悲鳴をあげるが取り乱してはいない 1642

【帝の側近、ペドロの覚え書き。現在は1642年末ごろ。】


これまで1年のうちに少なくとも4回、 みかどは執務中におよそ君主らしくない悲鳴をあげた。 やはり女の人では、実質的に政治をとりしきるのは無理なのだろうか、とも、 そのときは思った。


君主は、おそろしい事件の知らせを聞かなければならない。 地震、火山噴火、洪水、かんばつ、疫病、内乱、外敵。


「おそろしい」という思いにとらわれて判断すると、 敵でないものを攻撃してしまう、 軍を1か所に集中させてほかが手薄になる、 実際に効果のない宗教的権威に国の資源を投入してしまう、 などの、国にとってまずいことを起こすかもしれない。


もし、君主の判断がそうなって、説得もきかなくなってしまったら、 側近は、国の政治家としては、君主の行動をおさえこむとともに、 君主の意志を偽って国民に知らせないといけない。 しかし、それは臣下としては主君の命令に反することなので、 死刑も含む罰を覚悟しなければならない。 わたしは自分の職務をそういうものだと心得ている。


帝の悲鳴を聞くたびに、心配がよぎったのだが、 これまでのところ、困ったことは起きていない。 むしろ、たいていの男の王よりもすぐれた行動をとっていると思う。


男の王や将軍は、その地位につくまでに、恐怖を克服する訓練を受けるが、 実際は、恐怖を表情に出さない訓練になりがちなのだ。 内心では恐怖にとらわれていながら、 まわりの人にたよらず、単独で判断しようとして、危険にとびこむ可能性がある。


われらの帝は、まず人を呼ぶ。 「Iago, Ajudeアジュデ-me!」と叫べば、中宮Iago公がそばに来る。 (呼ぶまでもなく悲鳴を聞きつけて来ていることもある。) 「千おば、お願い!」と叫べば、豊徳院に伝令がとび、 帝のおばである千姫 (Senhoraセニョーラ Xenシェン) がかけつける。 このふたりは、まず、帝の心を落ち着かせることに全力をつくす。 落ち着いたら、何がおきているのかをいっしょに考えはじめる。 ふたりはたくさんの可能性をあげ、そのどれかに肩入れしない。 帝はふたりといっしょに、その中で現実みのある解釈を選んでいくのだ。


わたしも通訳や資料提供者として同席することが多いけれども、 判断を進めるのはこの3人なのだ。 どんな情報があるか。 その情報によれば、要するにどういうことが起きているのか。 そのような問題に知恵を出してくれそうな人はどこにいるか。 役所の組織ではだれの担当か。 担当者に連絡をとり指令を出すにはだれを動かせばよいのか。 そして、関白と太政大臣にどうかかわってもらうかを決めたうえで、 すぐ必要ならば彼らを呼び出して、話を進める。 そのうちに、情報がまちがいだとわかって落ち着くこともあるし、 まだ情報が少ないのでしばらく静観することもあるが、 確かに問題があるとなれば、 帝が悲鳴をあげてから半日のうちには、 官僚機構のどこかが動き始めているのだ。


法制度的には、中宮や豊徳院守には政策決定に深入りする権限はない。しかし、おそらくどの君主国でも、君主は、関白や太政大臣のような公的な補佐者よりも近いところに、私的な助言者を必要とするだろう。ここでは Iago 公も千姫も帝を名目だけでなく実質的にも尊重しているのでうまくいっているのだが、一般論としては、君主の私的な助言者が実質的権力をにぎってしまう心配はある。


ところで、帝は悲鳴とともに、人を呼ぶことや、 お茶、音曲、地図、辞書などがほしいという、その場限りの命令をすることはあるけれども、 それ以外の、命令や祈願のように聞こえることばを発しない。


帝は、子どものころから、そのようにしつけられてきたのだ。 教育役のひとりだった Xinoしの が言うのだから確かだろう。 男の子ならば、恐怖を声にださないようにしつけられただろうが、 女の子だったから、ことばにならない悲鳴をあげることはかまわないとしたのだ。


このようなしつけをする側近たちは、事実上、帝よりも上位の命令者だった。 帝の立場を名目にとどめ、実質的に政治にかかわらせまいとする体制の一部だった。 しかし Xino はちがっていた。 子どもにはつらい要求だということはわかっているけれども、 帝の発言は人を動かす力があるので、 まちがって人を動かしてしまわないように、慎重にする必要があるのだ、 ということを、ていねいに説明したのだ。 それで、帝は、強制されてでなく、自分の意志で、 恐怖にとらわれても不用意なことばを発しないように、 自分を訓練するようになったのだ。

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