第4話 迷った時は笑顔の方に
「おはよう!一沙。あの子退院出来たよ」
友人たちに囲まれて登校してきた美月は、教室に入るなり一沙を見つけて飛びついた。
周囲の空気が微妙に揺れたのが分かった。
俺も、一沙も、翌日それぞれ普通に登校した。
そして自分たちの立場が、今までと微妙に変わったことを即座に感じ取った。一沙はいつもより孤立して居たし、俺の周りには、何か見えない壁があるような感じ。誰もその中に踏み込んでこない。ただ1人を除いて。
「ね、大石君」
美月は俺にも話を振った。
周囲は仕方なくその流れを受け入れる。
「良かったね〜美月」
とハナちゃん。
「諦めないで良かったな」
「さすが獣医の卵」
「まだ卵にもなってないよ〜」
そんな明るい空気に俺たちを引き入れようとしている。
勿論、一沙は乗らない。
「でね?一沙も一緒に名前考えて」
美月は更に一沙に踏み込む。
「飼うの?」
一沙が反応した。
「うん」
美月が微笑む。
「野良猫飼うなんて美月らしいよな」
「どうせなら可愛い子猫が良くない?」
「そんな事ないよ。大石君のお父さんが助けてくれた子だもん♪」
美月は諦めない。皆忘れてしまえばいい。昨日のことを。以前の空気に戻せるはずだと、1人で戦っている。
だけど。「年上の恋人を殺した女子高生」と言う肩書きの噂はあまりにもショッキングで、日常の中に葬り去ってしまうには刺激的すぎる。
探そうと思えば、いくらでも湧き出てくる無責任な噂話。
新たな興味を引く噂を見つけては、クラス中に、学校中に、知人に。グループごとに広がって行く噂を止める術はない。
そして皆には、純真無垢な美月を守ると言う大義名分があった。
美月に暴言を吐き傷つけた一沙。そしてこれからも傷つけるであろう、俺との関係。美月が悪いわけじゃない。噂を加速させたのは、あの日の俺の行動だ。分かっていた。誰も何も口にしないけど。
美月の周囲でまた一段と大きな歓声が上がり
「本当だ!こんな可愛かったんだ!」
「ちゃんとミルク飲んでる!良かったね〜」
美月があの猫の画像を皆に見せていた。
「ね、大石君」
急に話を振られたけど、聞いていなかった。
「シルバーなんだけど、頭のこの辺がふわふわしていて、冠被っているみたいなんだよね?」
美月は自分の頭の上で大きく円を描いた。その仕草がなんだかすごく可愛いかった。
「あぁ。うん。色もちょっとそこだけ違うしな」
俺が同意すると、美月は嬉しそうに笑う。
「だからね、クラウンはどうかな〜?って」
「え〜車の名前みたいじゃない?」
「そっかなぁ」
「ティアラは?」
「男の子なんだよね…」
「素直に誉って付けちゃえ」
「そ、それは流石に…恥ずい」
美月の周りだけいつもと変わらない。穏やかな幸せな空気。すごい才能だと思う。でも…
一沙はふいとその安全地帯を出た。そんな空気の中に自分を置くのは耐えられない…と言うふうに。
そんな姿を見ると、胸が痛むのだ。どうしたら良い?どうしようもないじゃないか。
そのまま美月の輪の中にい続けるのは裏切りのような気がして、俺もすっとその場を離れる。一沙の側に行くわけでもない。ただ自分の席に戻るだけだ。それだけなのに、一歩外れた途端、自分を包んで守っていた表皮を剥ぎ取られたような心許なさを感じた。美月の側は安全で、心地良い。一沙がそれを拒む理由を考え、胸がドクンと痛んだ。「年上の恋人」本当にあれは一沙なのか。一沙はそんな世間の目や無責任な噂話と戦って居るのか?
