キラキラ想い出マーブルチョコレート
花岡 柊
キラキラ想い出マーブルチョコレート
「あ。それ買うの久しぶりじゃない?」
ランチ後、会社へ戻る前に寄ったコンビニで、私はリング状になったカラフルなお菓子を手にしていた。
他には、ミルクティーとスティックタイプのチーズケーキ。小腹が空いた時用だ。
「また思い出しちゃったんだ?」
笑みを浮かべる付き合いの長い同僚の恭子に、私は少しの苦笑い。
それは、遠い昔のささやかな想い出。僅かな輝きと淡い色をのせた記憶が、今も私の心を疼かせる。
いつも凛と背筋を伸ばしていた彼は、うちのテーブルに着くと私に笑顔を見せる。
「お母さんには、リンゴの赤。お父さんには抹茶の緑」
彼はハニカミながら、プチンと銀紙の奥から一粒ずつそれを取り出してテーブルに置いていった。
それから満面の笑顔で私に言ったんだ。
「紗南ちゃんには、苺のピンク。紗南ちゃんと一緒の可愛い色だよ」
キラキラに輝くリングの中から取り出された、ピンク色したマーブルチョコレート。リンゴの味も抹茶の味も、まして苺の味などするわけじゃない。ただカラフルにコーティングされただけのチョコレートだったけれど、彼が私にくれたピンク色のマーブルチョコレートは、私にとって甘酸っぱい苺味でしかなかった。
**
近所に住む健ちゃんはとても快活で、なのにとても穏やかな一面もあり、いつも私に優しくしてくれていた。私は、健ちゃんと遊ぶ学校帰りの放課後の時間が、何より好きで楽しみだった。
健ちゃんのママはいつも帰りが遅い。だから健ちゃんはランドセルを家に置いてくると、ママが用意してくれていたおやつを持って私の家に来ていた。
そうして、健ちゃんのママが帰ってくるまでの間、私と一緒に過ごしていたんだ。
その時間は、今でも私の宝物だった。
**
「想い出もいいけどさ。今に目を向ける方が堅実だと思うんだけど」
恭子はプリンとお茶を手にして、現実に興味を持たない私の事を複雑な表情で見ている。
確かにそれはそうだと思う。思うんだけど、想い出というのは厄介なもので、やたらと年々美化されていき、今では眩しすぎて現実の方がくすんでしまうほどなんだ。
コンビニから出ると、冬の寒さを混ぜ込んだ秋風が容赦なく冷気を運んできた。
「寒くなってきたね~」
スーツの上に羽織ってきたカーディガンの袖に、自らの手を隠すように引っ込める。
「寒いと、人恋しくならない?」
恭子はコンビニの袋をブラブラさせながら、寒そうに地面へ零した。
「そりゃあ、まーね」
これは何の振り? なんて、恭子を見ながら私は苦笑い。
「うちの部署によく来てる営業君が、紗南のことを紹介して欲しいって。結構、男前よ」
ああ、そういうこと。
恭子は、どうどう? なんて、弾むようにその営業君を勧める。まるで、自分の方が誘われているみたいなはしゃぎようだ。
「営業君ねぇ……」
私が気乗りしない返事をすると、会うだけ会ってよ。なんて、少し強引な態度。
これは何かあるな。
「もしかして、交換条件とかあったりする?」
確信的な視線で訊ねると、ドキっ、とあえて声に出す恭子。
隠し通さないところが素直だよね。
「紗南を紹介したら、合コンセッティングしてくれるっていうからさ~」
そういうことね。
正直すぎる仲の良い同僚に、思わずプっと吹き出し笑ってしまった。
「人恋しい季節が目の前なんだよぉ。寂しい私に愛の手を」
冗談めかしてお願いしているけれど、合コンはついでで、きっと私のことを心配してくれてるんだろうな。
いつも想い出に浸ってばかりいる私の相手をしてくれる恭子が勧めてくれるなら仕方ないか。
結局、拝み倒された私は、後日その人と会うことになった。
**
土曜日の水族館は、家族連れやカップルで結構な混み具合だった。
アジの大群や大きなカニに、ややこしい名前の見たことのない魚。浮遊するように泳ぐ幻想的なたくさんのクラゲに、見られていることに慣れすぎているシロクマ。
館内を走り回り、歓喜の声を上げる子供達も一緒に眺めながら、これといった会話もなく私たちはのんびりとたくさんの魚たちを見て回った。
「少し座りますか?」
恭子が合コンと交換条件で私に紹介してくれた彼が、ある程度見て回ったところで気遣いを見せてくれる。
近藤さん、と言うらしい。
待ち合わせ場所で初めて逢った時に、そう名乗っていた。
下の名前は、なんだろう?
