第5話 エリザベス野郎に悩まされてるぜ
久しぶりだな。チワワのわびすけだ。
実は最近ちょっとした体の不調が続いている。
まず年末に首の骨、つまり頸椎に炎症が起こり、飯を咀嚼することすら辛くなった。
これはステロイド剤を飲むことでなんとか治ったが、元々奇形で下半身の末梢神経の数が少ないと言われている俺は、冷えと高齢ということもあいまって最近足の動きが悪くなった。庇って歩いたせいか、今度は右ひざに炎症を起こし、年をまたいで注射に通うはめになった。
これが落ち着いた頃、左目が充血し開けづらくなった。抗生剤入りの点眼薬では改善せず、目の検査をした結果、強膜炎が疑われ、またしてもステロイドのお世話になっている。
命に関わるような重病でないのはありがたいが、こんな感じで不調が続くと寄る年波を実感せずにはいられない。
これらは現代獣医学のおかげでなんとか改善に向かっており、その恩恵を受けられることについては素直に感謝したい。
だが、目下俺が抱えている苦悩もまた、現代獣医学が作り出したとある器具に起因するものなのだ。
俺の尻の近くには以前から
最近それが急激に膨らみ、中にたまった分泌物がとうとう表皮を破って出血してしまった。
俺自身はそれほどの痛みがないものの、見た目のひどさにご主人が驚愕し、慌てて病院へ連れ込まれた。
医者も特に心配はいらないものの、少々炎症を起こしているのと化膿の危険があるということで塗り薬を処方された。
とまあ、ここまではいい。問題はこの後だ。
野生動物は敵や獲物に自らの存在を悟られないよう、怪我をして出血した際にはその傷周りをできるだけ綺麗に舐めて血の匂いを抑えるという本能がある。
ワイルドなチワワを標榜する俺もそれは例外ではなく、この表皮嚢腫が破裂した後はしょっちゅうその傷周りの血を舐めとっていた。
医者に言わせると、この行為は傷の治りを悪くするらしい。
しかも一日二回、消毒の赤チンとゲンタシンという軟膏を塗ることになるので、俺がそれを舐めとっても都合が悪い。
よって、俺は犬生で二度目のエリザベスカラーを装着することとなった。
読者諸君はエリザベスカラーをご存知だろうか。
怪我をした犬猫が首周りに大きな円錐形のガードを着けているところを見たことはないだろうか。あれである。
名前の由来は16世紀のイギリス・エリザベス王朝時代に衣服に施された襞襟に形状が似ていることからきているらしい。
まあ、俺にとってはそんなことはどうでもいい。
とにかく、このエリザベスカラーが俺に過剰なストレスを与えるのだ。
ちなみに、犬生初のエリザベスカラーは生後半年で去勢手術を受けたときに装着したらしいが、ガキだったために記憶は定かではない。
俺は犬生をスマートかつハードボイルドに生き抜くチワワとして、身の回りに起こる不都合に対してあるがままに受け入れてきた。
額にセロハンテープがくっついてももがいて取ろうとはしないし、靴下を履かされても歩かないという静かな抵抗を試みるだけで、脱ごうと躍起になったことはない。
今回のエリザベスカラーも、大変邪魔な
しかしである。
ご主人たちは、エリザベスカラーを装着した俺を見て、腹を抱えるほど笑うのである。
“エリザベス・ワビ” 、“ワビ・キャノン”、 “パラボラ・ワビ”
ついた異名は数知れない。
食べ物が落ちていないか、円錐形のカラーを下に向けてキッチンをうろついていると“探査機” などとも呼ばれる。
いくら命に関わることのない傷とはいえ、あまりに屈辱的である。
加えて、何をするにもこの固い樹脂製のカラーが邪魔になる。
大好きなソファや取り込んだばかりの洗濯物の感触を寝転んで楽しもうにも、冷たく固く薄い樹脂が俺の頬とそれらを容赦なく隔ててしまう。
飯を食おうにも、半透明のカラーが視界だけでなく俺の首の動きも遮るため、皿に入った粒のフードを口に入れることすら難しい。
フードが床にこぼれた時などは、いつもならそれを口先でつまんで拾い上げることができるのに、首を下に傾けると円錐形のフードかかっぽりと床を覆い、そのエッジが俺の口先と床の間にわずかな隔たりを生むのだ。
届きそうで届かないこのストレス、読者諸君も想像に難くないと思う。
また、耳の後ろがかゆくても、後ろ足を上げていつものように掻こうとするとカッカッと硬質な音を立てて樹脂製のカラーの上を爪が滑り、思う場所に届かない。これもまた相当なストレスとなる。
しかし、それほどまでにストレスを溜めても、俺はこのエリザベスカラーとの共存を図ろうとしていた。
なぜなら、“あるがままを受け入れて生きる” という俺の犬生におけるポリシーがあるからだ。
それゆえ、多少の不便はあっても俺は粛々とその状態を受け入れることにしたのである。
ところが、このエリザベス野郎は、そんな穏やかな日常を愛する一市民の俺を嘲笑うかのような仕打ちをしやがった。
その日も、俺はいつものようにソファの定位置で惰眠を貪っていた。
頬に当たるひんやりとした硬い樹脂の感触にも多少慣れてきた頃だった。
ピンポンピンポ~ン♪
インターフォンという、未確認訪問者の襲来を告げる警告音がリビングに鳴り響いた瞬間、家族の安全を守るという使命を負った俺はいつものように威嚇と警告を込め勇ましく吠え立てた。
その瞬間、俺の吠え声は自身の鼓膜にすさまじい衝撃を与え、俺は痛みにも似た刺激に驚愕し、すぐさま声を止めた。
以前にも呟いたが、俺は犬の中でも特に鋭敏な聴覚を持っている。
こともあろうに、エリザベス野郎は俺の吠え声を反響させて、その鋭敏な聴覚に直接的かつ痛烈な攻撃を仕掛けてきたのである。
友とは言えずとも尻の傷が癒えるまでのこの数日間、俺はこいつを受け入れて穏やかに共生する道を選んだ。
だが、こいつはそんな俺に向かって宣戦布告もなしにいきなり刃で切り掛かってきたのである。
その後も、インターフォンの警告音がリビングに鳴り響くたびに条件反射で吠えてしまう俺は、こいつからの聴覚攻撃を受け続けており、ストレスは溜まる一方である。
このままでは、積み重なるストレスによってさらなる不調が現れるのではないかと心配である。
あるがままを受け入れるというポリシーを覆してでも全力でエリザベス野郎と戦うべきか、健康を犠牲にしても己のポリシーを貫き通すか。
俺は今、エリザベス野郎によって、己の生きざまと健康とを天秤にかけざるを得ない窮地に立たされている。
わびすけのつぶやき 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari
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