読んだ小説や漫画の感想を、短歌になさることもある卯月さんの短歌集。拙作も短歌にしていただいたこともあって、恥ずかしながらその後で初めて卯月さんの短歌に触れた。そして、泣きそうになった。
三十一文字という極めて限定された表現の形式が、これほど新しく見えたのは久しぶりだ。
「ゆうしゃのぼうけん」章に描かれる機能不全の家族の中で苦しむ子供の感情も、痛みや情熱、風景や香りまでもが時折驚くほどの力を持って迫ってくる。この形でしか表現できないことがある。この形で読んで初めて響くものがあるのだ。
「書架」章にはカクヨムの作品を含む多くの作品の感想が短歌という形で並んでおり、良質のブックガイドにもなっている。
詩歌の良し悪しはよくわからない。
古今東西、どんな文化圏の作品であれ、
解釈や感想を求められても、うまく言える自信がない。
でも、美しいかどうかはさておき、
刺さってくる作品というものは確かに存在する。
短いぶんだけ鋭利な何かが、ぐっさり刺さってくる。
痛いなあ、と。
その痛みが好きだなあ、と。
ゆうしゃのぼうけんを読み進めた。
たからばこ あけられないのがたくさんで さいごのカギはみつからないまま
詩歌を分析や指摘や批評の俎上に載せるって、
一体どうやっているんだろう?
いちばんを選んだり表彰したり、よくわからない世界だ。
十七の鉛のブレザー 本音なら筆箱の中、詠み人知らず
進学校の高校時代、私もたまに短歌を書いていた。
小説を書く時間が取れず、31字に感情を詰め込んでいた。
読み返してみると、自分でも意外な言葉がけっこうあった。
勉強も大事、遊びも大事とか、あたしはママのやじろべえじゃない
絶対値でくくれば等しいベクトルもホントは違う方向指してる
ネバーランド忘れたおとなは空を飛ぶために翼がほしいと嘆く
世の中には愛よりむしろぶつかるとマイナスになるiが多いね
「甘えてもいいよ」? 格好つけンなよ 棘も持たない温室育ちが
骨折の傘はコンビニに置き捨てて泣いているのは空だけじゃない
短歌の勉強をしたわけでもなく、ただ何となく。
ちょっと手が付けられないくらい牙を剥いていた当時の自分を
書き付けておいてよかったと、今は思っている。
折句や冠沓などの遊びを詰め込むことはできても、
美麗な装飾を施す余地のない短歌は、
詠み人の剥き出しの感性に、じかに触れられる。
この手で触れれば壊したり汚したりしそうで、
あるいは海の生き物のように火傷をさせてしまいそうで、
怖くなりながら、ひっそり、ゆうしゃの旅に付いていきました。
あきらめてひらきなおって闇よりも怖い朝日を浴びてみようか
レビューを頂いたことから作者様の存在を知り、こちらの作品集を拝読させていただきました。
短歌や俳句など、限られた文字数で想いを表現するというのは大変技量のいることだと思っています。自分で創ってみようと向かってみても、稚拙な一句を詠むだけで大層苦心します。
そうしてみると、この作品集の数は、種類は、工夫は、なんと素晴らしいものでしょうか。
作品名にもなっている「ゆうしゃのぼうけん」の句だけを読んだ時には、「くすりと笑える句が集まっているのかな」と思いました。しかしそうじゃない、それだけじゃない。ゆうしゃの句だって、同ページの句を目にした後では受ける印象が変わります。
率直な言葉で綴られる現実の世界、美しい言葉で綴られる夢想の世界は、それを表しているのがたった三十一文字だということを忘れてしまうほどに読者の脳裏に大きく広がっていきます。
どれも甲乙つけがたいのですが、特に心に残った句として、
一言で崩れてしまうトランプのお城の上でみんなで踊ろ
春浅く冷たき日にも光あり伸びゆきたまへ泥中の蓮
の二つを挙げさせていただきます。
うう、もっと読みたいです。続編希望。