ログ・ホライズン 休憩タイム

魅娜波

第1話

〈記録の地平線〉ログ・ホライズンをシロエが立ち上げてから、一か月経ったある日。

 アカツキはアキバ周辺の偵察を終え、シロエの自室に戻っていた。彼女はソファーに正座で座り、あんパンを美味しそうに頬張っていた。黒髪を後ろでひとつに束ねており、彼女が身にまとっているのは闇に溶け込むような色合いの忍衣。腰には黒一色の小太刀を帯びている。

 正面の机の上には湯気の立つ湯呑みが置かれている。ちなみに中身は緑茶。ひと時の休憩タイムだ。

 それに対し、シロエはというと机に置かれている羊皮紙と睨めっこをしている。羽ペンの先を顎に当てながら、難しい顔をして考え込んでいる。時折、何やら呟いている。周囲が静かなので、内容はアカツキにも分かったが、眉をひそめただけだった。あんパンを食べることを再開すると幸せそうな表情に切り替わった。先ほどの鋭利な刃を思わせる雰囲気など欠片も残っていない。

「シロ!」

 その静寂を破るようにドアが開いたと同時に響く、明るい声。その主は直継。マリエールのところへ遊びにいっていたのか、鎧ではなく普段着だ。彼の後ろには猫人族のにゃん太がお菓子一式を揃えたお盆を片手に立っていた。

