第5話 四人


 加賀は放課後になってから三年生の教室を訪ねたが、森川も鮫村もすでに教室にはいなかった。


 二人の行き先に心当たりは一ヶ所しかない。校舎からグラウンドに出ると、白線で描かれた四百メートルトラックの上を走る森川と、ゴール付近でストップウォッチを持っている鮫村を見つけた。鮫村以外にも数名のマネージャーらしき生徒が見える。


 森川はゴールまで走り切ると速度を落としながらトラックから離脱した。荒い呼吸でゆっくりと歩き、手の甲で汗を拭う。ポニーテールにした長い黒髪が彼女の背中で揺れていた。

 森川は少し休憩したあと、鮫村といくつか言葉を交わして再びトラックに復帰する。

 森川の走る姿をぼんやり眺めていると、鮫村が加賀の姿に気づいた。歩いて加賀の方に近づいてくる。


「残念やったね」勝ち誇った顔で開口一番そう言った。「今日は陸上部の練習やからね」

「そのようですね」

「ほら、分かったらさっさと帰りなさい」


 記録用紙を挟んだクリップボードを加賀に向けてヒラヒラと振った。


「別に見学するのは自由でしょう」

 鮫村の態度が癇に障ったので意味もなく反抗する。すると鮫村は意外そうな顔をして、

「あら、もしかして陸上部に興味あるん? 新入部員はいつでも歡迎やよ。走るのがダメならマネージャーでもいいし」

「陸上部にはまるっきり興味はありませんが森川先輩には興味があります」

「あんたまるでストーカーやね。あんまりしつこいと通報するよ」

「ムラサメ先輩は走るのがダメだからマネージャーになったんですか?」

「別にええやろそんなことは。……あんた、文芸部のことまだ諦めてへんの?」

「もちろん」

「ふーん……。前から気になってたんやけど、あんたの部活の顧問って、なんで保健体育の教師がやってるの?」

「前に聞いたことがあるんですが、昔から本が好きで、学生に少しでも本の良さを分かってもらいたいって、顧問にしてもらったみたいです」

「ふーん。才能の無駄遣いやね」

「才能を有効活用しなきゃいけない法なんかないでしょう」

「才能を無駄遣いするやつを『愚か者』言うんや」


 鮫村は一言で切り捨てた。加賀は口から反論が出そうになるのを押さえ込んだ。今日は議論をしたいわけじゃない。

 鮫村は加賀に横顔を向けて、トラックを走る森川を目で追っていた。


「森川先輩、早いんですか?」

「そりゃ早いよ。インターハイにはまず確実に出られるやろうね。才能もあるけど、練習を嫌がらんのも大きいと思う」

「すると、このまま陸上を続ければオリンピックにも出られたりするんですか?」

「まさか」冗談を聞いたみたいに鮫村は笑った。「練習だけやと無理やよ。誰よりも才能があって、その上誰よりも練習しているような人がごろごろいるような世界なんやから。努力は前提として、それプラス才能はもちろん運だって必要やね」


 しかしすぐに加賀の方を向くと「も、もちろん、インターハイに出るだけでも十分すごいんやから。中距離じゃ校内で一番早いのは確実やし、県大会でも優勝してるし」と慌てて付け加える。


 走る森川の姿を鮫村の隣でぼんやり眺める。森川はすぐにトラックを一周し、加賀の目の前を通過する。徐々に速度を落とし呼吸を緩める。鮫村は他の生徒がすべてゴールするのを待ってから、それぞれに駆け寄ってタイムを告げていた。

