白いヒカリ

小鳥遊

第1話

 あたしは夜のいきものだ。

 太陽の光のあるところでは生きていけない。あたしたちは太陽に嫌われてしまった、ちっぽけな夜のいきもの。


 あたしたちは太陽の光に長い時間当たれば死んでしまう。陽の届かない暗い洞窟の中で暮らし、太陽が沈んだ後に目覚め外へ出て、夜が明ける前に眠りにつく。昼間起きることは滅多にない。


 だからあたしは生まれてから今まで、太陽を、太陽の光を、見たことがない。

 当たり前だけれども。



 空を見上げてみる。今日は満月だ。

 洞窟の外には草原とまばらに生えている木しかない。丸い月はまばゆい光を放ちながら夜の世界を照らしている。

 あたしたち夜のいきものは、基本的に光という光すべてが苦手だ。少しの光でも眩しいと思う。

 そして自らの生命を奪ってしまう太陽を、みんな嫌っているし恐れている。月が大好きだというものも少ない。むしろ満月なんかはすこぶる評判が悪い。辺りを見渡してみても、外に出ているのはあたしだけみたいだ。


 涼しい風がさらさらと草木を揺らす音がする。

 空に耀く月は眩しいけれど、とっても綺麗だ。それに照らされた世界も。暗い洞窟の中とは全然違う。

 私はこの光が大好きだ。眩しいけれど、それでも。理由は自分でもよく分からない。ただ、綺麗な光に包まれた世界をいつまでもずっと見ていたいと思う。


 そしてこんなに耀いている月よりも、太陽はもっとずぅっと耀いているのだという。

 やっぱり綺麗なんだろうか…。

 あたしはいつからか太陽の光が溢れる世界を見てみたい…!と、思うようになった。好奇心は人一倍強い。


    ***


 ある日、不思議な夢を見た。

 真っ白で、それ以外何も見えない。ただ、あたしは泣いていた。それだけは何となく分かった。


 あたしが目覚めると、いつものように既に太陽は沈んで―――

 ―――いなかった。驚いたことにまだ昼間だ。こんなこと今まで一度もなかったのに。さっきの変な夢のせいだろうか。


 洞窟内は心なしかいつもより少し明るく暖かいように思えた。そのまま、また眠りに就くのは勿体ないような気がして、昼の洞窟内を少し散歩してみることにした。

 あたし以外に起きているヒトは誰もいなくて、洞窟内はシン――と、静まり返っていた。いつも、とは違うその光景がなぜだか妙に可笑しくて、あたしは声に出さずに笑った。


 軽い足取りで歩いていると、いつの間にか外に出る扉の前に来ていた。重い扉は相変わらずピタリと閉ざされていたけど、ごくごく狭い隙間から光がこぼれているのが見えた。

 綺麗…。思わずため息が出た。これが、太陽の光。月とは全然違う。月の光よりもキラキラで鋭くて、何より熱を持っている。触れなくても、分かる。

 外はどうなっているんだろう…。こんな、たったこれだけの光じゃなくて、きっともっと、たくさんたくさん、光で満ち溢れている…!


 眩しすぎる太陽の光を見れば、あたしの眼は潰れてしまうかもしれない。

 熱すぎる太陽の光に当たれば、あたしは焼け死んでしまうかもしれない。


 でも、太陽の光が溢れる世界を見てみたい。

 あたしの心の中にただ一つの思いだけがふつふつと湧き上がって支配した。その好奇心には、恐れも心配も敵わなかった。



 思いついたら止まらない。あたしの行動力はすごいと思う。

 あたしは自分の部屋に戻って大きな黒い雨傘を引っぱり出した。

 昔、誰だったかから貰ったそれはあまりにも可愛くないデザインのため一度も使うことなく押入れの中で眠っていた。それがこんな形で役に立つなんて…。捨てずに取っておいてよかった。


 もう一度扉の前に立つ。大きな雨傘を差して。自然と柄を握る指に力が入る。

 へたをすれば死んでしまうかもしれない。だけど直接太陽の光に当たったりしない限り大丈夫!だいじょうぶ、ダイジョーブ…!!