「シロエち、お茶でも飲むにゃ~」

 のほほんとした雰囲気をまとったにゃん太は、言いながら持っていたお盆をテーブルに置く。

「うん」

 返事はしたものの、シロエの視線は羊皮紙に釘づけである。眉間のしわがさらに深くなる。

「今日は和菓子と洋菓子にしてみましたにゃ。直継ち、紅茶と緑茶、どちらがいいですかにゃ?」

「ん~、紅茶だな」

 直継はドカッとソファーに座るや、いっただき~! とはしゃいでストロベリーケーキを食べ始めた。それを見ながら、にゃん太が淹れたての紅茶を、直継のそばに置く。

「老師、緑茶のおかわりだ」

 食べかけのあんパンを片手に空になった湯呑みを差し出すアカツキ。その間に、アカツキはシロエの目前に天井からぶら下がる。

「主君」

「わっ!? な、何だい? アカツキ」

 驚きのあまり大声を出すシロエ。大声で呼んだつもりは毛頭ないが、よほど集中して何かを考えていたらしい。

「老師がお茶を淹れてくれたぞ」

 無愛想に言って、瞬時に元の席に戻る。

 未だに、様々なことを思案している最中にアカツキの不意打ちを食らうのは慣れていない。さすがのシロエも思考がほんの数秒ショートしていた。

「ほら、さっさとこいよ、シロ!」

 口端にクリームがついたままの直継がニヤッと笑っていた。

「えっ? あ、うん」

 ――って、クリームついてるし。

 ぎこちない返事をしつつ、アカツキの隣に腰を下ろすシロエ。

 溜息を吐くと、手で眉間を押さえる。

 ふたつ目のあんパンに齧りつこうしたアカツキだったが、それを止め、シロエに視線を向ける。

「主君は考えているとき、ここにおじいさんみたいなしわがよる」

 それに気づいて首を傾げた彼に対し、そう断言し自分の眉間を指さしてみせる。

 その表情は少し拗ねているようにも見えたため、当の本人は困惑する。

 それを見ていた直継がケラケラと笑いながら、

「シロを困らせる奴なんてそういないぞ。お前ら、お似合いだ……」

 アカツキは素早い動きで、直継に膝蹴りをしたために、彼のセリフは途切れてしまった。

「主君、こやつに膝蹴りを入れてもよいだろうか?」

「やった後聞くな! ちみっこ! で、どうなんだよ?」

「ちみっこ言うな! そんなこと、ない。余計なこと言うな、バカ直継」

 先ほどの勢いはどこへいったのか、直継の一言に、熱くなった顔を伏せて否定するアカツキ。

 ――主君には忠誠を誓っているのだ。

 そのままの表情で、内心で言葉を紡いだ。

 そのやり取りにさらに困惑するシロエ。

「にゃ? 誰かきたようですにゃぁ」

 とにゃん太が言うと、耳を澄ませる一同。

 バタバタという足音が近づいてきたと思えば、ドアを破らんばかりの勢いで一人の女性が乗り込んでくる。

「シ~ロ~坊~!」

「マリ姐!?」

 シロエは思わず大声を出す。

 にゃん太を除く全員が驚く。満面の笑みを浮かべている彼女の後ろには難しい顔をしたヘンリエッタ。

 しかし、室内にアカツキの存在を見つけると、その表情が一瞬にして幸せそうなものへと変わる。まるでかわいいぬいぐるみに遭遇した時のような顔だった。

「アカツキちゃん!」

 そう叫ぶや、アカツキを抱きしめ頭を撫で始める。

 あんパンをくわえてされるがままのアカツキだが、その表情は硬い。

「直継やん! 鎧もええけど、これもええなあ!」

 うりうり~! と言いながら、直継に抱きついてボリュームのある胸を押しつけるマリエール。

「ちょっと、マリエさん!」

 その拘束から逃れようと必死になる直継。

「マリ姐! 何しにきたんです?」

 全員に聞こえるよう、シロエが声を張り上げた。

「ん? セララがいないんよ。メンバーみんなで探したんやけど、おらへんかった。で、ここにきてないかなあ? おもうてな」

 マリエールの顔にふっと影が差す。

「いつから?」

「今日のお昼からですわ」

 アカツキを撫でたまま、ヘンリエッタが口を挟む。

「いっつも、誰よりも早くご飯食べて、一足先に片付けしとるんよ」

「食べるの好きですもんね、あの子は」

 いい加減落ち着いたのか、ヘンリエッタがようやく、アカツキを離す。

 脱兎のごとく逃げだし、ソファーに腰を下ろす。待ってましたと言わんばかりにあんパンを頬張る。

「そうですか。僕は見てませんね。アカツキは?」

 あんパンを一気に食べたのか頬をパンパンにしたアカツキは首を振る。

「直継は?」

「見てねぇな」

 紅茶のカップを傾けながら、そう返す。

「班長は?」

「直継ちと同じですにゃ」

「とりあえず、ホール内を探しましょう」

 テキパキと指示を出すシロエ。

「さて、迷子探しにいきますかにゃ~」

 にゃん太の一言が、セララ探し開始の合図だった。

「ひとまず、僕とアカツキでここを探します。リビングで落ち合いましょう」

「はいですにゃ」

 シロエとアカツキ以外の全員が、その場を後にした。


「後で、机の上の本とか、羊皮紙とか、片付けなきゃなあ……」

 シロエはみんなでお茶を飲んでいたテーブルから離れ、自分が普段使っている机を眺めて、苦笑を浮かべた。

 シロエが使う机は本来なら広い。しかし今では、倒れるほどではないにせよ、分厚い本が五冊ほど重ねられたタワーが周囲との関わりを避けるように三本ほど建っている。

 その真ん中にはびっしり書かれた羊皮紙の束と、羽ペンとインクが無造作に置かれている。

 おかげでとても狭い印象を受ける。

 シロエはそこから目を逸らし、部屋の奥、本棚が並んでいるところからセララがいないか探し始める。

「なあ、主君」

 アカツキはせっかく何かアイディアが浮かびそうだったのにとでも言いたげな、少し残念そうな表情をしているシロエをよそに声をかけた。

「何だい?」

「セララがここにいるかもしれないと考える理由が、よく分からなくて」

 それを受けて彼女に視線を移したが、俯いてしまったので表情までは分からなかった。

「僕もよく分からないんだけど、班長に対しての態度が周囲の人達と明らかに違う気がする」

「……たしかに」

 アカツキはそういえばと思い、セララの態度を振り返る。セララはにゃん太のことになると、いつも通りの自信のなさそうな表情ではなく、顔を赤らめるか、何を考えているのか、突然歓声をあげたりもしている。アカツキからすれば、妄想好きの女の子というイメージだ。

