女子力大学院9

左安倍虎

第9話 茶道部部長、村田珠子

 ついに、女子力博士号認定試験の幕が切って落とされた。

 坪井佳奈は体内で女子力の火を熾し、強く心に理想の女子の姿を念じる。

 数瞬の後、女子力は佳奈の背後にピンク色の石原さとみの姿を取って現れた。

 石原さとみが後ろから佳奈を抱きすくめるような格好をすると、佳奈と女子力で錬成された石原さとみが一体となり、淡い桃色の闘気が佳奈の全身を包む。

 垢抜けない田舎娘だった佳奈は、今ここに花匂う女子力盛りの石原さとみの姿をまとった。その驚くべき変貌ぶりに、壇上の試験官も思わず息を呑む。


「幻影憑依の術、久方ぶりに見せていただきましたわ」

 佳奈の後ろから心地良い鈴の音のような声がかかった。声のした方を振り向くと、そこには透き通るような白い顔に柔らかな笑みを浮かべた女子が一人佇んでいた。

 和服に身を包んだ女子の細い目は三日月のように撓み、小さな口元に薄く紅を引いた姿はさながら京人形のようである。


「ええと、貴方は………」

「この試験で貴方のお相手を仕ります、当大学院茶道部部長、村田珠子と申します」

 珠子と名乗った女子は深々と頭を下げた。人当たりは柔らかく見えるものの、その所作には一部の隙も感じられない。

「そうですか、私は坪井佳奈って言います。よろしくお願いしますね」

 石原さとみの姿を取った佳奈は、艶然と珠子に微笑みかけた。一瞬、珠子の瞳の奥に突き刺すような闘気が宿った気がしたが、珠子はすぐに殺気を消した。


「ところで、試験って何をすればいいんですか?」

 佳奈は無垢な瞳を珠子に向け、小首を傾げる。

「貴方の女子力が、対戦相手に勝っていることを試験官の前で証明すればいいのです」

「証明って、どうすればいいんですか?」

「どのような方法でも構いません。ただ、貴方は私を屈服させて見せればいいだけのこと。――できるものならね」

 珠子は急に柔らかな笑みを消すと、瞳を閉じて両手で印を結んだ。

「――顕現せよ、仮想茶室」

 珠子が一言そう唱えると、試験会場が急に闇に包まれ、佳奈の周りで無数の細かい立方体が飛び交い始めた。

(これは、ドット絵………?)

 無秩序に飛び回っているかに見えた立方体は次第にくっつき合い、やがて狭い和室の形を取り始めた。Youtubeで見かけた古いゲームの画面のように、解像度の荒い茶室のようなものが佳奈の周りに出現する。

