第4話ニンブル危うし(将来的にも)
帝国銀行は正面に二人の重武装した騎士がおり、敬礼した彼らの横を通り過ぎると清潔な空間が出迎えた。
「あれで換気をしていますのね」
ソリュシャンは天井を見上げていった。
「はい、ご賢察の通りです」
ニンブルは武芸大会の優勝者を褒めるように言った。
銀行内は石の床が鏡のように磨かれ、白亜の壁や柱は清潔感と高級感を提供していた。天井には5つの魔法のシャンデリアが輝き、その照明の根元では羽根が回転して換気を行っている。田舎者がこの銀行に来ると羽根の意味がわからず、それを銀行員達に聞けば喜んで説明してくれるのだが、今日来た者達はそんなことをしない。
(なぜここに……?)
ニンブルが帝都案内をしてると急に二人が帝国銀行を見たいと言い出し、目的はわからなかったが了承した。予め言っていれば他の騎士に連絡して先回りさせるのだが、提案が突然だったために間に合っていない。
何人かの職員がぎょっとし、近づこうとするのを彼は手で制した。
「帝都内の商売は全てここで生まれると言っても過言ではありません。有望な商人や商会がいればむこうが資金を求める前にこちらから貸付に行きますから」
ニンブルは自分が運営しているかのように誇り高く言ったが、メイド達に特に反応はない。
「この部屋に警備の方がいらっしゃらないようですが、正面にいたお二人だけなのですか?」
この問いにニンブルは微笑んだ。
「まさか。警備の都合上詳しくは申せませんが、様々な対策が取られています」
銀行内には魔法的な警報が仕掛けられ、別の騎士達も待機部屋におり、銀行員の一人が魔術師であると彼は聞いていたが、そんなことを二人には言わない。魔導国が銀行強盗などという小さな企みをするとは思っていないが、相手に与える情報は少なければ少ないほど良い。
「特に金庫室はあらゆる対策が取られています」
「強盗は難しいということですわね?」
「もちろんです」
やけにこの話題に食いつくなとニンブルは思った。せっかくなので同じ話題を振ってみることにする。
「ナザリック地下大墳墓にもそういった部屋があると思いますが、万全の警備がとられているのではありませんか?」
「ええ、確かにそうですわね……」
ソリュシャンはそれ以上しゃべらない。
「金庫室をご覧になりますか?本来なら賓客であろうと許可することは難しいですが、お二人ならば可能です」
貸しを大きくするためにニンブルは難しいことを強調する(実際には中央市場で背負った大借金の返済なのだが)。
「いいえ、結構ですわ。二階は何をされるところかしら?」
「商談と事務的な仕事です。ご覧になりますか?」
「ええ、是非とも」
「私も見たいですぅ」
(金庫室ではなく……?)
ソリュシャンとエントマの楽しげな声に彼は困惑しつつ、二人を案内した。
二階でいくつかの部屋の前で立ち止まって説明しながらニンブルはソリュシャンの表情を伺う。興味深そうな顔で、時折、質問をはさんでいるが、彼にはそれが本気であるように思えなかった。銀行の経営や財政について細かなことを聞いてこないからだ。明らかにそちらの専門家ではない。
(何が狙いなんだ?まるで時間を稼いでいるような)
ニンブルがそう思った時、1階から悲鳴が上がった。続いて剣戟の音。
それが聞こえた瞬間、ニンブルと4人の騎士は剣を抜く。
「各員警戒!エルネオ、魔法で騎士団へ応援要請を!ホルンスト、1階を見てこい!」
ニンブルに命じられた部下達はすぐに行動を開始した。
「何があったのかしら?」
「わかりかねます」
のほほんと聞いたソリュシャンにニンブルは苛立ちを隠しながら言った。1階の悲鳴には間違いなく二人が関わってると感じた。
「敵4人!」
1階へ降りた部下が情報を大声で伝え、続いて剣が打ち合う音が一度聞こえた。
その直後、階段を上がってきたのは血に塗れた剣を持ったカエルのような男。そして部下らしき2名。1名は金庫室に行ってるとニンブルは推測した。
ニンブルたちは知らない。2時にこの銀行にかけている警報の魔法が一度切れ、魔術師がかけなおすことを。その隙を狙って強盗4名が建物内に入り、その魔術師をナイフの投擲で殺したことを。
「む?」
リーダーの男と部下たちは廊下で剣を構える5人の騎士に眉をひそめた。
「計画が漏れた……いや、その表情だと違うな。よほど運が悪かったか」
「兄貴、どうする!?」
「あいつ、"激風"ニンブルだ!やばいぜ!」
部下たちは慌てたがリーダーは冷静なままだ。
「お前たちはそこにいろ。俺があいつらを斬る」
「お二人を守れ。飛び道具に警戒。エルネオ、強化魔法を」
ニンブルの決断は迅速だった。部下との剣戟の音は一度しか聞こえず、敵が階段を上がってきたのはすぐだった。その根拠とは別に彼の勘が「あれは強い」と教えてくれた。
(おそらく互角……)
ニンブルは敵の力量を自分と互角に設定した。実際、それに近いはずであり、わずかに上ならそれを意識しないほうが良い。怯んだら勝てるものも勝てなくなる。精神安定薬のせいで動きが鈍っていることは思考から排除する。
「俺ばかり見ていいのか?女が危ないぞ」
わかりやすい誘導に彼はかからない。
男はそれを嬉しそうに見て、一気に距離を詰めた。
「はあっ!」
上段からの一撃。しかも神速の。
(受けるのはまずい!)
