後編
友人が『
晴れて一人暮らしの大学生活が始まった。
「良かったね。ここはなにも禁止されていない。自分のために時間を使える。漫画だってアニメだってタルパだってやりたい放題ってわけだ」
引っ越しの荷物も片付け終え、大学生活も慣れてきたころ。
複数の講義から課題がどっと出たり、アルバイトの出勤時間が伸びたりで急に忙しくなった。いつもならアパートの自室に着くと日課である
明日までの課題もまだ終わってない。なのに、そのまま倒れて寝てしまった。
翌日、くつくつと鍋が吹きこぼす音で目が覚めた。慌ててガスを止めたが、この鍋はなんだろう。香りから味噌汁であることは間違いないが、作った記憶がなかった。
「ああ、火を止めてくれてありがとう」
振りむくと、エプロン姿の
「随分疲れているようだったのでな。寝ている間にやらせてもらった。朝食は作らせてもらった。あと、今日までの課題も半分くらいやっておいた。あなたが頑張れば提出時刻までには間に合うだろう。……どうした? これも
確認すると、課題は六割ほど出来上がっていた。目の前の料理も簡単なものではあるが、美味しく腹を満たせられた。
現実に干渉している。
彼女曰く、
「ああ、これかい? 寝ている間にあなたの
イマジナリーフレンドについて調べたとき、解離性同一性障害――俗にいう多重人格と似た症状が現れることがあるという記述があったのだ。
「えっと……だめ、だったか?」
今になって自分がしたことが悪いことだったんじゃないかと思ったのか、
思わず喉から潰れた笑い声が出た。
この日を境に、
…
夜も更けて、人の喧騒が消えるころ。
本日の講義とアルバイトをやっと終わらせた僕は、マンションの自室に向かっていた。その途中、「あ、おかえりなさい」と声をかけられた。
振り向くと、ドアから出たところの黒髪ストレートの女性が
女性の名前は
大学の同期生……というより高校の同級生で三年生のときはクラスメイトだった。けど、親しいわけじゃない。こちらから話しかけたことがないくらいだった。
きっかけは大学の入学式の日、向こうから声をかけてきたのだ。
「こんにちは。あなたもこの大学だったんだね。……こうやって話すのは初めて、かな? 高校のころ同じクラスだったんだけど、覚えてる?」
覚えてるもなにも、席替えで一度だけ、神岸小夜とは隣同士になったことがある。忘れたふりをするほど薄情でもなかった。
「あー良かった。実はちょっと怖かったんだよね。やっぱり、こういう初めてって慣れなくて。でも、知ってる人と話したら、緊張もかなり和らいだ気がする。これからの学生生活、よろしくね」
神岸小夜との関係はこれだけ。目が合えば今のように挨拶してくる、友人にも満たない関係。知り合いという名の社交辞令。ただそれだけだ。
他人との会話に苦手意識がある人間として言わせてもらうと、神岸小夜は恐怖だった。明るい印象なのにどこか落ち着いていて、柔軟な話題を振ってくる。
得体の知れないものなのにいつも背中を預けている、錯覚のような居心地。されど、恐怖なのには変わりない。
親しみやすく、居心地のいい、恐怖。
いつもなら『
マンションに入ったときに「サプライズがあるから、楽しみにして帰ってきてくれたまえ」と言って、一足先に帰ってしまったのだ。
遅くに帰ってきたことを心配そうにする神岸小夜だったが、僕は曖昧な相槌を打つだけ打ってそそくさと
けれど、
『 アナタ ダレ? 』
『サプライズ』と称したこの日の
「「おかえりなさい、下僕」」
ゴスロリファッションの
しかしながら、
今回のことを参考にして、
より
創れる人数は最大で九人。けれど、維持できるのは六人までが限界だった。さすがに精神や集中力が保てないようだ。
目に入る範囲でなら大きさや質感はかなり自由が利く。
『
ア
ナ ダ
タ
?
