不幸の連鎖 8
ゴブリンがリザを支えたまま、術式を唱える。ゴブリンの体からあふれる清浄な光がリザへ流れ、傷をいやす。割れた額、裂けた足の傷。曲がりかけた別足。曲がった指。全身の傷などをいやす回復魔法をかけていく。
初めに額の傷が閉じていく。傷を残さないよう、慎重にかけられた術式は、効果をなす。やがて傷跡も残さず、赤く染まっただけの額が残る。裂けた足も曲がった指もそう、順番にいやす。血の跡や服の損傷は直せない。だが、人間としての見た目は奇麗に保てる。
ゴブリンは同情している。
哀れみを抱いている。
術式を唱えながら、リザの頭をなでていく。意識がある際にすれば、殺されかねない最悪の行為。だがせずにはいられない。相手が女性だからではない。共感を抱く同士としてみなし、保護をする気持ちになってしまったのだ。
回復魔法の威力はともかく、技術は丁寧だ。時間をかけた分だけ正確なほどの技術。
やがて、傷は全て癒えた。
そして、ゴブリンは口を開く。
「・・・もくてきはなんだ?」
折れた木が積み重なった遮蔽物。そこに視線だけをむけ、ゴブリンは尋ねた。気配は常人では気づかない。だがリザほどうまく隠したものでもない。だから知性の高くなったゴブリンですら気づく。
誰かが隠れている。折れた木が視線を遮断しているだけだ。その裏に確かに気配があるのだ。
「でてこなければ、かくれてるところふくめて、ふきとばすぞ」
ゴブリンが片手を遮蔽物に向けたところで、ぱちぱちとした拍手の音がなる。乾いた拍手の音が静寂を殺し、遮蔽物の横からひょっこりと姿を現す第三者。
青い髪。希望をしみ込ませたかのような清浄さをもつ髪が第一印象の男だ。拍手をならしつつも、高純度のサファイアを思わせる双眼の蒼は汚れひとつ見えない。また視線をむければ吸い込まれてしまいそうなほどの祝福がつまっている双眼にも見えた。
肌年齢は幼く、まるで青年だろうか。柔らかい表情は見るものを誘惑するほどのものだ。
「僕の名はソラ。この姿では怪物にしかあったことはないけど、君のことは知っているよ。ゴブリン君」
最悪の出会いがここにはあった
甘い声だった。耳元から侵入してくるほどの甘さが、背筋を凍らせる。さりとて、寒気を抱くことは慣れている。ゴブリンは怪物と共に過ごしている。怪物の怖さを思えば大したことはない。
そのくせ、ソラはゴブリンを見ているようで、見ていない。
ゴブリンが支えるリザの姿のみ執着する視線だった。
「もくてきは、このおんなか?」
憮然としたまま確認し、ソラの視線からリザを後ろへ隠す。支える手は背中を維持し、空いた片手はソラのほうへ向きっぱなしだ。
怪物と共に生きることは、警戒の連続。信用できるのは怪物の配下の中でも3幹部のみ。
トゥグストラ、オーク、リザードマン。それ以外は信用しない。
ソラと名乗る人間からは胸糞悪い魔物がかぶってしまうのだ。人間の上半身をもち、蜘蛛の下半身をもつ外道に雰囲気が似ている。
だからかゴブリンは目を離せないでいた。
「うん、よくわかるね、役立たずのくせに」
ソラは微笑む中で、言葉には棘がある。恨みを持たれたような後味の悪さ。リザにしか興味がないくせに、攻撃性はゴブリンのほうへ向かっている気がした。
「君は甘いよ、ゴブリン君。雑魚なんだから慈悲を与えちゃ駄目だよ。殺せるときに殺さなきゃ。そうじゃないと肝心なときに奪われて、酷い目にあうからね」
微笑むを崩さないくせに、甘い声はそのままのくせに。
薄汚い欲深さが空気として表れてしまっている。それを感じ取るゴブリンはすぐさま術式を展開に移る。
この技術は外道が押し付けたもの、ゴブリン個人の特技でない。
この声は外道が押し付けた、人形使いのもの。
この術式を展開する手は、人形使いの腕。
奪われて、勝手に押し付けられて、そこに付属した呪いで自我を壊しかけた。人間と魔物の種族の融合と同時に自我崩壊するための呪詛。人形使いの外道への恨みつらみが増幅され、ゴブリンの自我を崩壊させるまでのカウントダウンを設定された。
聖剣によって呪詛の破壊がなければ今のゴブリンはない。また聖剣による作用により人形使いの腕と喉に対し再結合が行われた。元来は呪詛を通しての能力の継承であった。呪詛なくしては力の継承はなく、呪詛を消すだけなら多少器用なゴブリンのままだった。
