最終夜
「では……冥界に参りましょうか」
死神さんが、白い骨の手を私の前に出す。
「その前に……」
私は、イワンさんの手を引っ張った。イワンさんが、おずおずと死神さんの前に出る。
「彼……イワンさんが天使をやめるので、冥界に連れて行って欲しいんです」
「旦那ぁ~、頼むヨォ~」
私とジャックに頼みに、死神さんは小さく息をついた後、イワンさんに向いた。ビクリと、イワンさんが身体を強ばらせる。
「……天使に未練はないな?」
「はっ……はいっ!!」
イワンさんが直立不動の姿勢で答える。死神さんは、イワンさんに後ろを向くように言って、じっくりと背中の小さくなってしまった、白い翼を見た。
「どのみち、これだけ聖なる力を使ってしまっていては、もう天国には帰れない。天国に戻れないなら、お前は只の死者。冥界の管理下に置かれる」
「はい」
「冥界で天使を辞める手続きを取るが、相当向こうになじられるのは覚悟しておけ」
「はいっ!」
イワンさんは、更に姿勢を正して答えた後、私とジャックを見て、小さくVサインを送った。
「良かった……。イワンさんも、その『生き返りの輪』というのに戻れます?」
「はい。彼も今となっては只の死者ですから。冥界で過ごすようになれば、戻れるでしょう」
「ワぁーイ!!」
「良かったね!」
イワンさんは、ぺこりと私達に頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に鞠亜さんとジャックには、何とお礼を言っていいか……」
ぐすんと鼻を鳴らす。
「やっとこれで、私も安らかな日々を送れます」
彼は目を潤ませながら、もう一度、私達にお礼のお辞儀をした。
「では、参りますか」
再度死神さんが手を出す。
「はい」
それに自分の手を置いて、私はびくりと手を引っ込めた。
「鞠亜さん?」
イワンさんの戸惑う声が聞こえる。私は黙って、手を出したままの死神さんを見つめた。
ジャックやイワンさんと違う、冷たい氷のような手。つるりとした触り心地。そして、目の前の骸骨……。
そっか……私はこれから、死者の国に行くんだ……。
死んでいるのだから当然なんだけど、私は彼の冷たい手に触れて、その姿を見て、改めてそう思った。
今までのジャックやイワンさんとの、楽しいハロウィンの時間が、波が引くように引いていく。
そして脳裏に浮かんだのは、あの事故。お母さんにしがみついた女の子。頭を抱えて座り込んでいるサラリーマン。泣きながら電話している友達。
……ああ、私、本当に、死んだんだな……。
ふいに涙が出てくる。今まで、ずっと考えないふりをしていた思いが、今更だけど、死んだと自覚した途端溢れてきた。
「鞠亜さん!?」
ボロボロ泣き出した私に驚くイワンさんを、死神さんが止める。ジャックがあの時、出会って間もない頃、私にどうして落ち着いているかと訊いたときのようにやってきて、私の足にピタリと寄り添い、左手を取って撫でた。
「いい子……イイ子……」
その声に更に涙がこぼれる。
「わ……私……いい子じゃない……よ……」
溢れてきた思いを口から吐き出す。
「わ……私……ヒドい子だよ……!!」
ジャックの声に、首を振って叫ぶ。
「私……死にたくなんてなかったっ!!」
あのとき、どうして車が、歩行者天国に突っ込んできたのだろう。
あのとき、どうして女の子が、その前にいたんだろう。
そして、あのとき、どうして私は彼女を庇って、車の前に出たんだろう!!
口にすると、あの女の子が自分の代わりに死ねば良かったと思っているようで、考えないようにしていた。でも……でも……私、本当はあの子を庇って死にたくなんてなかった!!
