5−9

 最終演説がすべて終わって全校生徒の投票が済み、後夜祭も終盤に差し掛かろうかというころ、僕はとある人物を捜してひとり学園を歩き回っていた。

 昼間の前祭とはまたちがった雰囲気の、投票後の後夜祭。一日の疲れに身を預けてまどろみのなかに沈んでいくような、胸にくすぶる狂騒の残滓を穏やかな夕暮れの色に少しずつ滲ませていくような、ある種の陶酔にも似た感覚。真っ暗闇の大海原をひとり舟で漕ぎ出していくみたいに、僕は人々のあいだをすり抜けていく。

 その人物は意外なところにいた。学園の大通りを折れたところにある、けやき並木の道。その脇のベンチのひとつに、彼女は座っていた。

「さつき会長」

 僕が声を掛けると、彼女は僕に目線をやり、ふと笑みをこぼした。

「レンくん」

「ども。となり、いいですか」

「いいわよ」

 そう言って彼女は身体を横にずらし、となりに空白を空けてくれる。僕はその空白に腰を吸える。

「終わりましたね、選挙」

「そうね、お疲れさま」

 まだ肌寒い五月の夕暮れ。並木道に吹き抜ける晩春の風が彼女の髪を、僕は横目で盗み見た。

「手応えはどうですか?」

「手応え?」

「はい。今回の選挙、勝てそうですか?」

 僕のその問いかけに、さつき会長はしばらくきょとんとしたあと、ふと微笑む。

「わからないわ。選挙の結果はいつだって、その票がすべて開かれるまでは神さまにしかわからないもの。それに」

 さつき会長は首を傾けて僕の顔を覗き込む。

「どうしてきみがそんな訊き方するのかしら、『勝てそうですか』だなんて、まるでわたしの味方みたいに」

 僕は口をつぐんだ。

 さつき会長の味方。僕という存在の価値。彼女がかけてくれたその問いに、僕は答えを言いに来たんだ。

「……さつき会長」

「……なに?」

 僕はさつき会長に向き直って頭を下げる。

「ごめんなさい、やっぱり僕は、善桜寺政権には入れません」

 「うちに、善桜寺政権に入ってみない?」——さつき会長の問いかけに、僕は答えを伝えなければならない。謝罪と辞退の言葉を届けなければならない。

 なぜならば。世界のてっぺんで阿久乃会長が一番星を掴む、そのとなりに僕がいる……それが僕たちの交わした約束だから。

「いまいる場所が……阿久乃会長の生徒会が、僕の居場所だから。僕は阿久乃会長の役に立ちたいから」

 僕の返事を聞いたさつき会長は、ぼくにふわりと笑いかけた。

「……そう、残念ね。それなら、これからも阿久乃を助けてあげて。彼女は私の、たいせつなライバルで、たいせつな友人なの」

 僕はその言葉に、ゆっくりと、しかしたしかにうなずいた。



「レン、遅かったじゃん」

 僕が柊政権のみんなのところに戻ると、会長たちが迎えてくれた。

「そろそろ選挙の結果が出るぞ。ば、ばか、べつに緊張なんかしてないし」

 初奈先輩が眼を泳がせながらうめくように喋る。その手には竹刀を地面に突き立てて持っているが、よく見たら自分の右足に突き刺さっている。痛くないのかな。副理事長捕縛作戦のときみたいにここぞというときには頼りになるのに、ふだんは相変わらずぽんこつなんだな。

「レンくん、いままでお疲れさま」

 環先輩がやわらかな笑顔で僕を労ってくれる。いま思えば、僕に優しくしてくれるのって環先輩だけだったな……。いや待て未草蓮! これはかの「生徒会諜報」の人心掌握術、決して騙されてはならぬ……! でも、やばい、惚れそう……。

「れ、レンくんっ」

 そこへ夏日が駆け寄って来て、僕の制服の裾をちょいと掴んだ。

「なに、夏日?」

 訊ねると、夏日は「あ、いえ、その、ええと……」と赤ら顔でもじもじする。なんだ、どうした?

「……も、もうすぐ、ですね」

 と、夏日のその言葉に、僕は気を取りなおす。

 そうだ、もうすぐだ。

 阿久乃会長とさつき会長が戦った今回の選挙。

 その開票結果が、もうすぐ発表される。

『さあ、お待たせしました、白銀川学園執政生徒会総選挙、その開票結果の発表ですッ!』

「みんな」

 阿久乃会長が振り返って僕たちを見る。

「これまでありがとう。みんなの力のおかげで、あたしはここまで来ることができた。初奈、環、夏日、そしてレン。ほんとうにありがとう」

 会長はみんなの顔を順番に見つめた。僕の番には、会長はすこし微笑んだような気がした。ただ「気がした」だけだ。夢のなかに浮かぶような後夜祭の雰囲気に酔わされて、心地よい疲労が見せた錯覚だったのかもしれない。

「今回の選挙で、あたしたちは善桜寺さつきを打倒する。なにがなんでもてっぺんをとる。でも——」会長が腕を上げ、夜空を指差した。「もし負けたとしても、あたしは後悔しない。だって、みんながいるから。あたしたち柊政権は、世界一の生徒会だから」

 いや、それは錯覚じゃなかった。たしかに会長は微笑んだ。

「星を掴むんだ」

 彼女はそう言って、僕たちのとなりで天高く腕を伸ばした。何万光年も離れた夜空の星々に、百五十センチにも満たない小柄の少女が、精いっぱい手を届けようとしている。

 開票結果がモニターに表示された。

 僕たちはそれを見た。

 そして、だれもうつむかなかった。だれもがみな、会長の指差す夜空の星々を、しずかな笑顔で見つめていた。










       *  ✳︎   *   *

      ////   //   // //  //


         極 ふ

         光 た

         少 つ     ふたつぼしきょっこうしょうじょ

         女 星 ✳︎

             ✳︎









『開票結果——

  善桜寺さつき 四九六三票

  柊阿久乃   四七一〇票』



 白銀川学園第二生徒会——我らが柊政権は、善桜寺さつきに敗北した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る