その不都合をなくすための再結合。呪詛を通さない直接的な結合。
そのおかげで人形使いの技術を手に入れた。魔法技術も知性もだ。聖剣による能力向上はあるし、それだけでも人間と変わらない程度ぐらいは手に入る。だが人形使いの能力を手にしたことで、大きな善性というものが身に付いた。
野蛮な本能は消え去り、相手を思いやる強さ。人間が抱く他者への共感を更に深められた。
外道が残す手段は必ず非道のものが混じる。それをわかっているからこそ、似た空気をもつソラに強い拒絶を抱いた。
「このおんなをどうするきだ?」
聞いてはいるものの、答えはわかっている。覚悟を決めており、ただ推測のみでは物事を決めてはいけない。それはゴブリンの主人、怪物の教えだ。相手の意志を聞かずに、押し付ける答えは価値がない。
その教えを守る。
またリザという人生の囚人を守ることだ。人間でありながら、人間としてみなされない。そんな哀れなやつをこれ以上苦しめるわけにはいかない。ゴブリンでありながら、強い善性が先を勝手に予測している。
ただゴブリンが尋ねれば、ソラは肩をすくめて見せた。
「わからない?」
小馬鹿にしつつ、ソラは片手を顔付近まで上げている。開いた5本の指先は、間違いなく煽るためのもの。その手は人差し指だけを立て、自身の側頭部へ。くるくると人差し指を回し、嘲笑を浮かべた。
「頭空っぽ。くるくるぱーかな?」
「おまえはこのおんなになにをするきだ?」
ゴブリンはそれでいて、術式の展開を開始している。人形使いの技術を継承している以上、無詠唱での術式も展開できる。ただ詠唱と比べれば威力は劣る。だが術式のかかる時間は無詠唱のほうが上。
「僕は男だよ」
くるくる回す手は止め、自分の口元へ指先へ当てたソラ。獲物を見る目が強まり、嘲笑は毒を増す。
「それは女だ。これが答えさ。男が女を求める理由なんて説明しなくてもわかるよね」
「ほんにんがのぞむとはおもえない」
断固として否定。
リザは自由がない人生を送ってきた。環境に束縛され、生まれによって拘束された。それらはゴブリンの境遇と重なり、自然と同情を強めている。
ゴブリンは内心はらわたが煮えくりかえりそうだ。強者は常に弱者を踏みにじる。未来も過去も土足で踏みにじり、本人の意思を無視する。希望を否定し、己の考えだけを押し付けていく。
それが命であっても、人生というものであってもだ。
ぎしりと歯ぎしりが音を立て、ゴブリンはソラを睨みつけた。
「本人の意思なんかどうでもいいよ。そんなの、必要なのはね」
くるくると煽る指が、リザへ向けられた。それでいてゴブリンは背後へより隠す。
「女という機能だけあればいいんだ。愛情もないけど別にいいじゃない。もともと愛情なんてしらないんだから、言葉だけで満足すればいいよ。人間ぶった化物風情が人間らしく生きようとしても意味ないでしょ」
それにとソラはつづけた。
「本人の意思が邪魔をするというなら、意思を壊してあげる。必要なのは女の機能だけだからね」
「みとめない」
強い意志は怒りの表れ。
ゴブリンは術式を発動しかけた。ソラの発言に癇癪を起し、即座に攻撃に反転へ。されどソラは挑発気味に息を音立てる。急速に展開しだすゴブリンの周囲。それらは光の弾となりてゴブリンの周囲に瞬時に展開された。射出準備すら急いで行われ、すぐ発射まで舞台は動く
ソラは余裕そうに見守り。
「すべてを停止せよ」
そしてソラに命じられた。
その言葉はゴブリンの動きを完全に止めた。周囲で展開する聖魔法はソラの一言によって、ゴブリンからの魔力の供給が途絶えしぼんでいく。しぼみ切った光の弾は、わずかな点にまで小さくし、消滅した。
ゴブリンの意志とは関係なく、行動は止めさせられた。
表情すら変化もさせてもらえない、固まった体。ゴブリンは事態が読み込めない。心は焦り、頭は次なる手段を模索する。この状況の把握が必要だった。リザを支えたまま、固まり、攻撃する手段どころか動くための手段を考えなければいけない。
「本当に無様だね。役立たず」