 森川は他の生徒よりも頭ひとつ抜き出て早かった。最後の生徒がゴールするころにはトラックから遠く離れ、呼吸もすでに整っているように見えた。

 森川は駆け寄ってきた鮫村からタイムを聞くと再びスタートラインに戻る。その途中で加賀の姿に気づいた。ゆっくりと加賀の方に歩いて来る。


「加賀くん、陸上部だったんだ」

「そんなわけないでしょう。見学ですよ」

「一緒に走る?」

「遠慮します」

「そっかー」


 少し残念そうに答えた。そこへ鮫村が戻ってくる。


「ほらヤマナシちゃん! そんな馬鹿と話しとったらタイムが落ちるよ!」

「僕は呪い師か」

「あんたならそれくらいやりかねんわ。こいつ、ヤマナシちゃんを見るためにここまで来たんよ。変態や」

「私を見に……」少し思案した後に、「私の体操服、あげようか?」

「いりません。というか唐突に何ですか」

「ムラサメちゃんが、男は女子の体操服を欲しがる生き物だと言っていたんだ」

「ムラサメ先輩、偏った知識を与えないでください」

「う、うるさいな。男なんて女を嫌らしい目でしか見てないんでしょどうせ……」

「森川先輩、せっかくのご好意ですが体操服は受け取れません」

「私の体操服、臭くないよ?」

「いえ臭いを気にしてるわけではないです」

「こいつ、臭い体操服じゃないと興奮できひんのよ」


 鮫村の頭を殴りに近づくと彼女が走って逃げ出したので加賀は走って追いかけた。

 しばらくグラウンドを走り回ってから、頭をさする鮫村と息を切らした加賀が森川のところに戻った。


「仲良し」


 加賀と鮫村を交互に指さして森川が言った。スタートラインに待機していた他の陸上部員たちもニヤニヤと加賀たちのやりとりを見ていた。


「う、うるさいっ。馬鹿やっとらんと次の一本始めるよ!」


 会話を打ち切るように鮫村はホイッスルを鳴らした。顔が真っ赤になっていた。

 陸上部の練習が終わるまで、加賀はずっと鮫村の隣で森川の練習を見学していた。練習を通して森川は何度も他の生徒と一緒に走ったが一度として追い抜かれることはなかった。他の生徒たちが苦しそうに練習をこなしているときも、森川だけはまだ余裕を見せていた。

 日が落ち、薄暮れの中で顧問の教師が号令をかけ、本日の陸上部の練習は終わった。

 片付けを終えた生徒たちが校舎に戻っていく中、加賀は鮫村に声をかけた。


「ムラサメ先輩、ちょっと話してもいいですか?」

「あたし? もう疲れたし明日にしてよ」

「じゃあ森川先輩と話してきます」

「あーもう分かった分かった! ……それじゃ向こう行こうか」


 返事を待たずに、鮫村は加賀の腕を引いて用具倉庫の裏まで連れて行った。

 夕闇の中のさらに影の中で、加賀と鮫村が向かい合う。表情の細かな部分はもはや鮮明ではない。普段は表情豊かな鮫村が今は別人のように感じられた。


「それで? 何回言われてもあんたには協力せえへんよ」


 腕を組んだ鮫村が先に釘を刺す。


「ムラサメ先輩は森川先輩の気持ちをどう思ってるんですか?」

「意味不明」

「森川先輩は陸上部を楽しんでいると思いますか?」


 分かりやすく言い直すと、鮫村はため息を吐いた。


「分からんけど、多分違うやろうね」

「そうです。森川先輩は楽しいから陸上部にいるわけじゃありません。ムラサメ先輩に言われたからやっているだけです」

「でもヤマナシちゃんはすごいタイムを――」

「僕が聞いているのは、ムラサメ先輩のことです」


 加賀は鮫村の言葉を制した。すぐに言い返してくると思ったが、鮫村は黙って加賀の言葉を待っていた。


「ムラサメ先輩がどうして森川先輩を陸上部に入部させたいのか、本当の理由を聞きたいのです」

「だから、ヤマナシちゃんの才能を――」

「もし本当にそんな理由を信じているなら、それは嘘だと思います」


 それは偽善だ。救いようがない。

 「彼女のため」なんて考え方はおこがましい。一体自分は森川の何だというのか。たとえどれほど森川のことを思っていたとしても、彼女の人生に責任を持つことはできないし、持つべきではないのだ。それは森川海華という存在を貶め、所有するための考え方だ。

 屋上で辛島に言われたことは事実だ。加賀は本心から彼女たちのことを案じていたわけではない。鮫村だって、自分が献身のためだけにこんなことをしていると本気で信じているわけではないだろう。そう思いたかった。そうでなければあまりにも救われない。

