45:溶けかけのブルーハワイの甘さよりも

 お参りを終えて、さあいざお祭りへ。

 騒がしいところはどちらかと言うと苦手なんだけど、暑いのなんてもっと苦手なんだけど、お祭りとなれば話は別。

 有名どころのお祭りには行ったことないものの、なんだかんだで毎年どっかしらの夏祭りに行ってる気がする。

 まあ、一応私も若者ですし。お祭り特有の浮ついた空気は、わりと嫌いじゃない。


 境内から続く一本道と、その近辺はこの日は交通規制がかかっている。おかげで私たちは人とぶつからないようにだけ気をつけて、のんびりとお祭りを楽しめる。

 途中で気になったものがあれば足を止めて、奢ると言って聞かない季人に甘えることにして。

 大判焼き、ベビーカステラ、広島風お好み焼き、たこ焼き、かき氷。

 二人分とはいえ、ちょっと買いすぎかもしれない。私が気になる素振りを見せるとすぐに買おうとする季人のせい、ということにしておく。


 そんなこんなで、縁日を満喫していた私たちだったんだけど。


「あ、桜木ハル」


 なんて、人垣の向こうを見ながら季人が発した名前に、一気にテンションが下がってしまった。


「ええええマジで……」

「咲姫、こっち」


 思わずうめいた私の手を引いて、季人は脇道にそれる。

 ほどなくしてついたのは、屋台群から少し離れた、こじんまりとした駐車場。

 私たちみたく、喧騒から避難してきた人たちの姿がぽつぽつとあった。


「ここ、座って。少しの間隠れてよう」


 と、指し示された地面には気づけば小さなレジャーシートが敷かれていて。

 周りにはそんなもの置かれていないことから察するに、季人の私物、なんだろう。


「……なぜに敷物があるのか」

「お祭りだし、普通じゃない?」

「相変わらず用意周到というかなんというか」


 本当、季人はこういうところ抜かりない。

 レジャーシートが必要になるのって、縁日より花火大会のほうだと思うんだけど。

 季人の大きめのショルダーバッグからはなんでも出てくる。まるで四次元ポケットだ。

 このサイズならたしかにそんな荷物にはならないとはいえ、万が一の備えが万全すぎて、さすがとしか言いようがない。

 ありがたく腰掛けると、季人もその隣に座って、脇にお祭りの戦利品を置いた。


「色々買っておいてよかったね」


 季人はビニール袋の中からたこ焼きを取り出す。

 買ってすぐに食べた大判焼きと、私が持ってるかき氷以外はその中に入れられていたんだけど、まだ買ってそんなに経っていないからほかほかと湯気が立っていた。

 たこ焼きを食べ始める季人を眺めながら、私も溶け始めていたかき氷に手をつける。

 ちなみにシロップはブルーハワイ。舌が真っ青になるやつ。

 普段はあんまり選ばないんだけど、夏祭りってなるとなんとなく食べたくなるんだよね。涼しげな色が夏らしさを演出しているからかもしれない。


「これっていつまで隠れてればいいの?」

「どうだろう。10分もここにいればどこか行ってくれるんじゃないかな」

「早く帰ってくれないかなぁ。休み中にまで攻略対象と接触したくない……」

「だろうね」


 ぷっと季人は小さく笑った。

 私の顔に、『面倒』と大きく書かれていたからかもしれない。

 わかりやすかろうがなんだろうが偽らざる本心だ。

 ただでさえ百合川陽良のことがあったばかりなんだから、もうこれ以上は断固拒否したい。

 腹いせのようにかき氷にストローをぶっ刺して、じゅ~っと溶けている分を吸った。


「かき氷、おいしい?」

「そりゃあまあ」

「ひとくち」


 ごっくん、とろくに味わわずに飲み込んでしまった。

 聞き間違いかと思ったけど、季人の目は私を、正確には私とかき氷を映していて。

 手にはたこ焼きを持ったまま。かき氷を受け取ろうという様子は見られない。

 じゃあ、ひとくちっていうのは、つまり。

 探るような視線を向ければ、季人は瞳を細めて笑みを形作った。


「……めずらしいね?」


 声は自然と訝しげなものになってしまった。

 はいあーんとか、別に今さら恥ずかしがるようなことじゃない。子どもの頃はよくやっていたし。

 まあ私も、他の人にやるのは、たとえ友だちでも恥ずかしかっただろうけど、季人だし。