ニンブルは剣を押し下げられヘルムごと頭部を叩き割られる未来を予感し、斜めに構えて受け流す。
「むんっ!」
受け流した敵の剣は夢だったかのように消え、真横からの二撃目が受け流しで空いた脇に迫る。
武技:即応反射を相手が使ったことにニンブルは驚かず、自分も同じ武技で体勢を強制的に戻して攻撃を受け止めた。
「ほう」
男は再び距離を取り、「面白い」という顔をした。
「さすがは"激風"か。」
「お前はダリューシャだな?顔は違うが」
ニンブルは相手の太刀筋から手配書に書かれている一人の犯罪者の名前を言った。実は半分カマをかけたのだが、相手がにやりと笑ったので正解だと確信する。
「この男が!?」
「あの騎士の面汚しですか!?」
部下たちが嫌悪と怖気をこめて叫んだ。
「初手の上段攻撃が得意だったと聞いたが、武技で進歩したか。だが、ここで引導を渡してやる」
ニンブルのこめかみに青筋が立っている。
ダリューシャ・ケノン。かつて騎士団で「なかなかの腕」と評価されていた男が隠れて物資の横流しをしていたことに先代の皇帝が気づき、騎士10人が捕縛にかかった。彼はその10人のうち6人を斬り殺して逃亡に成功するという離れ業をやってのけ、当時の皇帝は「その実力を見せていれば昇給したものを!」と叫んだ。
「やれやれ。せっかく骨を潰して顔を変えたというのに。今より不細工にならなきゃいかん」
笑ったカエルがそこにいた。
「兄貴、長引くとまずいぜ」
「おっと、そうだった。本当はもっとやりたいんだが……」
ダリューシャは名残惜しそうな顔をしたが、あごをしゃくり、部下の一人が黒い球体を床へ投げつけた。煙幕だった。
「まずい!風を起こせ!」
ニンブルは即座に部下の魔術師に指示した。相手が逃亡してくれるならいい。自分達の任務は護衛なのだから。だが、ダリューシャの顔に逃げる意志が見えなかった。むこうに煙幕を可視化できる手段があるなら一方的な勝負になる。
ひゅっと空気を何かが切る音がした。
ニンブルは首と顔を守るが、その何かは真横をかすめ、「ぎゃあ!」とニンブルの背後で魔術師の悲鳴が上がる。
その直後、殺気が目の前に迫った。勘を信じて上段からの一撃に対応する。
勘は当たった。しかし、軽い感触。
上段は囮。
そう理解した瞬間、頭部に強い衝撃が加わった。
ダリューシャが放ったのは回し蹴りだった。ぎりぎりで武技:要塞を使ったが相手も何らかの武技も使ったらしく、ニンブルの体が吹き飛ぶ。生身なら首が折れていただろう。
意識が朦朧とする中で彼の耳に部下たちの悲鳴が聞こえた。
(あの二人は!?)
