九頭龍さんの社(やしろ)

輝井永澄

九頭龍さんの社(やしろ)

 僕がこの山に「神」としてやってきてから、だいたい千と五百年くらいの時間が経った。


 だけど彼女は、僕より遥か昔からこの地にいて、その頃からずっと変わらず、のんびりと過ごしている。



「あたしに言わせれば、あんたたちは人間に関わり過ぎというものよ」



 それはこの千五百年ものあいだに、何度も繰り返した話題だ。



「あたしたち神ってのは、そこに存在すればそれでよい。たたりだとか、いちいちめんどくさいではないか」


「別に僕らだって、今さらそうちょくちょくと祟りを落としてるわけでもないよ」



 苦笑しながら僕が反論するのも、いつものとおりだ。



「それに、人間たちが秩序と社会を形成するためには、法と国とを保証する人間の神が必要だったんだよ。それはわかるでしょ?」


「ふん、人のことをまるで無法者のように」


「そうは言ってないけど、まぁでも、実際君はいわゆる、『荒ぶる龍神』だし……」


「あんたらはそうやって、いつもあたしら龍神を迫害する。出雲いずものオロチだって、欧州のヒドラだって……」



 それを持ち出されると僕は黙るしかない。僕たち天津神あまつかみが、その目的のために対立する土地神と戦い、征服してきたのは事実なのだ。まさか、「龍は水の神なんだから、いい加減水に流せ」などと言うわけにもいくまい。



 心配はしないで欲しいのだけど、別に僕らは仲が悪いわけではない。


 むかし、アマテラスオオミカミが引き籠ったという天岩戸あまのいわとを僕がこじ開け、投げ飛ばした先、岩戸が落ちた場所とされるここが、信濃しなのの国の戸隠とがくし神社。その中でも一番山の奥の方にある、「奥社」と呼ばれるやしろのすぐ隣、「九頭龍くずりゅう社」という小さな社に彼女はまつられている。


 出雲では彼女と同じ九頭の龍神が僕ら天津神の勢力に抵抗し、スサノオノミコトによって討伐されたと聞くけど、ここ信濃の戸隠では、彼女たち土地神は僕たち天津神を、いたって平和的に受け入れてくれた。


 ――いや、少なからず彼女たちの間にも葛藤はあったのだろうと思う。だが少なくとも、この地では戦闘に発展するような争いが起こらなかったことは事実だ。それは彼女が、これからの時代の趨勢すうせいを見極め、平和的な共存と発展の道を模索しようと望んだからだった。



   *



「最近、人間が多いのはポケモンとやらのせいかのぅ。あたしもやろうかなぁ」



 その彼女は今、スマートフォンの画面を眺めながら呑気に寝っ転がっていた。



「少し前からここ、『パワースポット』だって言われて有名になったみたいだよ」


「ぱわぁ……なに?」


「パワースポット。僕ら神の霊力の影響が強い場に身を置くことで、癒しとか力を得よう、っていうことみたいだね。最近の人間たちの流行らしい」


「ふん。人工的な街の中にずっとおれば、そりゃ霊力が不足もしようものよ。人の子も所詮は獣ゆえ」



 そんなことを言っている本人が、足をぱたぱたさせながらスマホを弄っているのだから説得力がない。



「少し前には、山の民しか来んかったもんだがな、ここには」


「まぁ……そうだね」



 それもほとんどは僕の方だけ拝んでいって、彼女の社には気づきもしない。それでも、彼女はそれを気にかける様子もなく、こうしてゴロゴロ過ごしているのだった。僕だってそのことに、歯がゆい気持ちになることはある。



「それこそ、祟りのひとつも落としてやったらどう? もともと君のところの民草なんじゃないの?」



 不満げな声音で言ったつもりはなかったが、自分でも少し驚くくらいの強さの声が出てしまった。それを聞いた彼女は、めんどくさそうに身体の向きを変えて言う。



「あたしのところに住んでる獣には違いないが、別にあたしが支配してるわけじゃない。いわばただの隣人よ。元々、いちいち敬われるわれだってないのさね。ま、社を建てて祀ってくれてるのはありがたいが、もうでに来なけりゃ、来ないまでさ」


「……そんなものかな」


「だからあんたらは、人間にかまい過ぎだってのさ」



 我知らずムッとした顔になった僕を、彼女は面白がって笑う。


 とはいえ、仕方がないのだ。僕たちは秩序をもたらし、世界を発展させることがその役割だ。存在の目的が明確に与えられている。


 しかし彼女は元来、存在することそのものがその役割なのだ。一言で「神」と言っても、厳密に言えば僕と彼女は違う存在だった。それは「混沌」と「秩序」という安易な二元論とも違う。



「……それに、今さらあたしに、祟りをもたらす力なんてないよ」



 ――嘘だ。


 どうして僕たち「天津神」が、最高指導者であるアマテラスオオミカミの名前を使ってまで、この信州戸隠の地を抑えたのか。


 大和やまとの国の中心地である畿内からも遠く、地政学上の重要性は高くない。


 険しい山岳地帯でもあり、北陸へと抜ける街道からも外れたこの山奥。そこに僕ら天津神がわざわざ社を建て、法をかなければならなかった――それはつまり、彼女を恐れたからなのだ。



 僕の社の隣に立つ、彼女の社は小さい。


 しかし、元来彼女に社など必要ない。この山そのもの、更に言えば、日本ひのもとを東西に分かつ信濃の山岳地帯、その全てが彼女の社だと言ってもいい。


 人間たちは――いや、山の中にむすべてのものたちが、この大地、そして、この大地から流れ出るすべての川、すべての水、その恩恵に浴し、また荒ぶるその力をおそれ、そして共に生き、死んでゆく。この地のすべての生命が、彼女の掌の中にある。


 大地そのものを畏れ、敬い、そしてその恵みも怒りも分かち合う。戸隠の地はそうした山岳信仰の中枢だ。


 出雲の国のヤマタノオロチや、箱根の九頭龍と同等か、或いはそれ以上の実力を持つ、日本ひのもと最強のドラゴン――


 彼女と戦うことにならなくて、本当に良かった。



   *



「お、ここの参道にはなかなかのレアポケモンがいるらしいぞ!?」


 僕らの親愛なる隣人、戸隠の山の九頭龍。


 五百年杉の立ち並ぶ参道を2kmほど登れば、僕の社のすぐ下に、彼女の小さな社がある。


 梨が好物らしいから、持っていったら喜ぶんじゃないかな。

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九頭龍さんの社(やしろ) 輝井永澄 @terry10x12th

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