古い考えから抜け出せない、残念なタイプ
貴船 美海子
第1話
テレビが観られなくなりました。
SNSも見られなくなりました。
外で食事ができなくなりました。
街を歩けなくなりました。スーパーにも行けません。
映画や小説などの創作物は十年以上前のものしか観られません。リメイクではダメです。製作されたのが十年以上前のもので無いとダメです。
今の家に住み続けることができなくなりました。過疎化したこの田舎町の静けさが好きでしたが、許されませんでした。
世界が変わり始めたのはいつの頃からだったでしょうか。
最初は、遠い未来のことを描いたSF漫画でそういう描写を見かけました。その漫画の中の世界では、人口爆発により食料などの資源が不足していました。地球で今の私たちと同じような食生活ができるのはほんの一握りの富裕層のみで、一般人の口に入る動物性タンパク質と言えば、もっぱら昆虫。主だった登場人物たちは、何の抵抗感も示さずにまるでスナックをつまむかのように昆虫を口に入れていました。好きな漫画家の新作でしたが、あまりに頻繁にその「食事風景」が出てくるので読み続けていられなくなりました。
そんなことがあってからしばらくして、あるニュース記事配信サイトを見ていたときのことでした。数多ある記事の中に、こんなタイトルの記事を見つけました。
タイトルはたしか 「 食の未来 〜 昆虫食先進国 日本 〜 」。それは私だって、この国にイナゴや蜂の子を始めとする昆虫食習慣があったというぐらいの知識はあります。けれどそれはタンパク源の乏しかった時代、もしくは一部の地域での習慣というだけのこと。そんな最先端を気取るような書き方をするようなことじゃないと思っておりました。
大体、私は虫が心底嫌いです。おぞましい。そんなものを口に入れるくらいなら死にたいとすら思います。
そもそも多くの人が自分よりはるかに小さい、特に害の無さそうな虫に対してさえも嫌悪感を抱くのはそれなりの理由があるはずなのです。大体、生物として得体が知れなさすぎる。進化の方向性が謎過ぎる。相手をゾンビ状態にして卵を産み付け、やがて幼虫がそのゾンビ状態の虫を食い破って出てくるというホラー小説も真っ青な繁殖をするハチなんていうものもいます。何より、世代交代が人間よりはるかに早い。仮に全世界的に積極的に食料にしたりすれば、虫たちはそれに対抗するために人間という種の存続自体を危機に陥れるしっぺ返しをすることさえ有り得るとは考えないのでしょうか。
しかしやがて「 昆虫食習慣 」はじわじわと私の外堀を埋め始めてきたのです。先日見た冗談みたいな記事の次には、昆虫を原料にしたという調味料。最初はネット上で広告を見かけるだけだったものが、やがてテレビCMに。そしてバラエティ番組で芸能人がその調味料を使った料理を味わう場面が放映されるようになりました。それからまもなく、私が登録していたSNSでも友人・知人による「テレビでやってたあの調味料試してみた!」という写真付きの投稿がちらほら出てきました。それでもまだ、調味料なら虫の原型がわからないので見る分には耐えられました。しかしその調味料をきっかけに見つけたのか存在を思い出したのかは知りませんが、十数年前に一時だけ流行した「虫入りキャンディー」や類似品の虫が入ったお菓子を食べたなどという投稿が増えるにあたり、私はSNSを見るのをやめました。さらに言えば、SNS以外でもその友人と交流するのが辛くなり徐々に距離を置くようになりました。
当該友人の顔を観れば、どうしても考えてしまうのです。
ああ、私に挨拶してくれるこの口で、あのおぞましい虫を喜んで咀嚼し、体内に収めたのだと。
それは決して罪ではないけれど、ただ私とは決定的に感性の合わない人だったのだと。
更にはそのとき彼女らが感じたであろう、あの棘のような毛の生えた足の舌触りや外骨格の生きものが口の中で潰れるときに生じるであろう「くしゃっ」という感触を、どうしても想像してしまい耐えられなくなりました。
やがて、ゴールデンタイムであってもバラエティ番組で、人気俳優がイナゴの佃煮やセミの炒めたものを笑顔で口にする場面が毎日のように放映されるようになりました。
バラエティではなく少し真面目な番組でも、昆虫が持つ栄養価や、従来の食肉生産と比較して如何に環境への負荷が少ないかということについて何人もの学者が何度も解説や討論を行うようになりました。また、紀行番組で世界各国の昆虫料理が紹介されたり、有名な料理人が独自の昆虫料理レシピを披露する場面などもありました。それにつれて、街を歩けば昆虫が主原料の加工食品の広告を目にしたり、昆虫料理を取り扱っている旨の看板を出す店なども目にするようになりました。
そんなことが繰り返されるうちに、一部のスーパーで食品コーナーにパック詰めされた昆虫を並べるようになりました。私と同じように不快だと感じた客からクレームを受けたのか、一度は陳列棚から姿を消しましたが再び並ぶようになりました。クレームよりも需要の方が多かったのでしょう。最初は片隅にイナゴだけ、といった状況だったのがセミ、ザザ虫、ハチの子など種類が増えました。その姿を目に入れまいとしても目に入ってしまうぐらいおおっぴらに販売されるようになりました。
