零の章・第五話 死への考察
飛び降り自殺が起きてから数分後の話。
異変に気付いた教師陣がようやく現れた。
彼らが叫ぶ。
「生徒たちは速やかに教室へと行きなさい!! とにかくここから離れて!!」
だが、自殺現場を目撃した直後に、全員が指示通りに動ける訳がない。
泣き崩れる生徒、倒れ込む生徒、ショックで動けなくなる生徒、しっかりとした足取りで足を進める生徒。様々だった。立ち上がることのできない生徒を、動ける生徒たちが肩をかして教室まで運んで行く。因みに俺は動けない生徒の一人だった。
地面に膝をつき、手をつき、顔を上げればその光景が目に入る。
生徒たちの間から見える伏見さんの姿は、何度見ても変わり果てていた。
そんな彼女の姿を、後悔や懺悔の念と共に目に焼きつけていた。
動き出すことを願ったが――そんなファンタジーあるはずがない。
一度死んだ人間は蘇らない。
「……クソッ……クソッ……」
昨日まで普通の会話をしていた『友』と呼べる存在が今は何も喋らない。
あの笑顔も、あの声も、あの姿も、もう見ることができない……。
ポタリッ――と涙がこぼれる。枯れたはずの泉から水が再び流れる。
泣いても泣いても泣き足りない。それほど俺には君が大切だったんだ。
「どうして君は……飛び降りる直前、笑ったんだ?」
分からない。
飛び降りる前、俺は間違いなく伏見さんと目が合った。
その時だ。彼女は優しい笑みを浮かべたような気がした。
どうして笑った? どうして嬉しそうにする? どうして??
どうしてもあの笑みの意味が分からない。
普通『死』を前にしたら、怯えたような表情をするはずでしょ。ましてやあそこは学校の屋上だ。見下ろしただけで足が震えだすレベル。そんな状況下で、どうして笑える? 笑える人間がいるとすれば、三つのパターンしか思いつかない。
1、頭のおかしい人間。
2、高所平気症の人間。
3、死ねば異世界転生ができると信じている人間。
ただ、3は間違いなくありえない。オタクである俺ならまだしも、アニメに興味がない普通の人間である伏見さんはありえない。
それに1もあり得ない。伏見さんは頭のおかしい人間ではない。
2もない。高所平気症と自殺前の笑顔はまったく関係ない。
やっぱり俺にはあの笑顔の理由が分からない。
そして伏見さん亡き今、その理由を永遠に知ることができない。
「ほらっ!! 君たち!! その場から離れなさい!!」
教師陣が、伏見さんの周りにいる女子生徒たちを強引に離そうとする。
生徒たちも「離して!!」「触らないで!!」「やめろ!」と抵抗する。
それでもやっぱり先生たちは大人だ。女子生徒よりも力がある。
4~5人の女子生徒たちは次々とその場から遠ざけられていく。
三人の先生たちが伏見さんの元へと近づき、誰も近づけないように手を広げた。
「
教師の一人が声をかけてきた。この距離でもダメなのか。
こんなに離れているのに、もっと離れなきゃダメなのか。
「……」
「立てるか? 聞こえているのか? おい、桜咲」
「……」
立とうと思えばたぶん立てる。
ただ、今は立ちたい気分にはなれなかった。
全身に力が入らなかった。無気力。何かしたいとは思えない状態だ。
彼は「仕方ない」と言い、俺の腕を掴みながら半ば強引に引きずった。
伏見さんがどんどん離れていく。どんどん遠くへと行ってしまう。
俺はぼそぼそと呟き始めた。
「伏見さん。俺はさ、もっと君といたかった。七夕祭りに行きたかった。家族も友達もいない俺が、唯一望んだのは君といることだった。なのに神様は、どうしてたった一つの願いすらも許してはくれないのだろう? 俺……悲しいよ……」
世界には全てを手に入れた裕福な奴がいる。
その一方で、望んだ一つのモノすらも手にできない人間がいる。
世の中は不平等だと思わないか?
酷い世の中だよ。
友達が欲しかった。
そして友達ができた。
なのにその友達すらも奪われた。
どうして神様は俺から友達を奪うのか?
家族も奪われ、友達も奪われ、次は何を奪うんだ?
伏見さん亡き世界。俺の世界から色が消えた。
◆ ◆ ◆
今現在、俺は自分の教室にいた。
自分の席に座り、俯きながら自分の机を見つめている。
「……」
隣の席へと視線を向ける。
けど、そこに伏見さんの姿はなかった。
「……」
教室を見回した。
生徒の半数しかおらず、教室にいる生徒の全員が暗い顔をしてる。
どうして半数しか教室にいないのか?
