第3話ソリュシャンの思いつき
「申し訳ありませんでした!」
最高級宿の一室でニンブルは謝罪する。あの現場には騎士団を呼び、店主を緊急逮捕した後で自宅の捜索が行われた。彼の証言どおり、解体された妻の遺体の一部が見つかった。
「貴方の責任ではありませんわ」
エントマがベッドで「うーん」と唸ってる横でソリュシャンは穏やかに言ったが、そんなわけにはいかない。魔導国にとんでもない負い目ができたことになる。税金と昼食代を奢った貸しが吹き飛び、巨額の借金ができたようなものだ。
ニンブルはあの事件が魔導国の犯行だと断定していた。少なくとも店主の犯行をあらかじめ知っていたはずだ。あまりにもタイミングが良すぎる。しかし、店主は言い争いから衝動的に妻を殺してしまい、死体を処分するために自分の仕事を利用したと証言している。帝国の魔術師が男を調べたし、皇帝から貸与された首飾りもかけてみたが、魔法で支配されているわけではなかった。
(アインズ・ウール・ゴウンはどういうつもりなんだ?)
ニンブルは必死に相手の狙いを考えた。中央市場の信用を失墜させて彼らに得るものがあるのだろうか。ない。こんなに遠回りで規模の小さい貸しを作ろうとするとも思えない。アンデッドだから生者である自分たちが困り果てるのを見て楽しんでいる。それくらいしか目的を思いつかなかった。
「少し体調は悪いですが、私もエントマも休めば治ります」
「必要なものがありましたらすぐに仰ってください」
彼は誠実さと真剣さが伝わるように言った。どこまでが演技か彼自身にもわからない。
「お優しいのですね」
「は?……いえ、これが私の仕事ですので」
ニンブルは警戒する。好意的反応を得られたなどと思わず、皇帝に忠告されたことを疑ったのだ。
(まさか俺を引き抜こうとしているのか?)
彼は考えた。ロウネ・ヴァミリネンという側近を手に入れ、次は4騎士の一人、そしてじわじわと皇帝の駒を盤上遊戯のように取ってゆく気なのでは。だとしたら絶対に魅入られてはならない。
「それでも、ですわ。皇帝陛下は素晴らしい部下をお持ちですわね」
「恐縮です」
彼は鎧の突起部分に手を押し付け、痛みによって正気を保つ。それでも、相手の美貌に心を乱されそうになる。魔導国の恐ろしさを知り、皇帝の忠告を胸に刻んでもこれなのだ。何も知らない者ならとっくに心を奪われているだろう。
ソリュシャンは自分のベッドに腰をかけて両手をつき、上体を少し後ろへ傾ける。このまま押し倒してしまっていいと告げられているようだった。
彼は本気で精神安定薬を飲もうと思った。ああいう薬は戦闘が始まった時に体の反応が遅れてまずいのだが、このままでは自分の職務が危うい(首飾りは魔法的効果しか防がない)。
「失礼します。部屋の外におりますのでいつでもお声を」
ニンブルは部屋から脱出した。
「さあ、エントマ。仕事よ」
「はーい」
ベッドで唸る演技をやめたエントマは起き上がり、大きな白い布を取り出す。薄く透けたそれを頭にかけるとメッセージで至高の御方に連絡を取った。
布は盗聴を防ぐための防音マジックアイテムである。魔法による透視透聴なら対抗魔法で防いでいるが、ナーベラルのように魔法で聴力を強化した者がいたり、部屋に伝声管が仕掛けられている可能性を考慮した結果だ。
「アインズ様、エントマです」
「おお、エントマ。例の件はどうなった?」
「無事に終了しました。店主は逮捕され、妻の死体も発見されたようです」
「そうか。それは良かった」
満足そうな声がエントマの耳に届く。
「実に回りくどい教え方だが、本当のことを言うわけにはいかないからな……」
アインズは残念そうに言った。