ニンブルはメイド達が殺されるとは思わなかったが、何かあれば帝国と4騎士の威光が失われると思った。
「きゃあ」
「あーれー」
メイド達の声が聞こえた。
「お二人とも!?」
「ははは、良い女だな。"あの人"が喜ぶだろう。頂いていくぞ」
ダリューシャの勝ち誇った声が遠ざかってゆく。
ニンブルは立ち上がろうとしたが、足がもつれて再び倒れた。
混濁する意識の中で彼は考えた。
魔導国はいったい何がしたいのだろうか。
帝国銀行からは金貨二千枚が強奪された。門番の二名と待機部屋の二名、そして所属の魔術師が殺され、銀行員が魅了で操られてしまったからだ。この事件は帝国銀行の歴史上最大の汚点となった。
実際には犯人たちは地下下水道を歩き、帝都を脱出していた。
「遅かったじゃないの。ちょっと……そいつらは誰よ?」
ダリューシャに情報を提供した娼婦、ドロワーは地下下水道から出てきた知らない女たちを見て怪訝な顔をした。
「仕方ないだろ。超のつく美人がいればさらってこいと"あの人"に言われてる」
ダリューシャは当然のように言った。
「あの人?」
彼女は意味がわからなかった。この危険な儲け話はダリューシャの発案であり、部下は3人だけのはずだ。
「誰のことを言ってるの?」
「あの人だよ。なあ?」
ダリューシャは仲間たちに言った。
「ああ、あの人だよ。あの……」
「ほら……えーと、名前はなんだっけ?」
「そういや名前を知らないな……」
異常な会話だった。
「あのぉ、気にしないでいいですよぉ」
シニョンの髪形をした女が言った。ドロワーが嫉妬から顔を切り裂いてやりたいと思うほどの美人だ。
「貴方達の役目はここまでね」
今度は金髪の美女がそう言うと男たちの首に順番に指を当てて言った。
指を当てられた男たちはビクッと体が痙攣し、手を放した後の杖のように地面に倒れた。
(この女たち……なんなの……?)
ドロワーは後ずさる。
「さて、エントマはこの女がいいでしょう?」
自分を指され、彼女はびくりとする。
「あー、やっぱりわかるぅ?」
エントマと呼ばれた女がくすくすと笑った。
「女の肉は久しぶりでしょうからね。私はこの男よ。丈夫だから長く遊べそうだもの」
金髪の女が目をうっとりさせてダリューシャを見た。
(なに?なんの話をしてるの?)
彼女は背筋が寒くなった。目の前の女たちは自分が想像もつかない恐ろしい話をしている。そんな感じがした。
「残りの3人はどうするぅ?3人じゃ半分こできないけどぉ」
「あら、できるじゃない?上と下で半分に分けましょう」
「あー、そっかぁ。さすがソリュシャン。姉妹だからやっぱり分け合わないとねぇ」
「ええ、そうね。姉妹ですもの」
二人はフフフと笑った後、一緒にドロワーを見た。
2対の目。それは卸す前の家畜を見るような目だった。
逃げないと殺される。そう確信した彼女は用意した馬車に走った。仲間が盗んできた金貨のことなど考えもしなかった。
その首にチクリと何かが刺さり、彼女は地面に倒れる。
動けない。意識はあるのに指一本動かせない。
「それではぁ、いただきまー……」
「こら!血が出ちゃうでしょう。食べるのは仕事が終わってからよ」
「あ……そうだったぁ」
体が麻痺した中でドロワーは「食べる」という言葉の意味を考え、文字通りの意味だという結論を必死に否定した。そんなわけがない。あの女たちが私を食べるなんて嘘だ。私は娼館でひたすら男たちに媚びて足を開いてきた。もっと報われていいはずだ。この犯罪で損をするのはクソッタレな金持ち連中だけ。ダリューシャに抱かれながらそう言われた時、この話に乗ろうと決めた。
そうだ。私はもっと報われていい。あいつらはもっと割を食っていい。人生は平等であるべきだ。
「いいや、生物の世界とはこういうものなんだよ」と彼女に教えるように、ドロワーの目の前で一匹の蜂のような虫が毒で麻痺させた獲物を巣穴へ運んでいった。
帝都の外で不審な馬車を発見したという
「魔法の罠は?」
彼は荷車の傍に降り立つと周囲を包囲している部隊の一人に聞いた。
「ありません。ですが、これも陽動かもしれません。ご注意を」
魔術師が言った。
ニンブルは幌を握り、物理的な罠がないかを確かめると一気に引き払った。
「これは……」
