第1話―8
「あ………」
次の日、早朝。
あのラヴィは、直ぐに見付かった。それも当然、あれだけ上等な服装のしかも亜人は、この辺りではそうはいない。………まぁ、どういうわけかその服は、見る影もなくボロボロだったが。
深呼吸し、少年は駆け寄る。
「あ、あの!」
「………?」
声を掛けると、ラヴィは静かに振り返った。軽く突き出た鼻が匂いを嗅ぐようにすんすんと動き、「あぁ」と頷いた。
「あの時の少年ですか」
その口元に笑みが浮かぶが、少年は俯いていて見ていなかった。
「あの………これ!」
「ん?………これは………」
少年が差し出したのは、一握りの革袋。昨日受け取った、銀貨の詰まった袋だ。
「これ………返さなきゃって」
そう言う少年の手は、震えていた。その中身が持つ価値を理解し、そしてそれを必要としている。それを返すということが、どれ程の不利益か、彼はわかっているのだ。
「………理由を聞いてもいいですか、少年。私は君に、それをあげたんですよ?」
「………仕事の………対価として、でしょ?」
少年の声は、小さくか細い。覇気の無い声に、少年自身が恥ずかしくなる。
「そうですが、しかし君は」
「俺は、失敗した」
ラヴィの言葉を遮り、言う。意を決したように、少年は顔を上げた。
唇をギュッと噛み締めて、挑むようにラビを見る。その瞳に浮かんでいるのは、幾分かの迷い、そして決意だ。
「あなたから任された5分、出来なかったんだ。だから、これは受け取れない」
少年の家は貧しい。
この袋一つでどれ程助かるか、少年は正しく理解しているはずだった。
まさに、喉から手が出るほどほしいはずの金。それを、少年は約束と天秤に掛けたのだ。そして彼は、自らの誇りを選んだ。
「………成る程」
己が少年に期待をしていなかったことを、ラヴィは初めて理解した。期待していなかったから、彼が身体を張った三十秒を称賛していた。
しかし、少年はそうではなかった。5分と言われたら、過不足なくしっかり5分。それが当然であり、仕事というものだときっちり考えていた。
ラヴィにとっての望外である三十秒を、少年は、三十秒の不足と捉えていたのだ。それを、己の力不足と恥じていた。
「だから、これ………、っ?!」
少年は驚いた。突然、少年の頭にラヴィの手が置かれたのだ。
柔らかく、そして暖かい手触り。それが優しく頭を撫でる。
「………いいえ、やはりそれは、あなたのものですよ」
けど、と言う少年の言葉を遮るように、頭がなで回される。
「君は、真面目で正直です。その正直さは、私を助けてくれたのですよ」
「でも。それじゃあ、生きてけない」
生きるのに必要なのは強かさだ。
本来ならば、少年にとっての【正解】は袋をそのまま貰うことだった。貧しい少年が家族のためを思うのなら、それこそが間違いなく【正解】だったのだ。………例え、【正しい】と思えなくとも。
「………君は、それを弱さと思っていますね」
当たり前だ。
正直者はバカを見る。嘘つき意地悪卑怯者が美味い身を食い尽くし、先を譲った謙虚な者に待っているのは魚の骨だけ。
しかし、ラヴィは首を振った。
「それは、弱さではない。彼等のそれが、強さではないように。………君の正直さは、美徳です。私が助けられたのは、その美徳によってです。真に弱ければ、誰も助けられないでしょう?」
一頻り頭をなで終えて、ラヴィは膝を折ると少年に目線を合わせる。
「その美徳は、人に笑われるかもしれない。損することもあるかもしれない。それを君が、いつか捨てることもあるかもしれない。………それでも。今、このとき。君が私を救ったことだけは、無くさないで下さい」
そう言って、ラビは静かに微笑んだ。それから、袋を少年に押し返した。
「これは、君のその美徳に支払うんです。………願わくば、君がそれを無くさないことを祈っていますよ」
「あ………」
立ち上がり、歩き出すラヴィ。その背に、少年は声を掛けた。
「僕は、ジーク!あの………お名前は、何て言うの、ラヴィのお姉さん!!」
ラヴィの女性は足を止める。それから、少し迷うような素振りの末、口を開いた。
「………私は、クロナ。………縁が合ったらまた会いましょう、ジーク君」
その時、強い風が吹いた。吹き付けた砂埃に思わず目を瞑る。
目を擦りながら、少年、ジークは確信していた。
目を開けても、多分、そこには誰も居ないだろうなと。
「ありがとうございました、クロナさん」