皇帝たちが聞けばどう思うだろうか。アインズは帝都を魔法で覗き、たまたま男が人間の死体でミンチを作るところを目撃してしまった。しかもその男は肉を料理に使うことで証拠隠滅を計っていた。同盟国のよしみもあり、こんな猟奇的事件を放置するのは流石にまずいだろうと思ったアインズだが、帝国に教えるとどうやってそれを発見したのか説明しなくてはならない。そこで偶然を装って犯行を露見させることにしたのだ。
「それともう一つ報告がございます。4騎士の1人、ニンブル・アーク・デイル・アノックが私たちに接触してきました」
「おお、残りの一人か。お前たちから見てどうだった?」
アインズは興味深そうに聞いた。
「単なる雑魚かと」
エントマは躊躇なく言った。
「そうか……」
「何か懸念されることがおありでしょうか……?」
エントマは恐る恐る聞いた。
「いや、他の3人より遥かに強い帝国の切り札みたいな存在だったらまずいと思ってな。4騎士のうち一人はマーレが殺して、二人はデスナイトに怯えていたらしいから単なる雑魚と思ったが、皇帝がニンブルという男だけ我々の前に出さないのが少し気になったのだ……。いや、お前たち、ご苦労だったな。もう帰ってもよいが、帝都を見学したいならもうしばらくいても良いぞ?」
「畏まりました。ソリュシャンと相談した上で決定致します」
そう言ってエントマは魔法を終了した。
エントマはソリュシャンを薄布の中に招いて密談を始めた。
「……そう、あの人間にアインズ様が警戒を」
ソリュシャンが不思議そうに言った。
「強そうな感じがしないよねぇ。あっ、アインズ様が街に興味がないならもう帰ってもいいと仰ってるけどぉ、どうするぅ?」
「まあ、いいのかしら。エントマ、私は一人で街をこっそり回ってみたいの。誰か来たら貴女が対応してくれないかしら?魔法で私の幻を作れるでしょう?」
「いいけどぉ、ソリュシャンってこの街が気にいったのぉ?」
「まあね……」
ソリュシャンは妖しく笑った。
宿にはニンブルとその部下、そして皇帝が指示した騎士や魔術師がネズミ一匹漏らさぬ監視体制を敷いていたが、ソリュシャンは誰にも気づかれずにあっさりそこを抜け出した。
彼女は他人の陰に潜みながら街を観察する。そこらじゅうを美味しそうな"食料"が歩いており、ソリュシャンの欲を刺激する。若々しい女、筋肉をつけた男、手を繋いで歩くカップル、子供を連れた母親、どれも元気で希望に満ちた目をしており、彼女は賞賛したくなる。
素晴らしい家畜小屋だと。
エントマは人間を単なる食料としか見ていないが、彼女は違う。人間は食べられる娯楽品だ。彼らが肉体や精神に苦痛を感じている時ほど面白いものはない。あの市場の人間たちなどなかなか良かった。料理を投げ捨て、嘔吐する男女。子供の口に指を入れ、必死に吐かせようとしている両親。口角が上がらないようにするのが大変だった。
とはいえ、見るより溶かす方がずっと楽しい。味と感触、悲鳴と悶えを同時に感じられる。その対象が無垢な者ならこの上ない喜びだ。いずれナザリック地下大墳墓が世界征服を進める過程で良い働きを見せれば、再び人間を与えて頂けるだろう。仕事の結果次第では無垢な者たちでさえ……。
ソリュシャンはその時に備えて今から品定めをしておきたかった。
(あのニンブルという男は活きが良さそうね……)
ソリュシャンはあの騎士について少し考える。無垢な赤子こそ最高だが、彼らの欠点は長く遊べないことだ。すぐ死んでしまう。まっすぐな瞳と丈夫そうな肉体を持つあれなら長く遊べるのではないか。帝都に入って以来、ニンブルより強そうな人間には出会っていない。騎士や冒険者などとすれ違うが、どれも弱そうだった。
(あら、この男は……)
彼女は影から影に移っている間に一人の面白い男を見つけた。
年齢は40歳ほどだろう。容姿ははっきり言えば良くない。石を叩きつけられてつぶれたカエルのような顔だ。だが、発達した筋肉、腰に下げた長剣と数本の短剣は非常に様になっているし、歩き方と気配から長い実戦経験を感じさせた。