ソラは煽り、そして魔力を放出する。攻撃でも補助でもない。ただの魔力の自慢するための手段。動けないゴブリンを煽るためだけの自慢だ。先ほどには感じない膨大な魔力がソラからむき出しにされていた。
実力を隠されていた
「動けないだけで勝てると思わせないために、差を見せつけてあげたよ」
その魔力は見える範囲でもゴブリンの数倍はある。ソラ自体が保有する魔力も鑑みれば、ゴブリン程度の保有魔力では太刀打ちもできないだろう。
人間が所有するには異常としかいいようがない。
「わかるよね、君では僕には勝てない。あと動けないのも君に仕掛けた罠があるからさ」
その仕掛けた罠はゴブリンにはわからない。人形使いの技術を継承した時点で聖魔法がメインとはいえ、魔法の知識はある。防衛魔法も攻撃魔法もだ。能力向上、能力減少。様々な状態付与も技術はある。知識も受けついた。
だからゴブリンが意識する中で動けなくなる仕組みがわからない。
ソラのいう罠があれば、気づくほどにはゴブリンは賢くなっている。
「それがわからないから、君は役立たずなんだ。与えられた力しかこなせない粗大ごみ」
ソラは指を鳴らす。放出されている魔力がゴブリンの周りへ移動。ただの魔力自体で景色は靄がかかる。色がない魔力を靄にまでする濃さ。ゴブリンの周りを漂えば、あるものが意識を取り戻す。
ゴブリンの支えている人間、リザが意識を取り戻す。また強者である以上、この状況すらもすぐさま把握することだ。
「んっん?」
だからゴブリンに支えられている状況、周りに漂う濃厚な魔力。それらを感じ取り、すぐさまリザは身を起こし、ゴブリンから離れた。離れる際にも己の体の傷がいえていることにも気づくだろう。ゴブリンの戦闘前の状況も、戦闘後の状況も、現在の状況も含め復帰後でも、すぐにだ。
濃厚な魔力の元先をリザは目で追い、ソラへ現に気づいて見せた。
ゴブリンは口が開かない。動かしたくても動けない。
逃げろ。
また己の体を見渡すリザは傷の把握をしていた。
「これは一体何が起きていますか?」
ゴブリンにリザは怪訝な目で尋ねた。だがゴブリンは動きを停止しているため、表情の変化も言葉も返せない。
そんなリザはゴブリンを睨みつけた。
「無視ですか?お前は」
ただこの場面の異常性は理解しているのか、リザの警戒先はソラへ向かってもいる。それがゴブリンでもわかるのに、伝えたいことが伝えられない。そのもどかしさがゴブリンを焦らせた。
ソラはリザの様子を物ともしていないようだ。
にこにことした笑みを浮かべていた。ゴブリンに向けた挑発気味の笑みも、嘲笑も収め、青年が浮かべるにふさわしい優しい笑みだ。
「危ないところだったね。そこのゴブリンが君を無理やり手ごめにしようとしてたんだ」
ソラはリザへ微笑んで見せた。甘い声に甘い容姿。異性を引き立たせるには十分な美貌。人間は見た目を重視する。容姿もそう外見もそう。正しい礼儀を見た目に示すものには、礼儀正しさを勝手に感じる。礼儀を知らない格好には不真面目という称号を与える。
ゴブリンは見た目も種族の評判も最悪だ。
ソラの言い分は納得できるだろう。
それに関して動けないゴブリンは何も思わない。そんなことよりも状況を説明できない、助けたい意志が向けられないことのほうがもどかしいのだ。
リザはソラの言い分に対し、一瞬ゴブリンへ視線を向けた。それからソラへと戻す。
「そこのゴブリンが私を手籠めにですか」
冷たさを感じるほどの表情の硬質さ。リザの目はゴブリンを伺った。そこからは意志をゴブリンにはわからない。
リザは短剣を懐から抜き、二本の指で持つ。
「なら処置をしないといけません」
ゴブリンのほうへ正面を向けた。
そして投擲。その直前反転し、ソラへ短剣を投擲してみせた。音すら殺す無音の投擲はソラの額へ向かったが、突き刺さる直前見えない壁に防がれた。壁にぶつかって激しい火花を散らし、短剣が砕け散る。
「そのゴブリンが私を手籠めにするわけがないでしょう」
あきれた様子でリザは攻撃をしていた。一度、二度目は懐へ手を伸ばす姿すらみせず、指先から短剣を出現させたかのような速度での投擲だ。その後も一瞬のうちに8度の投擲、首、額、胸部、両手両足、腹部への複数箇所への連続攻撃。
だが見えない壁は砕けない。
短剣のほうが砕けてちった。