 偽装だ。何もかも。

 長い長い葛藤の時間があった。それは鮫村の葛藤であり、同時に加賀の葛藤でもあった。


「……あたし、中学の陸上で怪我をして、もう大会は諦めろって医者に言われた。高校で陸上部に入ったけど、走れないからずっとマネージャーやってた。でもずっと雑用ばかりで、ぜんぜん面白くなくて……。でもヤマナシちゃんが来てくれた。ヤマナシちゃんはあたしの言ったとおりに練習してくれるし、走ってくれる。それが楽しくて、あたしは……でも、本当に、あたしはヤマナシちゃんのことが好きで――」

「それは、森川先輩を利用しているだけなんですよ」

「違う!」

「もちろん僕も、文芸部存続のために森川先輩を利用しようとしているわけですが」

「あんたとあたしは違う」

「いくら森川先輩のためだと言っても、それは自分の倫理や道徳心を満足させているだけなんですよ。森川先輩が望んでいることなんて、僕たちには分からないんです」


 きっと彼女は自分の才能にも、インターハイの栄光にも価値を見出していないだろう、と加賀は思った。


「だって僕たちは別の人間ですから。自分のことしか分からないんですよ。どんな風に見えたって、それは外側から見てるだけなんです」


 他人を怒らせたくないだけの人、何も望まずに人の言われたとおりに生きる人、周りに自分を規定されるのが嫌で自分の気持ちさえ裏切る人。

 だから人は意見をぶつけ合う。別の人間だから、自分の中のものさしで、損得で、動くしかないのだ。


「文芸部に来るのが気に入らないなら、来なくてもいいです。ムラサメ先輩は、ムラサメ先輩の損得で行動してください。僕はただ自分のためにムラサメ先輩にお願いするだけです」


 加賀は彼女に頭を下げた。彼女が息を呑むのが分かった。しばらく頭を下げていると「やめて」と鮫村の小さな声が聞こえた。


「もし森川先輩が文芸部に来ることが、ほんの少しでも鮫村先輩の得になるなら……明日、文芸部に来てください」

「約束はできんよ」


 加賀にそっぽを向き、白けた声で鮫村は答えた。


 鮫村と別れ、薄暗い校舎の廊下を歩き、文芸部の部室へ向かった。

 てっきりもう帰ってしまったと思ったのに、部室の手前、一番端の席ではいつものように天城が本を読んでいた。


「帰りましょうか」


 彼女は微笑んで、何も聞かずに本を閉じた。




 ***


 鮫村と話した夕方からずっと陰鬱な気分が続いていた。それは一晩経っても解消されることはなく、翌日の放課後に部室へ行くまで減衰することなく継続していた。


 加賀を陰鬱な気分にさせているのは昨日の後悔だった。果たして自分は鮫村に対してあんな偉そうなことを言う資格があったのか。

 いや根本的なことを言うなら、あんなことを言った自分はとても格好悪かったのではないか。ついつい熱くなってあんなことを言ってしまったが、今思い出すととても恥ずかしい。もう少しオブラートに包んで、曖昧な言い方をすればよかった。発言の前に退路を確保すればよかった。

 昨日は下校中から徐々に熱が冷め、家に着いたときにはもう真っ青になっていた加賀である。ベッドの中では鮫村との会話がずっとリフレインしていて、加賀は自分の発した言葉のひとつひとつを拾い直して、その痛々しさにずっと悶えていた。

