第5話 修学旅行と言う試練
「そう言えば、誉。美月ちゃんの猫、どんな様子だ?」
珍しく一緒の夕食の席で、父に聞かれた。
いきなりちゃん付けかよ。
「画像見たけど、元気そうだった」
「そうか。運の良い猫だな」
満足そうに食事に戻る。
よっぽど気に入ったんだな…と思う。まぁ、美月を気に入らない人なんてそうそう居ないよな。と思ってから、ちょっと後ろめたくなった。
「いつでも勉強に来なさいって言っておきなさい」
父は呑気なことを言った。
俺は応えずに、
「ごちそうさま」
と言って席を立つ。
憂鬱じゃないと言ったら嘘になる。でも、信じられないくらい悔やんでない。
皆の無責任な噂。それに取り込まれずにいることにホッとしている。
色々な記事を読んだ。今でも、一沙なのか、違うのか、分からない。不明瞭な画像は憶測しか呼ばない。後から付け足された不確かな情報に、何を信じて良いのか分からなくなる。分からないのに、ノって騒いでいる奴らが煩わしい。
俺は違う。
あの車に乗って眠っていた少女には非はない。一沙かどうかは置いておいて。関係無いのに、傷付いている女の子がいる。悲しいはずだ。悔しいはずだ。それなのに責め立てられている。それがどうしようもなく腹立たしくて、クラスのあの輪の中からはみ出した自分を、憐れむこともない。
一沙の影が、その女の子と重なる。
だから、こんなに気にかかるのかもしれない。
机に向かって勉強しようとしても手につかない。成績は悪い方じゃない。サボった分は取り戻したはずだ。定まらない進路。少し前までは、永遠に高校生でも良いと思っていた。だけど今は、早く抜け出したい。急に正体不明の団体に変わったクラスメートたちに吐き気がする。頼むから、これ以上ゲスい行動に転じないでくれ。
そんなことを感じながらいつの間にか眠っていた。
一面のコスモスの淡い色が揺れている。俺は自転車を漕いでそこに向かっている。もう少し。あと数メートルで到着するのに、道は急に波打つように隆起し、最後の数メートルが遠い。漕いでも漕いでも乗り越えられない。足が重くなる。
コスモス畑の中に誰かが居る。
見慣れない制服の女の子。背を向けているので誰だか分からない。でもきっと、俺は誰だか知っている。
名前を呼びたいのに、出てこない。
空気がまとわり付くように重く、空は綺麗な水色で、コスモスの花は満開で、彼女の後ろ姿があまりに綺麗で、俺は何故だか泣いていたのだ。
その女の子に、大丈夫だよ。と言ってあげたくて、どうしても、言ってあげたくて。
目覚めは最悪で、憂鬱な気持ちのまま1日がスタートした。
学校に、行きたくない…と思ったのは、人生初めてだ。折れてたまるか!と無理矢理気合を入れて登校の支度をする。
行ってしまえばなんとかなる。最悪の日だったら、逃げ出せば良い。そう思えば気は楽だ。だけど何より、美月に頼ってしまいたくなるのが怖い。そこまで情けない男になりたくない。
良し!行け!そう自分に気合を入れて、自転車にまたがった。
秋は一層深まって、身体に触れて流れ去る空気が、数日前よりも更に穏やかだ。
もう数日で咲き始めるかな…放課後ちょっと見に行くか…今すぐ行ってしまいそうになる自分の逃げ腰の姿勢に気が付いて、学校に向かう自転車を漕ぐ足に力を込める。
一沙に会うこともなく、美月に会うこともなくたどり着いた教室で、既に来ていた美月は今日もクラスメートたちに囲まれていた。
「みことって言うんだ〜」
「こんなに可愛くなるなんて、ズルい〜」
そんな声が聞こえる。
美月の携帯が皆の手から手へと移されて行く。
あの猫の写真を見ているらしい。
「そんなに言うなら、治療費カンパしてやりゃ良いじゃん」
思わず俺はそう言っていた。
騒がしい声がピタッと止んで、皆が視線を泳がせる。
顔を上げた美月が慌てた顔をしている。俺は、美月を困らせたかったのか?