荷台にはロープでグルグル巻きにされたソリュシャンとエントマが座っており、その隣には金貨二千枚を詰めた複数の袋が置かれていた。
「ソリュシャン・イプシロン様……?」
彼はいぶかしんだがとりあえず彼女の拘束を解いた。
「ああ!恐ろしかったですわ!」
彼女はロープが解かれるなりニンブルの胸に抱きついた。
「うっ」と彼は身構えそうになる。
周囲の者は羨望と恍惚の混じった目をしているが、ニンブル自身は決していい気分ではなかった。彼女たちは間違いなくあの強盗団と関わりがあり、誘拐されたなど演技に決まっている。しかし、それでもなお美貌と演技に「この人は関係ないのでは」と思いたがる自分がいるとわかり、恐ろしくなったのだ。
「ソリュシャン・イプシロン様、犯人はどうなったのですか?」
「あの方々は
「……そうですか」
「きっと貴方方が魔法で連絡したせいで計画が崩れたのでしょう」
「……なるほど」
彼は少しも信じていなかった。
「本当にどうなることかと思いましたわ。けれど、貴方が助けに来てくれると信じていました」
妖しい微笑み。
「そ、そうですか」
彼は目をそらす。
「あ、そうでしたわ。私たちは帝国銀行まで見せてもらいましたのでもう満足です。今日の観光はこれで終わりにしようと思います」
「は?」
「帰りは転移で帰りますのでお気になさらず。エントマ、行きましょう」
「了解ですぅ」
二人はそう言うとさっさと転移の準備に入る。
「いや……あの……事件についてできれば聴取を……」
「あら?私たち、ひょっとして帰れませんの?」
ソリュシャンの悲しそうな目。
「いいえ!そのようなことはありません!」
帝国が難癖をつけてメイド達を拘束した。そう言って攻め込まれたら終わりだとニンブルは思った。彼は帝国のために死ぬ勇気こそあったが帝国を滅ぼした男になる勇気はなかった。
「よかったですわ」
ソリュシャンは一転して花のように笑った。
「それでは、皆様、またいつの日かお会いしましょう。あっ、一つ忘れていました」
ソリュシャンはニンブルの前に立つ。
上体を少し前に出し、そして離れた。
「今日のお礼ですわ」
彼女はそう言うとエントマと共に帰っていった。
「いったい……何がしたかったんだ……」
それはニンブルのセリフであり、後のジルクニフのセリフでもあった。
「そうか。銀行と騎士団に死者が出たか……」
アインズは少し残念そうに言った。
「はい。しかし、銀行の死者は初めから予定されておりましたし、奪われるはずだったお金は戻ってきたのですから、皇帝は感謝こそすれど不満など持つべきではないかと」
ソリュシャンは跪きながら意見を述べた。
「うむ……そうだな……。ニンブルが単なる雑魚という事も判明した」
(まあ、強盗団がいた事は事実なんだし、たまたま鉢合わせしたってことでいいよな?盗まれるはずだった金が返ってきたんだし、そこで許してもらおう……)
アインズはジルクニフが真相に気づかないことを祈った。
「ところで、褒美はあれらでよかったのか?」
連れて帰った強盗団のことだ。
「もちろんでございます!2.5人ずつ人間を拝領し、私もエントマも感無量でございます」
ソリュシャンは心からの感謝の言葉を述べた。
「2.5人……まあ、良かったな」
下がるがよい、という言葉を得て彼女は退室した。
「ソリュシャン、どうだったぁ?」
エントマが口をシャキシャキと言わせながら聞いた。
「アインズ様はご満足なさっていたわ。私も大満足よ」
「私もぉ、久しぶりの女の肉だから味わって食べたよぉ」
「貴女、あっという間だったじゃない……。もっと味わってほしいわね。私なんて今も」
ソリュシャンはそう言うと微笑みながらお腹をさすった。
「ふふ、元気に動いてる……」
「なんかぁ、知らない人が聞いたら勘違いしそうなセリフぅ」
「そうね」
彼女は笑う。
「でも、悪人は言うことが決まっててそこが退屈ね。許してくれとかごめんなさいとか。善良な人間ならいろいろと面白いことを言うのよ」
彼女はニンブルという男を思い出し、あれもいつか褒美に頂こうと決めた。唾は付けておいたのだから。
"激風"ニンブルの受難 M.M.M @MHK
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