「ほらレン、はやく行くぞ」

 会長にそう急かされて、僕はぴくりと肩を跳ねさせる。

「行くって……どこへですか?」

「なに寝ぼけてんの。言っただろ? さつきのとこだよ」

「……ああ。もう行くんですね」

「こういう面倒くさいことは早めに終わらせておくに限る」会長は意地の悪そうな笑みを浮かべて僕をにらんだ。「さてはレン、おまえ夏休みの宿題は最終日まで溜めておくタイプだな?」

「放っておいてくださいよ……」

「ちなみに私は竹刀で教師を打ちのめして力関係を身体に覚えこませて課題をなかったことにするタイプだ」そんなタイプねえよ。初奈先輩あんただけだよ。

「ちなみに私は下級生の男子を手籠めにしてかわいいペットにして『お手』『おかわり』『課題』で終わらせるタイプね」そんなタイプもねえよ。ていうか環先輩ほんとにやってそうだから反応に困る……。

「れ、レンくんっ」とつぜん呼ばれたので振り向くと、夏日が顔を真っ赤にしてこちらを見ている。「ぺ、ペットとか言われて、よろこんでるでしょ、へ、変態っ」よろこんでねえしそもそも言われてるのは僕じゃねえよ!

「夏日、僕はペットじゃないよ。この生徒会の奴隷なんだよ」

「……」

 僕がそういうと、柊政権のみんなの眼差しの色がふと変わったような気がした。

 僕は生徒会奴隷。

 それはまぎれもない、曲げようもない事実。

 誇り高き柊政権の『奴隷』として、僕はいまも、そしてこれからも、阿久乃会長のそばに居続ける。

「奴隷……」

 夏日が涙をいっぱいに溜めて僕に言う。

「お、お似合い、ですね……やっぱり、きも……」

「おいっ!」



 僕たちはさつき会長の生徒会室におもむいた。

 先日の選挙における執政会長当選への祝辞と、阿久乃会長の第二生徒会長就任のあいさつを述べるためだ。

「くそー、こんどこそさつきをうちの生徒会室に引きずり込んでやれると思ったのに!」

 阿久乃会長が歯噛みする。第二生徒会の会長が執政生徒会の会長にあいさつをする、というのは長きにわたる白銀川学園の生徒会のしきたりらしい。さつき会長が第二生徒会になったことはこれまで一度もないので、ずっと阿久乃会長がさつき会長の生徒会室に足を運んでいたんだろう。たしかさつき会長も、「柊政権の生徒会室には一度も入ったことがない」と言っていた気がする。柊政権の生徒会室では生体実験が行われているとか、魔女の釜が煮立っているとかなんとか。ほんとうはただのとっ散らかった子ども部屋みたいな場所だけど。

 そんな乱雑な柊政権生徒会室とはちがい、善桜寺政権の生徒会室はいたってきれいに整理整頓されていた。「おお……」と僕が思わず感激するほどだ。

「阿久乃、ようこそ。みんなも入って」

 さつき会長は僕たちをあたたかく迎え入れてくれた。

「さ、さつき」

「なに?」

「まあ、その、なんだ」

 阿久乃会長が不服そうな顔で表情筋をひくひくさせながらうなる。「お、おめでと」

「ふふ、ありがと」

 それにさつき会長がふわりと微笑み返す。そしてそこにいつもどおり初奈先輩が水を差す。

「かんちがいするなよ善桜寺さつき、阿久乃はいま『オーメン・オブ・ザ・デッド』と言ったんだ。オーメン・オブ・ザ・デッド……オーメン・デッド……オーメデッド……オメデト……」

「は?」僕は思わず初奈先輩をジト目で睨んでしまう。

「『Omen of the dead』、つまり『死者の前兆』ッ! われわれはきさまに死をもたらしに来たのだ! 死ねッ!」うっわ意味わかんね!

