第2話 優しさの種類

 俺の家まで、自転車で25分位。林の中の学校よりは幾分開けた住宅街の中の一角。家の隣に父の動物病院がある。

 圧倒的にはペットが多いが、車に轢かれた野生動物も運ばれてくる。


 しつこかった夏の暑さが朝夕を中心に明らかに変貌し、短い秋の入り口にさしかかったようなその日、運ばれて来たのは車に轢かれた野良猫だった。運んで来たのは、

「お父さん!お願いします!助けてあげて!」

 ぐったりした野良猫を抱きかかえているのは美月だった。

 どさくさに紛れて俺の父をお父さんと呼んでいるが、多分本人は意識していない。

 その後ろに、美月のカバンを持った一沙たち数名のクラスメート。

「発車したバスの前に飛び出して来ちゃって…」

 そうハナちゃんと呼ばれる女子が泣きじゃくりながら説明した。

「バスは時間通り運行しないといけないし…会社に連絡して片付けさせるって運転手が言ったら、美月が…」

 そう言ったのはやはり同じクラスの草太。

「まだ生きてるから!って言って抱きかかえて走り出したんだよ」

 章介が続ける。

「美月動物好きだから…」

 これは隣のクラスの、美月の幼馴染だという森田さん。

 女子は泣いているし、男子も沈んでいるけれど、どうして付き合ってきたのか解らない一沙は、ただ真っ青な顔をして診察台に置かれてぐったりした猫を見つめて立っていた。

「大丈夫?」

 猫を抱えて必死な美月より、他の誰よりも、一沙の様子が心配になって声をかけた。何故だか分からないけど。

 勿論、愛想笑いの一つもしない。視線も猫の方に向けたまま。

「出血が少ないな…内臓が心配だ」

 父は触診をしながらレントゲンを撮るか…と言いながら美月たちに目を向ける。

「君たちが、治療費を払うのかい?」

 そうシビアなことを聞いた。皆一瞬怯んだ気がする。そんな中で、

「進学用にお年玉貯金してあります」

 美月は躊躇せずに答えた。そういう裏表の無いまっすぐさは本当に尊敬する。父はちょっと躊躇したが、ちらりと俺を見た後

「誉の友達割引にしとくよ」

 そう言ってくれた。

 猫はかなり弱っている。呼吸が苦しそうに響く。父が移動させようとした時

「殺して」

 そう思いがけない声が上がった。

 父が手を止め顔を上げる。美月も驚いて振り向いた。そばにいた俺たちも驚いて見つめた。

 両手をきつく握りしめ、睨みつけるように見つめながら

「早く殺してあげて」

 そう言った一沙は、先程よりも更に蒼白だった。

「まだ、生きているんだよ?」

 美月が呼吸を確かめるように耳を傾けながら、信じられない…という風に応える。

「苦しんでる!早く終わらせてあげて!」

 打ち消すように一沙が叫ぶ。

「早く!」

 一沙の感情を初めて見た気がした。思い掛けず余りに熱い感情。皆は黙って見つめている。

 父は一沙と美月を交互に見つめ、

「どうする?」

 と美月に問いかけた。その言い方はとても優しかった。

「まだ生きてます。お願いします。助けてあげて」

 美月は最後は涙声になりながら、父に頭を下げた。

 ポンと美月の頭に手を置いた後、父は素早く仕事を再開した。俺たちの間に流れる空気は凍ったままだが、俺は美月を促し皆を従え待合室に移動した。移動しても尚一沙は、まだ睨むように診察室を見つめていた。

 誰も何も言わないから、俺は皆に紙コップの水を配り、美月にタオルを渡した。

「何か着替え持ってこようか?女子の服は無いけど…」

 と聞くと、

「体操着があるから、着替えたいな」

 と言われたので、スタッフの更衣室に案内した。

「大丈夫か?」

 美月の沈んだ顔を俺は見たことが無い。沈んで当然なのかもしれないけど、猫のことより、一沙の言葉を聞いてからな気がする。

「ありがとう…着替えるね」

 そう言われて、慌ててドアを閉めた。

 こんな美月は調子が狂う。だけど、残して来た連中のことも気になって、待合室に戻ると、皆無言のままだった。

「皆、もう帰った方が良いんじゃないかな。後は俺と美月に任せて」

 そう言ったけど、いつものようにからかわれる事もなかった。本当に調子が狂う。

 皆顔を見合わせ

「そうだよな…」

 ちょっとホッとしたような顔を見せた。

 美月が着替えて戻るのを待って、

「私たち、いても仕方ないって言うから帰るけど、ミッキはどうする?」

 森口が代表して問いかけると、

「私は待ってる。皆、ありがとう…」

 そう言って無理して作った笑顔を見せた。皆に抱きつかれたり肩を叩かれたりしながら見送り、残った一沙に目を向ける。

「一沙ちゃんも、先帰って大丈夫だよ?」

 そう笑顔を向けたけど

「無理だって分かったら、私が殺してあげないと」

 そう、いつものように冷たい声で言った。

 言われた美月は悲しそうな顔をして一沙を見つめる。こんな時も怒らない。怒っているには一沙の方だった。

「ダメだと分かったら、ちゃんと薬を打つ。何もしなくて大丈夫だよ」

 怒っていながら、何かに必死になっている一沙が酷く悲しそうに思えて、俺は口を挟んだ。

 考えたくない…と言うように美月は首を横に振った。

「 美月だって分かるだろ?その時は、親父に従えよ?」

 駄々っ子を宥めるように言い聞かせると、美月は俯いたまま頷いた。

 だから…と一沙を促す。やっとドアに向いながら、その直前で振り返り

「苦しむ時間を長引かせるのは、優しさとは違うわ」

 やはり怒ったように言い捨てると、姿勢を戻し静かに出て行った。

 ドアが閉まるカラン…と言う音を見送りながら、その後に続く静寂の中美月を見つめた。

「気にすんな」

 重い空気に耐えきれずにそう声をかけると、顔を上げていつもの笑顔でにっこり笑うと

「私は大丈夫。心配なだけ」

 そう答えた。

「あの猫が…」

 そう言うと、横に首を振る。

「一沙ちゃんが」

 そう言って出て行ったドアを見つめた。

「どうしたら…何があったら、怪我をした動物にああいうことを言えるのかな?一沙、怒ってた。辛そうだった。何があったのかな…」

 美月はめげない。お人好しで、周囲を放っておけない気持ちにさせる。だけど、もしかしたら美月の優しさは、強さなのかもしれない。

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