チャーシューロミオとタマゴジュリエット
タムラム
チャーシューロミオとタマゴジュリエット
私立茶屋坂高校に通う東堂ケンは今日も、お気に入りのラーメン屋である「みろく屋」で中華そばを啜っていた。具材はナルト、メンマ、ノリ、そしてもちろんチャーシュー。
数人の仲間たちと一緒である。皆一様にボンタンと呼ばれる種類の改造制服を身にまとい、前髪を盛り上げてリーゼントにしている。一言で言えば、あまりにもわかりやすいヤンキーどもだった。
そいつらがカウンター席に雁首ならべてずるずるずるずる。
「かーっ! やっぱみろく屋のチャーシュー入りラーメンは最高っすね、番長!」
仲間のひとりがケンにそう話しかけた。ケンは茶屋坂高校の番長である。
「おうよ。あたりまえだろう。ラーメンにはチャーシューって昔から相場が決まってらあ」
「この煮汁のしみこんだ脂身がスープと一体化して、なんとも言えねえ。赤身の部分は肉の美味さを主張してラーメンに花を添えてやがるぜ!」
「やっぱりチャーシューこそがラーメンの醍醐味だぜ。だってのにやつらときたら・・・・・・」
「おい」
そこで野太い声がした。誰あろうみろく屋の店主である。
「御託は結構だからよう、さっさと喰ったら出て行ってくんねえかなあ。おまえらがいると他の客が入りづらくてしょうがねえんだよ!」
「なんだと! オヤジぃ、毎日来てやってるのにその言い草はねえだろうよ」
ケンが憤って叫んだ。
「一番安い中華そばにトッピングのチャーシューひとつで偉そうにすんじゃねえ。来るんならもっと他の客の来ねえ時間帯にしろっていつも言ってるだろうが」
みろく屋のオヤジはてっぺんまで禿げ上がった中年の男だった。ガタイもよくヤンキー相手にも一歩も引かない。
ちなみに今はちょうど昼時、本来なら昼飯の客でごったがえすところだが、ヤンキーゆえの威圧感のせいか、ケンたちのほかに客はいなかった。
「それにこの時間になるとちょうどあっちのやつらも来て・・・・・・」
と、店主が言いかけたときだった。
店の外で見張りをしていた仲間の一人が店内に駆け込んできた。
「ケンさん、来た! やつらが来たよ!」
「なにぃ」
ケンの拳に力がこもった。
店主が手で額を押さえる。「またか」「あちゃー」、そんな感じのジェスチャーであった。
「おう、邪魔するぜ」
声とともに店内に入ってきたのは、やはりヤンキーの集団だった。ただしよく見ると襟章など細かいところがケンたち茶屋坂高校のものとは違う。別の高校のヤンキーどもだった。
「なんだぁ? まだそんなシケたもん喰ってやがんのか」
他校のヤンキーの首領格らしき男は入ってくるなりそう言い放った。
とたんにケンたち茶屋坂高校の面々はいきりたつ。
「んだとぉ? 俺たちのチャーシュー入りラーメンにケチつけようってのか!」
「おう、つけるさ、つけるとも。ラーメンにつけるトッピングならタマゴ、タマゴに決まってんだろうがよお!」
そう言い切ったこの男。私立玉川高校番長大林ゴウである。その取り巻きたちも番長のタマゴ論にうんうんとうなずく。
「得もいわれぬ食感の白身、とろりとスープと混ざり合う黄身、その美味さもわからんやつがラーメンを食うなど笑止千万! 味音痴のチャー高の連中はいますぐ店を出て二度と敷居をまたぐんじゃねえよ」
ここまで言われてはケンも黙ってはいられない。
「てめえ、言わせておけばタマ高風情が調子に乗りやがって! ラーメンにはチャシュー、これが弘法大師様の決めた掟なんだよ!」
「どっちでもいいよ!」
店主がわめいた。
「このやろう、表でやがれ!」
「いい度胸だ、やったるわ」
こうしていつものように茶屋坂高校通称「チャー高」と玉川高校通称「タマ高」の喧嘩が始まった。
「おい、ちゃんと店から離れたところでやるんだぞ!」
店主が必死の形相で叫ぶ。
それを尻目に二組のヤンキーは各々闘志を漲らせながら、ぞろぞろと店を出て行くのであった。それぞれの信じる、チャーシューとタマゴのために。