 何度も心の中で呟き、大きく深呼吸をする。

 ――よし、行こう!!

 カクゴを決めてあたしは扉の取っ手に手をかける。



 眩しい――!

 あたしは思わず眼を閉じる。そして下を向いておそるおそる目を開けてみる。あかるい。草の色が夜とまったく違う。これが、昼の世界。太陽の光が支配している世界。

 あたしは足が竦んでそれ以上前に進む事ができなかった。視線も足元から上にあげられない。堪らなくなって洞窟の中へ逃げるように駆け込みそのまま部屋へと走る。後ろで扉がバタン、と思った以上に大きな音を立てて閉まるから、誰か起きてこないだろうか、と心配になって耳を澄ます。物音は特にしない。静かなままだ。少しホッとして、極力静かに、だけど急いで走る。


 部屋に戻るなり傘を投げ捨てベッドへダイブし布団を頭からかぶる。

 手を胸に当てる。心臓がドキドキしている。胸がいっぱいで詰まりそうだ。苦しい。頭の芯が痺れている感じ。全身がなんだか火照って頬が紅潮している気がする。

 どうしたんだろう、あたし。自分が自分じゃないみたいだ。

 こんな感覚は初めてだ。何とか落ち着こうと深呼吸を繰り返す。でもまだドキドキは収まらない。


 しばらくそうやって横になっていると、ある想いがあたしの中に深く根ざしているのに気が付いた。


 もう一度、もう一度光溢れる世界に出てみたい――


    ***


 それからというもの、ほぼ毎日あたしは雨傘を差して昼の世界に出た。

 初めは感動する余裕もないくらい緊張して、ただつっ立っていることしかできなかったけど、数日も経てばだんだん慣れてきて、ゆっくりと周りの景色を見る余裕が出てきた。

 太陽が支配する世界はあたしの想像をはるかに超えていた。夜の世界とはまるで別物。まずにおいが違う。夜よりも軽やかでふわっとしている。空気があたたかい。虫もたくさん見かける。蕾しか見たことのなかった花が色鮮やかに咲いている。少し目線を前にやれば上に向かうほど徐々に濃くなっていく抜けるように澄んだ青空がある。


 本当に綺麗だ。太陽の光がすべてを包み込むように照らし出して、眩暈がするくらい、明るい。眩しい。だけどずっとこうやって光が溢れる世界を見ていたい。上を見上げることはできないけれど。それでもココにいたい。


 あたしは、光を近くに感じていたいんだ。


    ***


 その日、昼の世界へ出ると、見事なまでに曇っていた。光は差していないけど、突然雲の切れ間から差し込んでくるかもしれない。だからいつものように雨傘は差したまま。昼の世界にいる限り油断はできない。あたしは夜のいきものだから。

 でも、やっぱり光が差していないという状態はあたしを気軽にさせた。そのころにはもう昼間に外に出ることにすっかり慣れていたから、あたしは軽くスキップしながら鼻歌まじりで草原を歩いていった。

 いつもは光が熱くて長い時間外に出ていられないけど、その日は曇っていたおかげで大して熱さは感じず、どこまででも歩いていけた。


 ふと眩しさを感じた。あたしは慌てて傘を深く差しなおし、辺りを注意深く見回す。

 少し先の方に雲間から光がこぼれ輝いている場所があった。あたしはなぜかとてつもなく、行ってみたい!という衝動に駆られた。きっとそこは眩しいんだろう。熱いんだろう。それでもあたしは行かなくちゃいけない!

