帝は日本語が苦手だった 1641-1642

【中宮 Iago の手記。 内容から見て、前半は帝の親政宣言からまもない1641年末、 後半はその約1年後と推測される。 言語はポルトガル語で、日本語がまじるが、 ポルトガル語と区別できるガリシア語の要素は見あたらない。 広く公開しようとしたものではないが、自分用の覚えでもなく、人に読ませる意図をもって書いたものらしい。 帝に読んでもらいたかったのか、 子どもが成長したら読ませようとしたものだったのか、将来の歴史家のためだったのか。】


このあいだの親政宣言のスピーチをほめたら、興子おきこはかえって落ちこんでしまった。

「わたしはポルトガル語でならば言いたいことが言えた。 でも、日本語ではその4分の1も話せなかった。 わたしは生まれたときから日本語の中で育ってきたのに。 そして、わたしは日本語を話す人が多数をしめる国の君主なのに。」

泣きだして倒れそうになった彼女を、ぼくは抱きかかえて支えた。 (もちろん、妻を愛する夫としてほとんど無意識にとった行動なのだけれど、 帝に元気をとりもどしてもらうことは、 中宮であるぼくの職務でもあるのだった。)


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興子が少し落ち着いてきたのを感じとったところで、 ぼくは勉強なかまの口調で話しかけた。

「きみのレトリック能力はぼくよりも上だ。 だけど、きみがここに来たときはまだその能力はなかったはずだ。 ここでの訓練のたまものなんだよ。 それは、ポルトガル語での訓練だった。 ぼくが議論の相手になったのも多少は役立ったと思うけれど、 それもポルトガル語ばかりだった。 日本語で話す訓練ができていないのだから、話せないのは当然なんだよ。」

「そうだね。練習しないといけないね。」

興子の態度はさっきとは違って、すぐにも何か始めたいというものになっていた。


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ぼくはいつものように、「いろいろな考えを出す人」になった。

「問題を二つに分けよう。 長いスピーチを準備するときは、考えをまとめながら、 ポルトガル語で、紙に書き出してごらん。 きみの朝廷には、日本語を読めない関白と、ポルトガル語を読めない太政大臣がいるのだから、 公文書の翻訳のために信頼のおける翻訳者を雇うことは、いずれにしても必要だ。 その人の業務として、ポルトガル語の原稿を、日本語に翻訳してもらって、 その表現が気に入らなかったら手直しして、使えばいいじゃないか。 きみには、時間をかければ、自分で翻訳する能力はあると思う。 でも、きみの時間には限りがあるんだ。 きみはむしろ、人を使う能力を発揮すべきたちばなんだよ。 なぜ初めから日本語で書かないのかと問われたら、 原稿の段階で中宮に見てもらいたいから、でいいと思う。 ぼくはポルトガル語の原稿なら相談にのれるけれど、 日本語では今のところ無理だからね。」

「それが一つめだね。もう一つは?」

「短いスピーチは日本語で直接話せるようにしておく必要があるね。 それはぼくもできるようになっておいたほうがいいので、いっしょに練習しよう。 これから、『Clara』と呼んだときはポルトガル語で話す、 『興子』と呼んだら日本語で話す、 他人行儀に『みかど』と呼んだら公の場で使う文体の日本語で話す、 というふうにしてみてくれないかな? もっとも、今のぼくは、日本語を話されたら意味がわからない。 ぼくに初歩の日本語会話を教えることに、きみの時間をとらせてはいけないから、その道の専門の先生を呼んで、集中的に授業を受けようと思う。」

「その授業、わたしも受けたほうがいいと思う。 わたしはものごころがついたときから帝だったので、 日本人どうしのふつうの会話をする機会がなかった。」

「うーん。だいぶ水準が違うからいっしょに習うわけにはいかないと思うけれど、 授業を視察する、ということならいいと思うよ。」


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そのあと寝床にはいってから、興子は言い出した。

「そういえば、急ぐわけではないけれど、考えておかなくてはいけないことがあるね。 あなたとわたしの子どもが生まれたら、子どもとどんなことばで話すか、ということ。」

「それは、この国の言語をどうするか、という大きな問題とも関係があるけれど、 すなおに考えれば、主に日本語、副としてポルトガル語だろうね。 それまでに、ぼくも、子どもをほめたりしかったりできるくらいの 日本語を話せるようにならなければいけないね。」

興子はぼくの答えを最後まで聞いていなかったかもしれない。 彼女の思考は、まだ生まれていない子の母親のものから、統治者のものに移り、 「大きな問題」でいっぱいになっていた。


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あれから1年、言語政策について、興子とぼくは、いろいろ勉強し、議論した。 日本人の政治家の意見も聞いたし、イエズス会の日本語学の先生からも助言をもらった。 興子との間でどんな会話をしたか、大部分はもう忘れてしまったのだが、 思い出せるぶんだけ、書き出してみることにする。 実際には、帝と中宮がふたりの会話で政策を決めているわけではなく、 国の公式なしくみの中で、いろいろな人が働いている。 しかし、その中で帝本人の構想が明確になっていることも重要で、 そこに至った思考の道すじはこんなものだったと思う。 ふりかえると、この件では、いつもと違って、 興子が迷っていて、ぼくがどう決断するかを示す役まわりだった。


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「日常に、日本人が西洋のことばを使うのも、西洋人に日本語を使ってもらうのも、 むずかしいと思う。 だからといって、国の仕事をいつも二つの言語でやるのも負担が大きいよね。」

「多数の人たちが使っている日本語を、 少数の異民族の人びとも使えるようになってもらおう。 もし西洋からきた人がみんな同じ言語を使っているのならば、 それを第二公用語にすることも考えられるけれど、 イスパニア語とポルトガル語のどちらを採用しても不満が出るからね。」

「日本語も一つと言えるかな。 西日本だけでも、京都のことばと九州のことばの違いは、 イスパニア語とポルトガル語の違いぐらい大きいよ。」

「地方の言語をどこまでくわしく区別するかは、むずかしい問題だね。 ぼくは『ガリシア語は独立の言語として認められるべきだ』と主張してきた一族の一員だから、 九州の人が自分たちの言語は日本語とは別だと言いだしたら、反対しにくい。 でも、日本の人びとには、日本語はひとつの言語だという感覚があると思うんだ。 書かれた歴史や文学作品を共有しているからじゃないかな。」

「『古事記』や『万葉集』を編集した奈良時代の朝廷の政策の効果かもしれないね。」

「ことばがうつりかわると、古い時代の文章をまねすることはむずかしくなるけれど、 今の時代らしい文章で、みんなが読む経験をするものが蓄積されてくれば、 その文体に合わせてもらえるんじゃないかな。」


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「日本語の読み書きは西洋人にはむずかしいよね。」

「たしかにぼくにもむずかしい。 そこで思い切ったことを言うと、 ことばと文字を分けて考えるべきだと思うんだ。 西洋で使われているローマ字で日本語を書くことはできるんだ。 イエズス会が天草あまくさで出版した『平家の物語』という本、知らないかな?」

「いっしょに読んだことがあったね。少ししか進めなかったけれど。」

「日本人にも、これからはこの文字に慣れてもらって、 日本国民として必須なのは、ローマ字で書いた日本語の読み書き、 ということにしたらどうだろう。 もちろん、日本文化として、かなや漢字の読み書きは残ったほうがいいと思う。 ただしそれは国民必須ではなくて、もっと教養をもちたい人のためのもの、 ということにするのだ。」

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