その日の喧嘩はチャー高の劣勢に終わった。だいたい生徒数からしてタマ高のほうが倍近く、したがってヤンキーの数もそれなりなのである。
ケンは痛めた体をかばいながら商店街の路地裏に逃げ込んでいた。
「ちくしょう」
殴られた鼻っ柱が痛む。他にも傷は無数にあった。やっと一息つくと、体内に充満していたアドレナリンがさっと引いて、その傷たちが騒ぎ出すように痛むのだった。
「無様なカッコ」
不意にそこに声をかけてくる者があった。女の声だった。
見上げるとひとりの女生徒がそこにいた。チャー高と似たセーラー服だが、よく見るとタマ高の生徒だとわかる。長い黒髪の、どこと無く怜悧な印象の女生徒だった。
「なんだいお嬢さん。わざわざ逃した敵を笑いに来たのかい」
女生徒はそれには答えず、ケンの様子をひととおり観察したあと、後ろ手に持っていた救急箱を取り出した。
「傷をよく見せて」
「なんだってんだ・・・・・・」
ケンは抗弁するが女生徒は有無を言わさず行動した。救急箱から消毒液を取り出し脱脂綿に浸してケンの傷にあてがったのである。
女生徒は顔、腕、胴体とケンの傷のついたところを次々と処置していった。
やがて処置が終わったころになってやっとケンは口を開いた。
「手当て・・・・・・、なんでこんなことを」
「野垂れ死にでもされると寝覚めが悪いしね」
女生徒は大して興味もなさそうに言った。
「それに、この子たちのついでよ」
女生徒が目をやったのはケンの隣にあったダンボール箱だ。
いままで気がつかなかったが、耳を澄ますとそこからみゃーみゃーと鳴き声が聞こえる。
女生徒はもうケンへの用は済んだとでも言いたげに猫のほうに向かい、鰹節を取り出して与え始めた。
「へっ、猫のエサやりのついでで人間の面倒も見てくれたってわけかよ」
ケンはなんだか自嘲的な気分になった。
「だが例は言っとくぜ。お譲ちゃん名前は?」
「キョーコ。飯塚キョーコ」
「タマ高の生徒だな。ラーメンのトッピングはなんにする?」
「これでもタマ高の女よ。タマゴに決まってるでしょう」
「へっ、わかりあえねえな」
「残念なことね」
ケンは立ち上がった。散り散りになった仲間たちの様子を確かめなければならない。
「あばよ」
答えは無かった。路地裏にはかすかな猫の鳴き声が響いていた。
チャー高とタマ高の紛争はそれからも続いていた。中華そば280円にトッピング1つ50円。それが彼らが毎日出せる昼飯代の限界だったのである。トッピングを2つつけるなんてとんでもない。そのような行為は贅沢で軟派な行為として仲間内での粛清の対象になった。ゆえにチャーシューかタマゴかの争いは終わらない。闘いは永遠に続いていくかに見えた。
今日の喧嘩もチャー高の劣勢だった。ケンはやはりあの商店街の路地裏に逃げこんでいた。すると現れるのである。あの女、飯塚キョーコが。
「また負けたのね」
「うるせぇ」
キョーコはいつものように手際よくケンの手当てをしていく。
いつしかそれは二人の間で、喧嘩のたびの習慣になっていた。
「トッピングがタマゴじゃいけないの?」
「いけねえに決まってる。チャーシューのないラーメンなんてジョン・レモンのいないビートルズと同じだ」
「ビートルズならジョン・レノンよ」
「・・・・・・細けぇことはいいんだよ」
ケンはやや赤面した。
「ねぇ、今度タマゴの入ったラーメンを食べてみない? あたしがおごるわ」
「冗談じゃねえ、女におごらせるなんてわけにはいかねえ」
「それじゃ、あんたがあたしにチャーシュー入りのラーメンをおごってちょうだい。それでチャラでしょ」
「それはそうだが・・・・・・」
ケンは悩んだ。たとえおごりとはいえチャー高の番長である自分がタマゴ入りラーメンを食べていいものだろうか。仲間と喧嘩に明け暮れている最中に。
正直に言えば興味はあった。タマゴ。それはあのラーメンとどのようなハーモニーを奏でるのだろうか。
「あたし、意地をはる男の人は好きよ」
悩むケンを見てキョーコが言った。
「でも、素直になれない男は嫌い」
