46:車酔い&夏バテのダブルパンチ

 夏休みも中盤にさしかかって、お盆休み。

 家から一歩たりとも出たくないような日が続いているけど、そんな中で、私たちは温泉旅行に来ていた。

 来ていた、というか……現在、向かっている途中なんだけども。


「あつい……バテる……」

「咲姫ったらそればっかり。ちょっとサービスエリアに寄っただけなのに」

「車もきついけど外もきつい……」


 車酔いがひどかったから外に出たのに、今度は日差しの暑さでやられかけていた。

 私はあんまり三半規管が強くないらしく、車移動と車酔いは基本セットだった。薬を飲んでたって多少症状が緩和される程度。

 百合川陽良の家の車に乗ったときは、全然酔わなくてビックリしたけど。あれは車の格が違ったからなんだろうなぁ。


「車に戻れそう? それとも休憩取る?」

「旅館につくの遅くなっちゃうじゃん……」

「誰も気にしないと思うけどね」


 それでも、私が気にする。だって、みんなが楽しみにしていた旅行だ。

 季人の家族と、私の家族での、温泉旅行。

 それはつまり……母さんの再婚相手を含めた、初めての六人での旅行。

 この日のために再婚相手――賢さんは何が何でも休みを取らねばと仕事の鬼になっていたと母さんに聞いたし、伯父さんも伯母さんもずっとうきうきしていた。

 そんなところに、たかが車酔いで水を差したくない。酔ってる時点ですでに差してしまってるかもしれないけど、これ以上は。


「よしよし、咲姫はいい子だね」


 何も言ってないのに、季人はわかってるよとばかりに頭を撫でてくれた。

 その心地よさに、一瞬だけ暑さも気持ち悪さも忘れた。

 つくづく、季人には敵わないなと思い知る。


「咲姫ちゃんだいじょうぶ? お父さんの運転荒かったかしら」


 季人に手を引かれて車まで戻ると、助手席から伯母さんが顔を出してきた。

 心配そうに声をかけられて、私はなんとか笑みを浮かべる。たぶんだいぶ不格好だろうけど。


「大丈夫。ちょっと夏バテっぽいだけだよ」

「向こう着くまで寝ていたらどう?」

「そうしようかな……」


 この日のために伯父さんが借りてくれたワゴン車の後ろに季人と乗り込む。ちなみに母さんと賢さんが真ん中の席だ。

 大丈夫? と心配してくれる母さんたちにも適当に返して席に座り、ふうとため息をつく。やっぱり車内は涼しい。


「季人」

「はい、どうぞ」


 名前を呼んだだけなのに、季人は膝をポンポンと叩いた。

 何から何まで、言わなくても理解してくれるんだからありがたいというか、少し怖いくらいだ。

 素直に膝を借りて横になると、目元に影ができた。寝やすいようにハンカチか何かをかけてくれたらしい。


「あらあら?」

「……ごめんね、季人くん。咲姫ったらまったくいつまでも甘えん坊で……」

「俺も好きでやってるから」

「ありがたいけど、ちょっと心配だわ。あんまり甘やかしちゃだめよ」

「うーん、かわいい従妹だからなぁ」

「咲姫ちゃんのほうが先に従兄離れしちゃうんじゃない? そうしたら季人泣いちゃうわね」

「そうだね、泣くかも」

「もう、義姉さんったら……」


 かしましい母さんと伯母さんを軽く受け流す季人。伯父さんは運転に集中してるんだろうけど、賢さんが居心地悪くないかが心配だ。

 そんな話し声も、だんだんただのBGMになっていく。

 うつらうつらとする意識の中で、たまに背中をさする優しい手の存在だけはやけにはっきり感じられた。



  * * * *



 寝れたことには寝れたけど、やっぱり車の中じゃ熟睡とまではいかなくて。

 少しはマシになったものの、すぐに動けそうになかった私は、旅館についてすぐにふかふかの布団のお世話になった。

 男女で分けて取った部屋の女側で、今は季人についてもらっている。

 みんな、特に母さんがすごい心配してくれたんだけど、ぞろぞろ一部屋に固まっててもしょうがないし、私は大丈夫だからって言ってとりあえず汗を流しに行ってもらった。

 温泉は今回の一番の目的だしね。私のせいで時間を無駄にするのはもったいない。


「……季人も行ってきてよかったのに」