 とてもではないが、今日は部活の勧誘に行く気分ではなかった。これなら文芸部でずっと天城と二人きり、生殺しの状態が続く方がマシだ。


 おぼつかない足取りで部室に入ると、森川と鮫村が椅子に座っていた。

 加賀はしばし言葉を失う。森川と鮫村をしばらく見ていると、居心地悪そうに鮫村が言った。


「な、何や。じろじろ見て。気持ち悪いな」

「……なぜ二人がここに」

「あんたがここに来いって言ったんやろうが」


 それはその通りだったが、まさか本当に来るとは思っていなかった。


「あ、加賀くんおかえり~」


 加賀の背後から天城の声が聞こえた。天城はにこにこしながら、お盆にティーカップを四つ乗せてやってきた。

 紅茶を森川と鮫村、そしていつもの加賀の席と自分の席に並べる。


「加賀くんもそろそろくるころだと思ってたから、用意してたの。みんな、お砂糖は?」


 スティックシュガーを配り始める。あの鮫村も天城の前では大人しかった。喜色満面の天城に水を差すのも悪いと思ったのかもしれない。

 加賀は鮫村に小声で尋ねた。


「陸上部、大丈夫なんですか?」

「別に陸上部を辞めたわけやないけど。……単に、息抜きも必要かなって思っただけで」

「ムラサメ先輩も入部してくれるんですか?」


 図々しいことを自覚しながらそう訊くと、鮫村はため息を吐いて、

「だってヤマナシちゃん一人だけやともう二度と陸上部に戻らなくなりそうなんやもん。あたしは監視や。あんたがヤマナシちゃんに変なことさせようとしたらすぐに連れて帰るから」

「ムラサメちゃん、変なことってどんなことなの?」


 二人の会話に森川が首を突っ込んできた。すぐに鮫村が答える。


「へ、変なことって変なことに決まっとるやろ。ずっと文芸部にいろとか、陸上部に行くなとか」

「あ、そっか。私、てっきりえっちなことだと思った。×××を××××しろとか、××××で××させろとかー」

「な、何言ってんの! そんな言葉どこで覚えたんや!」


 鮫村が顔を真っ赤にして母親みたいなことを言う。天城は首をかしげていた。どうやら言葉の意味を理解していないらしい。大丈夫かこの人は。


「でも私、加賀くんに頼まれたら断れないかも」

「……義経死すべし」

「い、痛っ! なんで僕なんですか! ていうか森川先輩も何言ってるんですか!」

「加賀くん」


 天城が加賀を呼んだ。


「な、何ですか?」

「××××ってどういう意味?」


 えーっと。

 加賀が鮫村の方を見ると彼女はそっぽを向いた。足を蹴飛ばすと睨みつけてきた。その隣で森川が期待を込めた視線を加賀に送っていたが、こいつに説明させると天城の純真が破壊されるので絶対に避けねばならない、と加賀は判断した。


「そういえば森川先輩ってどういう本を読むんですか?」質問を無視して話題をそらす。

「森川さんは、たしか世界文学系が好きだって言ってたよね?」


 そらした先が本の話題だったので、天城は有耶無耶にされたことなど忘れて新しい話題に飛びついた。ちょろい女である。


「勧められた本は何でも読むよー」

「そう言うと思ってました。国語便覧とかおすすめですよ」

「そうそう。国語便覧って面白いよね」天城が真に受けて便乗する。

「あはは。結子ちゃん、国語の先生みたいなこと言うんだねー」

「実は国語の先生なんです」加賀が言った。

「そうなの?」

「え、違うけど……」天城が真面目に答えた。

「違うって言ってるよ」

「保健体育の先生です」

「あはは。そうなんだ」


 森川は笑って、国語便覧ではなく国内もののSF小説を天城から受け取った。


「あたし、読書ってせせこましくて好きやないんよねー」

「あんた一体何しに来たんだ」

「だから、あんたがヤマナシちゃんに変なことしないように監視しとるんや!」

「鮫村さん、普段読書しない人でも面白く読める本はあるよ。例えばこの作者のお話はストーリーがとっても王道だけどリーダビリティが高くてぐいぐい先を読みたくなって――」


 天城はパイプ椅子ごと鮫村の近くに移動して、逃がさないよう真正面から顔を見つめて本を紹介し始めた。こうなるとすぐには終わらないだろう。

 そのとき突然部室のドアが開いた。驚いてそちらを見ると辛島美音が室内を睨みつけるように立っていた。

 会話がぴたりと止まり、思わず全員が息を呑む。辛島は室内を右から左へじろりと見渡して、何も言わずに中に踏み込むと、壁に立てかけてあったパイプ椅子を勝手に広げて部屋の隅に座った。手近な本棚から本を一冊抜いて膝の上に広げる。