「大石くん。おはよう!」
いつもより増し増しの笑顔を作って、明るい声で言うと、
「また〜大石くん優しくて、美月感激して泣いちゃう。それは大丈夫って言ったでしょ?」
そう言いながら俺の方に歩いてくると、
「はい」
と言って液晶画面を俺の目の前に掲げると
「はじめまして。みことです♪」
そうアニメ声を出してふざけた。
液晶には、あの猫が大きな目をクリクリさせてこちらを見ている画像が映し出されていた。
「お、おう…」
俺は美月を困らせたかったのか?もう一度自問自答する。それとも、俺自身を?同じように丸い目をして俺を凝視する美月の瞳が、心配の色を宿している気がして、自己嫌悪が沸き起こる。
「親父が、いつでも勉強しに来いって」
思わず目をそらし、そう言った。
「本当?」
美月は弾んだ声で言うと、皆の方を振り返り、手を後ろに組んで照れたようなポーズで
「お近づきになっちゃった♪」
そう可愛く言った。皆がどっと笑い、冷やかす。
「もう〜美月ったら乙女♪」
「ちゃっかりしてる〜」
「転んでもただじゃ起きないね」
「お前ら受験生だろ〜将を射んと欲すればまず馬を射よだろ」
「うわ。嫌なこと思い出させるなよ」
「お前密かに勉強してるな!」
皆ざわざわと騒ぎ出し、安心して元の空気に戻って行く。
俺だけ、後味の悪い思いを味わってる。振り向いた美月の心配そうな視線が辛い。悪かったよ…最悪だったよな…
そんな俺たちを、いつからか教室の入り口に立ったままの一沙が見ていた。
騒ぎを上手に避けながら自分の席に着く。その自然な動きを視界の隅に捉えながら、誰も反応はしない。
椅子ががたんと音を立て、それで気が付いた美月が何か言おうとして、止めた。
一沙の背中が拒絶をしている。美月が、眉を哀しそうに下げ言葉を止めたのを、取り巻きは気がつかないふりをしている。
一沙のそんな強さに勇気を貰い、俺も自分の席に着く。静かに元の空気に戻っていく取り巻きたちの中で、笑顔を作りながら項垂れている美月を背中で感じて居た。
憂鬱な事に、修学旅行のプリントが配られた。
班決めがある。興味がない表情を崩さない一沙と、面倒な時期に…と思う俺以上に、浮かない表情の美月。今、何に思いを巡らせて居るかは容易に想像が付く。一沙と同じ班になろうとして居るはずだ。どうしたらそう出来るか、誰も傷つけずに。それを考えて居るんだろ。
俺と…ならやりようがある。だけどそれをしたら一沙を見捨てる事になる。だから出来ない。そんな真剣に目を丸くして悩まなくても良いんだ。本当に、諦めが悪い。
だけど、そんな美月の心配を無視して、一沙は不参加にさっさと丸をして提出した。
「修学旅行も授業の一環なのよ?家族と相談して…」
と言いかけて、担任は言葉を止めた。一沙の家庭事情を思い出したのだろう。
担任はそれで煙にまけても、手強いのはきっと美月の方だ。
「え。ダメだよ。一沙!私、もう一沙と同じ班で楽しむって決めてるから」
そう宣言した。
取り巻きたちがちょっと引きつった気がしたけど。
そう言って、腹が決まったのか、迷いのない笑顔で一沙を見つめて居る。
「私は…」
一沙が言いかけた言葉に
「楽しもうね?」
そう被せてきた。譲る気は無い。そんな美月の強靭さを皆が知って居る。
「あ〜じゃあ、私も良い?草太、章介も。で、誉君も、良いよね?」
そうハナちゃんが切り出した。
「美月が楽しめるメンバーで組もう?」
ハナちゃんはクラス一の美月ファン。信者だ。誰よりも美月の為に…と咄嗟に考えたにしては出来過ぎな提案だった。もしかしたら、この事態を心配してシミレーションしていたのかもしれない。誰かが不快感や反論を出す前に、纏めてしまおうと。
「俺たちは勿論okだから」
草太と章介も間髪入れずに頷いた。こいつらもグルか。
「ごめんね、皆。美月は貰った」
ハナちゃんは皆にそう宣言し
「しょうがないなぁ」
「美月取り合ってバトルより良いか」
皆が素直に引いたのも、きっと思惑通りだ。
美月がびっくりしたまんまる目で、そんなハナちゃんを見つめ、その肩に後ろからおでこをくっつけて
「楽しみ…」
と本当に嬉しそうに呟いた。
きっと誰よりもドキドキしていただろう美月は、本当に嬉しかったんだろうな。お前、良い友達持って居るよな。今回はそれに甘えるわ。俺。
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