ソラは首を傾げ、リザのほうへ集中しているようだ。ゴブリンの存在など無視してだ。その姿はゴブリンから見るに外道とそっくりだ。ある特定の条件下で起こす知的好奇心を満たす行動。
「なんでゴブリンを信じれるの?」
素朴な疑問だったのかソラは迷わず尋ね、リザは確固たる態度で体を張る。
「手籠めにするなら傷を治したりはしないでしょう」
「傷物が嫌いなのかもよ?きれいな形で手籠めにしたいかもしれない」
「私相手にそんなことをするほど馬鹿じゃない。傷が癒えていれば、ゴブリン相手に負けたりしない。それがわからない相手に負けたりしません」
「油断させるためとかもあるけど」
途中で改心したようにみせ、油断をさせて襲うパターンもあるというソラの意見も提案。
ソラはつづけてゴブリンという評判を利用してくる。最低の種族、ゴブリンならする。ゴブリンの歴史がしてきたことを事実としてリザへ伝えている。それを聞いて、怪物の手下であるゴブリンは否定しなかった。答えれないけれど、答えれたとしても否定はできない。
リザはゴブリンのほうへ逡巡し指を突き付けていた。
「このゴブリンが考えるものですか!!」
リザが吠えた。傷はいえているためか、動きはゴブリン時の戦闘よりも動きが滑らかだ。小さな動作一つ先ほどとは違う。
ゴブリンは回復する際、弱体化の魔法も解除している。満身創痍でもない。ただ精神疲労や空腹といったエネルギー関連以外は通常のリザだろう。
それでもゴブリンは思うのだ。
逃げろと。
口を開ければ、表情にでも表せれば。どれか一つでも意思表示できればリザに伝えられる。勝てる相手ではない。最弱の魔物だからこそ、相手の力量を見抜く力だけは自信がある。そのことは怪物の魔物の中でも上位に位置するだろう。
リザは短剣を握りしめ、身を低くしていた。
「たかがゴブリンを信頼でもしてるのかな?馬鹿としかいいようがない。こいつらはね弱者ゆえに、ひねくれている。強者を妬み、より弱い弱者を甚振る。どうしようもない屑だよ。それにね、こいつらは弱いくせに、強者の立場に同調しちゃうやつらなんだよ?弱いくせに、強者の側にたとうとするから矛盾がおきて、弱肉強食の世界の底辺に置き去りにされてる。開き直りもできず、いつまでもウジウジと弱者狩りをして、強者ごっこして、本物に駆逐される。これの繰り返し、学びができない」
ソラは煽る。ゴブリンのことを人間社会に置き換えれるような表現で煽り立てる。それを理解できない怪物のゴブリンではない。悔しさもない。実際無知ゆえの強者ごっこはあった。弱者ゆえのひねくれもあった。野蛮さは種族弱者、社会弱者がもつ強い武器でもある。
「生きてる価値あると思う?」
ソラの言葉は諭す響きもあった。だがそれ以上にゴブリンに対し、ゴブリンであるべきという概念の押し付けもあった。
怒りはわかない。
事実だからだ。
それでも心のどこかで野生のゴブリンよりは、自分はましだと信じてもいる。普通のゴブリンとは違い、己は特別なんだと信じている。
ソラが一度ゴブリンを横目で見た。小さく鼻で笑い、視線をリザへ向けた。
「与えられた玩具で特別になったつもりの、哀れなゴブリンもいるけどね」
ゴブリンの高い知性も、声も、魔法技術も、悪意はあれど与えられたものだ。外道に押し付けられたとはいえ、それのおかげで今があるのも事実。
弱者が成り上がるには強者のお情けが必要だ。悔しさもない。怒りもわかない。ただ無気力に近いものがゴブリンの中で生まれつつあった。自分の中に確かな自信がない。
与えられた力がすごいから、使う努力は認められないだろう。
「でも自分で何もしてないよね?使う努力をしたとでもいうのかな?与えられた力がすごいだけ、弱者は何もしてないよ?便利な道具があれば誰だって使うよ?楽しい玩具があれば誰だって遊ぶじゃん?でもそれってさ、誰かが開発して、誰かが量産して、強者が弱者に与えるだけじゃないかな?弱者本人は何もしてないよね?周りがすごいだけだよ」
ゴブリンの心を折ることもソラの目的なのだろうか。
徐々に消えていく抵抗心。事実を告げられ、煽られ、動くことすらままならない環境で心がくじけそうだった。