ニンブルと同じくらいの強さ。ソリュシャンはそう判断し、彼の影に忍び込んだ。男は歩道を何分か歩き、一つの建物に入っていく。そこは酒と香水の香りが店内に満ち、男女の淫猥な声と音が小さく聞こえてくる。娼館だった。
「いらっしゃい」
「ドロワーはいるか?」
対応した店員に男は料金を払いながら聞いた。
「はい、一番奥の部屋です」
男は店内を歩く。通り過ぎるいくつかの部屋はドアがなく、中ではそれぞれの娼婦が仕事の真っ最中であるため声と音が筒抜けだった。何の仕切りもないのは娼婦の身の安全のためだというのはソリュシャンの知らないことだ。
それらを通り抜けるとドアのついた部屋があり、男はそこへ入った。
「遅かったわね、ダリューシャ」
濃い化粧をし、紫のドレスを着た女は酒の入ったグラスを傾けながら言った。ドレスは非常に薄く、その下に何も身につけていないことがわかる。
「もっと早く来たかったが、市場で騒ぎがあったせいで騎士たちが増えてた。誰かが人肉を混ぜた料理を売ってたらしい」
「貴方が来る日に限って事件?」
ドロワーという女は怪訝な顔をした。
「何か気づかれてるんじゃないの?」
「大丈夫だ。それより銀行は?」
「一番左手の一番奥にいる男。時刻は2時よ」
はあ、と男はため息をついた。
「それを知るためにずいぶん待たされたぞ」
「私だって大変だったのよ?」
ドロワーは憤慨した。
「私が何人の男におべっか言って足を開いたと思ってるの?感謝してよ。それで、いつやるの?」
「今日だ」
女は目を点にした。
「今日?え……?今日やるの?」
「時間が延びるほど予想外の事が起きる。市場に騎士が多いなら銀行周囲は少ないかもしれないしな。お前もこれが終わったらすぐに準備しろ」
男は服を脱ぎだした。
「え?ちょっと。今から私とする気?銀行を襲うんでしょ?」
「時間はある。お前に会うために金も払ってるんだ。やらなきゃ勿体無いだろう」
男はそう言ってドロワーの服を脱がせにかかった。
「ああ、もう。男ってのは。ちょっと待って。灯りを消すから」
「おいおい。そんなに顔を見るのが嫌か」
「文句言わないでよ。そのぶんサービスしてあげるから」
部屋の照明が消えるとやがて他の部屋と同じ淫猥な声が響き始めた。
「アインズ様、ご報告したいことがございます」
「む?ソリュシャンか」
アインズは予定にいない報告に少し戸惑った。
「お許しください。ご報告するに値するかわかりかねましたが、念のためにお伝えしようと思いました。帝都を見学中にたまたま銀行強盗の計画をする者達の話が耳に入ったのですが、いかが致しましょうか?」
「ん……?」
アインズは少しの間答えに窮した。銀行強盗。別にナザリックは正義の使者でも警察でもないのだから犯罪が起きるたびに帝国に教える義務はない。中央市場はあまりに特殊な事件だったから教えてやっただけで、ただの殺人なら見なかったことにしただろう。銀行強盗はそこまで特殊とはいえない。
しかし、ソリュシャンは続けた。
「アインズ様、私が見つけた男は人間の中でそれなりの強者のようです。これを操ってニンブルの力量を確かめてみてはどうかと愚考致しました」
「ほう、何か考えがあるのだな。面白そうだ。聞こうではないか」
ソリュシャンは自分の計画を話し始めた。
「私はぁ、趣味とかないですねぇ」
エントマはテーブルを挟んでニンブルに言った。
「そうですか」
彼は可能な限り爽やかな印象を持てるよう表情と声を調節した。飲み物を持ってきたという口実で再びメイドたちの部屋に入ったニンブルはソリュシャンがベッドで眠っているのを見てやはり体調が悪くなったのかと心配した。代わりに起きていたエントマが心配ないというので彼は今度は彼女から情報収集を試みることにしたのだが、ソリュシャンとは別の意味で苦労していた。
(このメイド、表情がまったく変わらないぞ……)