一沙の細い背中を見つめ、振り向かれた瞬間思わず目を逸らした。
きっと、そんな俺を美月は見ている気がする。なんだか、凄くダメな男だ。俺は。
一沙の周囲は急速に、俺の周囲はゆっくりと冷えて行く。孤立して行く。
緩慢で怠惰な中弛みした高校2年の二学期という最悪なタイミング。受験に向かう前の現実から目を背けたい時期。だけど目を背けることで生まれる焦り。苛立ち。そのはけ口を求めている。
皆で遊びに行こう!という話になっても一沙は蚊帳の外で、俺は遠慮がちに枠から外そうとされている。皆の話に入らず、カバンを持って静かに教室を出て行く一沙。相変わらず、緊張感を周囲に抱かせながら。
「大石はどうする?」
と義理で聞かれる「どうする?」が「行こうぜ!」では無く「行かないだろ?」だと言うことは嫌でも伝わってくる。
それを美月は悲しい目で見ている。美月が以前より沈んでいることには気づいている。俺のせいだと分かっているけど、声をかけるのは卑怯な気がして何もしない俺は、やっぱり凄く卑怯だと思う。
「俺は良いや」
そう言ってカバンを引っ掛けて教室を出た。
待ち合わせたわけでは無いけれど、自転車で走れば嫌でもバス停の一沙に追いつく。
「よぉ」
無視するのも何なので声をかける。
返事はないけど、軽く頭を動かし反応があるだけマシか。
「バス、何分?」
話すことは特に考えてなかったから思いつき。
「20分」
「げ、あと、30分もあるのか!」
ちょっと大げさかな
「田舎だからな〜東京はもっと便利なんだろ?」
一沙はちょっと考えて
「そうだと思うけど、バスはあまり使わないかな。電車…地下鉄とか、後は車だし」
車…年上の彼とかの…?と思い浮かび打ち消した。
「電車か〜走ってないもんなこの辺。不便だろ?」
「別に、どこにも行かないし」
一沙はそう言って髪をゆっくり耳にかけた。凄く大人びて見えた。
「コスモス」
「ん?」
「そろそろ咲いたかな?」
突然言われ戸惑ったが、コスモスの高原のことだと思い当たった。あの場所のこと、心に留めてくれていたんだ。
「どうかな。高原だから、この辺よりは少し遅いと思う9月も終わりくらいかな」
「そう。東京だと9月頭くらいから咲くから」
「へぇ。東京でもコスモス畑とかあるんだ?」
「大きな公園とかあるから」
そう言うところに行っている一沙は想像付かない。コスモスってイメージじゃないし。もっと凛とした花…何だろう。花に詳しくないからな…百合とかかな。コスモスはどちらかと言ったら美月だよな…
「何?」
俺の口元が思わず緩んでいたみたいで、一沙が見つめていた。
「嫌、悪い。コスモスが好きってイメージじゃなくて…意外で」
俺が言うと、一沙が一瞬動揺したように見えた。
「悪かったわね…」
少し頬を赤らめて、そっぽを向く。これは何だか意外な一面。
「あ。ごめん、悪いとかじゃ無くて…」
慌ててフォローしようとするけど、こんなとき何を言ったら良いのかなんて、俺知らないよ。
「悪かったって。あのさ、もうちょっとしたらまた連れて行くから」
そう言うと、ちらりと目線だけこちらに向け
「本当に?」
そう言った。うわ、もう、何か、なんて言うのか…色っぽい?これは、年上の彼でも渡り合うよな…
「ああ。良かったらお連れします」
そう言って大げさに頭を下げると
「良いわ。許してあげても」
そうわざとらしく上から言ってくる。一沙にもこんなお茶目な所があるんだ…
思わず吹き出すと、一沙の口元も笑っている。もっと笑ったら良いのに…絶対に綺麗だ。
その時俺は知らなかった。
「私、2人も誘ってくる」
そう言ってクラスメイトの輪から抜け出した美月が、バス停に向かって走って来ていたことを。そして遠くからふざけて笑っている俺たちを見て、足を止め、どんな表情でそれを見つめていたのかを。
「あ。バス来たぞ」
気がついたら30分が過ぎていた。あ。と一沙も視線を向け意外そうな顔をした。
「付き合ってくれてありがとう」
珍しく素直な言葉。
「おう」
そのまま言ったらまた表情が固まるかな?と思ってそう答えた。もっと一沙の笑顔が見たい。一沙は小さく手を上げて、そしてそんな自分に戸惑ったように視線を背けてバスに向かった。
美月のようにバスの中からこぼれるような笑顔を向けて来たりはしなかった。だけど、走り去るバスから目が離せなかった。見えなくなるまで一沙を乗せたバスを見送っていた。
祖母の家に帰り着き、自分に与えられた部屋に入りドアを閉めた一沙は、緩んだ自分の表情を鏡に映し、キツく、目を閉じた。鏡に頭を打ち付ける。
「うぅ…」
言いたい言葉はあるはずだ。ごめん…なのか、恨み言なのか…だけど、何も言わず唇をきつく噛み締め、一沙は泣いた。声を殺して泣いた。心に平穏を求めようとしている自分を責めて。また、笑える日常に帰ろうとしている自分を責めて。自分が許せずに泣いていた。
そんな事も知らずに、俺は心をときめかせていたのだ。
「にゃあ」
まだ弱々しい子猫の前にしゃがみ込み、美月は項垂れて鳴いてみた。
子猫は丸い目で見上げている。
「今日は、何してた?」
子猫に譲ったブランケットを整えながら話し掛けてみる。子猫は何も答えない。分かっているけど…
