高野の陵にて 1641

【1641年の暮れ、帝は、奈良の古都のはずれにある高野たかの みささぎ おとずれていた。 陵に向かって、声は出さず、しかし語りかけるようにしていた。】


高野のすめらみこと。公式文書では孝謙天皇または称徳天皇と呼ばれているあなたを、あなたのすぐ次の世代の人たちと同じように、こう呼ばせてください。 あなたの陵墓と伝えられているこの場所をたずねてまいりました。 もしかすると、言い伝えがまちがっていて、少し離れたところに来ているかもしれませんが、 天の使いが思いを伝えてくださることを願っています。


わたしは、あなたの直系の子孫ではありませんが、あなたの家系の後継者です。女性としてはあなたのあと八百年ぶりに 帝の位につき、しかも政治にかかわることになったことを、 そして、あなたを悩ませたにちがいない禁忌を打ち破って 結婚したことを、報告にまいりました。


男の帝は結婚できるうえに、皇后のほかの女の人に子どもを生ませることも とがめられずむしろ歓迎されるのに、女の帝は結婚できないという規律は、 不公平で、不条理ですよね。 それは女が劣っているということではないのだ、 高貴な女を尊重するからこそ、地位の低い男が夫になることができないのだ、 という説明をされたこともありました。 考えてみると、そこには、夫婦関係は男が女を支配するものだという前提があるのでしょう。 高貴な男が地位の低い女を支配してもよいが、 地位の低い男が高貴な女を支配してはいけない、ということなのでしょう。 支配という考えを取り除けば、この禁忌を取り除けるのではないか。 わたしの母は、ひとつ象徴的な試みをしてくれました。 ひな人形の男女一対をならべるとき、女の人形を、伝統的に上位とみなされる、人形のたちばになったときの左側に 置いたのです。しかし、わたしのところでそうなっただけで、世間一般では、あいかわらず男が左のままか、男女一対にするのをやめてひとりだけにするかでした。ものごとは、わたしの結婚を許すほうには進みませんでした。


その後、わたしは、キリスト教という宗教に出会いました。 あなたも「景教」という形で、名まえぐらいは聞いていたのではないでしょうか。 キリスト教の国ぐにでは、女の帝たちは、結婚し、子どもを生んでいるのです。 わたしはキリスト教に入信し、その力を借りて、結婚することができました。


わたしが、あなたが尊重した仏教でない宗教に帰依してしまったことが、 あなたから見ると残念かもしれません。 今度は敬虔なキリスト教徒からしかられそうですが、わたしは、 仏教もキリスト教も、同じ理想を、少し違う形で表現したものだと思っています。 あなたが仏教を信じた心と、わたしがキリスト教を信じている心は、大きな意味で、同じだと思っています。 そして、わたしは、信仰を個人のものとし、政治とは切り離すことにしました。 帝のわたしがキリスト教信者であっても、キリスト教を民に強制することはしません。 仏教徒もその信仰をまっとうできるようにします。


ただ残念なことに、東国の人々が、キリスト教に入信したわたしが帝であることをもはや認めず、王朝が東西に分裂することになりそうなのです。 日本の政治体制は40年前に東西に分かれてしまっているので、 それぞれが別々の君主をもつ、ということなのですが。


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あなたにおたずねしたいことがあります。 あなたが道鏡法師に帝の位をゆずりたいと考えた動機についてです。 きっとあなたは、その考えは取り消したのだから、語ることはない、と おっしゃるでしょうね。


それでは、わたしの想像したことを、話させてください。


人のうわさでは、あなたが道鏡さんに対して恋愛感情をもって、 国の政治よりも彼の利益を優先させて考えるようになってしまった、と言われることがあります。 わたしも、正直なところ、もしかするとそうだったのではないか、と疑うことがあります。


でも、そうではなかったのではないか、と思うのです。


もしかすると、あなたは道鏡さんと結婚したかったのだけれど、 問題の焦点は、道鏡さんという人ではなくて、結婚という行動だったのではありませんか。 あなたが結婚するためには、相手をあなたよりも高い位に置かなければならなかった。 帝が上位として扱ってよい相手は、あなたの時代ならば、仏教の高僧だけでしょう。 あなたが実際に尊敬している人を、まず最高位の高僧として公認したうえで、 還俗させれば、結婚することができるのではないか。 わたしがあなたのたちばだったら、そんなふうに考えを進めることがありそうなのです。


あるいは、あなたはもう、恋愛とか結婚とかいうことを超越し、 さらに、帝の位の世襲という制度に疑問を感じておられたのでしょうか。 唐ばかりでなく天竺てんじくからも客人を迎え、 全国に牛車の通れる道路をはりめぐらせようとしていた朝廷の主ですから、 「すべての道はローマに通ず」と言われた最盛期のローマ帝国の話は 聞いておられましたよね。 ローマ帝国では、世襲でなく賢人を選んで皇帝の地位につけた、という話もありましたね。 詳しく聞いてみると、実際は、世襲のことが多く、そのほかも、縁故者であったり、 暴力による争奪だったりして、よいことばかりではないのですが、 賢人皇帝という理想は、あったのでしょう。 自分の子への世襲がかなわない立場にあったあなたが、 帝の地位は賢人が引き継ぐべきと考え、 賢人の例として道鏡さんをあげたのならば、理屈の筋はとおっていると思います。


道鏡さんはほんとうに賢人だったのでしょうか。 伝え聞くことをもとにわたしなりに考えてみると、 名誉欲を持った不完全な賢人だったのだと思うのです。 しかし、政権の長にしても、宗教組織の長にしても、 純粋で無欲な賢人でつとまるものではなく、 そういう不完全な賢人こそ適任なのかもしれない、とも思うのです。


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わたしは、あなたよりも少し前に進んだかもしれませんが、 大きく見れば似たようなところで、悩んでいます。


わたしが子どもを生むことができたとして、 その子を帝の後継者にするべきなのか。 それは男の子でも女の子でも同様なのか、違う扱いをするべきなのか。


あるいは、東西朝の分裂を避けるために、帝の位を弟に渡すべきなのか。 その帝の役割は儀礼的なものになり、西日本の政治は大臣などにまかせることになるでしょうが。


あるいは、世襲をやめて、賢人が政権をひきいる体制に変えるべきなのか。


あなたはどうお考えになりますか。

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