"激風"ニンブルの受難

M.M.M

第1話メイドが来た

人の波が右へ左へうごめく中央市場はスリにとって格好の稼ぎ場である。友人や店員、あるいは商品に意識を集中させている者のポケットやバッグから金品を盗み出す作業は素人が思うほど難しくはない。今日も一人のスリが女性のバッグに狙いを定め、手を伸ばしている所だった。

その手を鍛え上げられた別の手がつかみ、ぎりっと握力を加えた。

「ぎゃあ!」

尋常でない握力に彼は悲鳴を上げる。冗談ではなく潰れてしまう。

スリがその手の主を見ると性悪そうな顔に驚きと後悔が浮かんだ。

顔と実力は誰もが知る帝国最強の騎士の一人ニンブル・アーク・デイル・アノックであったからだ。こんな雑踏でなければ必ず気づき、近寄らなかっただろう。

「なんであんたがこんな場所に……!」

スリの質問に美男の騎士は答えず、相応しい言葉を送った。

「クズめ。こいつを連れて行け」

男がそう命じると傍にいたもう一人の男がスリの首根っこを捕まえ、連れて行った。

はあ、と男は息を吐く。

「申し訳ありません。帝都は治安がよいのですが、こういった場所は人が多すぎて騎士の巡回が間に合わないのです」

「構いません」

美しい声がニンブルの鼓膜を揺すった。

その相手は彼が見たどんな女性より美しく、また、妖しい雰囲気をまとっていた。

後ろから見るだけでも凹凸がはっきりした体と黄金のような髪にどんな美女かと確かめたくなるだろう。そして、神々が作り上げたような美貌を見てこの世のどんな男も彼女のためなら財産をすべて投げ出し、人も殺すと誓うはずだ。

「感謝します、ニンブル・アーク・デイル・アノック様」

「アノックで結構ですよ、ソリュシャン・イプシロン様」

彼はソリュシャンとその隣にいるメイド、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータに微笑んだ。

他国からやってきた単なるメイドにフルネームで様付けなどありえないが、相手もその国も普通でないのだから仕方がない。しかも相手がやめるよう言ってこない。

「私如きが貴方の護衛を務めるなど滑稽だと思われるでしょうが、これは陛下から私への厳命です。ご容赦ください」

「私如きなどとご謙遜を。恐縮ですわ」

ソリュシャンは妖艶に微笑んで言った。

(自分が強いことは否定しないか……)

ニンブルは脳内のノートにその事を書き留めた。

4騎士の一人"雷光"バジウッドが言うには、彼がナザリックで出会った時、メイド達からはデスナイト以上の強者の雰囲気を感じたらしい。普通なら一笑に付すことだが、命のやり取りを繰り返した戦士の勘はどんな理屈よりも当てになる。ニンブルはこのメイド達が強いとほぼ断定していた。だが、論理的根拠を得たことで緊張が増す。

「本当にこちらでよろしいのでしょうか?帝国魔法学院や歴史館などをご覧になりたいのでしたら仰ってください。本来は手続きが必要ですが、お二人なら不要です」

「いえ、こちらで結構です」

ソリュシャンは丁重に断った。

手続き省略によって貸しを作ることが嫌なのかと彼は思う。外交官だったら当然警戒することだ。些細なことでも金銭的援助や政治的援助を受けて相手に貸しを作ると後の交渉で「あの時に助けてあげただろう?」と言い出される。

「どこかご覧になりたい物がありますか?宝石類や貴金属を売る店ならご案内します」

ニンブルは聞いてみる。そういう高級品は市場ではなく一見の客など入れない店にあり、たいていは客のほうから商人を呼び付ける、などとは言わない。とにかく二人を中央市場から引き離したいからだ。先ほどのスリもそうだが、雑踏の中では警備が難しい。

「いえ、具体的には。このまま適当に歩くだけでも楽しいですわよ。ねえ、エントマ?」

「はい、楽しいですぅ」

エントマは表情こそ変わらないが楽しそうな声で言った。

ソリュシャンとエントマは優雅に歩き出し、ニンブルとその部下たちは周囲に警戒しながらついてゆく。

(いったい何が目的なんだ?)

