祇園祭の夜

飛野猶

祇園祭の夜

 こんちきちん こんちきちん

 笛、太鼓、かねの音が街のあちらこちらで軽快なリズムを奏でている。

 今日は、祇園祭ぎおんまつり宵山よいやま

 夜のとばりの降りた街を、多くの人が行き交う。

 人の波に浮かぶ船のように、山鉾やまぼこが一際明るく煌々と提灯を灯していた。


 あおいは、人の流れにどこか乗り切れず疲れた足を動かす。

 慣れない黒パンプスが足に痛い。リクルートスーツのシャツが汗で肌にへばりつくのが不快でならなかった。

 それでも人通りの多い路地を歩き続けていたのは、家に帰りたくなかったからだ。

 今日も就職面接は上手くいかなかった。もうどれだけの『今後一層のご活躍をお祈りいたします』という文言で締められた不採用通知を受け取ったことだろう。家に帰れば、また次の面接の準備や、エントリーシートを書かなければならない。

 いい加減、辞めにしたかったが辞める訳に行かないから、足が重い。

 楽しそうに浴衣ではしゃぐ人たちの間を縫って重い足を前へと進めていたら、足がもつれて転んでしまった。


「痛ったぁ……」


 あおいは倒れ込んだまま情けない気持ちで泣きたい気分になった。最悪だ。

 大きくため息をついて立ち上がろうと地面に手をついた時、ふいに頭上から声が降ってきた。


「大丈夫? 怪我したん?」


 声のした方を振り仰いでみると、一人の青年が身をかがめてこちらを見下ろしていた。


「あはは。大丈夫です。すみません。邪魔ですよね。今、どきますから」


 慌てて立ち上がろうとしたが、ずきんとした痛みを脹脛ふくらはぎに感じた。見ると、ストッキングが一字に割け、うっすらと血がにじんでいる。

 ああ、もう、本当に最悪。

 立ち上がって怪我を見ていると。先ほどの青年が絆創膏ばんそうこうを手渡してくれた。


「あ……ありがとうございます」


 ふいに、涙が浮かんでくる。小さな親切に、ほっとしたのかもしれない。

 あおいの涙に、青年は慌てたようだった。ますます、申し訳ない。


「ご、ごめんなさい。怪我のせいじゃないんです。今日というか、ここのところずっと良い事なかったから」


 指で涙をぬぐいながら、あおいは無理やり笑ってみせる。


「就職活動中なん?」


 青年に問われて、こくんと頷く。こんな時期にいかにもなリクルートスーツを着ていれば就活で苦労していることは誰の目にも明らかだろう。


「なんだか、嫌になっちゃって。自分って、こんなに価値のない人間だったのかな……って」


 通りすがりの他人に、何を言っているんだろうと自分でも思っていた。でも、そのくらいの愚痴言わないとやってられない気分だった。どうせ家に帰れば一人だ。

 そっか……大変やねんな。と青年は呟く。そして彼は、何か思いついた様ににっと笑うとあおいの腕をとった。


「ちょっと、付き合わへん?」


「え!?」


 強引に引っ張られ、あおいは戸惑うが、青年は「変なとこ連れてくわけちゃうから」と言って笑うのだった。

 圭吾と名乗ったその青年は、あおいを一つの山鉾の前へと連れて行った。


「祇園祭の山鉾はな。動く美術館、言われとるんやで」


「美術館?」


 途中で買った綿菓子を食べながら、あおいは聞き返す。圭吾は瞳に提灯の灯を映しながら、にっと笑った。


「山鉾の装飾には何百年もの間に集められた国内外の美術品がぎょーさん使われとるんや。特に、周りに垂れた絨毯はペルシャやらヨーロッパから来た博物館級に貴重なものも多いらしいで」


「へぇ……そうなんだ」


 そう言われてみると、なんだかとても有り難いもののようにも思えてくる。


「特に、あの絨毯な」


 圭吾が指さしたのは、北観音山きたかんのんやまの山鉾にかけられた一枚の絨毯。それは、真ん中に青く八角星の刺繍が施された幾何学模様の絨毯だった。


「面白い模様……ですね」


「17世紀のオランダの絵画にな。頻繁にあのデザインの絨毯が描かれとるんや。でも絨毯自体は、現在では現物はほとんどが失われていて。幻の絨毯、言われてたんや。当時の画家の間に流行った共通イメージにすぎなくて、ホンマには存在しなかったんじゃないか言う学者もいた」


 あおいは、え?でも……という疑問を顔に浮かべて目の前の八角星の絨毯を指さす。

 圭吾は、こくんと頷く。


「ここに。祇園祭の山鉾に、残っていたんや。こんなに状態良く完全な形で残っているのは世界を探しても他になかったから世界の関係者が驚いた」


 へぇ……そんな貴重なものなんだ。とあおいは、しげしげとその絨毯を覗き込む。

 その様子を、圭吾は楽し気に眺めていた。


「そやけど、簡単に今まで残ってたわけとちゃう。曲げずに保管するために特製の桐箱を作って、その中に吊るして保管したんや。そうやって何百年も大事に大事にしてきたから、今まで残った。価値ちゅうもんは、初めっからついてくるもんと違う。大事に大事に育てることで、高まってくもんやと、俺は思う」


 圭吾は、あおいの頭をぽんぽんと軽く叩いて笑んだ。


「だから、自分で自分の価値を評価してしまうなや。あんたの価値はこれから作ってくもんやろ? 今の時点で誰かが勝手に下した評価なんかにクヨクヨすんな」


 その時になって、ようやくあおいは自分のことを言われているのだと気付いて、照れ臭そうに笑った。


「不採用通知ばかりもらって、自分に価値がないように思えていたけど。ちょっと元気出たかも。ところで、圭吾さんって、何してる人なんですか? 会社員?」


 圭吾は、気まずそうに頬を指で掻いた。


「大学院の博士課程をもうすぐ終えるけど、春からの就職先が決まらへんくて」


「あー、なんだ、私と一緒なんじゃないですかー!」


「あはは。だから、今のは自分に対しても言うた言葉なんや。まぁ、なんや、お互い頑張ろうや」


 笑いあう二人の顔を、山鉾のあたたかい光が照らしていた。

 祭りはまだ、これから。沢山の人の願いを取り込んで、さらに一層の輝きを放つ。

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