第2話お肉じゅうじゅう
"激風"ニンブル・アーク・デイル・アノックは皇帝の忠告を軽んじていたと痛感した。任務の難易度は最上位どころではなかった。二人のメイドは普通の観光客のように店を回っているが、その美貌で周囲の男たちは老人も子供も恍惚状態になってゆく。弦楽器を鳴らして美に関する歌を歌っていた吟遊詩人は彼女たちを見て何も歌えなくなった。女も同じであり、時折、人生でいくつも賞賛を浴びてきただろう普通の美女達が敗北感に打ちのめされる。ニンブルも恍惚になる男たちの一人になる寸前だった。
彼は結婚していない。身分ゆえに美しい花嫁候補は無数にいるし、独身にこだわっているわけではないが、この人こそと思える相手に会えないのだ。そんな男もあれら美の極地を見ていると変な魔法にかかりそうになる。特に、無表情のエントマと違い、ソリュシャンという女は官能的な微笑みが凹凸ある体と相まって男の本能を強烈に刺激している。
(表情豊かなソリュシャンの方が心を読みやすいから彼女を優先しろと陛下は判断されたのだろうな。確かにそうだが、これほど妖艶な女は始めてだ……。いかん!あれらは人間ではないぞ!)
彼は首を振る。
「どうかなさいましたか?」
ソリュシャンが聞いた。その瞳に彼は吸い込まれそうになる。
「いいえ、なんでもありません。何も買われていないようですが、帝都の品ではお気に召すものはありませんか?より高級な品でしたら店を知っていますが、さすがにゴウン陛下のお屋敷の品々と比べれば石ころのようなものでして……」
彼は全くの真実を言う。帝国のどんな宝物もあれらには及ばない。
「いいえ、この市場も十分に楽しいですわ」
「そうですか。よろしければ、あれらの美術品はどちらで手に入れられたのか教えていただけませんか?」
ニンブルは恐る恐る世間話を兼ねた探りを入れてみる。
「遠いところから、ですわよ」
彼女は微笑みと共に言った。
「そうですか」
(話す気はなしか)
彼は別の話題を投げてみることにした。
「ところで、ロウネ・ヴァリミネンはそちらで上手くやっていますか?」
「あら?ヴァミリネン様ではなかったのですか?」
彼女は不思議そうに言った。
「あっ!申し訳ありません!ヴァリミネンという名前の高官もいまして、よく混同するのです」
彼は恥ずかしそうな顔を作って言った。
「そうですか。ふふ。確かに紛らわしい名前ですわね」
彼女は楽しそうに笑った。
(頭の良いメイドだな……)
ニンブルはそう思った。今、彼はわざと名前を間違えた。皇帝にかつて聞かされた性格分析法だ。相手が知っている事のうち細かな部分をわざと間違え、相手が間違いを訂正すれば記憶力がよく、神経質な性格かもしれない。訂正しなければ記憶力が悪いか、大雑把、あるいは知ったかぶりをする性格だ。
(あの王が馬鹿を寄越すはずがないか。当然だが、これでは情報を引き出すのは難しいな)
「ヴァミリネン様は良い仕事をされていますわ。ご心配なく」
ソリュシャンはそう言ったが、良い仕事の意味を考えてニンブルは陰鬱になった。
彼がその話題を続けるか次の話題に移るか迷っていると、ソリュシャンが先に口を開いた。
「あら、良い匂いがしますわね」
ソリュシャンは美しい鼻梁を少し上げる。姫君が庭園の花を香るような仕草で周囲の男達は恍惚となる。だが、実際には果物とパンの匂い、そして油と肉の焼ける匂いが混ぜこぜになって漂い、かなり胃の腑を刺激するものだった。
「ここからは食料品が多く売られています」
ニンブルの言ったとおり、食料品が多く売られている区画に彼らは入っていた。熟れた果実や野菜、焼かれた肉や魚、焼いたばかりのパン、それを使った惣菜があちこちに並び、売り子や店主が威勢よく呼び込みをしていた。
「いかがでしょう?ナザリック地下大墳墓とは比較になるはずもありませんが、戯れと思ってご賞味されては?」