彼は周囲を警戒しながらも二人の会話や仕草を真剣に観察する。

ニンブルは必死だった。自分の仕事が護衛というのは建前で、実質的には外交であり諜報であり監視なのだから。魔導国が二人を"観光"に行かせた目的を考えねばならない。



話は1時間ほど遡る。

帝都の検問をしていた騎士たちは余にも美しい美女二人がふらりと徒歩でやってきたことでまず警戒した。最も近い都市からでも徒歩で移動する者などおらず、女性二人というのは尚更ありえない。彼女たちが魔導国から来たことを伝えると一人の魔術師がメッセージの魔法で帝城に連絡し、誤報でないことを証明するために騎士が馬を走らせた。魔導国の関係者やその疑いがある者を見かけたら即刻報告しろと厳命されていたからだ。

帝城では皇帝と側近たちがテーブルを囲み、「観光目的で来ました」と言ってやって来たメイドたちの真の目的について論を交わしていた。

「裏の裏を書いて誰かと会う可能性を忘れるべきでないだろう?」

「それなら密入国しているはずだ。ドラゴンの一件でこの国の防衛機能は通じないと証明されているからな。おっと、皇室空護兵団を批判するわけでないぞ」

「騒ぎを起こしてこちらの責任問題にする可能性は?」

「大いにありうる」

「二人のメイドは陽動で、別働隊がいるかもしれません」

「陽動ならもっと人手のかかる事をするはずだ」

「とにかく監視する者を送りましょう。そのメイドと接触して情報を引き出すべきです。可能なら褒美をちらつかせて勧誘し……」

「それこそが狙いなのでは?こちらに偽情報を送るか二重スパイになるつもりで……」

「ならばなおさらだ。魔導国の情報が少なすぎる。嘘でも分析すればいい」

「同意する。3重スパイに仕立てることも可能だ」

側近たちが論を交わしているのを皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは眺める。

彼が選んだ優秀な部下たちであり、発言にもなかなか意味がある。こちらがメイドに接触することが狙いだという発言を彼は支持する。相手はわざわざ検問で身分を知らせ、自分たちがここに集まって討論することを予想しているはずだ。そして、こちらがそれに気づくことも予想している。では、こちらはその先を予想するか?しかし、相手もその先を予想しているはずで、ならばさらにその先を…………。

切りがない。考えるほどに思考の迷路に入ってゆく。

(揺るぎない事実を踏まえるべきだ。魔導国は帝国と同盟を結んだばかりで、今すぐ滅ぼす気はない。軍事的にも他の観点からもすでに圧倒的に有利なのだからこちらを陥れる必要はない。メイドへの対応を見たいのか?)

ジルクニフは考える。普通に考えれば未知の国の内情にそれなりに詳しいであろう人物がやってくれば誰でも接触したがる。相手に軍事力がないなら違法な行為に誘導して逮捕する手さえ考慮するだろう。無論、魔導国にそんな真似はできない。では、何もしなければよいか?それも悪手だ。こちらが臆病者か無能と思われかねない。突然やってきた「餌」に欲張らず恐れず対応できるかをアインズ・ウール・ゴウンは確かめているのかもしれない。ならば、ならば絶妙な加減をとって帝国の有能さを見せるべきだ。有能な駒と思わせれば簡単には捨てられない。

(賓客なら私が対応するのだが……クソ)

ジルクニフは悪態代わりに手を強く握る。相手が外交官の類なら城に招いて接待し、いくつも異性や品を見せて欲を刺激したり、酒を交わしながら密談もできるが、相手はただのメイドだ。しかも観光で来たと言っているので皇帝や側近は出られない。身分を隠して接触するのは露骨すぎて無能を曝すことになる。