 初めて扉の隙間からこぼれている光を見たときと同じくらい、いや、それ以上の想いがあたしの中を駆け巡る。それはもう好奇心とか、そういったレベルじゃなくて、運命のような直感的なものだった。


 日溜まりのなかには石があった。両手にキチンと収まるくらいの不思議な石。太陽の光を受けてきらきらと輝いている。でもそれは、光を反射して輝いているんじゃない。その石自体が光り輝いていた。眩しいけど、見れない程じゃない。柔らかな光。ちょうど太陽をそのまま小さくしたような。もしかしたら太陽の子供かもしれない。

 雨傘で石に降り注ぐ光を断って影にしてみても石は光っている。この石は闇の中でも輝けるんだ。そう思って指先でそうっと触れてみる。熱くはない。暖かい。

 顔がほころぶ。あたしはほとんど何も考えず石を手に取り、洞窟へ戻った。


 部屋に帰り着く。石は輝いている。太陽の光の下で見たときよりも光が弱い気がするけど、それでも綺麗だ。太陽を直接見ることはできないけど、この石だったらずっと見ていられる。

 なんだか自分だけの太陽ができたみたいで嬉しかった。


    ***


 大きな黒い雨傘と、小さな光る石を持って、太陽が支配している世界に繰り出す。

 それがあたしの日課となった。

 太陽の光が当たるところに石を置いてやると、石は嬉しそうに光を増す。洞窟内での光よりもこっちの方がやっぱり綺麗だ。

 きらきらきらきら。

 この光を見ているとなんだか心の中が暖かくなるような、幸せな気持ちになる。こうやって太陽の光の中のこの光を眺めている時間が、あたしは一番好きだ。堪らなく好きだ。


 普段はちょうどいい大きさの箱に石を入れ、一人になると飽きることなくずっと眺めていたりした。あたしは部屋にこもる時間が自然と増え、昼間起きているせいか寝坊しがちになった。

 ―――何かあったらいつでも言ってね。相談に乗るから!

 そう友達やお母さんが心配してくれる。

 だけどあたしは何も言わない。言えない。言えばきっと幸せなひとときは壊れてしまう。みんな光を嫌ってるから。だから誰にも知られちゃいけない、あたしだけの、ひみつ。


    ***


 最近身体の調子がおかしい。ひどくダルイ。どうやら熱が出たようだ。

 あたしたちは太陽の光に当たると熱が出る。逆に言えば太陽の光に当たらなければ熱は出ない。

 熱が出たことをお母さんに知られてしまった。そしてそのことはたちまち洞窟内に広がり、あたしが昼間外に出ていることもバレてしまった。あたしはみんなから非難がましい目で見られ、お母さんからは親不孝者だとさんざん罵られた。終いには泣き崩れてしまった。そして熱があるんなら安静にしていなさい、と無理やり寝かしつけられた。

 部屋の外にはあたしが外に出ないようにと見張りがいる。あたしは自分の部屋から一歩も出られなくなってしまった。


 熱は、安静にしていればたいてい治る。微熱程度なら2・3日寝ていれば簡単に治るし、後遺症もない。でもひどい高熱だといくら安静にしていても熱は下がらないし、むしろどんどん熱は上がって最後には死んでしまう。

 あたしは毎日太陽の光が支配する世界に出ていたけど、直接光に当たってたわけじゃないから、そんなにひどい熱ではなかった。ずっと部屋で安静にしていれば治るんだろう。


 一日中寝ているのは暇だから、人がいない限り石を眺めていた。この石のことまでバレなくて本当によかったと思う。外に出られないあたしは月の光すら見れない。この石の光だけが拠り所だ。

 本当は太陽の光が、それが溢れる世界が見たい。見たくて堪らない。思い出すたびに胸が苦しくなる。切ないくて、恋しくて、懐かしい。

 だけど、それはきっともう一生叶わない。熱が下がってもあたしの行動は恐ろしく制限されるんだろう。あたしにはもうこの光しかない。この小さな光る石が唯一の太陽だ。


    ***


 日が経つにつれて熱は少しずつ下がっていった。

 そして太陽の石はどんどん光をなくしていった。

 最初は気のせいかな、と思っていたけど、どうやらそうではないらしい。日に日に光は弱くなっている。今ではもう幽かな光しか感じられない。暖かかった温もりも感じられない。心なしか元気がなくグッタリしているように見える。