理由は単純に、他の連中は違う場所に運ばれていったからだ。
数分前に起きた悲劇。それを目撃した多くの生徒の中には、具合を悪くした生徒もいた。吐き気やめまいといった軽い症状の生徒は保健室へ、気絶や精神的ショックを受けて動けなくなった生徒は救急車で病院へと救急搬送されていった。
だから教室には半数くらいの生徒しかいないのだ。
伏見さんの死は、それほど衝撃的で多くの人の心に傷を負わせた。
誰しも予想しなかった突然の死。未だに信じられない自分がいる。
だけどこれは間違いなく現実。事件は起きてしまったのだ。
その証拠に――
「……外が騒がしい……」
外はとんでもない大騒ぎ。
警察や救急車や消防車のサイレンが鳴り響く。
音と音が混ざり合い、不協和音にも似た
音だけではなく、救急隊員や教師陣の叫び声も聞こえてくる。
「離れてください!」「近づかないで!」と言う警察官の声が聞こえる。
今現在、警察の現場検証が行われている。そのうち生徒の事情聴取が始まる。
情報収集のため、歩ける生徒は一旦教室に集められているのだろう。
『校内でのいじめはあったのですか!!』『亡くなった彼女は社長令嬢とのことですが!!』『教師は見て見ぬふりをしていたのですか!!』『お答えください!!』
「……雑音がうるさい……」
マスコミの声も聞こえる。さすがはネット社会。情報が速いな。
姿が見えなくても、醜い奴等の姿なんて容易に想像できる。
きっとスーツケース姿で片手にマイク。警察の制圧を押しのけて敷地内に入ろうとしているのだろう。10人、20人……多分沢山のマスコミがいるのだろう。
多分この学校の誰かが、軽い気持ちで自殺のことをSMSに載せたのだろう。
そこから一気に拡散され、蜜に誘われて蟻が群がってきたのだろう。
これでもう隠ぺいできない。自殺はあった。紛れもなく人が死んだ。
「……」
だけど、これから行われるでろう事情聴取は上手くいかないと思う。
なぜなら、この高校に通う生徒の全員が、どうして伏見理美が自殺をしたのか分からないからだ。誰がどう見ても、伏見さんは幸せな人生を送っていた。
父は一流企業の社長さんで、母は第一線で活躍する世界的なファッションデザイナー。祖父母もエリート。伏見さんもエリート。学級委員であり、高校三年生になれば間違いなく生徒会の会長に選ばれるような人間。八方美人で皆に優しく、すべてが万能。みんなに優しくて、みんなにも優しくしてもらっていた。まるで女神。
彼女を嫌う生徒なんていなかった。金持ちなのに自分が金持ちだと自慢せず、優等生なのに劣等生にも優しく接する。こんな俺にも優しく声をかけてくれた。
いじめもなかった。誰も伏見さんをいじめようなんて考える訳がない。
もしいじめられていたら、友達が彼女を全力で助けてくれる。
「……だったら……どうして自殺なんて……」
彼女は衝動的に何かを行うような人間ではない。
思いつきで行動するような人間でもない。
なら、何が彼女を自殺をするまで追い込んだんだ?
「分からない」
ここ最近、何か変わった出来事でもあったのか?
「いや、ないな」
思い返してみた。俺の知る限りでは何もなかった。
だとすると、他にどんな理由が考えられる??
責任転嫁? 見せしめ? 自殺願望? 目標のない人生に絶望?
「……願望……」
自殺願望――ないとは言い切れない。
結局のところ、伏見さんは聞き上手で、いつも相談される側だ。
あまり自分のことを人に話さないタイプの女の子だった。
だから俺も本当のあの子を知らない。それが今回の件を招いた。
でも、俺の知ってる伏見さんが本当の伏見さんだとしたら、自殺願望はないと思う。そういう雰囲気もないし、自殺したいなんて考える子ではなかった。
「だとすると」
見せしめ、とか? ――ないとは言い切れない。
誰かに恨みがあったとか? 自分が死ぬことで、誰かへの復讐になるとか?
伏見さんは人の悪口を絶対に言わないので、本当の所は分からない。
言わないだけで、本当は誰かのことを良く思っていなかったのかも……。
「でも」
自分の命を犠牲にして成し遂げる復讐ってことは、相手は相当恨まれていたってことだよな。果たしてそこまで憎める人間がいるのだろうか?