「弱者な野生のゴブリンも、与えられただけのゴブリンも、生きてる価値はあると思う?」
弱者ゆえの僻みは強くなってから消えたと思い込んでいた。元々弱者ゆえの強者への憧れも、嫉妬からくる妬みも、弄ばれる境遇も、賢くなり、声も出せるようになり、魔法も使えるようになった。それだけで特別感を感じ、無敵な心を手に入れていた。
心のどこかで与えられたものを利用しているだけとはわかっていた。目を背けていただけだ。
弱いから動けない。そのストレスが巡り巡って思考をかき回し、ゴブリンの本質を暴いていく。
銀のきらめきがソラへ放たれ、見えない壁に火花を散らして砕ける。片手を開き、投げ切った格好の状態にて、リザは牙をむく。片頬を吊り上げる形で見えた牙が獰猛さを示す。
「勝手にそのゴブリンの価値を決めないでくれませんか?」
懐へ手を戻し、外に出す。4本の短剣が各指の間に挟み、それを自分の顔前に近づけた
「ほかのゴブリンならいざ知らず、そのゴブリンの価値はお前ごときが決めていいものではありません」
そして見えぬ速度にて4度の投擲がなされた。一点突破を狙うための同箇所4度攻撃、されど見えない壁には火花が散るだけだろう。1度目砕ける。2度目弾かれる。3度目見えない壁に大きなきしみ音が現れ。
4度目は壁をぶち抜いた。
その勢いのまま、ソラの頬の横をすぎていく。ただ掠めたようで、銀の軌跡が描きおわるとその流れた一線の傷が頬に残っていった。
血は出ていない。
ソラの余裕の表情はなりを潜めた。驚愕もないだろうが、予想とは違う様子ではあった。
ソラは自分の頬に指をあてていた。指を傷跡に何度もこすりつけて確認しているようだった。
「予想外でしたか?それがいつものことですよ私にとって。いつも非常識を引き起こす怪物が部下だとこれくらい日常なんです。いつもの非常識が常識とさえ感じています。そのゴブリンが生きてる価値があるかだって私にはわかりません。本人が決めることです。死にたければ死ねばいいですし、生きたければ生きればいいでしょう」
最後にゴブリンを勇気づけるものが続く。きっと今の出会いだけで感じた思いがあったのかもしれない。
「ですが、侮辱されるのは敵のことながら屈辱を感じます」
そしていつの間にか持っていた短剣を投擲。頬の傷をこする手の甲を突き刺し、衝撃が手を後報へ流す。短剣にぶち抜かれた手からは血など流れない。ソラの表情に痛みを感じる様子もない。
リザはゴブリンのほうへ顔だけを向けた。
「お前の価値は私にはわかりません。こんなやつのいうことを真に受ける価値もありません。お前のことはお前が決めてください」
そう仏頂面で告げるリザには恥もなさそうだった。動けないゴブリンのことなど気にもしておらず、評価も己が持つだけのもので動いてるようだった
それがゴブリンにとって愛おしく感じるほどに新鮮だった。
ゴブリンは念じている。リザが本気で逃げればその足にはソラでも追いつかない。あの外道ですらリザの脚力には追い付かない。また気配の隠し方もリザは一流だ。ゴブリンの主人以外ならリザの気配に気づかないし、感情を引き出すことは難しい。
それほど優秀なリザであっても、ソラには勝てない。
魔力は一つの強さの証明でしかない。ほかにもいろいろあるのだろう。余裕が崩れないソラの笑みをみれば、罠を仕込んでいると推測できた。
外道と何から何まで被る。
「どこの人間かは知りません。目的は何ですか?ゴブリンですか?」
ソラは自分の手に突き刺さった短剣を凝視し続け、嘲笑を殺し、表情を無に落としているように見えた。突き刺さった手で頬を触り傷を確認。
その後事実を確認したのかソラは達観した表情に変わっていた。ゴブリンの心の警報が激しくなる。非常にまずい状態を示すアラームが出ていた。
動けないことがもどかしいゴブリンの気持ちを無視し、物事は進む。
頬を触る手を止め、やがてリザをその手で指していた。
「いんや。粗大ごみには興味ない。初めから君だけだ」
「私が目的?どのような」
リザは怪訝そうに尋ね、ソラは短剣の刺さった手を額にかぶせた。ゴブリンが観察するにろくでもないものだ。だから逃げるべきだと感じてる
そのくせソラは物怖じもせず答えていた。