少しだけそんな風に思ったけれど、訊ねるほどの興味をまだ私は彼に持っていない。
「今日は、無理を言ってすみませんでした」
館内にあるティールームでコーヒーを飲みながら、目の前に座る近藤さんが少しだけ申し訳なさそうに頭を下げる。
いえいえ、とんでもない。というように私はふるふると首を振った。
「水族館なんて、少し子供じみてるかなと思ったんですけど」
伺うように私を見る近藤さんは、まるで親の機嫌を探るような幼い子供みたいで、謙虚さに好感が持てた。
「水族館は久しぶりだし、楽しいですよ。あ、マンボウ、すごく大きかったですね」
にこやかに言ってみたけれど、当たり障りのない会話はあまり弾まずで、少し気まずい。
ティールームのそばにあるお土産屋さんは盛況で、子供たちの声が小高くひっきりなしに聞こえてくる。そんな風に周囲は賑やかなのに、ここのテーブルだけは会話が弾まず、降りた沈黙に少し辛くなる。
手持ち無沙汰のように、珈琲を一口。口内に広がる苦味を感じながら視線を上げると、目の前に座る近藤さんも沈黙が辛いのか珈琲に手を伸ばしていた。
館内のティールームには窓がなく。アクアリウムの向こう側で戯れる魚たちを眺めながらの飲食だった。
近藤さんのサラサラした髪の毛が、ティールームのライトを受けて茶色くなっている。
そういえば、健ちゃんも色素の薄い髪をしてたっけ。二重の瞳が印象的で、一重の私は健ちゃんのその目に憧れていたんだよね。
そういえば、近藤さんも二重だ。
いいなぁ。
「何か……、ついてますか?」
健ちゃんのことをぼんやりと思い出しているうちに、どうやら近藤さんの事をガン見していたらしい。
「あっ、ごめんなさい。二重か羨ましいなって」
思わず正直に言ってしまってから、慌ててコーヒーを口にした。
何を言ってるんだろ、恥ずかしい……。
初対面の相手をジッと見るなんて、失礼だよね。
自分の失態に肩を若干落としていると、近藤さんは自然な笑みを浮かべた。
「槇田さんは、一重が素敵ですね」
え……。
突然言われたことに、言葉が出ない。
素敵ですねって……。
今まで会話という会話もなかった相手に、急にそんな。
お世辞、……だよね?
穏やかな笑みをたたえている表情からは真意を読み取れず、でも素敵なんて言われて耳が熱い。
恭子の真似をして、ドキッなんて口に出して冗談のように笑い飛ばしたほうが良かっただろうか。そしたら、会話も弾むよね。
そう思っても、私にそんな芸当など備わってはいないのだけれど。
「実は、結構前から槇田さんの事が気になっていて。やっと会う事ができて、今日はかなりテンションが上がってるんです」
ハイテンションだという近藤さんの声が、ティールームに少し響いた。
弾まない会話を思えば、そんなにテンションが上がっていたなんて感じ取れなかったけれど、今目の前に座っている近藤さんの表情はにっこにこで、あながち嘘でもないのかな、と思った。
嬉しさに少し大きな声になってしまったことを誤魔化すみたいに、近藤さんはまた珈琲を口にする。
けれど、隠しきれないテンションが笑顔には現れているのは相変わらずだった。
そうやって、あんまり嬉しそうな笑顔をするものだから、つい釣られて私の頬も緩んだ。
自分の事をそんな風に思って貰えるなんて、ありがたいことだよね。
**
今もキラキラと眩しい、幼い日の想い出の中に住む健ちゃん。
今と向き合って欲しいと恭子が紹介してくれた近藤さんを見ていると、何故か余計に健ちゃんのことを思い出してしまう。
健ちゃんの事は、マーブルチョコレートやサラサラの茶色の髪の毛。それから、穏やかな表情や、時々弾けたように笑う声を憶えているだけだった。
健ちゃんの苗字も、健ちゃんのちゃんとした名前も憶えていない。
健一なのか健太なのか。はたまた、もっと別の名前なのか。
だけど、あの日。マーブルチョコレートをくれたあの日のことだけは、はっきりと憶えているんだ。