ニンブルは断るだろうと思ったが誘ってみた。万が一にも興味を持てば儲けものだ。帝国に少しでも好意を覚えてもらいたいし、同じものを食べて胃が満たされれば緊張が緩み、心に隙ができるかもしれない。貴族が行う昼食会や夕食会にはそういう目的がある。酒に酔って口が軽くなれば最高だが、さすがにそこまでは期待しない。
「そうですわね。どれにしようかしら」
ソリュシャンは店を選び出した。
「え、本当に食べるのか?」という驚きが顔に出そうになり、ニンブルは堪える。まさか誘いに乗ってくるとは思わなかった。
「ソリュシャン、私はぁ、あの店がいいなぁ」
エントマが指した先には行列のできた店があり、背の高い男が鉄板の上でひき肉を炒めていた。
「ミミシュですか……」
ひき肉をソースと絡め、薄く延ばして焼いた生地で包む帝国料理の一つだ。
ニンブルは店を観察する。帝国が許可した店しかないので衛生面で問題はないはずだが、たまに無許可営業する不届き者がいる。
「いいわね。美味しそうだわ」
ソリュシャンも同意した。
ここでニンブルは考える。自分が料金を払うのが無礼なのか、それとも払わないのが無礼なのか。後者だと彼は判断する。彼女たちは皇帝の指示により検問で税を免除されており、そこで頑なに払おうとしたという報告はない。
「私が買ってきましょう。お二人はこちらでお待ちください」
ニンブルはなるべく爽やかな雰囲気を出して言った。
「あら、そうですの?お願いしてもよろしいかしら?」
ソリュシャンの微笑にニンブルは呪文抵抗するように耐え、部下達に「お二人を頼むぞ」と目で伝えて店に行った。部下に買いに行かせようかと思ったが、確認したいことがあった。
「店主、営業許可証を確認したのだが?」
行列を無視して現れた"激風"の問いに店主は一瞬ぎょっとなったが慌てて許可証を出した。
「こ、こちらにあります」
「ふむ……、問題ないな。」
彼は店自体にも問題がないか確認する。店主は清潔な身なりであるし、食材は氷の入った箱に保存されており、食中毒の心配はなさそうだ。
何人分を注文しようかニンブルは迷った。二人と同じものを食べれば雰囲気は和むだろうが、料理で手がふさがるのはまずい。
「すまないが、帝国にとって重要な客人がいる。2人分用意してくれ」
「は、はい」
店主は急いで二人分の料理を作り、ニンブルに手渡した。
行列の客たちは怪訝な顔をしたが、その客人らしき美女達を見て恍惚となる。
「お待たせしました」
駆け足で戻った彼はハンカチを敷いて長椅子に座った二人に料理を手渡す。
「ありがとうございます。お幾らでしたか?」
「いえ、どうかここは私に払わせてください。陛下に叱られますので」
ソリュシャンがそう言う横でエントマは口元を隠しながら料理を食べ始めた。こちらのメイドは食欲旺盛と彼は脳内のノートに書き込みながら、切実な顔を作った。
「うーん……」
ソリュシャンが軽く眉をひそめたが、それはすぐ終わった。
「では、皇帝陛下にお礼を申し上げておいて頂けますか?」
「はい、必ず!」
彼は安堵の息をつきたくなった。
「おいしいですぅ」
エントマが口元を隠しながら嬉しそうに言った。
ソリュシャンもミミシュをこれ以上ないというほど優雅に食べる。
彼女の口が動き、唇をちろりと舐める瞬間、周囲の男達は体の奥底が熱くなるのを感じた。
(あれは人間でない)
ニンブルは神官の祈りのように唱える。相手は王国軍を虐殺した魔導王の部下なのだ。彼は魔法の首飾りが純粋な美や淫靡さに対して効果がないことを悔やんだ。
「まあ、これは美味しいですわ」
「それはよかったです」
ここで彼は自分が二人を誘惑することなど可能かを考える。皇帝ほどではないにせよ、彼も女性の扱いは知っている。相手をとにかく褒め、好きな話を振り、共通の話題を見つけて運命を感じさせる。そんなところだが、彼女たちの種族はどうなのだろうか。近種族でもエルフと人間では常識が違ったりする。扱いを間違えれば危険だ。
しかし、皇帝の言葉を思い出す。なんの危険も冒さない者は何もできない。
「ソリュシャン・イプシロン様はご趣味などおありですか?」
彼女は口内のものを飲み込むと楽しげな顔をした。
