なにもない

鋼野タケシ

なにもない

 十年ぶりに父のふるさとを訪れた。


 青森県、北津軽郡の中里町。今は名前が変わり中泊町という名になっている。

 中学の頃までは、お盆になると毎年のように父方の実家へ帰っていた。高校生になると部活の忙しさで行かなくなり、大学に入って、社会人になって、だんだん父の田舎とは疎遠になっていった。


「なにもない田舎だよ」と、父はふるさとを語る時に必ず言う。

「太宰治と吉幾三の出身地に近い。それしか自慢がないんだ」

 自然豊かな土地というのは、子供のぼくには楽しめる場所ではなかった。周りは田んぼばかりで遊ぶところもない。一人っ子だったし、田舎には年の近い相手もいない。ぼくはいつも家から持ってきた本を読んでいた。

 都会の軟弱な子とでも思われていたのだろうか。本を読んでいると、祖父によく散歩に誘われた。


 祖父についての思い出と言えば、とにかく早口で強烈な津軽弁を話していたことだ。怒鳴っているのかと思うほどのボリュームで畳みかけるように話す。

 声音が優しいので怒られていないとはわかったが、なにせ喋っている内容がわからない。祖父が話している時、ぼくはいつもポカンと口を開けて聞いていた。

 外国語を聞いているのとは違う。聞き慣れた言葉と知らない音節が繋がっている感じ。何度も聞いていたらわかりそうなのに、どうも言葉が上滑りするように頭の中で意味を結ばない。その感覚が楽しくて、ぼくは祖父の津軽弁を聞いているのが好きだった。


 一緒に散歩している時は、ほとんど喋らない。ときどき口を開いたところで、祖父が何を言っているのかわからない。田んぼ沿いの川を指さして、猛烈な津軽弁でまくしたてる。ぼくは意味もわからず相槌を打った。すると祖父は川面のすぐそばまで下りて行き、何かの植物を摘んできた。

 太く長い茎の先端は、きりたんぽのような形をした茶色い円柱になっている。ガマの穂という名前だと、あとになって父に聞いた。


 祖父はガマの穂を何本か摘むと満足したようで、帰路についた。行きも帰りもぼくの目に映る景色は変わらない。どこを見ても田んぼばかり。コンクリートが割れてがたがたになった道路の上を、思い出したように軽トラックが走っていく。


 摘んだガマの穂は、玄関前に新聞紙を敷いて干した。お墓参りの時間になると、水やお供え物の他によく乾かしたガマの穂も持っていく。この地方特有なのかわからないが、お墓参りは昼と夜の二回に分けて行う。夜の墓場は真っ暗で、提灯の灯りしかない。でも、不思議と怖くはなかった。お盆の時期だから人が多かったし、何より提灯のオレンジの光が幻想的に感じられた。

 我が家のお墓は、大きな木の根元に建てられている。名前も知らないご先祖様に手を合わせて、お線香をあげて、お供え物をする。

 それから、ガマの穂に火をつける。


 田舎でぼくが楽しみにしているのは、唯一このお墓参りの時だった。先端に油をかけ、火をつけたガマの穂は煌々とあたりを照らす。真っ暗闇の中で光るガマの穂を見て、ときどき振り回しては両親に怒られた。

 お盆の迎え火か、送り火か、あるいは電気のない時代には照明の代わりとして使われていたのかもしれない。ぼくはガマの穂を燃やす意味を知らなかった。ただ、幼い心にその火のきらめきは美しく見えた。


 今年、祖父のお葬式があった。

 十年ぶりに見た祖父はすっかり痩せこけて、青白い死に顔を見ているのは悲しかった。頑固と偏屈を練り固めたような父が涙を浮かべていたから、ぼくは気付かないふりをした。


 ぼくはお葬式のついでに、十年ぶりの墓参りも済ませた。ちょうどお盆の時期で、子供の頃のぼくのように燃えるガマの穂を振り回している子供がいた。

 十年もたてば東京の姿はすっかり変わる。だけどこの場所はほとんど変わっていないように見える。祖父はいなくなった。変わらないはずがないのに、この場所は十年という時を感じさせない。

 どこまで行っても田んぼ。手入れされずガタガタになった道路。川沿いに生えたガマの穂も変わらない。一両編成の車両が、ゆっくりと田んぼの間を走っていく。


 翌日も仕事だったから、ぼくは父の運転で新青森駅まで送ってもらった。

「不便な場所だよな」運転をする父が言う。「なにもない場所だよ」

 なにもないと語る父の声は、故郷を懐かしみ、自慢しているように聞こえた。

 冬になれば大雪に閉ざされる、なにもない田舎。この場所で祖父は育ち、父は育った。

「たしかに、そうだね」

 夏の青空が広がっている。太陽の日差しが照り付けて、じりじりと暑い。それでも日陰は涼しくて、日が沈むと肌寒さすら感じる。

 真っ青な空と、遠くに霞むいわき山。実った稲穂がそよそよと揺れるたび、緑色のコントラストが波のようにうねる。風の音が聞こえる。


 ここにはなにもない。なるほど、たしかにそうだ。

 子供のころからそう思っていた。大人になった今も変わらない。

 ここにはなにもない。人が生きるために必要なもの以外は、なにも。

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なにもない 鋼野タケシ @haganenotakeshi

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