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焼菓子の行方
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エピローグまでおつきあいいただき、ありがとうございました。
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時系列でいうと、第1章「魔女の実験室」と同日の出来事です。
ネタバレを含みますので、本編未読の方は、読了後の閲覧をおすすめします。
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執務室の扉を引き開けたその瞬間、漂ってきたのはラベンダーの香りだった。
間違いなく香りの発生源は、エルマが淹れてくれたのであろうハーブティー。だが、頼んだ覚えはないし、部屋のなかに見慣れた人物を見つければ、名探偵でなくともおのずと犯人は絞れるというもの。
「誰の許しを得て、ここで
即座に犯人確定の烙印を押し、肘掛け椅子に深く腰かけたその犯人に詰問を投げつけたのはいいのだが。
いつになく声に苛立ちが混じってしまい、自分でも驚く。普段なら軽く受け流せる犯人の振る舞いも、いまだけはおいそれと赦す気になれなかった。
「しかも、お茶まで運ばせて」
重ねて抗議の言葉を口にすると、犯人——もとい、この国の王太子は不満げに眉根を寄せていた。
「お前が戻ってこないから、じきじきに会いに来てやったんだよ。それより、お前が怒っている理由が俺にはさっぱりわからないんだが」
まるでこちらに非があるような物言いだ。どうせ大した用事もなく、暇を持て余したすえの行動なのだろうが。
まっさきに目に留まったのは、テーブルに置かれた白磁の丸皿。その上には、取り零された焼き菓子の残骸が散らばっていた。
その有様は、直視すればするほど腹立たしく。
「……それですよ」
腹立たしさのあまり、
「これか? この城館で出される菓子に比べれば、味も食感もいまいちだったぞ」
「では。食べ尽くした理由を簡潔に述べてもらいましょうか」
「まあ……癖になるというか、手が止まらなかったというか——」
「つまり美味しかったのでしょう? 嘘は聞き苦しいですよ」
なぜ、こうも腹立たしく感じるのか。いや、常日ごろから傍若無人に振る舞う彼自体、そばにいるだけで腹立たしさを覚える存在ではあるが。
心を占めていたのは、とても芝居だとは思えない、はにかんだ笑顔をくれた婚約者のこと。
彼女の笑顔を見るたび胸が痛むのは、彼女を騙しているから、だろうか。
最初は適当にあしらい、追い返してしまおうと考えていたのに。すぐにばれても構わないと乗った、三人が入れ替わるという王太子の提案も、いまになって浅慮だったと後悔している。
自業自得とはいえ、この面倒な状況は早く解消してしまいたい。たとえ彼女の笑顔が見られなくなるとしてもだ。
だが、どちらにしろ真実はそう遠からず、彼女に明かさなければならなくなるだろう。
目のまえの王太子——こらえ性のない異母兄のこと。いつ暴発してもおかしくない。しかもその瞬間は、まったくもって予測がつかないのだ。
なのに心の片隅では、少しでも長く、彼女とこのままの関係でいられればと願ってしまう。そんな俺は、すでに彼女に心を許してしまっているのかもしれない。
ああ、だとしたら、これは完全に八つ当たりだ。
兄からしてみれば、腹の足しになるかならないかの焼き菓子。責められる
やはり、考えればかんがえるほど腹立たしさは増していく。
だから俺は無意識に、兄を睨んでいたのだろう。珍しく、こちらを窺うようなしおらしい表情を兄がしてみせる。
「……ルクス、悪かった。そんなにこの菓子が食べたかったとは知らなかったんだ」
これはまた、稀に見る殊勝な台詞——、などを彼がくれるはずもなく。
「ほら、謝ってやったんだから、いいかげん機嫌を直せ」
上から目線で謝罪とは、ほとほと呆れる。たとえ赦す方向に気持ちが傾いていたとしても、たちどころに寛容な心は消え失せるというもの。
だが。どうやら八つ当たりされたことには気づいていない様子の兄に、とりあえずは笑顔を見せておく。
「いいですか。再度勝手にこの部屋へと侵入されるようなことがありましたら、たとえ次代の王となられるあなたであっても、領主の権限を存分に行使して、問答無用で王都へと強制送還しますから」
兄に向け、死刑宣告ともいえる冗談抜きの台詞をぐさぐさと突き刺しながら考えていたのは——。
彼女はまた、菓子を焼いてくれるだろうか。という、どうにも女々しい希望だった。それもジュラーレ公爵のためではなく、俺自身のためにだ。
その希望が叶うのかどうか。
そう遠くない未来、わかる日は嫌でもやってくるだろう。
謀略の花 *胡蝶は夢を渡り恋に泣く* 相坂つむぎ @blue_moon
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