朱の盤
「
ゆかりは鞄についているセンに問いかけた。
「朱の盤。人を驚かす類の怪異だな」
「驚かす? 襲ったりはしないの?」
「ああ、命を奪うような怪異ではない」
「ふうん……なら、そんなに危ない妖怪じゃないのかな。急ぐ必要はなさそうだけど……せっかくだから、このまま探しに行ってみる?」
「我はかまわぬ」
ゆかりはセンをつれて、そのあたりを歩き出した。
といっても、なんら当てがあるわけではない。
ぷらぷらと道なりに散策してみるが、怪しいものは見当たらない。
「まあ、適当に歩いてたってそうそう会えるもんじゃないか。――せめて、目撃証言でもあるといいんだけどなあ」
「ならばそのあたりの人間に聞いてみてはどうだ」
「ええ? 妖怪を見なかったかって? そんなの、聞いたら変な人だって思われちゃうよ」
「なにもそう直球で聞かずとも、婉曲に聞けばよかろう。なにかおかしなものを見なかったか、などとな」
「それでも不審に思われそうだけど……まあ、いっか」
ゆかりはしばらく歩いて、ちょうど一人の女の人が歩いているのを見かけたので、話しかけてみた。
「あの、すみません」
「はい、なんでしょう?」
「このあたりで……なんていうか、不思議なもの、とか。見ませんでしたか?」
「不思議なもの……ですか」
女の人は顔を伏せている。長い髪が覆って、その表情は見えない。
やっぱり不審に思われているのかな――そんな風にゆかりは思う。
「不思議なものって、たとえばどんなものですか?」
「どんなって……ええと」
女性の質問に、ゆかりは口ごもる。ゆかりにもよくわかっていないのだ。
思わず、探しているものをそのまま口走ってしまった。
「朱の盤っていうんですけど……」
「朱の盤……」
女性は黙る。
ゆかりが、やっぱり失敗したかな? と思ったころ。
「それは、こんなものではありませんか?」
おもむろに、女性が顔を上げた。
「きゃあああ!」
それを見て、思わずゆかりは悲鳴を上げる。
なんと女性の顔は、一面に朱を塗ったように赤く、目の色は血のようで、口が耳まで裂けていた。
「娘。こいつが朱の盤だ!」
センが変化を解き、臨戦態勢をとる。
それを待つまでもなく、ゆかりは恐怖のあまり反射的に、もらったばかりのブレスレットをはめていた。
(朱の盤……の、属性は、確か、火っていってた。火は……水で剋す!)
「
ブレスレットをはめた手を突き出し、意識を集中させ、ゆかりは叫ぶ。
すると。
ボンッ!!
「え……?」
ゆかりは、呆然とする。
ぱたりと、上げた手が落ちた。
念を込めた途端、一瞬にして、朱の盤が砕け散ったのだ。
頭も、髪も、腕も、足も。
全て、跡形もなく消え去った。
そして、後には何も残らない。
「うそ……」
ゆかりはへたり込む。
センが朱の盤の消えた後によっていく。
「消えたな。完全に、この世から消滅している。……我が喰うこともできぬ」
「わ、私が、消しちゃったの?」
「ああ。主の力だ。……これほどのものとは」
「うそ。私……そんな、ここまでするつもりなんて……」
ゆかりはがくがくと震える。
「私……妖怪を、殺し、ちゃった」
「娘」
「センに食べてもらったら、いい妖怪に戻るのに。消えちゃったら、センに食べてもらうこともできない。センの妖力も戻らない。私はただ……朱の盤を、滅ぼしただけだ」
「娘。何をそんなに気に病む? 妖怪が一体消えただけだ」
「だって! 悪いことしてなかったのに! そりゃ驚かされたけど、人を襲ったわけじゃない。ただそこにいただけだったのに……」
ゆかりの頬を涙が伝う。
「妖怪だって、生きてるんだよ。それを、私は、死なせてしまった」
「娘」
はらはらと泣くゆかりを、センはじっと見ていた。
そして。
「……?」
突然、温かいものに包まれ、ゆかりは顔をあげた。
「セン!?」
間近にあるセンの顔に驚く。
気付けば、ゆかりは人型をとったセンに抱きしめられていた。
四本目の尾が戻り、センの外見は16歳ほどに成長している。
ゆかりと同い年だ。
同年の、すっかり男らしくなった美少年に抱きしめられ、ゆかりは動揺した。
「セン? 何を……」
「人は泣く子をこうやってあやすのだろう」
だが、返ってきた台詞に気が抜ける。
ゆかりはため息をついた。
「……私は子供か」
「子供であろう」
「もう、高校生なんですけど」
「我から見れば充分子供だ」
「ふう……もう、いいよ」
驚いて涙は止まってしまっていた。
「おかげで泣き止んだ。ありがとう」
「そうか。ならばよい」
センが身を離す。
「……妖怪はな」
「え?」
「妖怪は、何度でも蘇るものだ。朱の盤とて、あれでそれっきりではない。いつかはこの世に戻るかもしれぬ」
「それ……本当?」
「嘘をついても仕様がなかろう」
「そっか……。蘇るかもしれないんだ……」
ゆかりは涙を拭いた。
「それで私がやったことが消えるわけじゃないけど、少しは救いになったよ。ありがとう、セン」
「……ふん」
「玉響さんは……こうなることがわかってたのかな。私にこのブレスレットを渡したら、こんなふうに力を発揮するようになるって、知ってたのかな」
「あの男なら、わかっていたのではないか?」
「……そうだね。私も、そう思う。私が妖怪を滅ぼすことになるって、わかってたんだ。それでもいいと思っていた。ううん。むしろ、それを期待して渡した。あの人は本当に、妖怪を退治することを、なんとも思っていないんだ」
ゆかりはブレスレットを勢いよく外し、強く握り締める。
「これはまだ――使えない。五行の力は、使えるようになりたいけど、このブレスレットは強過ぎる。私は妖怪を殺したいわけじゃないんだ。これには、頼れない。もっと私が自分で力をコントロールできるようにならないと。このブレスレットを使うのは、それからだ」
「陰陽師の思惑には乗らぬということか」
「乗ってたまるもんですか」
「力の使い方は、自分で決める……と?」
「そうよ。制御できない強いだけの力なんて、まっぴら」
「ふ……力が手に入るのに拒絶するとはな。変わった娘だ」
「私は私のやりたいようにやるだけよ」
ゆかりはブレスレットを鞄にしまい、乱暴にふたをした。
瑞樹の思惑にのってしまった自分が腹立たしかった。
「今日はセンに食事をさせてあげられなかったね。ごめん」
「まあ、たまにはよい」
「明日からまた、妖怪探しがんばろう。私も早く、自分で力を使えるようにならないと」
「前向きだな」
「それだけが取り柄だからね」
一人と一匹は家路を辿る。
捨て犬を拾ったと思ったら妖狐でした 神田未亜 @k-mia
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