 時間が経つごとに茶室の造形は次第に細かくなり、気がつくと大河ドラマで見かけた千利休の茶室と寸分違わぬ閑静な茶室に佳奈は座っていた。


「わあ、すごいですね。こんなにリアルな茶室を作ることができるなんて」

 佳奈は思わず感嘆の声を漏らした。畳の手触りも、茶器の放つ鈍い光沢も、到底珠子が作り出した幻影とは思えないほど真に迫っている。

「呑気に感動している場合なのですか?貴方はすでに私の世界に取り込まれているのですよ」

 珠子は呆れたように言うが、佳奈は目を潤ませたまま周囲を見渡している。

「こんな本格的な茶室に招いていただけるなんて嬉しいです!ここに呼んでもらえたということは、珠子さんの点てたお茶もいただけるということなんですよね?」

 声を弾ませる佳奈に、珠子は冷たい視線を投げかける。

「ええ、私はここであなたにお茶を振る舞うつもりです。――ただし貴方が私を満足させることができれば、ですが」

「どうすれば、満足してもらえますか?」

 佳奈は石原さとみの顔で小首を傾げる。その可愛らしい仕草に、珠子は思わず頬を紅潮させた。

「お茶を味わうには、味わう方にも最低限の知識が必要。貴方に私の茶を味わう資格があるかどうか、確かめさせていただきます」

 そう言うと珠子は右手を上げ、指を鳴らした。その途端、佳奈の目の前に薄く青色を帯びた茶器が出現する。その色調の美しさに、佳奈は思わず目を見張った。


「貴方は、これがなんだか知っていますか?」

 佳奈が目の前の茶器に目を凝らすと、その茶器にはひびが入っていた。しかし、これが何なのか佳奈の知識では答えられない。

「ええと、なんでしょう。名前はわかりませんけど、青磁なんですよね?」

 佳奈がどうにか言葉を継ぐと、珠子は勝ち誇ったように唇の端を吊り上げた。

「貴方の知識では、せいぜいこれが青磁であることしかわからないようですね。このひび割れが目に入りませんか?」

「それは、確かに見えますけど……」

 佳奈は口ごもった。この茶器はひび割れた部分をかすがいで止めてあるが、なぜこうなっているのかはわからない。

「これは、足利義政公が所有していた茶器です。底にひび割れがあるため、義政公はこれに代わる茶器を明国に求めましたが、結局これよりも優れたものが明国でも見つからなかったため、このようにかすがいで止めて明国から送り返されたのですよ」

「へえ、そうなんですか」

 佳奈は感慨深げに頷いた。心から珠子の教養の深さに感じ入っている様子だ。

「この底のかすがいで止めてある部分が蝗のように見えるため、これは馬蝗絆ばこうはんと名付けられたのです」

「ばこうはん、ですか」

 佳奈はその茶器の名を記憶に刻みつけようと、珠子の言葉を反芻した。

「とってもいい名前ですね。義政さんって、きっと優れた美意識の持ち主だったんでしょうね」

「何を呑気なことを言っているのです?貴方は今ここで、己の無知をさらけ出したのですよ」

「ええ、とても勉強になりました。教えていただいてありがとうございます」

 佳奈は軽く頭をさげた。顔をあげると、そこには珠子の引きつった笑みがあった。


「ありがとう、ですって?貴方は女子力の基礎たる教養に欠けていると私は言っているのですよ。貴方は今女子力を試されている最中なのに、なぜ平気でいられるのです?」

「だって、知らないことを知るのって楽しいじゃないですか。父もいつも言ってたんです。お前はなんの取り柄もないけれど、人の話はいつも楽しそうに聞くなって」

「そう、ですか。ずいぶんとお気楽な子供時代を過ごしたのですね」

 ふと気がつくと、珠子が膝の上で握った拳が小刻みに震えている。右手の拳には、何かで打たれたような痣がくっきりと浮かび上がっていた。

(あの痣、最初からあったっけ……?)

 佳奈が訝しんでいると、珠子は佳奈の前から馬蝗絆を取り上げた。

「いずれにせよ、このような茶器は貴方には相応しくありません。こうした逸品は完璧な知識と作法、すなわち圧倒的女子力を備えた者の手にあってこそ光るもの」

「では、やっぱりお茶は点ててもらえないんでしょうか」

「残念ながら、茶器の基礎教養すら持たない貴方に茶を振る舞うわけには参りません。どうしても不満なら、貴方が己の女子力で私を屈服させてみせなさい」

 珠子は京都弁特有の柔らかな抑揚でそう言ったが、心なしかその声音が少し掠れているように佳奈には思われた。

「――それなら、今度は私が珠子先輩をおもてなししてもいいですか?」

「それは、どういうことなのです」

「今度は、私が好きな茶器のことを珠子先輩にご紹介したいと思うんです。もし納得してもらえたら、珠子先輩のお茶をいただきたいんです」

「面白いですね。やってごらんなさい。できるものならね」

 珠子が目を細めると、佳奈はゆっくりと瞳を閉じ、胸の前で両手を組み印を結んだ。

「――大阪にご招待します」

 佳奈が一言そう言うと、閑寂な茶室は消え去り、漆黒の闇が周囲に広がった。再び無数の細かい立方体が宙を舞い、佳奈の思い描いた風景が形作られてゆく。


 珠子が目を開けると、周囲が妙に騒がしい。皆がそれぞれの得物を手に打ち合い、激しく干戈を交える音が聞こえてくる。馬がけたたましく嘶く声も聞こえる。どうやらここは戦場のようだ。鎧兜をまとった武者が雄叫びを上げて己に斬りかかってくるのを、珠子の近習らしい若者が必死で防いでいる。

「殿、ここは危のうございます。一旦兵を退きましょう」

 若者は眼の前の敵を切り伏せると、返り血を浴びた凄惨な顔で珠子に叫んだ。己を省みると、珠子自身も鎧兜を身に着けて馬上の人となっている。

(――私は、誰なの)

 鎧の形状からして今は戦国時代のようだが、珠子が誰の身体に入っているのかまではわからない。だが、退くことを良しとしない珠子の気性が、次の一言を叫ばせた。

「武士が敵に背中を見せてはなりません。一気に攻め立ててなさい」

 眼の前の敵の正体もわからないまま、珠子はそう指示を飛ばした。若者から目を離し、前方を睨み据えると、赤一色に染め抜いた鎧をまとった一隊が猛烈な勢いでこちらに迫ってくる。

(――あれは、真田隊?)