あの日、健ちゃんは私に言った。
「世界で一番、紗南ちゃんが好き」だと。
そう言ってから、キッチンに居た私のママの目を盗んでホッペにキスをしてくれた。
親の目を盗んでキスなんて、小学生のくせにませてると今ではは思うけれど。
あの時の私は本当に嬉しくて、健ちゃんにぎゅっとしがみついたのを憶えている。
そんな私を見て、ママが笑っていたっけ。
だけど、健ちゃんは中学に上がる前に引っ越してしまったんだよね。
今頃どうしているのかな? 私の事なんて、忘れちゃってると思うけど。
コンビニで恭子が言った、今と向き合ってみたら? という言葉を反芻する。
今日は健ちゃんには想い出の中にいてもらい、今目の前にいる近藤さんと向き合ってみようかな。
いつまでも幼い頃の想い出に浸ってばかりもいられないのは、私だって解っているんだ。
**
水族館を出たあとは、港のある街を並んで歩いた。
欄干を横目に歩く間、近藤さんはハニカムように仕事の話や友達の話を聞かせてくれた。まるで、水族館での沈黙を挽回するみたいにたくさん話してくれる。
「あ、なんか俺の話ばっかで、ごめん」
フランクに、だけど申し訳なさたっぷりに謝るその姿勢がなんだか可笑しくて、私はつい小さく声をあげて笑ってしまった。
「そんなに気を使わないでください」
笑顔を向けると照れたような顔をしてから、一瞬何か意を決したような顔をした後、徐にカバンの中から何かを取り出した。
「これ」
それを私の前に差し出された時、太陽が反射する水面のキラキラが、差し出されたそれに更に反射して眩しさに目を細めずにはいられなかった。
同時に心臓がギュッとなり、ドクンッと大きく心音が鳴る。
「これ、懐かしくないですか? 俺、子供の頃によく食べてて」
笑顔つきで見せられたものに私の心が震える。
近藤さんの手にあるのは、キラキラのリング。赤や緑や黄色やオレンジのカラフルなチョコレートが散りばめられている、あの懐かしいお菓子だった。
その中には、ピンクも。
どうして……。
声にならない質問が喉元でくすぶった。
「これが好きで、おやつはこれにして欲しいって、母親によく言ってて」
昔のことを照れくさそうに話してから、槇田さんには何色がいいかな? というように近藤さんはマーブルチョコレートを見ている。
その姿を見ながら、感情がザワザワと掻き立てられていくのを感じていた。
こんなのはたまたまで偶然だと思っても、ドキドキと鼓動が速くなるのを止められない。
「あっ、あのっ!」
チョコレートを選ぶ近藤さんが、弾けるように声をかけた私を見る。
二重の瞳に色素の薄い茶色の髪の毛。
違うよね?
まさかだよね?
だけど。
でも。
「近藤さんっ」
呼んだ名前に力が入る。
そんな私の態度に、近藤さんは少しだけ驚いた顔。
でも、そんな事構っている余裕なんかなくて、私は確かめたい事だけに必死だった。
「名前っ。近藤さんの下の名前って何ですか?」
食らいつくような態度で質問したのに、さっきまで驚いていた顔を冷静にして、近藤さんが口を開いた。
その表情はとても優しく穏やかで、いつかのあの日を思い出す。
「紗南ちゃんは、今も可愛いからピンクね」
そういって手のひらに渡された、ピンクのマーブルチョコレート。
訊いた答えじゃないのに、それだけで充分だった。
「……健ちゃん」
水面のキラキラが、マーブルチョコレートのキラキラを更に輝かせる。
カラフルなチョコレートは、淡く甘酸っぱい想い出をまた輝かせて彩った。
「また、逢えてよかった」
渡されたピンク色のチョコレート。
苺の味なんてしないのは、今も昔も知っている。
だけど甘酸っぱいその色は、忘れられない想い出を今目の前に連れてきた。
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