「分からない」
分からないことだらけだ。
分からないことが多すぎて過ぎて頭が痛くなりそうだ。
「恨んでいた……? どういう気持ちで屋上の淵に立っていたのか……」
もう知ることができないのは分かっていた。それでも考えずにはいられない。
知りたかった。伏見さんの本心。本当の彼女の心の叫びを。
一番近くにいたのに、一番あの子の気持ちを理解しなきゃいけなかったのに、自分のことばかり考えて、相手の心が知ろうとしなかった自分が情けない。
× × ×
やがて教師の一人が警察と共に教室を訪れた。
どうやら二組の事情聴取の番が回ってきたようだ。
残っていた生徒が一人ずつ先生に呼ばれ、別室へと連れて行かれる。
知っている人はいるのかな。伏見さんのホントの気持ち。
◆ ◆ ◆
午前中で学校は緊急閉鎖。事件があったので無理もない。
部活も中止。生徒たちは速やかに帰宅するように言われた――のだが、マスコミが外で待ち構えているので下校はできない。生徒の安全面や精神面を考慮した結果、校長先生が『外が落ち着くまで教室から出ないように』と校内放送で伝えた。
事件から数時間経っても、マスコミは学校の外で隠れている。
事件に対する執念、報道したいという熱意、すごい物だな。
警察が退くように命令しても、奴らは虫のように壁を掻い潜る。
裏口、正門、裏門、下校道。あらゆる所にはびこるマスコミたち。
彼らの仕事熱心な姿勢に先生方も頭を悩ませていた。
「……」
「みんな、今はまだ下校しない方がいい。外はまだパニックだからな」
「……」
「警察がすぐにマスコミを撤退させるはずだから、指示が出たら――」
ガラッ。
そんな中、俺は立ちあがった。
警察なんて俺には関係ない。
マスコミなんてどうでもいい。
「おい桜咲、下校はまだ危険だって。生徒の身を守るのが校長の意向――」
「何が危険なんだよ」
「え?」
「伏見さんは死んだんだ。それは覆ることのない事実、隠すことも隠ぺいすることもできない。もう手遅れだろ。すべては、もう終わったんだよ」
行き場のない怒りを乗せ、震える声で吐き捨てた。
「マスコミがなんだよ。どうせアイツらにとっちゃ伏見さんの死なんてどうでもいい。重要なのは女子生徒が死んだってことだけ。なら聞かれたら答えればいいだけの話だろ。そうだよ彼女は死んだ。『友人が死にました!』って言えば、奴らは笑顔を浮かべながら『つらいねー』『可哀想だね』『悲しいね』って言ってっくるだろうよ。所詮伏見さんは一人の人間にすぎない。何も特別じゃないし、そこらへんにいるモブどもと同じ価値。死んだところで画面の向こうに連中は一瞬しか悲しまない。数日は話題になるだろうが、数か月後にはエンドコンテンツ。自殺という話題が消費されつくしてお茶の間の連中は、自殺した生徒のことすら忘れるだろう」
「こら桜咲!! よくそんな言い方ができるな!! 伏見君は君の友達だろ!」
先生が声を荒げた。
強い足取りでこちらへと近づき、教室を後にしようとする俺の腕を掴む。
俺は振り向いた。
すると、俺の腕を掴んでいた先生の手から力が抜けていった。
「桜咲……お前……」と短く告げる。
先生が俺の腕を離す。
俺は再び歩き出した。
「……」
顔を上げると、廊下の窓ガラスに自分の顔が映る。
「……妖怪かよ」
涙でぐしゃぐしゃになった俺の顔。
廊下へと出る直前、俺は足を止めた。
「丸井先生。友達が死んで、平気な人間がいる訳ないだろ……伏見さんは俺にとって唯一の友達で、唯一の理解者……代えがたい存在で……俺の全てなんだよ……」
先生は目をそらし――
「……すまん。お前もつらいんだよな……」
と呟いた。
早く家に帰って寝たい。
早くこんな最悪な日を終わらせたい。
現実から目をそらしたかった。
さっさと夢の世界に行って、考えるのやめたかった。
起きていれば嫌でも今日のことを考えてしまう。
学校にいれば思い出してしまう。
教室にいればますます辛くなってしまう。
フラッシュバックのように映る様々な光景。
伏見さんと共に過ごした楽しい日々。
伏見さんと話した幸せな時間。
伏見さんの隣にいたときの至福の感情
何度も何度も明るい光景が頭に浮かぶ。
そんな思い出が……赤い血に染まっていく。
見たくない。
ヤダ。
忘れたい。
血の色も血の臭いも鮮明に……蘇る。
イヤダイヤダイヤダ。
嫌だ。
だから俺は歩いた。
誰もいない廊下を一人で歩いた。
先生はもう俺を止めない。
ただ「気を付けて帰れよ」とだけ言った。
何を気を付けるんだよ。
意味が分からない。
「……」
頭が正常に回らなかった。
まるで蝉の抜け殻だな。
簡単な言葉でも出てこない。
もう何も分からない。
ただ一つだけ分かることは――
「帰りたい」
早く帰りたい。
帰りたいという思いだけははっきりと理解できた。
だから俺は自分に嘘を吐かず、そのまま歩き出した。
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