 佳奈は先ほど、自分を大阪に招待すると言っていた。珠子が遠くを振り仰ぐと、そこには大阪城の天守がみえる。ならば、この私は――


「松平越前守とお見受け致す」

 突如、佳奈の声が飛んできた。珠子の目の前にいる武者の兜には二本の鹿の角が付けられていて、いかにも勇ましい。

「佳奈さん、これは一体何の真似です?騒がしい合戦の場に呼び出すことが、貴方のおもてなしなのですか」

「今は佳奈ではありません。真田左衛門助幸村です。――いざ、参る!」

 佳奈は愛馬に一鞭くれると、槍を構えて一気に突きかけてきた。

 珠子も手にした槍でその突きを弾き、二人は十数合ばかり戦い続けた。

「佳奈さん、これは一体どういうことなのですか。幸村が私、松平忠直に敗北したのが歴史の結末ではありませんか。貴方は私に勝つ気がないのですか?」

 二人の力量は拮抗していて、勝負は容易につかない。珠子は一旦佳奈から距離を離すと、そう叫んだ。

「やっぱり、先輩にとっては勝つことが全てなんですね」

 その言葉が、珠子の心の奥底をえぐった。珠子は再び槍を手に佳奈に突きかかる。

「ええい、忌々しい。そういう貴方こそ、なぜ勝ちにこだわらないのです?茶器の知識もろくに持っていないくせに、呆けたような顔をして私の話に聞き入って」

「知識を持っていないことが、そんなにいけないことですか?」

「そんなことは当たり前です。茶器のことを知らない者が女子力試験に合格するなど、許されるわけがありません」

「それ、誰が許さないんですか?」

 佳奈のその一言に、思わず珠子の槍を握る力が緩んだ。その隙を見逃さず、佳奈は珠子の手から槍を叩き落とした。


「村田先輩、その手――やっぱり、お父さんなんですね」

 佳奈が声を落とした。珠子の両手には、何かで鞭打たれたような痛々しい傷跡が無数に浮かび上がっている。

「私が父のことを話したとき、先輩の拳は怒りに震えていました。最初はなかった傷跡が先輩の手に浮かび上がったのも、そういうことですよね」

 佳奈が女子力で作り上げた仮想空間では、心象風景がそのまま映像となって現れる。珠子の手に出現した傷跡も、珠子が父のことを思い出したために浮かび上がったものだ。

「ええ、その通りです。父は私を厳しく躾けてくれました。女子力茶道を受け継ぐため、幼き頃よりこの身に礼儀作法を叩き込んでくれたこと、今日この日まで感謝しているのです」

「本当に、そう思ってますか?」

 佳奈は無垢な瞳で珠子の顔を覗き込んでくる。己を憐れむようなその視線に、珠子の心中に怒りが燃え上がった。

「何を馬鹿なことを言っているのです?本当に決まっているではありませんか。完璧な作法を身に着けたおかげで、私は貴方のような山出しの娘とは比べ物にならないほどの女子力をまとうことができたのですよ」

「でも、その山出しの娘の言葉で、先輩は槍を落としましたよね?」

 珠子は絶句した。真っ青になり震える珠子の姿が見る見るうちに小さくしぼんでゆき、馬上にとどまることができず落馬しそうになる。佳奈は急いで駆け寄り、珠子の身体を抱きとめた。

「ごめんなさい、お父さん、ごめんなさい」

 珠子は五歳くらいの幼児の姿になって泣きじゃくっていた。その手にはまだ無数の傷跡が残っている。誰かに必死に許しを請う珠子の背後に黒々とした瘴気が立ち昇り、やがて人の形を取りはじめた。