彼はそれなりに貴族社会で揉まれ、自分の表情を操り、相手の表情に気をつける習慣がついている。特に重要な表情は喜びと恐れだ。その2つで相手の欲と弱点がわかり、倒したいならそこを執拗に突けばよい。しかし、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータというメイドは眉や目どころか腹話術でもしてるかのように口さえ動かない。マジックアイテムを使っている可能性を彼は疑う。
「では、お休みの日は何をなさるのですか?」
ニンブルは軽く質問をする。ソリュシャンには動物が好きと言ってあるが、エントマの答え次第ではそちらも好きと豪語するつもりだ。趣味が一つであるなどと言った覚えはない。
「お休みですかぁ?そんなのありませんよぉ」
エントマは声だけ不思議そうにして言った。
「ない?休日がないのですか?」
「そうですよぉ」
「一度も、ですか?」
「そうですぅ」
エントマは口元を隠して飲み物を飲む。
それはずいぶんハードな勤務だなとニンブルは思った。帝国では労働者に休日や休憩時間を与えるよう定めた法律がある。絶対に遵守されているわけではないが、それでも休日がない仕事などありえない。そんな激務なら不満を持っている者が必ずいて、帝国の陣営に組み込めるのではないかと彼は期待した。
「それはとても大変ではありませんか?」
「なんでですかぁ?ご主人様のために働けるんですよぉ。幸せに決まってますぅ」
「幸せに決まってる……」
彼はそれが本心かを疑った。確かにニンブルも自分の職務に誇りを持っているし、皇帝と帝国のために死ぬ覚悟もある。しかし、それは主人が自分の人生や家族のことを考えてくれるからこそ尽くせるわけで、何も与えられないのでは奴隷と一緒だ。
「それでは、主人から意味のない危険な任務を与えられても構わないのですか?」
それはさすがに、とエントマが返すと彼は思っていた。
しかし、彼女は何の躊躇もなく言った。
「当たり前じゃないですかぁ」
その声は演技と思えなかった。一瞬の迷いもなかったからだ。まるで物が上から下へ落ちるような、夜が過ぎれば朝が来るような、まさに当たり前の事という響きがあり、ニンブルの方こそ間違っているのではないかと一瞬思ってしまった。
(そこまでの忠誠心があるというのか……)
ニンブルは動揺を覚え、このまま相手のペースに引き込まれることを恐れて別の話題を出すことにした。
「なるほど……。そういえば、その紅茶はどうです?ヒュロラという品種なのですが、お口に会いましたか?」
「実を言うとぉ、あんまり美味しくないですぅ」
エントマは彼自慢の一品に対して遠慮なく言った。
「そうですか……」
彼はエントマの性格に「遠慮がない」と付け加えた。
これなら重症覚悟でソリュシャンと話したほうがよいかもしれない。彼が暗澹たる気分になっていると後ろから声がかかった。
「アノック様」
彼は一瞬驚いたが、すぐに気分を切り替えた。
「ソリュシャン・イプシロン様、ご気分はいかがですか?」
彼は立ち上がって光り輝く美貌に声をかける。
「ええ、もう大丈夫です。寝顔を見られてしまいましたわね。恥ずかしいです」
ソリュシャンは眉を僅かにひそめ、恥じらいの表情をとる。どんな男も落とせるものだが、皇帝の許可を得て精神安定薬を飲んでいるニンブルはわずかな揺らぎで済んだ。
「いいえ、今日ほどこの職に就いて良かったと思う日はありません」
「まあ、意地悪な御方ですわ」
互いの演技を終えるとソリュシャンは一つのお願いをした。
「アノック様、できましたらもう一度帝都を案内していただけますか?」
「はい、どこへでもご案内します」
ニンブルは微笑みつつ、一つの不安を抱いていた。
まさか薬を飲むことさえ計算のうちではないだろうな、という不安だった。
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