「何かあると思うんだけど……はっきりしない」

 難しい顔をするシロエだったが、それに対してきょとんとした表情のアカツキ。

「主君でも分からないことがあるのだな」

「そりゃ、あるよ。まだこの世界のことだって分からないことだらけなんだから」

「そうなのか」

 天井にぶら下がって、セララがいないかどうか確認するアカツキ。

 二人でしばらく探したものの、セララの姿はなく、シロエはアカツキに周辺の探索を指示し、リビングに向かうことにした。



 リビングに移動すると、全員が散り散りになってセララの捜索を続けていた 。

「お疲れ様です」

 テーブルの下を覗きこんでいたマリエールがその声を聞いて、身体をシロエの方に向けた。

「お疲れさん、シロ坊! セララならまだや。けど、ほんま綺麗やわ!」

 掃除の行き届いたリビングを見て、マリエールが思ったことをそのまま口にする。

「しかし、妙ですにゃ」

「妙って?」

 そう言ったにゃん太に全員の視線が向けられる。

「ああ、そうか」

 ここで、シロエが合点がいったというような顔をして呟いた。

「何なん?」

「綺麗すぎるんです」

 ずり下がったメガネを押し上げて、シロエが言った。

「言われてみれば……たしかにそうですね」

 ヘンリエッタの発言を皮切りに、全員があ~、と納得する。

「セララさんのサブ職って、家政婦でしたよね?」

「そうですにゃ」

 以前セララをススキノで助け、しばらく逃亡生活をしていたのもあって、にゃん太が即答した。

「僕の部屋からここまでの廊下も一応見てみましたが、いないんですよね……」

 しかめ面をするシロエ。

「主君」

 ここで、探索をしていたアカツキがシロエのそばに姿をあらわした。

「見つかったのかい?」

「うむ。こっちだ」

 無愛想に言って、案内をするアカツキ。

 彼女の後に続いていくと、セララがいそうなキッチンやら、物置などから離れていくので、直継とマリエールが本当にこっちなのかと顔を見合わせて首をかしげる。

「アカツキの探査能力は確かですよ」

 サラッと告げながらも、シロエは心外だと言わんばかりの不機嫌そうな表情を浮かべた。

「いやあ、あまりにも見当違いなとこにくるもんだからさ」

 直継は悪りぃ、悪りぃ、と頭をかく。

「着いたぞ」

「へ?」

 それを聞いて、全員が周囲を見回す。その中でマリエールが気の抜けた声を上げた。

 そこは、屋上で、あるものといえば大きな煙突くらいだ。

 アカツキが煙突のそばを指し示した。

 見える位置にまで近づいてみると、掃除用具一式と、煙突に入るために使ったと思われる梯子がかけられている。

「よっと」

 煤で汚れた手が煙突の縁を掴む。小さなかけ声とともに、小柄な少女がひょっこり顔を出す。

「ええっ!?」

 顔や服をところどころ煤で汚したセララの姿があった。左手にははたきを持っている。

 誰もいないと思っていたのだろう、目前に広がる光景に驚いてしまう。その拍子に煙突の縁を掴んでいた手が滑る。

「ふええっ~」

 半泣きになりながら落ちていくセララの手を掴んだのは、にゃん太である。

「気をつけなきゃダメですにゃ」

 さらりと言って、セララを引き上げ、無事に屋上に立たせた。

「え、えっと……ありがとうございます!」

 にゃん太につかまれていた手をそっと握りながら、彼に頭を下げるセララ。

「怪我がないようでよかったですにゃ~」

 のほほんと言葉を返すにゃん太だが、彼を一切見ないセララ。視線は足元で、何やらもじもじとしている。にゃん太に手を掴まれたことが嬉しいやら恥ずかしやらで、顔が真っ赤だ。

「セララ。今度から誰かに言ってから出かけるんよ? ええね?」

 マリエールに両手を掴まれて真面目に言ったセリフに小さく返事をし、「ごめんなさい」と続けた。

「分かればええよ」

 マリエールはにっこりと笑って、ポンポンと頭を撫でた。

「一人でようやったな~。大変やったろ?」

「え、えと、綺麗すれば、にゃん太さんが……いえ、みなさんが喜ぶかなって思っただけで……」

「にしても、真っ黒だな」

「直継やん、余計なこと言わん!」

「はい、すみません」

 マリエールにキッと睨まれた直継は、肩をすくめる。

「帰って、お風呂入ろ。な?」

「あ……はい」

 マリエールに促されて、屋上を去っていく。


「あの子、好きな人がいるのかもしれませんね」

 ヘンリエッタの一言に、首をかしげるアカツキ。

 ――あの態度だけで、どうしてそんなことが分かるのだろう? 嬉しかっただけのように見えるのは私だけなのだろうか?

 アカツキは心の中で、言葉を転がしながら考えたものの、答えは出せなかった。

「セララちはよい子ですにゃ~」

「そうですわね」

 お互いに笑みを浮かべるにゃん太とヘンリエッタ。しかし、ヘンリエッタの笑みには何も分かってなさそうな態度を取るにゃん太を責めるように、わずかながらも不満そうな色が浮かんでいた。

 セララの様子を見ていたアカツキは、隣にいるシロエをこっそり見上げた。

 よかったと言わんばかりの笑みが浮かんでいたので、さっと目を逸らす。

 ――主君に対するこの想いは何だろう?

 皆が安堵する中、アカツキだけが浮かない表情を浮かべていた。

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