「――珠子よ、茶道の素人相手に無様な姿を晒しおったな。お前のような出来損ないなど、我が家の娘とは認められん」

 黒い影は地の底から響くようなおぞましい声で珠子を叱りつけ、手に持った竹笞を振り上げた。父の声を背後に聞き、珠子は目を閉じて歯を食いしばる。

「松平忠直は真田幸村に勝ったからこそ初花肩衝を与えられたのだと何度言ったらわかる?女子力茶道を継ぐ者に敗北など認められん。さあ立て。あのような田舎者など、お前の圧倒的教養で捩じ伏せてみせよ」

 珠子の父が笞を振り下ろしたその刹那、佳奈が腰の刀を抜いてその鞭を受け止めた。

「一体、いつまでそうやって先輩に取り憑いているつもりなんですか?」

「取り憑いている、だと?人聞きの悪い。儂は出来の悪い娘を教え導いているだけだ。さきほどお前に敗北したのも、珠子の心の弱さゆえだ」

「いいえ、それは違います」

「どう違う?」

「先輩は負けたんじゃありません。新しい自分に目覚めつつあるんです」

「何だと?」

「先輩が本当に勝つことが全てだと思っているのなら、私の言葉で動揺したりしないはずです」

「その動揺こそが弱さの現れだと言っておるのだ。強い者は敵の言葉で迷ったりはしない」

「まだわからないんですか?そこで迷うのは、珠子さんが貴方を愛していたからです」

「――――!」

 珠子の父の影がわずかにゆらめいた。どうやら佳奈の言葉が核心を突いたらしい。


「先輩だって、本当は知識で圧倒する茶道のあり方に疑問を持っていた。でも、父である貴方のことも愛していたんです。だから本当の自分と貴方の教えとに引き裂かれて苦しんでいるんじゃありませんか」

「黙れ黙れ。そうして言葉巧みに我が娘をたぶらかすか。天真爛漫を装いつつ人を惑わすとは、お前も妖かしの類なのか」

「いいえ、黙りません。先輩には貴方から自由になってもらわないといけないんです」

「珠子は渡さん。永遠に儂のものだ」

 珠子の父は頭部に紅い眼光を灯すと、両手を大きく広げて珠子に覆いかぶさろうとした。巨大な闇が佳奈の眼前に迫る。

「女子力剣法、退魔十字斬!」

 佳奈は鋭い一声を発すると、珠子の父の影に斬りつけた。刀から発せられた眩い光が珠子の父を十文字に切り裂き、影がおぞましい悲鳴を上げる。

「――先輩、もう悪夢は終わりましたよ」

 珠子の父の影は散り散りになり、程なくして消え去った。佳奈が後に残された幼児の珠子を抱きしめると、二人の周囲の光景が掻き消え、再び辺りが闇に包まれる。


 佳奈が再び目を開けると、再び佳奈は狭い茶室の中に座っていた。眼の前には濃い茶色に黒色の液体が垂れたような姿の茶器が置かれている。

「おかえりなさい、村田先輩」

 佳奈はその茶器を手に取ると、珠子の前にそっと差し出した。

「これは初花肩衝ではありませんか。これが貴方が紹介したかった茶器なのですか?なら、これがどういうものか、貴方もよく知っていることでしょう。これは敗者の私にはふさわしくありませんよ」