「わかったよ・・・・・・」
ついにケンは折れた。
そして二人はそのままみろく屋へ向かった。
「どうした。めずらしいとりあわせだな」
店主が驚く。
「どうでもいいだろ。オヤジ、こいつにチャーシュー入りラーメンを食わせてやってくれ」
「親父さん、このひとにタマゴ入りラーメンを」
親父はさらに驚いたようでヒューと口笛を鳴らした。
「はいよ、ちょっと待ってな」
二人前のラーメンは数分で出来た。二人の前に丼が置かれる。
ケンは思わずごくりと生唾を飲んだ。
「さあ、たべてみて」
「あ、ああ」
まずはスープを一口、麺をひとすすり、うん、いつもの味である。そしていよいよタマゴに取り掛かろうとした時だった。
箸がタマゴに当たる。その弾力がなんとも言えず心地いいのである。これからの美味を予感させる触感だった。
そこを押し割るのもまた快感。するとよく煮られて茶色くなった白身の中から、これも濃い色のついた黄身がトロリと出てきた。
ケンはそれをわずかにレンゲにとりスープと一緒に飲んだ。なんというまろやかさだろう。いつもの中華スープの味がより一層ふくらむのである。
こうなると黄身と麺を絡めて食べずにはいられなかった。スープと黄身と麺でひとすすり。芳醇な味わいが口の中に広がった。
さらにタマゴ本体を食べる。やはり箸で予感したとおりの素晴らしい弾力だった。なんとも歯切れのいい白身とねっとりした黄身のコンビネーションがたまらない味覚をもたらしてくれる。
「どう?」
キョーコが訊いた。
「うめえ」
ケンは素直にそう答えていた。
「そっちはどうなんだよ」
「美味しいわ。チャーシュー入りラーメン。チャーシューの脂と肉味がラーメンの世界をさらに広げてくれる。まさかこれほどのものとは思わなかったわ」
二人はラーメンを前にしばし沈思黙考した。
「おれたちは知っちゃならねえ味を知ってしまったようだな」
「ええ。でもこの美味しさをみんなに教えれば争いはきっと・・・・・・」
「言うな。どうせ金には限界があるし、味がわかるやつばかりでもねえさ。それに俺はチャー高のケン。いまさら後に引けない闘いに足を踏み入れちまってるのさ」
「これからもチャーシューのために闘い続けると言うの?」
「ああ」
ケンは学ランを羽織って席を立った。
「ばか!」
その背中を追うようにキョーコが叫んだ。
二人の様子を見ていたみろく屋の店主はやれやれといった調子で頭を振った。
「ここはおれっちがひと肌脱ぐ頃合いかねえ」
と言いながら。
その日、ケンがいつものように午後の授業をフけてみろく屋へ向かおうとしていると、下駄箱に一通の書状が入っていた。番長の座を狙った果たし状ならよくあることである。が、その内容は少し違っていた。
『女は預かった。返して欲しくば二丁目の廃工場まで来い。 大林ゴウ』
思い当たるのは一人しかいなかった。
ケンはわれ知らず走り出していた。
「ケンさん!」
数人の仲間がついて来る。ケンたちはそのまま指定された廃工場まで駆けていった。
廃工場につくと、その奥に大林ゴウの姿があった。
そしてそのさらに奥には、鎖で壁に磔にされた飯塚キョーコの姿が。
「キョーコ!」
ケンは叫んだ。
「ケン! 来ちゃだめ! この人たちは今日ここで決着をつけるつもりよ」
キョーコの言うとおり大林ゴウの周りには相当な人数のタマ高生が集まっていた。たいしてチャー高はケンとケンについてきた数人のみ。ここで闘えばどうなるかは火を見るより明らかだ。
大林ゴウが高らかに笑う。
「へっへっへ。ケン、この女に手当てしてもらってたんだって? 我らがタマ高に裏切り者を見つけたんでよお、この女には罰をくれてやらねえとならねえ。そうだなあ我が高伝統のタマゴ百飲み込みといったところかねえ」
「やめろ! 窒息してしまう!」
「はっはっはっ! だったら止めてみな。かかって来いよケン!」
「くそがあああああ!」
ケンはまっすぐキョーコに向かっていった。わずかな仲間たちもそれに続いた。だが多勢に無勢、すぐタマ高の連中に取り囲まれてしまう。