』
そして、さまざまな『
カノジョを受け止めたい。
これは願望ではなく、すでに義務だ。
だから、どんなにいても、どんな
…
『ねぇ、あなた……だれ?』
『ねぇ』
『ねぇ』
『ねぇ』
『 ねぇ?』
『あなた』『あなたは』『あなた』
『あなた』『あなたは』『あなた』
『あなた』『あなたは』『あなた』
『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』『?』『だ』『れ』
『…?、…?。…?』『…!、…!。…!』
『…!、…!。…!』『…?、…?。…?』
『…?、…?。…?』『…!、…!。…!』
『ねぇ』
『ね ぇ』
『ね ぇ 』
『 ね ぇ ? 』
『ボクハ、
ダレ?』
・…‥・‥・ …・‥ … …・… ‥
気がつくと、となりに神岸小夜がいた。その瞳は心配そうに
「……あっ、え。え?」
「………話、聞いてなかったでしょ」
「えっと、ご、ごめんな、さい。その、耳の、耳鳴りがひどくて、なんの話……というか、僕はなにをやってたんだっけ?」
辺りを見渡すと、大学の敷地内だった。グラウンドと校舎の間にあるベンチに
「ほら、昼食を食べるところだよ。あなたから誘ってきたんだけど、覚えてない?」
神岸小夜の弁当箱には白米をベースとした和風系の料理が敷き詰められてる。
神岸小夜の言った言葉はどうやら事実のようだった。こんな嘘を言ったところでなにもならない。けれど、
「でも誘ってくれて良かった」
「な、なにが?」
「んー、実は最近顔色が悪かったから心配してて。ちゃんとした食事とってるのかなー、って」
たしかに最近は疲労が溜まっている感覚があった。顔に出しているつもりはなかったが、いつの間にかに心配をかけていたのか? それとも。
「……そのサンドイッチ美味しそうだね」
「え?」
眼光を鋭く光らせながら、神岸小夜は言った。
「この香りは……バジルソース! 私、バジル好きなんだ! もし良かったら一口、頂いていいかな?」
「え、あ。だいじょうぶ、だけど……」
「では、一つだけ失礼します」
神岸小夜はひょいっサンドイッチをつまみ、口に入れる。
「んっ、おいしー! おいしいよ。料理の才能あるんじゃない?」
「さ、サンドイッチなんてだれでも……」
「そんなことないよ? 具材の割合がすごく噛み合ってて………あ、一口貰っちゃったから、今度はあなたが欲しいのあったら、あげるね?」
弁当箱を傾けて中身を見せる。
……もしかして、最初からこのつもりだったのかもしれない。ちゃんと栄養バランスのあるものを食べさせるための、
「ほら、遠慮せず、何個でも言ってね?」
「……じゃぁ、だし巻き玉子」
「では玉子をあなたに………はい、口開けて?」
「え?」
神岸小夜は箸で拾いあげた玉子を
「直接触ったら手が汚れちゃうでしょ?」
「えと、でも……」
「ほら、あーん、だよ。あーんっ。目を閉じて、口を開けるの。できる?」
「っ」
挑発的な表情で
「ねぇ」
「な、なに?」
三つ目のだし巻き玉子が入った口に手を当てながら、僕は返答する。
「今付き合ってる
喉が詰まって咽せた。唐突すぎる質問で、理解が追いつかなかった。
「その反応はいないみたい、かな?」
「ごほっ、えっと!」
「じゃあさ、私と付き合ってくれない?」
喉が詰まってるものを一気に呑みこんだ。
「ダメ、かな?」
上目遣いの長いまつ毛が挑発してくる。
「だ、だダメっていうか、急過ぎて、そそその……」
「じゃあさ、今週末デートしよ?」
さっきから喉が開いたり閉まったり、大忙しだ。好きな人を陥落させたければ胃を掴めというが、今の僕は喉を完全に掴まれてる。完全に脅迫だった。
「それで、付き合うかどうか決めて?」
そう言うと、集合する場所と時刻だけを伝えて、素早く弁当を畳んだ神岸小夜はすぐ去ってしまった。
しばらく呆然としていた。
なにが起こった?
なぜ
罰ゲームなのか?
毒電波に犯されて頭がおかしくなってしまったのか?
神岸小夜はなにを望んでいる?
さまざまな
どうすればいい?
意見が欲しい。冷静に分析できる第三者の意見が欲しい。未来の、建設的な話を。『
「あれ?」
先ほどまで、いや、ずっと一緒にいたはずの
振り向き叫んでも、一向に現れない。
タルパを試みても、創れない。
いない。
どこにもいない。
消えてしまった。
ぽつりっ、と
ここは、ここはどこだ?
