと続けてきた、人殺しのことは知ってるんだぞ」

「ロクロウから聞がされたんだべ。村八分さしてらはんで、すっかり忘れてたわ…あのほんずなし。あれのせいで、村のみんなが迷惑こうむったじゃ…。でもな、若者わげもの。これはおっぱぎじゃねえのよ。おめんど、祠の話も合わせで聞いだんだべ?あの祠が建てられてから、おっぱぎは途絶えた」

 トヨは着物の袖からタバコを取り出すと、マッチで火をつけてふかし出す。

「こっからはロクロウの話の続きだ。おっぱぎのせいで、この村は祟りにあった。その祟りを鎮めるために祠を作った。でも、それだけじゃあ祟りは納まらなかったのよ。そこで、ご先祖さまたちが始めたのが、この『かさねぶた』よ」

「なにを言っているんだ…」

「東浜屋の嫁が、おめんどさ語ったのは表向きの話。本当のかさねぶたは、祟りを鎮めるための儀式よ。おめんどみてえな、ほんずねえ外の連中ば連れて来て、その血を怨霊たちに供えるのよ。その祭壇にな」

 皺だらけの手で、キョウジの背後にある祭壇を指差す。

「かさねぶたっていうのは『蓋を重ねる』って意味よ。おっぱぎのせいで、溜まりに溜まった怨念の釜に、生贄の血を流して蓋をする。その蓋がまた祟りを起こさないように、次の生贄の血で蓋をする。だから、『かさぶた』。ほれ、あの笠っこ見でみなが」

 転がっている黒い笠を顎で差す。

「なんであの笠が真っ黒だのが、おめんど聞いだんだべ?あれが本当の答えよ。ああやって、何度も何度も血を吸って、黒ぐ染まっていった。あの笠も言ってみれば、有形文化財ってやつだべ」

 それを聞いた老人たちは、違いないと、笑い出した。

「相田…こいつらに話は通じない。逃げるんだ…」

「江田さん…くそ!」

「歴史の勉強はもういいべ。それで、おめえはどうするのよ」

 トヨはタバコを投げ捨てる。

「観念して、大人しく殺されるか。てっぺえ抵抗してから殺されるか。…ひょっとしたら、そこの若者わげものを置いていけば、おめえひとりだけなら逃げれるかもしれねえなぁ」

 老人たちはじわじわと包囲を狭めてくる。

 キョウジは江田を抱えながら、空いている手で出刃包丁を構える。

 どうすればいい。どうにかして逃げ出せないか。

 必死で考えを巡らせる。

 キョウジが捉えたのは、血を吸い込んでいる祭壇だった。

 出刃包丁を離し、足元で燃えている松明を持つ。

 それから、祭壇に向かって松明を放り投げる真似をしてみせた。

 老人たちはどよめき、足を止める。

 思ったとおりだ。

 村人にとって、この祭壇は重要なものだと確信した。

「道をあけろ。そうしないと、祭壇に火を放つ!」

 トヨに向かって真っすぐ目を向ける。

「この悪童が…」

 憎々しげにそう呟いたが、老人たちに道を開けるよう指示を出す。

 江田を引き摺って、急いでその間をキョウジは走り抜ける。

 老人たちは手を出してこない。

 なんとか、梯子が架けられた場所まで辿りついた。

 そちらを背にし、老人たちをけん制する体勢をとる。

「相田…伊藤は…。ヒロトはどうしたんだ…」

「伊藤さんは…死にました。あそこに散らばっている死体は、伊藤さんみたいです…。荻上はどうしたんですか。生きてるんですか」

「…なんだと」

 瞬間、キョウジの身体を激痛が走る。

 何が起こったのか一瞬、理解できなかった。

 見ると、右の太腿に深々とナイフが刺さっている。

「う、あああ…!」

 キョウジは呻き、その場に崩れ落ちた。

 江田は立ち上がり、キョウジを見下ろしている。

 江田に背後から刺されたのだ。

「てっきり伊藤と一緒かと思ったが…この役立たずが」

 そういうと、江田はキョウジを蹴り上げた。

 何度も、何度も。

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