「私、生きたかったよ……! 友達とハロウィンが終わったら、大学祭にいく予定をしてたんだよ……! ずっと行きたくて、高校生になってようやく許可を貰った、初めての大学祭……! 頑張ってコンサートのチケットまで取ったんだよ……!!」
なのに……なのに……。
「去年は受験で何も出来なかったから、クリスマスはカラオケで、お正月は皆で神社に参って、新しいアウトレットの初売りに行こうって、いろいろ考えていたんだよ……!! それにもう、お母さんとお父さんとお兄ちゃんに会えないんだよ……!! お別れも出来なかった……!!」
ボロボロ、ボロボロ、泣きながら叫ぶ。
「お母さん、お父さん、お兄ちゃん……!! 会いたいよ! 別れたくないよ! さよならぐらい言いたかったよ……!!」
両手で涙を拭う、拭っても拭っても涙が出てくる。
「私、生きていたい……!! どうして、私が死ななければならなかったの……!!」
ひたすら泣き叫ぶ。そんな私を黙って見ている死神さんの横で、イワンさんが俯いている。
「……イイ子……いい子……」
繰り返し繰り返し呟きながら、私の手を、ジャックはずっと撫で続けていた。
「……イイ子……いい子……」
叫んでも、喚いても、優しい言葉は繰り返される。
暖かい小さな手が、私が救った、女の子の小さな身体を思い出させる。
荒れる思いが二つに導かれて、ようやく終着点にたどり着く。
……時間は戻らない。あのときに来た車は戻らないし、女の子も戻らない。そして、飛び出した私も……。
気が付くと寝待ちの月が東の空に高く上がっていた。泣き疲れ、ようやく涙が枯れて、顔を上げる。イワンさんが、私のカバンからハンカチを出し渡してくれた。
「ありがとう……」
涙を拭く。悪魔が来るまで、あんなに、のほほんと遊んでいたのに、急に泣き喚いて、恥ずかしくなって、ハンカチで顔を覆って離せないでいると
「気にしないで下さい。私は死者に死を自覚させるのも役目ですから」
死神さんが、カクリと笑った
そうか……それで彼はこんな冷たい手で、骸骨の姿なんだ。
「ヒドいこと言っちゃった……」
「突然の死です。当然ですよ」
死神さんが慰めてくれる。その横でイワンさんも神妙な顔で頷く。
「……イイ子……いい子……」
まだ、手を撫で続けてくれているジャックに、私は屈んで向き合うと「ありがとう。もう、大丈夫だよ」とカボチャ頭を撫でた。
「本当?」
「うん」
「良かッタァ~」
ジャックがケタケタと笑う。そんな彼に、イワンさんが何か囁いた。
「解ったヨォ~」
ジャックは私を指した。
「Trick or Treat!!」
ボン!! 白煙が私を包み、実体化が解けたのか少し身体が浮く。そして……。
「うわあ~」
私が着ていた服が変わる。昭和初期の古風な柄の振り袖。おばあちゃんが大切にしていた形見の着物。
『おばあちゃん、これ、私、成人式に着るから!』
と言って貰った着物を私は着ていた。
『お母さんの若い頃の、このモダンな柄の帯を合わせるといいわね』
その帯も締めている。シャラン……と耳元で音がして、イワンさんから返して貰ったカバンから、鏡を出して見ると、髪も綺麗に結われて、赤い鹿の子の手柄に、可愛いかんざしが飾られていた。
「ありがとう! ジャック、イワンさん」
「鞠亜さんの希望で、一番それがはっきりと見えましたので……」
イワンさんがピコピコと背中の小さな翼を動かしながら、頭を掻く。
「もうこれくらいしか、天使の力は使えませんが……」
「ううん! すっごく嬉しい!」
私はカバンから、お財布をイワンさんに、残っていたお菓子の包みをジャックに渡した。
「これ、私の供養だと思って、二人で使って食べちゃって」
「うン!」
「はい」
「では、参りましょうか」
死神さんが再再度、手を出す。今度は、その冷たい手をしっかりと握り、私はジャックを振り返った。
「じゃあ、ジャックの業、私、持って行くから渡してくれる?」
ジャックが白い手袋の右手を出す。ポウ……とそれが光り、その上に小さな可愛い、オレンジのカボチャの鈴が現れて、チリンと音を立てて、彼の手の平に落ちた。
「ハい。お願イするヨォ~」
私はそれを指で摘んだ。チリン。また音が鳴る。本当に小さくて軽い鈴だ。
「これ……だけで良いの?」
「ウん。沢山渡して、キミが『生き返りの輪』に、入レナクなったら困ルからネェ」
ケタケタとジャックが笑う。
「そう……」
私は鈴を帯に挟むと、また屈んで、ジャックをぎゅっと抱き締めた。
「私、先に『生き返りの輪』ってところに行っているから。そこで、回りながら、二人が来るのを待ってるね」
「ウン。ボクも逝クかラァ~」
「はい。いつかまた、お会いましょう」
立ち上がった私に、二人が手を振る。私は手を振り返して、死神さんについて歩き出した。
「ありがとう。本当に楽しいハロウィンだったよ!」
暗い冥界の入り口に足を踏み入れる。
チリン……。帯に挟んだ小さなカボチャの鈴が導くように鳴る。
ふわりと後ろから白い羽が飛んできて、柔らかな明かりが私の足下を照らしてくれた。
「逝きましたねぇ……」
「逝ッチゃったネェ~」
ほとんど明かりの落ちたビル街の路地で、小さな白い翼を生やした、さえない元天使と、何百年もさまよっている、カボチャ頭が呟く。
「良い子でしたね……」
「イイ子だったネェ~」
聖人でも、善人でもないが、人間らしく、笑って、泣いて、怒って、許すことの出来る、本当に良い子だった。
「……だから冥界は、なにがなんでも、あの子を『生き返りの輪』に戻したかったのですね……」
天使になって天国で暮らすより、地獄で悪魔の虜になるより、あの子は人の隣にいるのが、一番相応しい子だったから。
「さて……」
隣でボリボリとポップコーンを食べているカボチャ頭を、元天使は見下ろいした。
「故人の遺言でもありますし、行きますか」
まだまだ、ハロウィンの喧噪に溢れる通りへ。
「勿論だネェ~」
二人はにっと笑い合った。
「Trick or Treat!!」
さまよいジャック ~良い子とカボチャの騎士達~ END
さまよいジャック ~良い子とカボチャの騎士達~ いぐあな @sou_igu
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