 心配症の母さんが引き下がったのは、季人が「俺がついてるから」と言ってくれたからだけど。私は季人にも楽しんできてほしかったんだけどな。

 たかが車酔いだ。しばらく横になってればすぐ元通りなのは、長い付き合いの季人だって知ってるのに。


「別に、二泊三日なんだからこれから何度でも入れるし。父さんたちほど温泉が好きってわけでもないしね」

「ならいいんだけど……」

「咲姫の心配しながら温泉に入るより、咲姫の傍で心配してるほうが俺にとっては有意義な時間だよ」

「まったく……」


 いつもながら、甘い。甘すぎる。

 こんなにシスコンな従兄弟なんて、少なくとも私の周りでは聞いたことない。友だちにはよくうらやましがられたっけ。

 まあ、たしかに温泉を一番楽しみにしてたのは伯父さんだった。寡黙な伯父さんは趣味が渋いから、パチンコや競馬より将棋や囲碁だし、食の好みも洋食より和食派。母さんも神社仏閣巡りが好きなことを考えると、兄妹そろって渋好みだ。


「水飲む? お昼ほとんど食べてなかったけど、お腹空いてきたら売店で何か買ってこようか」

「いつも以上に甲斐甲斐しいね」

「かわいい従妹だからね」

「またそれ」

「本当のことだし」


 季人は微笑みながら私の頭をそっと撫でる。

 いつもなら子ども扱いって怒るところだけど、弱ってる今はその丁寧に毛づくろいされる感じがなんとも気持ちいい。

 季人が傍にいると、安心する。弱ってる自分をそのまま見せられる。

 ほとんど無意識に張っていた気が、ゆるゆると抜けていくのを感じる。


「もうちょっと横になってなよ。寝れないならまた膝貸そうか?」

「……もういい。今考えると、あれはちょっと恥ずかしかった。賢さんの前だったのに」


 すぐ後ろの座席だったから、ちょっと覗き込んだら見えてしまう距離だった。あんな姿を見られてたかと思うと無性に恥ずかしくなってくる。

 調子が悪かったんだから仕方ない。そういうことにしておきたい。


「そっちの照れか。残念」

「なにが」

「ううん、なんでも」


 微笑みひとつで流されてしまった。

 まあいいか、よくわからないけどごまかされてあげよう。まだ本調子じゃないし。


「いいんじゃないかな、少しずつでも自分を見せられるようになってるなら」


 なで、なで。

 大きな、あったかい手が頭の上をゆっくりと往復していく。

 いつも私に安心を与えてくれる手。私の心を宥めてくれる声。私を見守ってくれている瞳。

 季人の前だと、私は簡単に丸裸になる。


「……まだ、やっぱり、色々難しいんだけど。嫌いじゃないっていうか、どっちかというと好きというか。いい人だと思うし、歓迎もしてるんだよ」


 ふう、と息を吐く。気持ち悪さと一緒に、心に溜まっている何かを吐き出すみたいに。

 おとうさん、とは、まだ呼べない。

 ただそれは彼を受け入れられていないからじゃなくて、なんというか、照れくさいってだけで。

 母さんを笑顔にしてくれる人。母さんを包み込んでくれる人。私一人じゃあげられなかったしあわせを、母さんに与えてくれた人。

 賢さんには感謝してもしたりない。人としても、父親としても認めてる。

 それでも……どうやって距離を詰めていけばいいのか、まだよくわからずにいる。


「わかってるよ。たぶん、おじさんも」

「……季人はさらっと言うよね」

「『おじさん』と『父さん』じゃ重みが違うでしょ。それだけのことだよ」

「そうかなぁ」


『父さん』は長らく一人だった。今ではそんな風に呼びたくもない、私と母さんを裏切った人。

 忌まわしい記憶と共に、封印されていた呼び方。

 次は、今度は、大丈夫だろうか。裏切られないだろうか。

 そんなことを考えてしまう時点で、まだ全然乗り越えられてなんてなくて。賢さんにも失礼な考えだってことも、わかってて。

 それでも、まだ。


「ちょっとずつで、いいんだよ」

「……うん」


 大きな手の、ぬくもりが。

 私の背中を優しく押してくれているような気がした。

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