スーツの男の言葉に、私は答えずグラスを傾ける。琥珀色の液体に、ゆらゆら揺れるラヴィの顔が映る。実に、嫌そうな顔だ。
それは何に対しての不機嫌さか。男の態度か、今回の依頼に対してか、或いは………この店以外の、全てに対してかもしれない。
「複雑な依頼ですみませんでした。けど、お陰で、家族も浮かばれるでしょう」
「………どこの、【家族】だ?」
上機嫌な男の言葉を、私は遮る。男は一瞬息を呑んだが、直ぐに立ち直ったようだった。
「どこの、と言いますと?もちろん、私の………」
「………牛」
「は?」
「いや、馬だったか?………何でもいいが。少し教えてくれ、それを何に使う?」
ちらりと男に視線を向ける。
男の顔には、仮面が貼り付いている。笑顔の仮面、笑っていますよと人に伝えるためだけの、薄く浅い笑みだ。
男の鼓動は、落ち着いている。私の耳には、規則正しい鼓動が聞こえている。こうして追及されることは、予想通りとでも言いたげな落ち着き方だ。
「あの魔術師は、水晶を使ってた。水晶、詰まり、石だ。
彼等は、石自体に籠められた神秘を使う魔術師だ。祈るべき神も、すがるべき悪魔も居ない………全ては、石に在る。
ならば。
牛を奪い取る必要など、何一つ無いはずだ。
「………嘘をついたな、魔術師」
「………ふふ」
男が、笑う。その手には、薄緑のカクテルが入ったショートグラス。
「私が、魔術師?何故?」
「嘘の方は、否定しないんだな」
「因みに、羊ですよ。彼が買ったと私が言ったのはね」
「ご丁寧にどうも」
言いつつ、私は一枚のカードを滑らせる。
手元に来たカードを見下ろし、男は涼しげに笑った。
「花の絵ですね。これがなにか?」
「………そもそも、今回の依頼はおかしかったな。暗殺者相手に、正面から撃破しろとの依頼など、金の無駄だ」
「それは、相手に恐怖を与えてから………」
「出来の悪い作り話は、肴にも成らないぞ。覚えておけ。………相手には、何故かバレていた。それも中途半端にな」
標的に伝わっていたのは、『襲撃がある』という情報だけ。誰が、いつ、どのようにということまではまるで伝わっていなかった。そのせいで、男はただひたすらに警戒していた。
「依頼内容が正面から、だからな。仕方がないけどちょうどいいと、納得し掛けたよ。………そのための、依頼だったんだ」
「………それで、私が何故魔術師だと?」
「簡単だ。そんな単純な情報だけで、何故男が警戒していたか、だ。普通、『お前狙われてるぞ』と言われただけなら、どれだけ思い当たる節があるやつでもそこまでビビらないだろう」
加えて言えば、奴は魔術師。並みの刺客なら鼻で笑って返り討ちだ。
それが、あそこまで警戒したと言うことは。
「相手の脅威を知っていた、ということだ。どこまでも追い、何をしてでも殺しに来る、そんな相手だと理解していたから、あの魔術師は恐れて引きこもった。あんなゴーレムまで用意してな」
「………………………」
「魔術師が、そこまで恐れるような相手。………それは、魔術師だけだろう?」
お前のような、とは、私は言わない。言う必要も無いだろうからだ。
「その花は、スノードロップだな?花言葉は………」
「『あなたの死を望みます』。………ふふ、捨ててると思ったんですけどね」
スーツの男がカードに手を翳す。その手をどけると、カードはどこかに消え失せていた。
「まぁ、今のは
「消しに行けば良かっただろう?お前が、自分で」
「そうもいかないんですよね、私も忙しい身ですから」
微笑む男は、片手でグラスを弄んでいる。ふらふらと揺られるグラスの中で液体が渦を巻いている。
溢れそうで溢れない酒を気にした様子もなく、男は口を開いた。
「彼は、我々に反対してました。それも愚かなことに、表立ってね」
「反乱か」
人が集まれば争う。同じ目的の下に集っても、それはかわりない。
しかし、男は首を振った。
「そう、彼は信じてましたね。しかし、彼の仲間はそうでもなかったんですけど。………ほら、よくあるでしょう?結局のところ政治的な争いでしてね、別に積極的に戦争をしたいわけではないんですよ、お互いに」
「………一人を唆して、反抗させ、敵対勢力の無能振りをアピールした?」
「
茶化すような男の言葉を無視して、私は小さく頷いた。
よくある話だ。ヒーローを創るには、悪役がいる。それに、そいつに苦しめられる民衆が。彼等は、それを用意した。あとは誰が、竜を退治するかだけだ。
