結末の一行の、はかない美しさに打ちのめされた。

本作は、日本人が「原風景」と思っている(思い込んでいる)風景を、よく見られるノスタルジックなお膳立てで物語化したものではある。だからそこに新奇性はなく、展開されるものごとに新しい驚きはない。

しかし、「六月のこと」のタイトルで始まり、「六月のこと」の一言で閉じるこの小説は、まさにこの閉じ方によって文芸作品として美しく仕上げられた。語り手の感情を離れ、一歩引いたところから幕を落とすことで、叙情性に寄りかかった凡百の「なつかしいふるさと」を描く駄文から一線を画し、小説、物語としての舞台に立たせている。


ノスタルジーをくすぐることで、作品は容易に「それらしさ」を持ってしまう。だからこのテーマで書くと、生半可な書き手は、「らしさ」を得るだけで手を止めてしまうものだ。いかにもなお涙頂戴。しかしそれでは、その場で読者の心を揺るがせることはあっても、長く心に刻まれるものにはなれない。

本作の幕切れは、物語をそうした「それらしさ」から先に進め、「それ」そのものにする美しい力を持っていると言えるだろう。

そこに至るまでの二行の助走も良かった。しかしここは言葉が有り体で安っぽい。ここも「らしさ」から「それ」そのものとして書けていたら、さらに美しさが増すことだろう。