裁定者の仕事 1642

【帝の覚え書き。現在は1642年。】


わたしの朝廷は、副王庁の決定と、副王の攻撃によって事実上つぶれるまで豊臣秀頼がひきいた太政官の決定の両方を引き継いだ。両者が矛盾しなければ困ることはない。矛盾するときは、まず調整を試みるが、調整できないときは、両方とも無効とし、律令にもとづいて帝が裁定する、とした。


これができるのは、副王も秀頼も、他方を敵にまわすのは自分にとっても危険だと考えて、一方的に譲歩はしないが、適切な調整者の提案による合意には積極的になってくれるようになり、その調整者としてわたしを信任してくれたからだ。さらに、わたしは意識的に、関白と太政大臣を同格にした。厳密に言うと席次の上下はあるのだが、どちらがどちらの上司でもない。両者の判断が一致しないときは、まず話し合いによる合意をめざし、それが無理ならば帝に判断をゆだねよ、としたのだ。しかも、ものわかれになったときは、個人としてもわたしをたいせつに思ってくれる Iago と千姫が、「ここは興子おきこにまかせよう」という方向に誘導してくれる。


律令としていま残っている文書は、「養老律令」の「令」の部分だ。900年あまり前の「養老」という年号の時代に元正天皇が律令の改訂を命じ、のち、高野のすめらみこと (孝謙天皇) のとき、施行に至ったのだ。このことは、帝の親政の根拠としても、その帝が女性であってよいのだと主張するためにも、力添えになるので、わたしは積極的に、律令をつくった人びとの後継者であると名のることにした。「養老令」の内容を、条文ごとに、学者に検討してもらって、すぐに有効とする部分と、もはや現実にそぐわないので無効とする部分を抜き出し、残りは、「休眠中だが、もし必要となれば復活する」という扱いにした。実際には、休眠中の部分は、そのままでは使いものにならず、実質的に新しい法令を作る必要があるのだが、「養老令」の運用規則である「延喜式」に置きかわる「寛永式」を少しずつつくっていくという形で正統性をもたせることにしたのだ。


むずかしい案件は、たいてい、土地領有の争いだ。副王が認めた教会やキリシタン大名の領有に対して、豊臣政権に認められていた旧領主が異議をとなえる、ということが多い。


朝廷が訴えを受けると、専門の役所が、仲裁にあたる。領地を分割することもありうる。一方が他方に補償をして領有権を認めてもらう形もありうる。両者が共同管理する形もありうる。


役所の手におえない場合に、案件は朝廷にあがってくる。わたしはもう一度、仲裁を試みるけれども、期限を切って、それまでに両者合意に至らなければ、両方の主張を無効とし、律令が適用され、争われていた土地は公地となる、と宣言する。公地と言っても、班田収授の制度を復活できるわけではないが、実際にその土地を耕作する人に、耕作権を認めるとともに、朝廷に対して納税する義務を課すのだ。


公地にした場合に、耕作権をだれに認めるかという問題がある。いま住んでいる人に認めるか、過去に追いはらわれた人がもどることを認めるか。みんなを満足させることは、残念ながら、できない。しかし、本人の幸福をさておいても、国の体制がゆるがず、税収が確実に得られるようにするには、暴動を起こしたくなるほど大きな不満をもつ人が現われないようにしなければならない。朝廷の決定によって住むところを失う人には、ともかく住んで食っていける行き先を、公地のうちでやりくりしたり、領主を説得したりして、確保しなければならない。その確保の努力は、紛争への対応としてとりかかるのではなく、日ごろからしておく必要がある。


公地にするという裁定は、領有を主張していた人たちには、領地の没収にあたる損失をあたえることになる。彼らを公地の管理者として採用するなど、いくらかの埋め合わせはするが、彼らには不満がのこるにちがいない。それでも、さいわい、裁定者としてのわたしへの信頼はくずれずにすんでいる。


とりわけ重要なのは、わたしが裁定によって達成しようとしているのは、公の利益であって、自分の利益ではないという、評判をもらえていることだと思う。そのために、わたしが意識的に努力していることもある。わたしは、公地と皇室の領地とを明確に区別し、そのことがよく知られるようにした。


また、わたしは、当事者間で合意に達しないとき両方の権利の主張を無効にしてしまうという荒療治を、いくらか受け入れやすくするために、「合意に達しないことはどちらの当事者にとっても損だ」という一般的教訓を、自分で言うだけでなく、当事者それぞれが信頼する道徳や処世術の教師から言ってもらうようにしている。その教師は、キリスト教の神父のことも、仏教の僧のことも、神社の神官のことも、儒学者のことも、成功した商人のこともある。ありがたいことに、そのような多様な人びとが、わたしを助けるために働いてくれる。


それから、幸運のおかげもある。なぜか、だれもわたしを憎まないのだ。わたしの父方と母方の家系からくる評判もあるだろう。わたしのふるまいを見聞きした人が受ける印象のせいもあるだろう。わたしが女であることも有効に働いているのかもしれない。それだけでは説明しきれず、幸運としかいえない部分もあると思う。


わたしの後継者がだれになるにせよ、わたしへの信頼を引き継いでもらえるように努力したいと思うけれど、帝の地位とともに引き継げる部分と、引き継げない部分があるにちがいない。副王政権と豊臣政権との矛盾は、わたしが働けるうちに解消してしまわないといけない。

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