「化物を孕ませて、化物腹にすることかな。他にも一生化物を孕ませ続けることが目的かな」
ゴブリンから見ても、ソラの目的は女性を女性とみなさぬ最低のものだった。その言葉にリザは嫌悪をむき出しにしているし、それを聞くゴブリンも同じ感情以上の怒りを感じていた。自分の最大の敵を汚された気分であったのだろう。
「いかれた男です。女をとことん舐め腐っています」
「でも君は人間ぶった女の形をした化物でしょ?化物が化物を産んでも普通だよ?」
肩をすくめたソラの態度はあきれていた。
「それに君はしてるじゃない、そういう酷いことをさ。同じ女なのに化物孕まされて、人生台無しになった可哀そうな化物腹がいるじゃないか」
煽り、侮辱し、それでなお陽気なソラに対し、リザは体を震わせた。
「だから自分含めてお前が嫌いなんです」
口をつむぎ、かみしめるリザの姿。自覚はあったのだろうか、ゴブリンにはわからない。口惜しそうにしている理由がわからない。リザが無自覚で握りこぶしをつくり、赤を下に垂らす。
主人ならどう考えるのか。動けずとも思いをはせることはできる。立場を寄せることはできる。それを意図もたやすく行える主人の強さは紛れもなく異質そのもの。主人はどうリザを推測し、戦略を立てる。どう寄り添えば、リザの本当の考えはわかるのか。
だがゴブリンの目でもリザには事情があることだけはわかった。
リザが抱く感情をゴブリンは理解している。体も声も表情も一切動かせないが心だけは常に理解を持っている。それでも口を閉じ、狼狽したリザのことも分かってしまったのだ。
人間だと思っているが内心は化け物に近いと思い込んでいる。リザのそんな思いが手に取るようにわかったのだ。
人の意志は他人が決めるものではない。
ゴブリンの主人が常日頃から意識することだ。それを踏みにじることをゴブリンはできない
そんなゴブリンや、リザの女性蔑視に足しての嫌悪を観見してか。ソラはつづけた。
「君たちの恐れる怪物が言っているけど、弱者の立場は社会安定度が高いほど強くなるし、弱くなれば弱者の立場は低くなるんだって。社会に余裕があるときは弱者の言葉は届くけど、社会が弱ければ弱者は虐げられる法則があるとかさ。貧困が進めば弱者叩きも進むらしいよ。余裕がないと弱者を叩いて鬱憤を晴らし、さらなる圧力で踏みにじるのが快感になるらしい。そうすると弱い自分がどこか上の立場になれたと錯覚するらしいよ。そういうことをしているなんてゴブリンと変わらないね。弱者は弱者を叩くことしかできないなんて、ゴブリンそのものじゃん」
だからさとソラはつづけた。退屈そうにつづけた。
「今は余裕なんて君にもゴブリン君にもないよね?あるのは弱者としての強がりだけじゃない」」
ふてぶてしく大胆にソラは言う。
「だからね。虐げられろよ、僕よりも弱いんだからさ」
この場面を打開できるほどゴブリンは賢くない。ソラを倒せるほど実力もない。リザにも正々堂々と勝てない己がふがいなく仕方ない。弱者が強者を倒すことができるのはありえないのだ。このままリザはソラに勝てず思うがままに蹂躙されるだけだ。ろくでもない人間なのはわかっているのだ。
あきらめたくはない。
弱者は余裕もなければ、配慮もできない。相手を思いやれるのはいつだって強者の余裕がもたらすもの。
現実は理想とはいかない。勝てないものは勝てないし、負けるものは負け続ける。
弱者でありながら、強者のように立つものがいれば参考にできた。思考の渦に深くおぼれて浮かび上がらぬ考え。ストレスによる自己嫌悪の中、ゴブリンは一つの可能性が浮かんだ。きっと心の中で遠ざけていた一つのものだ。不謹慎とさえ感じる己への背徳感。
その思いつく先に一人該当するものがいた。
怪物。
決して勝てぬ、追いつけぬ、それでいて誰より弱く、怖い存在。
異常な化物の力、その怖さが今はこんなにも頼もしく感じた。脳裏に怪物の姿を描き、どのような異常性を発揮したかを思い出していく。
最弱の最適解、目指すべき強さは主人にあった。
彼の友人関係がおかしいなんてありえない お味噌ちゃん21号 @omisochan21gou
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