ひとまず落とし穴は踏まなかったようで彼は安堵する。
「そうですわね……。動物の観察、など好きですわ」
「おお、それは奇遇ですね!私も鳥や小動物が好きなのです」
ニンブルはこれ以上の幸福はないという顔を作って言った。
彼は嘘は言っていない。彼の趣味は紅茶探しや茶会だが、どんな話題でも最低限の会話ができるように教育を受けている。文学、歴史、芸術、武術、商売、地理。一般教養として動植物の知識もあるし、それらが嫌いなわけではない。
「鳥の観察ですか?私の屋敷にも帝国雀やヤマワタリが来ますよ。妹もあれらが好きなのです」
「いえ、鳥ではないのですが……」
ソリュシャンは少し言いよどむ。
「というと……?」
ニンブルの問いにソリュシャンはミミシュを口に運ぶ。
「……犬、いえ、豚のようなものでしょうか」
「豚のような?」
彼はつい聞き返してしまった。豚のような生き物ならそれは豚以外にあるのか。
「魔導国に生息する動物ですか?それなら私の知らない生き物なのでしょうね」
「ええ、まあ……」
ソリュシャンが始めて困ったような顔をした。
このまま追求すると機嫌を損ねそうなのでニンブルは話題を変えようとしたが、彼女は別のことを言った。
「この料理のお肉、なんという動物なのですか?」
「え?豚だと思いますが?」
彼は奇妙な質問に面食らった。ミミシュは普通なら豚肉しか使わない。
「ねえ、エントマ。変わった味だと思わない?」
「うん、不思議な味だよねぇ」
ニンブルは眉をひそめた。食べ物に難癖をつけて問題を起こす気だろうかと不安になる。
ソリュシャンは残った料理を食べ終わると屋台のほうへ歩き出した。ニンブルもそれに続く。
彼女は行列を当たり前のように無視して店主の前に立った。
「ご店主、このお肉はなんという動物か聞いてもよろしいかしら?」
「へ?」
店主はなんともいえない表情を取った。
「ぶ、豚ですが……?」
「いえ、そうではないと思いますわ。味がぜんぜん違いますもの」
「ソリュシャン・イプシロン様、あの料理に何か問題がありましたか?」
彼は相手の意図を必死に考えたがわからなかった。
しかし、同時に店主の表情がおかしいと気づく。変化がなさ過ぎる。言いがかりをつけられたなら不安や怒りなどが顔に出るはずだ。やましいことがあって表情に出すまいとしている。そんな感じだ。
「店主、何か心当たりがあるのか?」
「いいえ、まさか!」
店主の顔にやはり不自然さを感じたニンブルは保存用の箱からひき肉を出した。肉屋の知識はないので何かおかしな点がないか調べる。しかし、異物が混ざってるわけでも異臭がするわけでもない。痛んだ肉を使えば罰金と営業停止処分なのだが。
「ねえ、ご店主?」
「はい……?」
ソリュシャンは息がかかるほど顔を近くに寄せる。店主の顔に赤みが差し、次に顔中の筋肉が緩んだ。とろんと。
あんな美貌が目の前に来れば当然だと人々は思ったが、ニンブルだけは違う。
(あれは魅了の魔法にかかった時に似ている……)
「ご店主、何を隠しているのか教えてくださらない?」
ソリュシャンは優しげに言った。
「お、お、おれは……一昨日、女房を殺しました……」
周囲にいくつか女の悲鳴が上がった。
「殺したあとはどうなさったの?」
店主は虚ろな眼をしたまま恐ろしい答えを放った。
「大きくて運べないのでひき肉にしました……」
周囲の者は静かになった。聞こえるのはじゅうじゅうという肉が焼ける音。
「それが今日の料理ということね?」
「はい………」
じゅうじゅう。
じゅうじゅう。
その音と胃の腑を刺激する匂い、そして目の前で焼かれている物の正体を理解し、行列に参加した者達は今度こそ男女問わず悲鳴を上げ、逃げ出した。途中で多くの者が耐え切れず嘔吐する。
ニンブルだけが必死にそれに耐え、自分が手に持った被害者の一部を見た。
彼はほんの少しだけ安堵していた。これを食べていたら自分もあの中の一人だっただろうから。
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