皆生の湯の味

誉津 天

第1話

 私たちは全国大会を目指していた。そのためにどれぐらいの時間を費やしたのだろうか。どれぐらい自分の体をいじめたのだろうか。そんなことは分からない。ただ分かっているのはそのためにあらゆるものを犠牲にしたということ。


 その結果私たちは全国大会に出場することが出来なかった。いや、それだけではない。


 私たちは県大会二回戦、普通のどこにもある……悪く言えば面白味のない公立高校にボコボコにやられた。

 その高校がそのまま旋風をおこして全国大会出場したとかなら私の傷は浅かったかもしれない。しかし現実は非情だ。


 その高校は次の対戦相手である私立高校に手も足も出なかった。そしてその私立高校は別の高校に決勝で負ける。私はあの時恐ろしい食物連鎖を見た。と、同時に自分の立っている場所は植物の咲かない壮絶な物だということにその時気づいた。


 それは鳥取砂丘……いや、サハラ砂漠のような場所だ。そこで食物連鎖のトップに立つとかとんでもない発言をしていた。私たちはシマウマみたいなものだ。ライオンとまともに戦って勝てるわけない。


 という訳で私はこれ以上全国大会出場に時間を費やすのはやめた。シマウマは所詮シマウマなのだ。醜いアヒルみたいに突然白鳥になったりすることなどあるわけがない。


 そのはずだったのに私と同じ部活に所属して友達でもあるなっちゃんは、一緒に走ろうとかなんとか言って誘ってきた。もう全国大会とか目指すのは嫌だ。だから練習したくないと当然言った。もうあんな悔しくて惨めな思いなどしたくなかったのだ。


 そうするとなっちゃんは柔和で愛らしい笑みを浮かべながら、それじゃ大山の上に朝日が昇る瞬間を見に行こうよ。そうすれば、ほら。練習で走っているんじゃなくなるでしょ。そんな事を言われ、結局半強制的に一緒に走ることに。


 新人戦が終わってからずっと家に引きこもっていたせいか、体は言うことを聞いてくれない。国道431の登り坂を上り日野川を越える辺りでは、湿った吐息を地面へ大量に漏らしていたと思う。


 そして私たちは何とか皆生温泉の街に到着した。時刻は7時。

 こんな早い時刻から目を覚まして温泉に入る人なんていない。そんなことを考えていたが更衣室では4、5人が裸になり風呂場へ向かおうとしていた。


 私たちもその人たちについていくかのように風呂場へ。

 さっきまで走っていたせいか背中からは滝のように汗が流れており、海に入ったあとのような粘りつく気持ち悪さがあった。


 私は即行その汗を水で流す。


「そういえばさ、人間の汗って暑さによるもの、動き回ってかいた汗、ストレスによる汗。全部味が違うらしいんだよね」


 と名和が言ってきた。私は背中をタオルでごしごし洗いながらへぇと簡単に返事をしてみる。


「そして動き回ってかいた汗と涙の味は同じなんだよ」


 私は蛇口のボタンを何度も何度も連続で押す。こうでもしないと水が勝手に止まって面倒くさい。


「さらに、その涙の味とこの温泉の味は一緒!」


 と何故か嬉しそうに名和が言う。その話しはどこかで聞いたことがある。この皆生温泉は塩化物泉で塩っぽい味がすると言うことを。

 最も私はこの温泉の水をなめてみようとは思わない。どうも人の入っている湯船のお湯を舐めると言うことは他人の肌をなめると等しいといった感情があり抵抗してしまう。


「ちょっと、お湯をなめてみてよ」


 そしてなっちゃんはそんな無茶ぶりを言う。私は全力で首を降った。


「いやよ。風呂場のお湯をなめるなんて」


 先にお湯へ入っているから。そう言って私は立ち上がり、露天風呂の扉を開けた。

 目の前には日本海の海岸。砂浜で男子大学生らしき人物がワイワイはしゃいでいる。少なくとも地元の人ではない。なんとなくそう思った。

 露天風呂には特殊なガラスが張られていて外から私の姿が見えないと分かっていても咄嗟に胸を隠し湯船に体を落とす。


 その瞬間キラキラ目映いほどの水しぶきが跳び跳ねる。そしてそれはぺチャリ。私の腕についた。


 汗だ。


 生暖かく、のりを水滴混ぜたかのような気持ち悪さ。


 涙だ。


 私の頬には一滴の水滴が流れる。


 そういえばあの時の私の汗の味はどんなのだったのかな? ただ、ただ悔しさだけが勝りそのような事を考えたことはなかった。


 私は悔しいという感情を味わうのが嫌だった。その時の涙は不味いものだと勝手に決めつけていたからだ。


 そういえば名和が言っていた。この温泉の水と汗は同じ味だと。

 なめてみようかな。そうすればあの時の涙の味。試食分ぐらいには分かりそうな気がした。


 私はキョロキョロ。人がいないことを確認して、ゆっくりと舌で雫がついた指先にくっつける。


 塩だ。しょっぱい。


 でも何故だろうか。少しばかり美味しく感じる。なるほど、あの時私はこんな味の汗をかいていたのか。


 もう一度汗をかいてみようかな。こんな塩っぽい。


「おぉ……今日は大山綺麗に見えるね」


 となっちゃんが露天風呂へ入ってくる。華奢な彼女の体にはいくつか細い赤色の傷が入っていた。そういえば彼女は私たちの部活でも一番必死に練習をしていたっけ。


「ねぇ、なっちゃん」


 私はゆっくり、山頂がオレンジ色に染まる大山の方へ視線を移していう。西側にある弓ヶ浜はいつも通りの日常が始まろうとしていた。


「私、もう一度全国大会目指そうかな」


 するとなっちゃんは相好を崩した。


「全国と言わずに東京オリンピック目指そうよ」


 そんなの無理に決まっている。だけど不思議と出来そうな気が少しだけしていた。


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