 自らを敗者と呼びつつも、珠子の顔には清々しい笑みが浮かんでいた。今までのような、どこかに刃を隠しているようなそれとは違う、一点の曇りもない笑顔だった。

「初花肩衝は松平忠直さんが真田幸村さんを討った褒美として、家康さんから授けられたんですよね。でも、そういうことはもういいじゃないですか」

「ふふ、そうでしたね。勝ち負けに固執していては、私は父を乗り越えることはできない。貴方はそう、私に伝えたかったのでしょう」

「その通りです。これで、お茶を点てていただけますか?」

「そうですね、私の女子力のすべてをもって、貴方をおもてなししましょう」

 珠子は静かにそう言うと初花肩衝に抹茶を入れてお湯を注ぎ、茶筅で掻き回し始めた。


「――ああ、美味しかった。でも、ちょっと音を立てちゃいましたね」

 佳奈はちろりと舌を出した。佳奈にしてみれば自然な仕草だが、石原さとみの顔でこれをやられると実にあざとく見えてしまう。

「それでいいのですよ。呑むときは少しくらい音を立てたほうがいいのです」

「え、そうなんですか。良かった」

「今回は、改めて考えさせられました。女子力とは一体何なのかを」

「そんな、私、何も大したことなんてしてないですよ」

 佳奈は驚きに目を見開いた。珠子の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。

「いいえ、私の茶道は、事の始めから間違っていたのかもしれません。知識で相手を圧倒しようなど、おもてなしの心に反していたのかもしれない」

「おもてなしの心、ですか」

「ええ。貴方は茶道の知識や作法においては私に遥かに及ばない。でも、貴方の無垢な笑顔を見ていると、私は心からくつろぐことができるのです。もてなしているつもりで、実は私のほうがもてなされていたのかもしれませんね」

「いやあ、あんまり褒められると照れちゃうなあ。褒められないれてないもんで」

 佳奈は頭を掻きながら、少し頬を染める。

「今回は、実に多くのことを学ばせていただきました。ありがとう」

 珠子は膝の前に手をつき、深々と頭をさげた。

「そんな、先輩、頭を上げてください」

 佳奈は慌てて胸の前で手を振った。珠子は頭を上げると、その仕草に苦笑を漏らす。


「今度の勝負はこれまでですね。貴方は私の心の闇を見抜き、見事にこれを払ってみせた。私は潔く兜を脱ぎましょう」

「え、でも、茶道は勝ち負けじゃないって先輩はおっしゃったじゃないですか」

「これは茶道の話ではありません。女子力試験の話です」

「ああ、そうでしたね」

 佳奈はすっかりまだ女子力試験の最中であることを忘れていた。今この瞬間も、試験官が勝負の行方を見守っているのだ。

「女子力試験の対戦相手は、敗北すらも見事に彩って見せなくてはなりません。私の最期、見届けていただけますね」

「最期って……」

 表情を引き締めた珠子の瞳に、覚悟の色が宿っていた。もう引き止めても無駄なことを、佳奈も瞬時に悟った。

「貴方は、これを知っていますか?」

 珠子がそう言って両手を伸ばし、佳奈の目の前に差し出すと、掌の上に大きな茶釜が出現した。

「これは、平蜘蛛というものです」

「平蜘蛛って、あの松永久秀が持っていたというあれですか?」

「そう。私はこの茶釜と命運をともにするつもりです」

 珠子は決然とそう言い放った。佳奈の顔面が蒼白になる。

「そんな、いけません、先輩」

 松永久秀がどのような最期を遂げたか、佳奈も知らないわけではない。それだけは佳奈には受け入れられない。

「いいですか、佳奈さん。いずれ貴方も、私と同じように、女子力試験の対戦相手を務めることがあるかもしれません。その時のために、私は貴方に先輩として見本を見せておかなくてはならない。この村田珠子の散り様、しっかりと目に焼き付けておきなさい」

 珠子は微笑むと、瞳を閉じて両手で印を結んだ。次の瞬間、珠子の体の脇に焙烙玉が現れる。導火線に灯った火花がちりちりと音を立て、火縄の焦げる匂いが部屋の中に立ち込めた。

「駄目です、先輩――!」

 そう叫んだ時、すでに佳奈の姿は暗闇の中に遠のき、茶室を映画のスクリーンの中に眺めるような状態となっていた。やがて火花は焙烙玉に達し、耳をつんざく轟音とともに茶室は粉微塵に消し飛んだ。


 あたりに立ち込める煙に咳き込みながら、佳奈はゆっくりと瞳を開いた。

 そこには、焼け焦げた和服に身を包み、全身から黒い煙を吹き上げている珠子が仰向けに横たわっている。

「先輩!」

 佳奈は急いで珠子に駆け寄った。爆発に巻き込まれたにも関わらず、珠子の真っ白な顔には火傷の痕一つなく、口元にはかすかな笑みすら湛えている。

(最後の女子力で、自分を守ったのね)

 見苦しい姿を人前に晒したくないと思ったのだろう。最後の最後まで、珠子は女子力を追求し続けたのだ。

(――私が、こんな人になれるんだろうか)

 女子力を追い求める厳しさに、佳奈は身震いする思いだった。気がつくと、佳奈の頬を涙がつたっていた。溢れ出す感情のために幻影憑依の術が解け、佳奈は素の自分の姿のまま呆然と立ち尽くしていた。

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女子力大学院9 左安倍虎 @saavedra

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