5−8

 僕たちは時計塔の階段を駆け下りた。こんどこそほんとうにぶっ壊れるんじゃないかと思うほど大きな音を立てる階段を、容赦なく踏み抜きながら降りていく。学園には大講堂の演説の声が響き渡る。

『以上、○○さんの最終演説でしたッ! さあ、続きまして演説いただくのは……お待たせいたしました、今回の選挙でも大本命、我らが白銀川学園・現執政会長にして完全完璧完膚なきまでに美人超人大女神だいにょしん——』

 マイクで拡声された司会の声が、彼女の名前を呼んだ。

『——善桜寺さつきィッ!』

 オオオオオオオオオ、と地鳴りのような雄叫びがこだました。地を割るかと思えるほどの大音量で、観衆の生徒たちは声援を送っていた。彼らが熱心に見つめるその先には、長い黒髪を輝かせる少女が立っているんだろう。彼女の名前は、善桜寺さつき。

 彼女の名前が呼ばれても、その声は聞こえてこなかった。その一方で、なかなか歓声は鳴り止まない。僕らの周りの木々がざわざわと風に揺れ、鳥のさえずる声が耳をなでる。やがて聴衆のざわめきが低くなっていき、ついに水を打ったように静かになる。それを見計らったかのように、彼女の声が学園を包む。

『——今日はみなさんに、ひとつのお願いがあります。なんてことはない、ただひとつのお願いです。それは、この学園にいる自分を好きになってほしいということです』

 阿久乃会長と僕は大講堂へと続く道を走っていた。学園のメイン通りを抜け、けやきの木が並ぶ通りを一気に駆け抜ける。身体が風を引き裂いていく。ずっと走りっぱなしで溜まっていたはずの疲れも、不思議とすこしも感じなかった。

『——私には姉がいます。前・執政会長で、この学園で唯一の永世名誉会長。彼女はずっと私の目標でした。彼女は尊敬できる姉であり、同時に……畏怖の対象でもあったのです。彼女に追いつけるように、彼女の妹だと認めてもらえるように、私は必死でがんばってきました。そして、この学園の生徒会長になったのです。彼女のようになるために、私は姉の生徒会活動を研究してきました』

「レンっ」

 目の前を走る会長が、振り向きもせず僕を呼んだ。なんですか、とそれに答える。さつき会長の演説と聴衆の熱のせいで、僕の声は阿久乃会長に届かないかと思った。けれどしっかりと届いていたらしく、「あのな」と言葉を継ぐ。いつもそうだったんだ。届かないと思っていた僕の頼りない声でも、阿久乃会長はしっかりと受け止めてくれていた。僕がそれに気づかなかっただけだ。

『——生徒会活動を通して、たくさんのかけがえのないものを手にしました。いろいろなことを学び、いろいろな人たちと出逢いました。このあとここに立つ、高所恐怖症の彼女も、そのうちのひとりです。

 そして私は気づいたのです。私は、私なりの生徒会活動をするべきなんだ、と。この学園でのたくさんの人たちとの出逢いが、私を変えました。そして私は思ったのです。もう、姉の背中を追うのはやめよう、と。ここまでは、私の物語。そしてここからは、ここにいるみなさんの物語』

 目の前の世界が前から後ろへと流れていく。風を切って過ぎ去る時間が身体を突き抜けていく。真っ赤に燃える太陽が落ちていく。鳥が歌う。木々が踊る。星たちが目を醒ます。流星が降る。まばゆいばかりの極光が煌めく。そして、その極光が言葉を放つ。

「ありがとうなっ」

 僕の耳に届いた阿久乃会長の言葉。まるで、瞬間的に元気になる麻薬を注射針でそのまま心臓にブッ刺されたみたいに、僕の身体のなかはあたたかくなっていった。

『——私には新しい目標ができました。それを導く光になりたい。この学園を、生徒全員が自分らしくあることができる場所にしたい。あなたの学園生活の主役は、あなただ。あなたの学園生活は、あなたの物語は、あなたにしか語れない! 白銀川学園生徒諸君、自分らしくあれ!』

 そうだ。これは、彼女たち・・・・の信念の話。彼女たちの存在意義の話。そして、ただ広いこの世界で僕たちがめぐり逢った、その奇蹟の価値を問う物語。

 さつき会長の演説で、大講堂のテンションは最高潮にまで高まっていく。だいじょうぶですよ、と僕は思った。だいじょうぶですよ、はづきさん。さつき会長はだいじょうぶです。あなたに対する劣等感なんて関係ない、この学園に君臨するただひとりの現・執政会長として、まちがいなく完璧です。

 だって、こんなにも心震える演説を、彼女自身でしているじゃないですか。

『——私はこの学園を、一万人の生徒がいるだけの学園にはしたくない! 一万通りの物語が息づく学園にしたい! それを導く光をいま選ぶのはあなただ! 白銀川学園に光あれ!』

 演説会場の大講堂にたどり着く。僕はそこの階段でついに脚がもつれ、無様に転んでしまった。会長が振り返って僕を見る。立ち止まって僕の手を取ろうとする。僕はその手を振り払い、叫ぶ。

「会長っ、はやく演説台へっ!」

「で、でも——」

 会長が戸惑った表情をにじませる。それでも僕はせいいっぱい彼女に向けて叫んだ。

「立ち止まるな、柊阿久乃!」

 会長は唇を食いしばり、うなずいた。そして僕に背を向けて階段を登って行った。僕はその背中を見つめる。

 行け、行け、行け……! あなたはここで立ち止まっていいひとではないんだ、もっと高いところへ、もっと輝く場所へ、空に煌めく一番星へ、世界のてっぺんからその手を伸ばせ!

『善桜寺さつきさん、ありがとうございましたああッ! ……さて、ここで最後の演説順となりました、次の柊阿久乃さんですが……ご本人不在により、残念ながら棄権——』

 ドゴォッというものすごい音が聞こえたかと思うと、司会の男の声がぷつりと途切れた。聴衆のざわめきが遠雷のように波打つ。そして、彼女の叫び声が響いた。

『たのもォォォォオオオオオオオッ!』

 僕はその場にへたり込む。決壊したダムから水が溢れ出るみたいに、疲れがどっと湧いて出てくる。薄れゆく意識のなかで、僕は思わず苦笑を浮かべた。

 そうだ、それでこそ柊阿久乃だ。

 夏日のヒーローになった日。

 僕の世界のスノードームを晴れ渡した日。

 彼女はそう言ったんだ。

 まったく、道場破りみたいな声出すなよ、ここはあんたの学園なんだから——。

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