やがて、アメリカのお騒がせ発言で有名な女優がこんなことを言って話題になりました。
「いまどきまだビーフとかチキンを食べてる人ってどうかしてるわ。テロリスト予備軍かサイコパスじゃないかしら」と。
昆虫はヘルシーで環境にも優しい。こんなにりっぱな食材があるのにわざわざ従来の食肉を食べ続けるのは地球環境への配慮や食に対する意識が低い者がすることだ。それに従来の食肉を続けるということは虫よりはるかに賢く可愛い動物の屠殺を喜んで歓迎しているということに他ならない、と。
さすがにその発言には批判の声も上がりました。けれどその騒ぎ以降、意識が高いらしい学生やアメリカのセレブ女優になりたいんだろうなと思われる日本の女性タレントなどがこぞって昆虫食に切り替えたアピールをするようになっていきました。
この頃になると、私はもう都会を歩けなくなっていました。
街中どこを見渡しても、昆虫を口に入れることを推奨する景色だらけです。
昆虫を主原料としてはいなくても、今まで普通に口にしていたお菓子などの原材料も昆虫で代用されるようになってきました。いまでは大抵の加工食品の原材料に、昆虫の名が二、三は並ぶようになり、もうスーパーで買い物ができなくなりました。
勤めていた会社は都心にあったのですが、そこも辞めました。取引先に出向いたとき、お茶菓子としてザザ虫を出され悲鳴を上げて卒倒してしまったからです。
もうこれ以上、人の密集する都会で普通の仕事をして生きていくことはできない。
そう考えた私は、退職金で超が付くほどの田舎に中古の小さな家を買って、庭に畑を作って数羽の鶏を飼い、インターネット上だけでできる仕事をし買い物も全て通販で済ます生活を始めました。畑仕事をすればどうしても虫には出くわしますが、やり方次第で最小限に抑えられます。何より、姿を見かけたって口に入れなくったっていいわけですから。大変なこともあれど、東京にいた頃より随分心穏やかな暮らしを手に入れることができました。
ある朝、いつものように畑の世話をしようと外に出たときのことです。
畑が、めちゃくちゃになっていました。
獣に荒らされたのではありません。ゴミが撒き散らされていたのです。茫然とした後、ひとまず警察に通報すべきなのではとようやく思い至って家の方を振り返ると、家の壁にこんな落書きがしてあるのを見つけました。
「殺人鬼予備軍はこの村から出て行け」
まったく意味がわかりませんでした。私の一体どこが殺人鬼予備軍だというのでしょう。村人とはまったく付き合いを持たず、ただひっそりと見たくないもの、食べたくないものに触れずに済むよう静かに暮らしたいだけなのに。何の根拠があって、こんなことを。しかしそんな私の疑問は、その落書きの文言のそばに添えられた絵によって解消されました。その絵は、数日前に私が自分の飼っていた鶏のうち一羽を絞めたときの姿を実に前衛的なタッチで模写したものでした。もちろん、食べるために絞めたのです。ヒトが口にする動物性蛋白質がほとんど昆虫に取って代わった世の中で、これまでのような食肉は大変高価になっていました。牛乳や卵といったものでさえ、昆虫の体液などを加工した代用品が主流でした。ですからその頃には、飼っている鶏が卵を産まなくなってくると私が自身で絞めて、食糧としていたのです。
いつだったか、お騒がせセレブが言った 「 いまどきまだビーフとかチキンを食べてる人ってどうかしてるわ。テロリスト予備軍かサイコパスじゃないかしら 」という考えがいよいよ世間に浸透してしまったのでしょう。
とはいえ、こんなことになったのはまったく私の判断ミスが招いた結果です。
中途半端に人との繋がりを断つことができずに暮らしていたからこういうことになるのです。
昆虫食に馴染めないのなら、もはや人との繋がりを完全に断ちヒトであることを辞めるしかないのです。もはや、ヒトとはそういう生物になってしまった。ヒトであることをやめれば、何を食べようが食べなかろうが責められることも無くなるでしょう。
しかし。
どんな食品にだって一定数の人がアレルギー反応を示すものです。
昆虫食にアレルギーを示すような人もいそうなものですが、そういう人はいったいこの世界でどうやって生きているのでしょうか?一切情報が入ってきません。あるいは生きていないのかもしれません。だって、昆虫を食べないこと=人格に問題アリ、という式がもはや成立しているのですから。淘汰されたのかもしれません。
考えたって仕方ありませんけど。
最低限の準備を済ませ、私は人間社会から脱出するために山へと分け入りました。今日からこの山で、私は一匹の獣になります。
多分この山で一番高いであろう木に登って、街を見下ろしてみました。田舎とはいえポツポツと明かりが灯り、キラキラ輝いています。遠くから見れば、こんな時代であってもヒトの住む場所の灯りは美しいですね。遠く離れて見れば、の話ですが。
古い考えから抜け出せない、残念なタイプ 貴船 美海子 @Mimiko-Kifune
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます