【書籍化記念SS】ハッピーバレンタイン

「ただいまー」

 家に帰ると、玄関まで甘い香りがする。新年があけてあっという間に二月。時期的にもその甘い香りの原因は明らかだった。

「お、おかえり翠くん。今日はちょっと早かった?」

 がちゃがちゃと慌てて何かを片付けるような音がしてから、素知らぬ顔であきはがやってくる。

「いつもと変わらないと思うけど」

「え? あ、ほんとだ。ごはんの準備するから待ってて。ちゃんと手洗いうがいしてね!」

 インフルエンザが流行っているから、とこの時期のあきはは少し口うるさくなる。

「はいはい」

 と、いじわるしてキッチンに向かおうとすると、あきはが慌てて「わー!」と俺の前に立ちふさがる。

「キッチンはごはんの準備が途中で散らかってるから!洗面所で!」

「……はいはい」

ついくすくすと笑みが零れる。

 ……こんなにバレバレなのに、まだ隠すつもりなんだろうか。




 二月といえば節分……というよりバレンタイン、とすぐに浮かぶのは彼氏を持つ女性としては当然のことかと思う。

 料理は得意だけど、お菓子作りはそうでもないんですよあきはさんは。いや、苦手というほどでもないんだけど。

 でもやっぱり、せっかくだから美味しいチョコをあげたいじゃない? と、二月に入ってからこっそりと練習しているわけだけど、そうなると今度はどんなチョコがいいだろうかと悩みが尽きない。

 翠くんは甘いものは嫌いじゃない。けど、好きというほどでもないのだと思う。あんまり甘すぎるチョコは困らせてしまうんじゃないだろうか。

 うーん。チョコの匂いを嗅ぎすぎて、あきはさんとしてはもうお腹いっぱい……。

「ただいまー」

 玄関を開ける音と、翠くんの声にあたしはびっくりして飛び跳ねた。慌ててキッチンの上の試作品のチョコを片付ける。

 とまぁ、こんな感じで油断してると翠くんが帰ってくるというなかなかスリリングな生活を送っているのだ。

 翠くんが洗面所に行っている間に慌ててチョコ作りの痕跡をすべて片付けて、換気する。

 ……勘のいい翠くんのことだから、バレている気はするんだけどね。でも見て見ぬふりしてくれているならそれでいい。

 サプライズといかなくても、とびっきりのチョコをプレゼントしようじゃないですか。



 バレンタインデーというと、日本では女性から男性にチョコレートを贈る日として有名だけど、ヨーロッパなんかだとだいぶ違う。

「サプライズにはサプライズで返さないとね」

 ヨーロッパでは男女がカードを送りあったり、男性から女性へ花を贈る日だ。

「すみません」

 普段は近寄りがたい花屋に、意を決して踏み入る。

「いらっしゃいませ。贈り物ですか?」

 男一人が花屋にやってくる理由などお見通しらしい。はい、と笑って店内を見回す。

「今日はバレンタインですもんね。花をプレゼントしたら彼女さん喜びますよ」

「……バレバレですね」

「お客様みたいにかっこいい人が花をプレゼントとするといったら、やはり恋人かなと」

 くすくすと笑う店員のお姉さんの推理はなかなか鋭い。まぁ、確かに告白するときに花はちょっとキザすぎるかな。

「どの花にしますか?」

「……花はあまり詳しくないんで」

 男の俺が知っていると言えば、小学校で育てる朝顔や向日葵あたり。夏の花はさすがに二月には咲いていない。

「そうですね、彼女さんのイメージの色で選んでいただいてもいいと思いますし……あとは花言葉とか」

「……花言葉」

 それはちょっと難易度が高い気がする。いやでも店員さんのキラキラした目から推測するに女子は好きなんだろうなぁ。

 俺はあきはに喜んでもらえればそれでいいんだけど。

 さてどうしたものかと店内を見て、俺でも知っている花を見つける。

「チューリップ、もうあるんですね」

 春に咲くイメージの花だから、二月にはまだ咲いているとは思わなかった。温室で栽培したものだろうか。

「はい、まだ種類は多くないですけど。チューリップもおすすめですよ」

「じゃあ、ピンクのチューリップを」

「本数にも意味があったりするんですよ」

 にこにことしながら店員さんが表を見せてくる。準備がいい。

 花言葉とか本数の意味とか、女子は好きだなぁ。

「……それじゃあ、九本で」

 ちらりと表に記された意味を見て選ぶ。

「はい、少々お待ちください」

 そう言ってするすると花束を作っていく。

 待つ間にメッセージカードをもらって『From your Valentine』と書き込んだ。これはネットでの受け売り。改まったメッセージを書くのは恥ずかしい。

 ……いや、この花束を持って帰るのもなかなか恥ずかしいけど。




 今日は乙女の決戦の日。バレンタインである。

 昨日から準備は怠らず、大急ぎで帰宅して翠くんへあげるチョコを仕上げたわけですが。

「……うーん、結局オーソドックスな感じになってしまったような……」

 これまで散々チョコを作ってきたわけだけど、プレゼントするのは生チョコのトリュフになった。一口サイズのほうが食べやすいよねとか、少しずつ食べられるしとか、そんなことを考慮した結果である。ケーキとかだと食べるの大変かなって思っちゃって。

「とはいえ試作のチョコがこっそり残っているんですけどね」

 ブラウニーとフォンダンショコラ、あとは子供っぽいけどハートの型にチョコを流し込んでアイシングしてみたり。料理がもともと好きなのもあって、凝りだしたら止まらなかったのだ。

 綺麗にラッピングしたし、あとは翠くんが帰ってくるのを待つだけ。エプロンをとってソファでくつろぐ。

「ただいまー」

「おかえり、翠く……へ?」

 振り返ると、翠くんは花束を持っていた。すごく似合う。

「バレンタインだから、あきはにプレゼント」

「へ? いや、バレンタインだよ?」

 日本全国の乙女がチョコレートと格闘し好きな人へアタックするバレンタインですよ? ホワイトデーじゃありませんよ?

「ヨーロッパじゃ男女で贈り合うんだよ」

 はい、とピンクのチューリップの花束を渡される。かわいい。まだまだ寒いけど、春は近いんだなぁとほっこりする。

「……サプライズを仕掛けるつもりがサプライズで喜ばされてしまったなぁ」

「あきはのサプライズはバレバレだったよ」

 可愛かったけど、とさらっと言う翠くんに恥ずかしくなって花束で顔を隠す。

「……やっぱりバレてましたか」

 一緒に暮らしていると、こういうときうまくいかないよね。断じてあきはさんがサプライズ下手ってわけじゃないよね!

「というわけで、あたしからもチョコです」

 どうぞ、とチョコを差し出すと翠くんは少し照れくさそうに受け取った。

「サプライズはバレバレだったけど、やっぱりもらえると嬉しい」

 そんな顔されるとあたしのほうこそ嬉しくなっちゃうじゃないですか!

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猫系男子のススメ 青柳朔 @hajime-ao

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