「何か言えよ!」


 加賀の声に反応して顔を上げた。何を言っているんだお前は、と言わんばかりの表情で加賀を見た。


「お前が来いっつったんだろうが」

「言ったけど……でも断られたと思った」

「だから何だよ。断ったら来ちゃいけねえのか?」


 もはや意味不明だった。どれだけ天邪鬼なんだお前は、という言葉を加賀は飲み込んだ。嬉しそうに胸の前で指先を合わせる天城の顔を見たからだ。


「紅茶、もう一杯入れてくるね!」


 席を立つと、戸棚を開けてティーカップを取り出した。


「あ、コーヒーで。砂糖ありミルクなし」

「はいはい」

「どれだけ自由なんだ……」

「は。褒め言葉と受け取っておく」


 格好つけて辛島は答えた。


「加賀くん」森川に呼ばれて加賀は振り向いた。「その人は誰かな?」

「あ、辛島って言います。同じクラスで……文芸部員です」


 うっす、と無礼にも本を読みながら会釈する。


「仲良いんだねー」

「そう見えますか?」

「お友達?」


 「違う」という声が重なった。あはは、と森川が笑う。


「それじゃあ加賀くん、私とお友達になろうよ」

「前後の文脈が繋がってませんよ。……お友達ですか。でも先輩に対して友達というのも恐れ多いですし」

「お前が年上を敬うタマか」


 辛島が茶々を入れる。鮫村がうんうんと頷いていた。ひょっとすると二人は気が合うかもしれない。


「じゃあ恋人?」

「なりません」

「加賀義経ッ!」

「いや僕は何も言ってないですよね?」


 真っ赤になった鮫村を見て森川がまた笑った。


「なんつーか、変な奴の多い部活だなあ」


 変な人の筆頭である辛島がつぶやいた。

 しばらくすると、コーヒーの入ったティーカップをお盆に乗せて天城が戻ってきた。


「えへへ……。これからはたくさん飲み物を用意しないといけないし、ティーポットとか買った方がいいのかな。うん。えへへ、なんか楽しいねー、みんながいると。家族みたい」

「そうでしょうか……」

「ムラサメお姉ちゃん」


 森川が鮫村に言った。鮫村は照れる。


「辛島お姉ちゃん」加賀は便乗して辛島に言った。

「殺すぞ」

「そこまで嫌がる!?」

「お前が弟だなんて嫌すぎるだろ。あと姉弟なのに辛島って呼ぶのはおかしいだろ」

「美音お姉ちゃん?」

「……バーカ」


 急に小さな声になって、辛島は読んでいる本を顔の前まで持ち上げた。本に隠れて表情が見えなくなる。


「わたしは? わたしは? 妹? 娘?」


 天城が自分を指さして加賀に詰め寄る。


「お母さん、ですかね」

「………………………………………………………………」


 一度も見たことのないすごい表情になった。


「あ、ほら、天城さんって何というか、溢れ出る母性があるというか」慌ててフォローする。

「『結子お姉ちゃん』って呼んで……」

「結子さんって結構図々しいですよね」


 それから五人は賑やかに、和やかに本を読んで過ごした。

 天城は他人の読書にしょっちゅう口を挟み、辛島は部屋の隅でマイペースに読書を続け、森川は言われるがままに本を取っ替え引っ替え、鮫村は本に突っ伏して居眠りをして天城に本を粗末に扱うなと叱られていた。

 下校のチャイムを合図に、それぞれが帰宅の準備を始める。全員が部室から出たのを確認し、天城が部室に鍵をかけた。


 いつもは二人で歩く夕暮れの廊下が、今日はずっと賑やかだった。かしましかった。華やかだった。

 森川や辛島や鮫村の中心にいてニコニコと笑っている天城を、加賀は最後尾から眺めていた。

 これだけ部員が集まったのだ。もはや自分が文芸部にいる理由もないだろう。元々部員が集まるまでの間だという約束だったじゃないか――。しかし加賀は、とうとう最後まで天城にそのことを言い出せなかった。

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