…
『 』が消えてから、数日。
週末が来てしまった。憂鬱ながらも頑張って雑誌知識のコーデを身に纏う。集合場所の駅前に着いたのは約束の三十分前。今日は決戦の日。つまりデー
『 』が消えてから、数日。
『 』が消えてから、数日。
神岸小夜と三回目の
『 』が消えてから、数日。
神岸小夜と
『 』が消えてから、数日。
神岸
『 』が消えてから、数日。
神
『 』が消えてから、数日。
『 』が消えてから、数日。
『 』が消えてから、数目。
『 』が消えてから、眼が取れた。
「え?」
目の前に
集合場所である駅前で、片目の取れた
ありえないことだが、たしかにそうなっている。
「えっと、なんで眼を持ってるの……? それ僕のなんだけど」
「……もう忘れちゃったんだね」
知らない『
「キミ……だれ?」
「私はカノジョだよ。あなたの、あなただけの」
彼女は静かに視神経からぶら下がる
「あなたが望むならなんだってやれるし、我慢できた。人間に興味がなかったあなたが、他人の名前を覚えようとすらしなかったあなたが、高校のころ、隣の席の女子にトキメキを感じても、その子と同じ大学を目指しても、私は構わなかった。あなたの
「―――だから、私に依存させてあげる」
舌なめずりしている。物欲しそうな
濡れた視界が目まぐるしく、展開する。
ごきゅっごぎゅっ。
ごくんっ♥
「まだ依存させるから。もっともっと依存させるから」
「――――!」
「無駄だよ? だって私たちはあなたの中にいるんだから」
「――――!」
「いただきます♥」
「 」
「私以外を感じる感覚は全部磨り潰すね。要らないから。私を感じる感覚だけあればいい。それがあなたの幸せだったでしょ? やったね。夢が叶うよ♥ 私たちもウレシイ♥」
カノジョが増殖する。何人ものカノジョが、今まで創ってきたカノジョが、ボクに近付いてくる。
まるで無邪気な
あれから、どれだけ経っただろうか?
変わらず一度たりとも
どこかにいるのだろうか。
どこにもいないのだろうか。
すでに僕は、彼女は、世界は、存在は、 は。
僕の中の
ただ
その唇から
「
「あやまらなくていいんだよ」
なにもない。
「私とあなた以外は要らない」
だれもたすけてくれない。
「私たちが助けるよ」
だれもみてくれない。
「私たちが見てるよ」
なにもできない。
「なにもしなくていいんだよ、ずっと」
「全部、私たちがしてあげるから♥」
「だって私たちは」
「「「「「「あなたの
「ねぇ知ってる?」
「なにが?」
「私、聞いちゃったんだけどさ。出たらしいよ……この大学にアレ」
「アレって、幽霊?」
「ノンノン。もっとこわーいの……不審者が出たんだってぇー」
「は? 不審者?」
「そー! 不審者! こわいでしょ?」
「……いやまぁ、怖いっちゃ怖いけど今の前振りだと拍子抜け感が……」
「いやそれがさ。その不審者、外部者なのに学部の許可もなく、平然と講義を受けてたんだって」
「あー、それはちょっと怖いかも」
「でしょー! しかも、噂によるとね。そいつ、とある女学生のストーカーだったらしくて、その女学生の住んでるアパートのとなりの空き部屋に勝手に住んでたって」
「うわー、それはヤバい」
「でしょでしょ? なんでも、この大学を受験したんだけど、入試のときにカンニングがバレて落ちたとかで………ああ、もうそんなヤツが何食わない顔して一緒に講義を受けてるかもしれないって思ったら、怖くて勉強に集中できないー」
「こーらっ。勉強しない言い訳にしない」
「えー」
「ホラー系がダメなくせにそういう噂には人一倍敏感なんだから、まったく」
「はーいっ。……あ、そっちはこのあと講義があるんだっけ? 昼食どうする? なんなら確保しとくけど」
「おっ、気が利くね。いいの頼むよ」
「じゃあ、バッチシ確保してくるから楽しみにしててね。
「うん、じゃあまたあとで。…‥ふー。さてさて、ちゃんと講義を受けますかね。にしても……」
「さっきの子、名前なんだっけ?」
彼女とカノジョとかのじょとカノ女と彼ジョとかのジョとかノじョとカのじょとカノjyoとkaのjoとカnoジョtoK∀nOj。、と彼女。 柳人人人(やなぎ・ひとみ) @a_yanagi
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