かといって、下級役人では話にならない。ナザリックで出会ったメイド、ユリ・アルファと同じくらいの美貌を持つ彼女達もアインズの寵愛を受けている可能性はある。ダークエルフの双子たちや側近ほどの権力はないだろうが、低からぬ立場であるはずだ。人間でないという話だが、近種族か、少なくとも人間に近い思考を持っているのは間違いない(でなければ人間の接客などできない)。十分に話の通じる相手を放っておく手はない。

「接触するのは当然だ。問題は誰がやるかだ」

ジルクニフの発言に周囲は一瞬静かになり、それぞれが候補になりそうな名前をあげる。

しかし、彼は別の名前を呼んだ。

「"激風"。困難な仕事は好きか?」

「はい!私が大好きなものです!」

激風ことニンブル・アーク・デイル・アノックは迷わず応じた。他の部下がいる手前で躊躇や怯えなど見せられない。しかし、内心は動揺していた。自分は戦いだけが取り柄の男ではないが、それでも謀略が格段に上手いわけではない。皇帝の前にいる高官たちのほうが得意だろう。だが、皇帝が彼を呼ぶ以上それが最善手であることを疑わない。

「部下を5人連れてソリュシャン・イプシロン嬢を護衛しろ。騎士4人、魔術師1人だ。もちろんエントマという女性もお守りしろ。どのような性格かわからないが、繊細な人物なら"それに応じた対応"をとれ」

情報を得るのはソリュシャンを優先しろ、ただしエントマが御しやすい性格なら標的を切り替えろという意味だとニンブルは理解した。なるほどと彼は思う。護衛という建前ならあちらも断る理由はないはずだ。断ったら特別な任務があるということで、別の監視手段をとればよい。皇帝を守る4騎士の一人がメイドを護衛するなど本来ありえないが、それだけ魔導国を重要視しているといえば相手も悪い気はしないだろう。

「畏まりました!」

「これを貸してやる」

ジルクニフはジャラリと音を立てて一つの装飾品を投げて寄越した。

「これは……!」

ニンブルが受け取ったのは精神系魔法を無効化するメダルだった。皇帝を守る重要な品であり、誰かに貸し出したことはない。

「よろしいのですか?相手の狙いがそこである可能性も……」

「わかっている」

ジルクニフは忌々しそうに言った。

「だが、なんの危険も冒さない者は何もできない。二人の"護衛"をしっかり頼むぞ」

「は!」

ニンブルは自分に任された仕事を考える。護衛はもちろんだが、二人のメイドからできるかぎり多くの情報を引き出し、貸しを作り、可能ならこちらの陣営に引き込む。そんなところだろう。直接の指示を出さないのは魔法で尋問された時のためだ。皇帝から貸与された首飾りは精神系魔法を無効化するが、力ずくで外されたら終わりである。あのメイド達ならそれが可能なはずだ。

「陛下の護衛は任せろ。そっちもしっかりやれよ」

戦闘以外が不得意な4騎士"雷光"バジウッドが鼓舞する。

「わかっている」

困難な任務だがやるしかないとニンブルは腹をくくった。

「あまり肩に力を入れ過ぎるな」

ジルクニフが忠告する。

「成功するものもしなくなる。一応言っておくが、あのメイドに惚れた惚れられたなどという展開は勘弁してくれよ?私は卒倒するぞ」

その冗談に部屋は軽い笑いに包まれ、少しだけ朗らかな雰囲気になった。

こういう部分も皇帝の素晴らしい能力だとニンブルは思った。だが、同時に彼はジルクニフの冷たい目が告げる裏の意味にも気づいた。あの美人に誘惑されるなという忠告。そして可能なら誘惑しろという命令だ。色はいつでも武器になる。

ニンブルは任務の難易度を最上位に設定した。

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