「初奈ちゃんもそうとう悔しかったみたいねえ」

 とつぜんクレイジーになった初奈先輩、そして彼女を必死に押さえつける僕を見ながら、環先輩が苦笑を見せる。

「いくらレンくんがロビー活動をがんばっても、これまで阿久乃ちゃんが学園に轟かせてきた『悪の生徒会』としての悪名までは覆せなかったみたいね」

「れ、レンくんはががががんばりました、あ、あそこまで僅差になったのが、き、奇蹟です」

「ありがとう……まあでも、阿久乃会長の演説、微妙でしたもんね……」

 僕がそう言うと、柊政権の一同はみなおなじように遠い目をした。

「ああ……」

「そうね……」

「ぅぅ……」

 演説台に勢いよく飛び出して司会の男を吹き飛ばし、マイクをひったくって啖呵を切ったのまではよかった。だが、威勢がいいのは最初だけで、だんだんと会長の言葉に歯切れがなくなり、しまいには足をぷるぷる震わせて「こ、こわいよぉ……」とさめざめ泣きはじめたのだ。

「高所恐怖症なんだからしかたないじゃんっ」会長が必死に抗弁する。「大講堂のステージが高すぎるのが悪いんだ、どうにかしろレン!」むちゃ言うなよ!

「ていうか、いままでよくそれで演説してましたよね。さつき会長には勝てなかったにせよ、第二生徒会——得票数第二位の座はずっと守ってきたわけですし」

「まあ、高いところ怖がってる阿久乃ちゃんの姿にも、実は根強いファンがいるのよ。かわいいって」

「そうなんですか」

 意外な事実だ、けどそれって生徒会活動もはや関係ねえだろ……。

「当然だ」初奈先輩が得意気に胸を張る。「私にはすべてわかっている。学園の選挙では惜しくも第二位だが、『とびきりキュートな悩殺ぷりぷりヘタクソアイドルダンスを踊る見ため小学生高所恐怖症ちんちくりん生徒会長』部門では堂々のかわいさ圧倒的第一位だ!」そんな部門ひとりしかエントリーしねえだろ。阿久乃会長の圧倒的不戦勝だよ。「むぐぅ〜初奈ぁああ!」

「あ、あの……さつき会長」

 阿久乃会長たちがわちゃわちゃやかましくやってるあいだに、僕はさつき会長に声をかけてみる。

「なに、レンくん?」

「ええと、その……僕からも、おめでとうございます」

 永世名誉会長に王手がかかっていた今回の選挙。その勝利はさつき会長にとって悲願だったはずだ。彼女を生徒会選挙へ衝き動かしていたのは、実の姉である善桜寺はづきに追いつくため。永世名誉会長に就任すればそれが叶う。そして、実際に彼女はそれを手にしたのだ。

「どうしたの、あらたまって」

「なんて言うか……さつき会長と選挙戦するの、これが最初で最後だったなって」

「……」

 最初で最後。

 もうさつき会長と票を争うことも、彼女の演説を聞くこともできない。

 この学園の選挙は一年に二回ある。それぞれ上期のはじめごろ、下期のはじめごろだ。学園に三年間在籍するふつうの生徒であれば、選挙に立ち会う回数は少なくとも六回はあることになる。

 阿久乃会長とさつき会長は、これまで四回の選挙を戦ってきた。五期連続で当選すれば永世名誉会長になれる、その王手をかけた五回目が今回だったわけだ。永世名誉会長になってしまったさつき会長には、本来あるはずの六回目がない。なぜならば、永世名誉会長には次回選挙へ立候補する権利がなくなるからだ。いわゆる「殿堂入り」。ほかの候補者たちと対等に選挙戦をやるような立場ではないということ。

 つまり次期選挙に、阿久乃会長のたいせつなライバル——善桜寺さつきはいない。

 その事実を、もちろんさつき会長は知っている。阿久乃会長だって。

「……さつき」

 阿久乃会長が口を開く。「いままでありがとうな」

 阿久乃会長はいまどんな気持ちなんだろう。「よきライバルであり、よき友人」であったさつき会長が永世名誉会長になって、もうこれ以上おなじ演説台に立てなくなって、「打倒! 善桜寺政権!」を叶えることはもう永遠にできなくなって、阿久乃会長はいまどんな気持ちなんだろう。

 遠く西の空に太陽が沈んでいた。善桜寺政権の生徒会室に、べっこう飴みたいな甘い茜色がにじむ。対峙した阿久乃会長とさつき会長の輪郭は、湖面に落ちた月と星の明かりみたいにゆらゆらと揺らめいている。

「阿久乃」

 さつき会長の口から言葉がこぼれる。「まだ終わりじゃないわ」

「……は?」

「……え?」

 さつき会長の言葉を聞いて、阿久乃会長は不思議そうに首を傾げた。意味を飲み込めないままの僕もさつき会長を見返す。「まだ終わりじゃない」って、どういうことだ?