 このままだと死んでしまうかもしれない…!そんな考えが頭をかすめた。この石は太陽の子供だ。昼の世界のいきものだ。太陽の光がないと死んでしまうんじゃないだろうか。

 そう思ったら背筋が凍った。熱はどこかへ行ってしまった。


 あたしのせいだ…。

 考えるより先に身体が動いていた。石だけ持って部屋を飛び出す。見張りの人はあまりにも突然の出来事に唖然としていた。あたしはそれに見向きもせず、暗い洞窟の中を走った。


 他にすれ違う人はいない。今は昼なんだと知る。寝てばっかりの生活だったから、そういう感覚が鈍っていた。

 後ろから叫ぶ声がする。見張りの人が応援を呼んだらしい。あたしの以外のたくさんの走る足音。呼び止める声。

 身体が熱い。また熱が出てきたのかもしれない。

 足が縺れてうまく走れない。それでもかまわずあたしは走る。だって、あたしのせいだ。この石から太陽の光を奪ったのは、あたしだ。あたしのせいでこの石は死んでしまう。そんなのは、嫌だ。

 あたしはもう光を、太陽を失いたくない。


 後ろからの声と足音が近づいてくる。いつの間に、あたしはこんなに走ることが下手になったんだろう。体が思うように動かない。外への扉はもう、すぐそこなのに。速く走って、あたしの足。動いて。早く速く…!


 やっとのことで扉に手をかける。全体重かけて押し開こうとするけど重くてなかなか開かない。追ってくる音はすぐそこだ。いたぞ!と声が聞こえる。

 気にしちゃだめだ。全神経を扉に集中させるんだ。扉の向こうには光が満ち溢れてる。ずっとずっと逢いたかった、愛してやまなかった、光。このコだって助かる。

 あともう少しだから、もう少しだから。力を振り絞るんだ。前へ前へ!

 …なんでだろう、涙が、出てくる。少しずつ重い扉が開いていく。光がこぼれる。


 扉が完全に開く。誰かの手があたしの肩に届いた、一瞬。あたしは光に向かって駆け込む。そして草原をひたすら走る。もう誰も追ってこない。いや、追ってこれない。

 声が遠くに聞こえる。誰かが泣き叫んでいる。ごめんなさい…。あたしは本当に親不孝者だ。それでもあたしはこうしなきゃいけなかった。ただの自己満足かもしれないけど。それでも…。


 走れるところまで走った。熱い…。そういえばもうすぐ夏なのかな、と思う。息切れがする。苦しさに嗚咽が漏れる。

 草の上に倒れこむようにして座る。そして石を両手で太陽の光に捧げるように差し出した。石は太陽の光を受けてきらきらと輝き始める。手に、暖かさが伝わってくる。


 ――よかったぁぁぁ…


 心の底から安堵した。

 全身の力が一気に抜ける。仰向けに倒れる。

 目に飛び込んでくる光。太陽の、それ。眩しい。けれど眼を閉じることはしなかった。見ていたい、ずっと。これが、あたしが憧れてやまなかった太陽だ。


 あぁ、やっと会えた―――


 なんて眩しい白だろう。白しか見えない。目の前全部真っ白だ。

 身体が燃えるように熱い。肌がじりじり焼けていく。汗がふき出す。喉はからからだ。もう、数ミリも動けない。力がまったく入らない。


 でも、もうそんな事はどうでもいいんだ。このまま太陽を見ていられるなら、何だっていい。


 全身が乾涸びていくのが解るのに、なぜかあたしの眼からは涙が溢れてきた。とめどなく溢れて止まらない。目の前は涙でいっぱいになる。

 止まれよ。太陽が見えなくなるじゃないか。なんで涙なんて出るんだ。止まれとまれトマレ…!!

 強く念じる。涙を止めようときつく瞼を閉じる。


 しろい…。

 瞼を通って光が降りてくる。眼を閉じていても太陽の光を感じる事ってできるんだ…。あぁ、眩しいな。今日もいい天気だ。

 掌には太陽の石の暖かい熱。全身で太陽の光を受ける。なんて綺麗な光だろう。真っ白で、清らかで。あぁ…ほんとうに、綺麗だ…。


    ***


 あたしは夜のいきもの。

 太陽に恋焦がれた

 夜のいきもの。

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白いヒカリ 小鳥遊 @kotoriasobi

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