「嘘を吐いたのは、あなたに罪悪感を植え付けない為でした。………復讐に手を貸す方が、
「………愚かだな」
「え?」
私の言葉に、男は初めて驚いたようだった。
「言ったはずだったな。私は、金の折り合いだけつけば引き受ける。………嘘をつく必要は無かったよ」
男の顔に、複雑な表情が浮かんだ。疑問と作り笑いのカクテルは、彼の手にあるものよりも混ざりが粗い。
「………………………それは、いわゆる建前でしょう?」
「建前を用意していたのは、お前だよ、魔術師。私じゃあない。………気分が良い?そう思っていたのは、お前だけだ」
「………」
「私は、暗殺者。殺すのが仕事で、仕事に文句は言わない。言い訳をするつもりも、無い」
「………………………」
「言い訳をしたいのはお前だ。政治の末の、無意味な生け贄を死なせたと思いたくないのは、ただお前だろう」
「………………………」
黙る男に、私は最後の刃を突き立てる。
「お前の言い訳に、私を使うな。もう、二度とな」
「………………………クク」
男の顔が、割れた。
そうとしか思えなかった。人の良さそうな物静かな微笑みも、細められた目も、全てが消えていた。
残ったのは、しかし笑顔だった。
大きく見開かれた瞳に光はなく、底無しの闇のようだ。月のように割れた口は、先程までの微笑みなどよりも余程笑顔に見えた。
狂ったような笑い方だ………けれど直感できる。
これが、この男の本性だ。
「………あなたは、面白いですね、クロナさん。ふふ、やはりあなたに頼んで良かった」
「私は、そうは思わないが。二度と、お前の依頼を受けるつもりはないからな」
「そうは思わないですが。次に会っても、きっとあなたはわからない」
「わかるさ。………鼻は利く方だ」
男は立ち上がった。手慣れた様子でカウンターに代金を置き、出口に向かう。
ドアを出る前に、男が振り返った。その顔には再び、あの無機質な微笑みが貼り付いている。
「きっと、また逢いますよ。………私は、貴女のファンになりましたから」
「………モテモテだな、お嬢さん?ギャハハ!!」
「煩い」
バグの声に短く突っ込むと、私はグラスを傾ける。どうせまた下らないお喋りだろうと思ったが、バグは不意に声を落とした。
「………どう思った?」
「………?何が?」
思わぬ神妙な様子に、私は面食らって傍らの鞄に顔を向ける。
「あの武器だよ。気が付いてるだろ?………あれは、剣よりも鋭く、矢よりも早い。魔法よりも手軽で、致命的だ」
確かに。
あのゴーレムを圧倒できたのは、あの変な筒のお陰だ。その威力を思い出せば、寒気さえする。
「あれさえあれば、誰にでも勝てるぜ?王国の騎士団も、精霊も、魔術師でも、皆敵じゃあ無い。お前は、世界を手にできるぜ?」
「………」
私は答えず、グラスを見詰める。琥珀色の液体に映った私の顔は。
私は、一息にそれを飲み干した。それから、答える。
「………あれは、まるで雷だ。耳に悪い」
「それで?」
マスターの手が動き、私のグラスが新しくなる。そこに満たされた液体を口に運びながら、私は、小さく微笑んだ。
「酒は、静かに飲むに限るよ」
「………ご苦労様です」
どこからともなく現れた少女から受け取った金属片を見ながら、ふむ、とスーツの男は呟いた。
「ゴーレムを破壊したのは、謎の道具ですか。稲妻のような音と、火、そして金属の弾を吐き出した………そして、これが残された」
男の手には、金属の塊が載っている。ワームの脱け殻のようなそれは、バグなら薬莢だと言うだろう。
しかし、それはわからない。誰にも、魔術師にも。
「それを、彼女はどうしますかね。誰にでも勝てる道具。それを使いこなせるのはあの人だけでしょうね」
力に、酔うだろうか、彼女は。
「酒には、強そうでしたけどね。ふふ、面白くなってきましたね」
「酔っていたら、どうしますか?あれは、我々【魔術師ギルド】にとって危険です。あの男よりも、貴方が処分した他の反乱者よりも」
部下の言葉に、男は答えなかった。ただチラリと、視線をそちらに向けただけだ。それだけで彼は黙り、目を伏せた。
服従した部下を気にもせずに、男は楽しそうにその塊を弄ぶ。新しい玩具を手に入れた子供のように、楽しそうに、楽しそうに。裂けるような笑みを浮かべながら。
暗殺者クロナの依頼帳 月の兎は夜に跳ねる レライエ @relajie-grimoire
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