「野郎ども、やっちめえ!」
ゴウの号令一下、手下どもがケンたちに殴りかかった。
「ちくしょうめ!」
ケンは相手の拳を素早く捌きつつ、即座に反撃を入れていく。伊達にチャー高の番
長をやっているわけではない。喧嘩の強さには自信があった。
一人倒し二人倒し、後からやってくる三人目をいなして四人目を倒し、だがそうしていても相手の数は一向に減る様子が見えない。そのうち味方は一人、二人と倒れていき、やがてチャー高で立っているのはケンだけになってしまった。
そのケンも満身創痍、もはや立っているのがやっとの状態だ。
「もうやめて!」
キョーコが叫ぶがゴウは聞く耳を持たない。
「くくく、てめえもこれでおわりだなあケン。これでこの一帯のラーメン屋はタマ高の縄張り、ラーメンには必ず最高のタマゴがつくって寸法だ」
「ゴウ、おまえはまだチャーシューの入ったラーメンの美味さに気づかないのか」
「当たり前だ! タマゴ! タマゴこそ至高のトッピング。ラーメンの味を最大限に引き立てる相棒さあ!」
「ふっ、ふふふ」
ケンは不敵に笑い出していた。
「なにが可笑しい」
「ゴウ、俺にはわかるぜ。タマゴの良さも、チャーシューの良さもな。その女が教えてくれた。それぞれにはそれぞれの良さがあるんだ。両方理解してこそ一流のラーメン通というものじゃないか」
「ケン……」
「なにを日和ったことを言ってやがる……。チャーシューなど、タマゴの足下にも及ばんわ!」
「お前も本当は食ってみたいんだろう? チャーシュー入りラーメンを。その美味さを味わってみたいんだろう? だったら素直になったらどうだ。一度くらい食ってみればいいじゃねえか!」
ゴウは思わず生唾を飲むのを抑えきれなかった。
「くそ、食ってみたくなんか……、食ってみたくなんか……、チャーシューなどおおおお! うおお、もういい! 野郎どもケンをぶちのめせ!」
「おう!」
タマ高生がケンに襲いかかりいよいよ最後かと思われたその時だった。
「大変だ!」
一人のチャー高生が廃工場に飛び込んできた。
そして言ったのである。
「みろく屋がトッピング一品無料券を配布し始めた! これからは! いままでと同じ予算でチャーシューとタマゴが両方食べられるんだ!」
その場にいた全員が一瞬固まり、そして叫んだ。
「な、なんだってー!」
その日からみろく屋ではチャー高の生徒もタマ高の生徒も区別がなくなった。みなチャーシューとタマゴ入りのラーメンを頼み、堪能して帰っていくのである。「やっぱりチャーシューとタマゴの入ったラーメンは最高だぜ!」と言いながら。
大林ゴウもチャーシュー入りラーメンの美味さを認めざるを得なかった。「ふん、まあタマゴの次くらいじゃねえか」などと意地を張ってはいたが。
この件の一番の功労者はなんといってもみろく屋の店主だった。
「オヤジ、ありがとよ。これでみんなチャーシューとタマゴ両方の良さに気づけそうだ」
ケンが礼を言うとオヤジは、
「ふん、べつにてめえらのためじゃねえよ。顧客サービスの一貫だ。それから、いつも言ってるように他の客が来る時間帯に来るんじゃねえぞ!」
とつっけんどんに返すのであった。
「わたしは最初から分かり合えると思ってたわ」
キョーコが言った。
「そうだな、おまえがタマゴ入りラーメンをおごってくれなきゃ俺もラーメンの本当の美味さに気付けなかったかもな。どうして俺にそこまでしてくれたんだ?」
「そ、それは……」
キョーコが赤くなって俯く。普段クールなキョーコの今まで見たことのない表情にケンは不覚にも胸が鳴るのを感じてしまった。
「ヒューヒュー、お二人さんお熱いねえ!」
仲間たちが囃し立てる。
「馬鹿野郎、そんなんじゃねえったら」
言いつつもケンの顔は赤かった。
その様子を見つめる店主のいかめしい顔にはしかし、満足げな笑みが浮かんでいた。
街に、平和が戻ったのである。
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