「どういう意味ですか」

 僕がそう訊くと、さつき会長はなんでもないように答えを返した。

「そのままの意味よ。私たちの選挙戦はまだ終わりじゃない」

 まるで、九九の答えを求められてそれに答えているかのような態度で、さつき会長は言った。

「で、でも、さつき会長は今回の選挙で五期連続の当選で、永世名誉会長に就任して、永世名誉会長は次の選挙には出られなくて——」

「辞退したの」

 開いた口が塞がらなかった。隣でさつき会長の言葉を聞いている阿久乃会長もおんなじような状況のようだ。

 辞退した? 

 ……永世名誉会長に就任するのを?

「そうよ」

「……どうして」僕はあまりの驚愕のなか必死になって声を絞り出した。「永世名誉会長の就任はさつき会長の悲願で、そうすればはづきさんに追いつくことができて、それで、」

 僕の言葉に、さつき会長はゆっくりと首を振った。

「お姉ちゃんのことを追いかけるのはもうやめたの。演説でも言ったでしょ?」

 たしかに言っていた。選挙の最終演説で、さつき会長は言っていた。もう、姉の背中を追うのはやめよう、と。それが彼女の物語だと。

「できるんですか、辞退なんて」

「できなかったら永世名誉会長という制度自体を廃止するわ。執政会長の権限でね」

「でも……ほんとうにいいんですか?」

「ええ、いいのよ。私はお姉ちゃんを追いかけるのはやめた。追い越すことにしたの」

「え?」

「私、気づいたの。たとえ学園史上『二人目』の永世名誉会長になっても、ただ彼女に追いつくだけ。だったら、六期連続で当選すればいい・・・・・・・・・・・・んだって」

「……」

 さつき会長の発言に、開いた口が塞がらない。

「お姉ちゃんは五期連続だからね。六期連続なら、お姉ちゃんを超えられるでしょ?」

「ろ、六期連続……」

「さつき、おまえ……」

 さしもの阿久乃会長も舌を巻いたようだ。どっからそんな発想が出てくるんだ?

 面を喰ったように呆然とする柊政権の面々。そして阿久乃会長が、とあるひとつの事実に気づく。

「じゃあ、さつき……おまえ、次の選挙に——」

「ええ。立候補するわ。次の選挙にも立候補して、ふたたび執政会長に当選して、白銀川学園史上『初』の六期当選を成し遂げる」

 僕たちはみんな顔を見合わせた。阿久乃会長の顔には、みるみるうちに弾けるような笑顔が広がっていく。

 さつき会長が次期選挙にも立候補する。

 それは、つまり——。

「あたしたち、また勝負できるんだな」

「ええ、そうよ。阿久乃、次こそは正々堂々勝負しましょう」

 阿久乃会長は薄い胸を張って言った。

「当然だよ。こんどこそけちょんけちょんにしてやる。覚悟しろ、さつきっ!」

 ライバルであるふたりは笑い合う。まるで極光のように煌めく笑顔。この白銀川学園に降り注いだ、ふたつの星みたいに輝く少女たち。



 僕はいまこの瞬間、この場所にいられることに感謝した。

 阿久乃会長のとなりに、さつき会長のとなりにいられることに。

 そして、彼女たちの閃く笑顔のなかで、僕の願いが息づいていることに。

 僕の歩く道を示してくれるのは、夜空を瞬間駆けるだけの流れ星じゃない。オーロラの輝きを放つ彼女たちの瞳だ。星もかすむような、奇蹟みたいな僕の光たちだ。僕はこの光たちの名前を知っている。

 白銀川学園執政生徒会長——善桜寺さつき。

 白銀川学園第二生徒会長——柊阿久乃。

 それがこの光たちの名前だ。

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