タイムマシンに日が沈む

鋼野タケシ

タイムマシンに日が沈む

「なんだあれ……UFO?」

 奇妙なオブジェを見て、ぼくは思った。

 真っ黒な楕円形。楕円の中心は大きなスプーンでくりぬかれたように欠けている。高さは3メートルほど、横幅は10メートルにも及ぶ黒い御影石。海を臨む大きな台座の上に、継ぎ目のない黒いレンズが横たわっている。

 日の光を鈍く照り返す。オブジェの名は時空翔じくうしょうと、石碑に書かれていた。

 ぼくにはUFOにしか見えなかった。

 でなければ、タイムマシンか。


 大学最後の夏休み、ぼくは一人旅を計画した。

 どうせなら遠い場所と考えて、行き先を北海道に決めた。

 就職すれば旅行に出る余裕もなくなる。最後のモラトリアム。無い内定、決まらない卒論のテーマから逃げたいわけじゃない。断じて違う。本気を出すのは夏休みが終わってからだ。明日できることは明日やればいい。

 卒業まで半年ある。焦る必要はまったくない。


 目的地に奥尻おくしり島を選んだのは、地図で名前を見たのがきっかけだった。聞いたことのない地名で、しかも離島。初めて訪れる北海道で、あえて定番コースではなく島を選ぶ。旅行慣れしているみたいでカッコイイ。つまり、通ぶりたかった。それだけの理由で、ぼくは奥尻島に行こうと決めた。


 函館からバスに揺られること一時間。江差町でフェリーに搭乗してさらに二時間。ようやく奥尻島にたどり着く。

「アクセスに時間がかかるのも離島の魅力だ」と、ぼくはわざわざSNSに投稿した。旅慣れているみたいでカッコイイ。通ぶれる。

 でも、イイネは一つもつかなかった。まあ、いいけど。


 奥尻港のすぐ近くに、奇妙な形をしている岩があった。

 Uの字を逆さまにしたような、くさび形の岩が、透き通った翡翠色の海に立っている。鍋釣岩というらしい。名前の由来は岩の形が鍋の弦に似ているからだとか。

 ぼくは何枚か写真を撮って、SNSにアップした。

「美しい景色を見ると、旅に来たという気がする」と。詩的な一言をそえて。

 イイネは一つもつかなかった。

 まあ、いいけど……いいけど。

 

 さて、さっそく行くべきアテがない。下調べもろくにしなかったから、観光名所もわからない。行き先だけ決めて気ままに行動するのが旅慣れた男だと、ぼくはそう思っている。

 荷物にしていた折りたたみ自転車(これも旅慣れている感を演出したくて買った)を組み立てて、島を見て回ることにした。

 御影石がごろごろ転がる海岸線。海岸のすぐそばまでブナの林がせり出している。何枚か写真を撮った。あとで、なにかカッコイイ一言をそえてSNSにアップしよう。

 汗の浮かぶ肌に、海風が心地いい。夢中になってペダルを漕いだ。せっかくだから岬の方まで行こう。

 そうして走り続けて、見えて来たのがUFOだった。 


 案内の石碑に刻まれた名は時空翔。見た目はUFOか、タイムマシンか。

 ぼくは写真を一枚撮った。

「なんだこれ、UFOか?」と書き添えて、あとでSNSにアップしよう。

 時空翔が何のために作られたのか、すぐにわかった。

 名前と一緒に、石碑に説明文が書かれている。


 1993年7月12日。午後10時17分。北海道南西沖地震。

 マグニチュード7.8。

 死者172名、行方不明者26名。

 真っ黒い御影石で作られたオブジェクト。時空翔。

 台座の上に横たわり、海を臨む楕円形。これは、慰霊の碑だ。


 日本にいる限り、地震は避けられない。

 遠く離れた北の地、二十年以上も昔の悲劇。でも、他人事とは思えない。

 3・11の時はぼくの故郷も大きな打撃を被った。あの時の恐怖は忘れられない。

 犠牲者の数は、東日本大震災とはケタが違う。でも、死者が百人だろうと一万人だろうと数字の違いでしかない。失われた一人は永遠に戻って来ない。ぐらりと揺れて、それきり会えなくなった人を、ぼくは今でも夢に見る。


 時空翔を取り囲む壁には、犠牲になった人たちの名前が石碑として刻まれている。死者、行方不明者、あわせて198名。ぼくは彼らの名前をひとつひとつ確かめた。

 地震が起こったのは、午後10時17分。まだ起きていたのか、明日に備えて寝床へ入った人もいたはずだ。

 みんな、変わらない明日が来ると思っていたのだろう。いや、きっと違う。変わらない明日が来るなんて誰も思わない。なんて、誰も本気では思わないから。


 あの日から会えなくなった人のことを想った。名も知らぬ人々の冥福を祈って、遺族の悲しみが癒されることを祈った。

 ぼくは写真を撮ろうとして、やめた。SNSに投稿するのもやめた。

 御影石のオブジェをUFOか、でなければタイムマシンだと思った。

たぶん、間違っていない。時空翔はタイムマシンだ。

 傷つき悲しんだ人たちの想いが、訪れた人に伝わる。人から人へと語り継がれて、ずっと未来まで運ばれていく。

 旅館についたらさっそく卒論を書こう。卒業するためじゃない。今は書くべきことがある。忘れられない悲しみと、忘れちゃいけない悲しみについて。

 真っ黒い時空翔に、夕陽がゆっくり沈んでいった。

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タイムマシンに日が沈む 鋼野タケシ @haganenotakeshi

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