 幸いこの場にいる人たちも仲間内で固まっていて、周りを見たりはしていないし、そもそもここは駐車場の端っこだから目にも入らないだろうし。

 ただ、この年になってちょっと……と思うだけで。


「ダメ?」

「別にいいけど」


 ダメと言うのも、なんだか負けた気になる。

 ちゃんと真っ青なシロップのかかったところをストローの匙ですくって、季人に向ける。

 季人は妙ににこにことうれしそうに、口を開いて。

 溶けかけたブルーハワイは、なんの抵抗もなく季人の口の中に消えていった。


「うん、おいしい」

「……そりゃよーござんした」


 なんとなく季人を見ていられずに、視線を落としてかき氷をしゃくしゃく音を立てながら混ぜる。

 よくわかんないけど、何かに、心が揺られる。

 夜に残る夏の暑さとはまた別の、熱が、喉元にこごっていて。

 一瞬、呼吸の仕方を忘れてしまったみたいな、息苦しさ。

 そんなものを季人に悟られるのは癪で、意地でもなんでもないふりをしてやるけれど。


「咲姫にもあーんしてあげようか? たこ焼き、もう冷めてきたし」

「その大きさは難易度高いと思う」

「そうかな?」

「絶対ソースが口につくよ。青のりも」

「それもかわいいなぁ」


 季人は相変わらずのシスコンっぷりを発揮しながら、何がおもしろいのかくすくすと笑う。

 シスコンなのも、笑顔なのも、いつもどおりかもしれないけど。

 どこか、違うように感じられるのは、私の意識の問題なのか。


「なんかやけに機嫌いいね」


 結局、気になって指摘してみれば、季人はさらに笑みを深めて。


「仲直りできたからね」

「それだけで?」


 なんだ、と私は拍子抜けする。

 いくらシスコンブラコンの私たちといえど、物心つく前からの付き合いともなれば、ケンカなんてそうめずらしいことでもない。基本、私が一方的に怒るだけだったけど。

 たしかに、今回みたいなケースはほとんどなかった、というか初めてだったかもしれない。私も対応に困ったし。

 でも、ケンカと仲直りはセットだ。ケンカしっぱなし、ということは私たちの仲ではありえないと思っている。そうなる前に季人が先に折れてくれるだろうから。

 仲直りすることは、私にとっては当然のこと。季人がそれだけでこんなに浮かれていることが、不思議でならない。


「咲姫はわかってないなぁ。俺にとって咲姫がどれだけ大切な存在なのか」

「わかってるつもりなんだけど」

「まだまだ足りないよ」


 まだまだって、どんだけのシスコン度合いなんじゃい、と呆れたくなった私に、季人は手を伸ばす。

 視線が、まじわる。


「まだまだ、全然、足りない」


 その静かな声は、季人のものとは思えない、初めて聞くような響きを持っていた。

 季人の、男の人にしてはほっそりとした指の背が、私の頬をなぜる。

 喉元に溜まっていた、熱が、騒ぎ立てる。

 私の好きな、緑と茶の混じった瞳が、まっすぐ、まっすぐ私を射抜いてきて。


「……季人?」

「ん?」


 ゆっくりと、細められるその瞳が。

 色が違う、なんて。

 どうしてそんなことを思ったのか、自分でもよくわからなかった。


「や……なんでも、ない」


 私は季人の瞳から逃げるように、かき氷に視線を落とした。

 こわい、と。

 正直に今の気持ちを言ってしまえば、そんな言葉になるんだろうか。

 何が怖いのかもわからないのに、いたずらに季人を傷つけるような言葉を投げかけられるわけもなかった。


「咲姫は、自覚してないみたいだけど、実はけっこう不用心だから」


 声と共に、大きな手が頭の上に降ってくる。

 それを拒絶しようという気はもちろんないけれど、ざわざわと、心が波立って仕方ない。


「俺が、ついててあげないとね」


 甘い、甘い、シロップのような声。

 ブルーハワイが舌を青に染めるように、私は季人の優しさに、甘さに、もう充分染められているのかもしれない。

 緑混じりの茶色は、私を安心させる色だった。それが、今は私の心を揺らす。

 大好きな、大切な従兄。でも、まだ私の知らない顔も持っていたらしい。



 何かが、変わってしまうような。

 あるいはすでに、変わってしまったような。


 そんな予感が、した。

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