そっと頭の冠の部分を撫でる。目を細めてその手にすり寄ってくる。
「名前…決めないとね。何が良いかな…」
一沙に一緒に考えて貰えなかった。大石くんにも相談できなかった。
「誉…」
ためしに呼んでみた。なんだかくすぐったい。
「無理無理。お父さんの動物病院に連れて行けなくなっちゃう」
そう言って膝に顔を埋めた。
「大石くん…」
こっちの方がしっくり来る。
一沙はなんて呼んでいるんだろう…そんな事を気にする自分が嫌だ。
「そのままシルバーじゃ芸がないかなぁ。ごめんね、ネーミングセンスなくて」
撫でようとする手にじゃれて来る。そのままお腹も撫でる。柔らかい。生きている。
「良かったね…」
諦めなかったのは、きっとこの子自身だ。生きたかったんだよね。
「みこと…」
決めた。命と書いて、みこと。それがこの子の名前だ。
「みこと」
もう一度呼んで、鼻の頭をちょこんとつついた。君の名前だよ。その指を甘噛みしようとじゃれて来るのをされるがままにして
「やっと名前決めたよ。命と書いてみこと。どうかな?」
一沙にLINEを送った。
暗い部屋でうずくまっていた。LINEを受信した音で我に返った。
私にLINEして来る相手なんて、限られている。そう自覚している。チェックしてからクスリと笑った。
「みこと…ね」
あの子らしいかも。と思う。
子猫の命を諦めなかった美月というクラスメート。
あの子なら、あの悲劇を止められただろうか…
命が消えて行くのに気が付かないなんてことには、ならなかっただろうか。
自分に助けを求めたかもしれない。罵ったかも。絶望し、最後に何を見たのか…あの子なら、どうやってこの後悔から抜け出すだろう…
ただ、自分みたいにみっともなく、周囲に不愉快な思いをさせたりはしないだろうか…
分からない。どうしたらそう出来るのか。自分を許せないのに。
小さな虫を誤って踏み潰したときのような感触が浮かぶ。私はそれを感じていた筈なのだ。私はあの場にいた。何も出来ずに…
消えない嫌悪感。罪悪感。誰にも会うことはできず、家から出ることができなくなった。
両親に無理矢理この田舎の親戚の家に押し込められた。私を守るため。ほとぼりが冷めるまで。やり直すため。違う。持て余したのだ。どうして良いか分からず、この悪夢から抜け出せない私を慰めたり、励ましたりする責任から。自分自身を痛めつける、娘の狂気から逃げたのだ。
自分自身を抱きしめるのは愛しいからじゃ無い。痛みの無いこの身が許せないから…
もう一度LINEの音がした。
あの子は…もう。
わざとなのか?あの空気を読まない性格。自分が纏った空気に引きずり込もうとする無邪気さ?無神経さ?でも不愉快ではない心地良さで…それは今1番求めてはいないものだけど、その心地良さに泣きそうになる。流されたくなる自分が許せなくて。
美月が送って来たみことの画像は、あの日車に轢かれて死にかけていた憐れな姿から程遠く、美月の手に安心してじゃれついている。
あの時、苦しそうな過去の亡骸と重なった。命が消えて行く姿と重なった。助けられないなら、早く終わらせてあげたかった。少しでも苦しまないように…こんな風に助けられた姿が浮かび、消えた。そんなもしも…なんて無い。考えたく無い。希望なんて持たない。消えたのだから。もう、居ないのだから。だけど、どうやったら受け入れられるのか分からない。
この絶望に踏み込んでくる美月の無神経な心地良さに抱かれながら、辛うじて平常心を保っていた。
返事が無いのは分かっていた。でも、一番みことのことを気にかけているのは一沙だと思うから、送らずにはいられない。喜ぶのかは分からないけど。
最初から、一沙はすごく複雑な表情でみことを見ていた。可哀想でも、可愛い、でも無い。手を出したそうなのに出して来ない。猫が好きなのか、嫌いなのかもその態度からは分からない。でも気に掛けている。助かって嬉しいのか、嬉しく無いのかも分からないのだけれど、生きていることに衝撃を受けていたような気がする。
皆の噂を思い出した。唇をきつく噛んだ。
ニュースの女子高生を一沙に当てはめてみる。その噂はすごくしっくり来た。真実ではないにしても。
どうすることも出来ないのだ…ゴメンね…と呟いた。
一沙の過去には何があったのだろう…いつか話してくれるだろうか。彼女の経験した悲劇をとりのぞいてあげることなんて、誰かに出来るだろうか…?
…新しい恋なら或いは…?と思った途端大石くんの顔が浮かび、慌てて頭を振った。
遊べと催促してくるみことを抱き上げ、その小さくて暖かくて力強い命に甘える。
私たちは生きている。生きているから、ちゃんと笑っていられるように進んで行かないと…でも、どうやってそれを一沙に伝えたら良いか分からない。大石くんなら出来るのかな…それを邪魔しちゃ、いけないのかな…ジワリと涙が浮かんで、慌てて考えるのを止めた。笑うのだ。迷った時こそ、笑顔の方に進むのだ。
「そうだぞ、美月」
私たちは、笑う為に生きて居るんだから。
それを、ちゃんと一沙に伝えたい。伝えないといけない。私がいつか、そうやって救われたように…
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