十一月十五日 ~龍馬がいる街~

長束直弥

近江屋跡にて

十一月十五日

 ――此処が、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された『近江屋』の跡だよ。


 河原町通りの蛸薬師たこやくしを少し南に下がったところ――。


 其処には、大手回転寿司チェーン系列の回転寿司屋が居座る。

 その店の左隅に、『坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑』の石碑がある。


 この場所は以前、旅行代理店だった。

 二〇〇九年の夏にコンビニに変わり、二〇一五年の十月からは回転寿司屋が営業をしている。


 私が坂本龍馬に興味を持ったのは、昔交際していた彼の影響――。


 ――毎年十一月十五日には、此処に来ているんだ。


 そう言って彼は、私を初めてこの場所に連れて来た。

 

 その当時は、近江屋跡を示す石碑が店の片隅にひっそりと佇んでいるだけだった。

 気をつけていなければ見過ごすほどの目立たない存在だった。

 それが今では、京都市の説明書と坂本龍馬の肖像を掲げた大きな看板ができていて、道行く人の中には立ち止まって目をとめる者もいる。


 河原町三条の一筋南の通りが、龍馬通。

 この通りには、龍馬が隠れ住まいにしていた『酢屋』がある。

 酢屋の前には、『坂本龍馬萬居之碑』が立てられている。

 此処の二階に〝京都海援隊本部〟があった。

 龍馬が大政奉還を目指し投宿していた場所である。


 龍馬は、それまで宿舎としていた薩摩藩の定宿であった伏見の寺田屋が江戸幕府に目をつけられ急襲されたため、三条河原町近くの材木商『酢屋』を京都での拠点にしていた。

 龍馬が京都に入ったのは慶応三年十月九日。此処酢屋で十月十四日の『大政奉還』の報を受けている。


 酢屋中川嘉兵衛なかがわ かへえは享保六年より現在まで、創業二百八十年つづく材木商。

 幕末当時六代目嘉兵衛は材木業を営む傍ら、角倉すみのくら家より、大阪から伏見、そして京へと通ずる高瀬川の木材独占輸送権を得て、運送業をも掌握。

 高瀬川の川沿いには各藩の藩邸が建ち並び、各藩との折衝や伏見そして大阪との連絡にも格好の地であった。


 現在、酢屋の二階では『ギャラリー 龍馬』を開廊していて、龍馬と酢屋の歴史を紹介している。



 慶応三年十一月十五日(一八六七年十二月十日)――


 身近に危険が迫っていることを感づいていた龍馬は、慶応三年十一月三日に寓居を酢屋から近江屋井口新助いぐちしんすけ宅へと移した。


 十一月十三日、龍馬のもとに伊東甲子太郎いとう かしたろうが尋ねてきて、新選組に狙われているので土佐藩邸に移ったらどうかと勧めたが、龍馬は土佐藩御用達の醤油屋『近江屋』に留まった。


 十一月十五日、夕刻に中岡が近江屋を尋ね、三条制札事件さんじょうせいさつじけんについて話し合う。

 夜になり客が近江屋を訪れ、十津川郷士を名乗って龍馬に会いたいと願い出た。

 元力士の山田藤吉は客を龍馬に会わせようとするが後から斬られた。このときの物音を耳にした龍馬は、「ほたえな!(騒ぐな)」と大喝した。それで、刺客に自分たちの居場所を教えてしまう。

 刺客は音もなく階段を駆け上がり、二階奥の八畳間に切り込んできた。その中の一人が「こなくそ!」と叫んで、中岡の後頭部を切り、今一人が龍馬の前頭部を横に払った。龍馬は意識がもうろうとする中、中岡の正体がばれないように中岡のことを「石川、太刀はないか」と変名で呼んだという。

 その後龍馬は、胸など数カ所を斬られついに絶命。

 中岡はまだ生きており助けを求めるが、二日後に吐き気をもようした後に死亡した。


 坂本龍馬三十三歳、中岡慎太郎三十歳であった。


 近江屋跡の少し北にあるのが蛸薬師。

 この道を左に行くと新京極。

 河原町通りを跨ぐ横断歩道を渡り、少し北に進む。

 一筋目を右に曲がり、進むと『土佐稲荷・岬神社』がある。そのまま行くと高瀬川に出る。

 この辺り一帯が、当時の土佐藩邸があった場所。

 高瀬川に架かる小さな橋を渡れば木屋町通り。

 高瀬川の川縁には、『土佐藩邸跡』の碑が立っている。


 当時の河原町通りは五メートルほどしかなく、土佐藩邸から近江屋までは数メートルと近い場所に位置するが、暗殺当夜に土佐藩邸からは何の救援の手も差し伸べられなかったという。


 坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺の実行犯とその黒幕については、京都見廻組説、新選組犯行説、紀州藩士報復説、薩摩藩陰謀説、外国陰謀説(フリーメーソン)、など諸説が虚実入り乱れて挙げられている。また、暗殺者が狙っていたのは中岡慎太郎の方だったとする説もある。


 十一月十五日は坂本龍馬の命日であり、この世に生を受けた日でもある。


 ――大正十三年に河原町通りが道路拡張することになって、近江屋の建物も取り壊され土地が削られることになったんだ。その後、近江屋の跡地を買った人がカフェを建設することになって、人が殺された場所を示す石碑を建てるのは縁起が悪いと難色を示したため、北隣の土地の所有者が自分の店先の一部を提供して、そこへ石碑が建てられたんだ。だから、実際の近江屋があったのは、この石碑のある場所の南隣の土地なのだよ


 そう言って彼は、ジャケットの裏ポケットから取り出した煙草を、石碑の前に一本供え、目を閉じて合掌をした――。


 これは、近江屋跡がまだ旅行代理店だったころの遠い昔のこと。


 彼との交際も、大学を卒業し就職してからは、忙しさにかまけた擦れ違いの日々の中で自然に消滅していった。


 何年かぶりに訪れたこの場所は、時の流れを巻き戻し、あの時の彼の姿が現れる。

 そう言えばあの時……、慥か彼は、毎年十一月十五日には、必ずこの場所に来ていると言っていた。


 今日は、十一月十五日――。

 石碑の前にはたくさんの花束が供えられている。


 もう一度、彼と会うことができるだろうか……?

 そんなことを想いながら石碑の前で腰を落とし、私も心ばかりの花束を供えた。


 目を閉じて合掌を終え、ゆっくりと立ち上がろうとしたとき、石碑の隅にひっそりと、一本の煙草が供えられているのを視界の端に捉えた。

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十一月十五日 ~龍馬がいる街~ 長束直弥 @nagatsuka708

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